怪事戯話
第十四怪・幽霊部員と秘密の封印②

 それは、一昨年の秋の出来事。
 いよいよ秋も深まったある日の昼休み、一年生だった鳩貝秋刳は校舎の中をぶらりと彷徨っていた。特に何処へ行こうという目的はない。ただ、その日は親しい友人たちが委員会や部活の用事を理由に出払っており、要するに暇だったのである。
 そんなわけで意味も無く壁に張ってある薬物乱用防止のポスターをまじまじと眺めたり、人気のない階段を上り下りする等していた時。ふと、秋刳の視界の隅を人影が横切った。
 秋刳が何となく振り返ると、そこには自分と同じように一人とぼとぼと廊下を歩く女子生徒が居た。咄嗟に見えた上履きのカラーは黄色。秋刳と同じ学年カラーだが、その肩より長い黒髪は、学年集会でも見た事がない。
 首を傾げた一瞬後で「自分の上履きを忘れ、一年の弟ないし妹から上履きを借りている上級生」という仮説が頭の中に浮かぶが、休み明けならともかくその日は一週間の中程であった為、その仮説はすぐさま却下された。そもそも、借り物だったとしてその弟ないし妹はどうするというのか。スリッパで過ごせと言うのだろうか。……だとしたらなんと横暴な姉だろう。秋刳は「ないない」と頭を左右に振った。
 そんな秋刳の心中など知る由もなく、髪の長い女生徒はとある一室のドアの向こうに消えて行った。一見して何らおかしなこともない行為だったが、その様子を見ていた秋刳は益々混乱せざるを得なかった。

 なぜならば、彼女の消えた部屋は。古霊北中の生徒ならば一度は耳にする噂の一つ――「開かずの会議室」だったからだ。

 ――「開かずの会議室」。それは、ここ北中で囁かれる数多の噂話や怪談の中でも特に古く、そして現在まで語り継がれる七不思議の一つである。「花子さん」のような全国区の怪談ではないが、現役生の父母世代が学生の頃には既に存在したとされ、学区内での知名度は非常に高い。
 その内容とは、このようなものだ。

 古霊北中学校の二階、社会科資料室の隣には、一年通して決して開くことのない開かずの間がある。職員室にも鍵はなく、生徒は勿論教師も立ち入ることはできないが、時折内側から何かを話し合っているような声が聞こえることがある。
 その正体は歴代の校長であり、現役校長のみが開かずの間の鍵を持っている。そして学校に関する重要な取り決めをする時だけその部屋を開き、歴代校長の亡霊と会議をしているらしい。
 そんなことから、あの部屋は開かずの会議室と呼ばれているのだ――と。

 勿論、そのような事実はない。実際のあの部屋は単なる空き倉庫である。
 確かに開かずの間ではあるのだが、校長だけが鍵を持っているとか、特別な何かが隠してあるというような事実はない。あの部屋は空っぽなのだ。それにはこんな事情がある。
 木造の旧校舎の老朽化及び生徒数の増加によって、新しく現在の校舎が建造されたのが昭和40年代の初め。出来立てほやほやの鉄筋コンクリートの校舎に荷物を移設する途中、例の部屋の鍵だけが紛失してしまう。
 とはいえ、その部屋の中にはまだ何の荷物も置かれておらず、教材や機材の収納が足りないということもなく。加えてごく狭い部屋だったこともあり、別段鍵を作り直してまで開ける必要性も感じなかったので、一応は倉庫ということにされ、その部屋は封印された。
 要するに、はじめから何もなかったのである。だが、奇しくもはじめから開かずの間として生徒たちの目に触れることになったその部屋には、様々な噂や憶測が飛び交うようになり。やがて現代まで語られる「開かずの会議室」の噂が誕生した、という訳だ。
 そのような経緯からか亜種のような怪談もあり、工事中の手違いで閉じ込められてしまった男が夜な夜な戸や窓を叩く、といったものやそのバージョン違いで閉じ込められた教師が居るといったものもあるのだが、会議室の話に比べれば非常にマイナーであり、あまり知られてはいない。

 ともあれ、その部屋が開かずの間であることは間違いない。だからこそ秋刳は混乱したのだ。
 あの女の子、今部屋の中に入ったよね? と。秋刳は確かに見た。女生徒が扉を開けて入って行くところを、確かに。
 秋刳はこれまで一度も幻覚というものを見た事が無い(と自負している)し、話としての噂や怪談は好きだが、幽霊や超常現象の実在を信じているわけではない。だから彼女はこう思った。
(もしかしたら、知らない間に鍵が開くようになったのかも?)
 先ほど女生徒が消えた扉を睨む。古びた鉄の扉の向こうからは、噂にあるような話し声は聞こえてこない。作業員のうめき声や、戸を叩くような音もしない。
 だが、開けるべきか開けないべきか。
 秋刳は少しだけ考えてからドアノブに手を掛ける。
 どうせ大したものはないだろうと思いつつも、彼女は開けずにはいられなかったのだ。

 きっと、人はそれを好奇心と呼ぶのだろう。


 ギィィと軋んだ音を立てて、外開きの扉が動く。蝶番ちょうつがいが錆びているのか手応えはやや重かったが、開かずの間の扉は思いの外あっさりと開いた。
 開いた。そう思って一歩踏み入った瞬間、背後の扉が閉まった。まるでバネでも仕込まれているかのように勢いよく、大きな音を立てて。
 秋刳はドキリとして振り返る。ぴったりと閉まった扉があった。
 知らない間に後ろに誰かが居て悪戯されたんだろうか? そんな考えが過るも、少なくとも数秒前まで自分以外の生徒は居なかった筈だ。……不自然過ぎるくらいに。
 そういえば、と秋刳は思う。二階には三年の教室があるにも関わらず、廊下には自分一人だけ。雑談の声も全く聞こえず、気配も無く、気味の悪いほどに静かだったと。
 …………流石におかしいだろう。昼休みとはいえ、外に出ていく生徒はせいぜい半数。教室に残る生徒は必ず居るし、今日の自分のように意味も無く廊下をぶらりとしている生徒もいる筈である。
 だのに、二階は異様に静まり返っていた。人気と言う人気を失って、まるで放課後のような有様だった。
(なんだろう、なんで気付かなかったんだろう……!)
 秋刳は自分を取り巻いていた状況の不自然さにやっと思い至り、ゾッとした。
 なんだか恐ろしくなって、三階の自分の教室に戻ろうとドアノブを握る。……だが、開かない。
「なんで……!? なんで開かないのッ?」
 ガチャガチャと音を立てるが、ドアノブはびくともしない。まるで鍵がかかっているかのように。
「鍵!」
 何かの拍子で鍵がかかってしまったのだ。そう思った秋刳はドアノブを見る。が、そこにはについているべき内鍵のツマミは存在せず、黒々とした穴がぽっかりと開いているのみ。
「うそッ!?」
 秋刳は悲鳴に近い叫び声を上げる。
 開かずの間。失われた鍵。閉じ込められて出られない。
「これじゃあ、こんなんじゃ、怪談話と一緒に……嫌だ! 誰か、誰か!!」
 気付いて、ここから出してと滅茶苦茶に扉を叩く。しかし反応する者は誰も居ない。本来なら教室からそう離れていない距離だし、声を上げて喚けば誰か一人くらい反応してもおかしくない筈なのに。秋刳を助けに来る者は誰一人としてやってこなかった。
「嘘……でしょ、こんな。あり得ないっしょ……」
 愕然としてへたり込む秋刳は、その時ふと思い出す。自分の前にこの部屋に入って行った筈の女生徒の存在を。
 そう言えば、彼女はどうしたろう。
 僅かな希望に縋るように、秋刳は部屋の内側に振り返った。思えば、入室してすぐに背を向けたので、ちゃんと部屋の中を見るのは初めてだった。
 噂とセットで語られるバックボーンを知っている秋刳の予想通りなら、ここは何もない部屋である筈。そしてそう遠くない距離に件の女生徒が居る筈だった。
 だが、しかし。
 
 彼女が見たものは、何もない部屋でも、佇む女子生徒でもない。
 札、札、札。浮遊する札の群れ。
 ひとりでに空を飛んでいる札たちが、一定の距離を保って旋回し、球形を描いている。
 開かずの間の何もない筈の空間には、俄かには信じられない光景が拡がっていた。
「何、これ」
 秋刳は先程とは違った意味で愕然とする。テレビやイベントで手品ショーを見ることは多々あるが、このようなものを見るのは初めてだったからだ。
 天球儀の如く回転を続ける札たちは、パッと見には只の紙切れであるようだ。そこに糸の類もついていなければ、送風機のようなものも見えない。
「永久機関って奴かな……?」
 わけがわからなくなり、秋刳は首を傾げた。札に描かれた文様が淡くオレンジ色に発光しているのも益々謎を深めるばかりだった。
 恐怖から一転、純粋な興味に駆られた秋刳は、徐に札の一枚に手を伸ばした。
 その時の彼女にとっては、部屋の中に居るべきはずの女子生徒の姿が見えない事なんて、すっかりどうでもいい事だった。

 手を伸ばし、触れる。
 先程までくるくると飛んでいた札は動きを止め、ひらひらと床に落ちた。まるで電池が切れたかのように、まるで一枚の枯葉のように。
 秋刳は床に落ちたそれを拾い上げ、まじまじと観察して見る。だが、やはりその材質は紙にしか思えなかった。
 試しに宙に投げてみるも、札はもう飛び上がることはなかった。気付けば、輝いていた模様は黒い炭の色に変わっており、どうやらこうなってしまうともう飛ばないという事らしい。
「どういう原理だろう……」
 秋刳が不思議がっていると、突如として大きな悲鳴が上がった。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!?」
 絹を裂くようなその悲鳴は、勿論秋刳のものではない。秋刳は驚き、声の方へと振り返った。

 そこには、件の女生徒が居た。

 この世の終わりみたいな顔をして叫ぶ彼女のやや茶色がかった長い黒髪は、確かに廊下で見たものだ。ブラウスにジャンパースカートと今の季節にしてはやや肌寒そうな服装ではあるが、それも廊下で見たのと一致している。
 だが、彼女には唯一廊下で見た時と違う点があった。
 秋刳はそれに気づいて目を剥き、目の前の彼女と同じように絶叫した。

 そう。その女生徒には足が無かったのである。

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