怪事戯話
第十四怪・幽霊部員と秘密の封印③

「いやホント、ホラー映像の中に出てくる幽霊なんかはどうせ作り物だろうし、本当かよって舐めてかかって見てたけどさ。実際に目の前に足の無い人間のようなモノに出現されてみなよ。結構ビビるよ、アレ」
 今でこそ人の形をした何かが空中浮遊してようが驚かなくなってきたけれど、と付け加えて、秋刳は話を続けた。



 開かない扉。部屋の中で不思議な軌道を描きながら回り続ける札。
 それまでの常識の範疇を越えた不思議な事の連続に、トドメは足の無い女生徒の登場ときて、秋刳の正気は遂に失われた。
「う、うわあああああああああああああああッッ!?」
 秋刳は後に自身で「アレは洋画ホラーで真っ先に死ぬ奴の反応だったわぁ」と評するような叫び声を上げ、錯乱したように唯一の扉に突進する。驚きすぎて鍵が開かないという事実はすっかり頭の中から抜け落ちていたらしい。
 だが、先ほどまでびくともしなかった開かずの扉はあっさりと開き。次の瞬間、バンッと大きな音と共に廊下に転がり込む秋刳の姿があった。
 部屋の外に逃れた秋刳は、しかし出てきたその勢いをそのままに、放たれた鉄砲玉のように廊下を疾走する。
 びゅんびゅんと視線の脇を通り過ぎて行く教室には、人影らしい人影は一つも無い。まだこの異常事態は終わっていないのだ。秋刳は意味の解らない叫びを上げながら、廊下の端に見えるパソコン室脇の角を曲がった。築十年で増築された特殊教室へと繋がる二連続L字廊下は、逃げてきた開かずの間から秋刳の姿を隠してくれた。
 秋刳は曲がり角の一番奥に控える行き止まり――被服室の手前でやっと足を止め、廊下の真ん中にへたり込んだ。
 荒い呼吸を整えながら、先程の一連の出来事について頭の中で整理をはじめる。

 まず、知らない女生徒が「開かずの会議室」の中に入って行くのを見た。
 興味を引かれた自分がその中に入ってみた。するとひとりでに鍵がかかって開かなくなった。内鍵のツマミは無くなっていて開けられない。
 部屋の中には無数の「お札」のようなものが天球儀のような軌道を描きながら自律浮遊していた。その時部屋の中に女生徒は居なかった。
 札の一枚に手を伸ばして落としたら、叫び声と共に女生徒が現れた。女生徒には足が無かった。
 備考、今学校の中には人気が全くない。……以上。

(どうしよう、やっぱりアレって幽霊なのかな? 学校の怪談って奴なんだろうか?)
 秋刳の脳裏に、昔見たジュブナイル的なホラー映画の内容がふっと浮かぶ。怖いし面白いけど所詮はお話と思っていたが、現在自分を取り巻く状況はあまりにもその映画に似すぎている。これで観客だったらまだ笑う余裕もあるかもしれないが、今は役者の方の立場であり、とてもじゃないが笑えない。秋刳の顔からサッと血の気が引いた。
 ここ古霊町及び古霊北中に、「そういうの」が好きな部類の人間から見れば垂涎すいぜんものの伝承や噂・怪奇譚が多々存在することは、秋刳も知っていた。知っていたが、古霊町は時々買い物に行く余所の町と何ら変わらない普通の土地だと感じていたし、小学校にもお化けなんて出なかった。進学した先の中学校では、何年か前にちょっとした騒ぎが起きたと古株の教師が冗談っぽく言っていたが、その真偽も不明。だから、つまるところ要するに、本気で信じてなんかいなかったのだ。
 その、信じていなかった事が。今こうして現実に起こっている。
「…………。やあまさか、盲点だったなぁ。あんなさりげなく押しちゃ駄目なスイッチみたいなモンが置いてあるなんて。あはははは……」
 兎に角気を確り持たなくてはと無理に明るく振る舞ってみるも、それに反応してくれる友人もこの場には居らず。只々虚しさと焦燥感が深まるばかり。
(……どうしよう。冗談抜きで洒落にならないぞこれは)
 秋刳の顔を嫌な汗が一筋伝う。唯一の救いと言ったら、今が真っ暗な夜ではなく昼だということくらいか。そう言えば、今は昼休みだったということを思い出す。もしかしたら、昼休みの終わりを告げる鐘とともにこの悪夢のような時間も終わってくれるのではないかと淡い期待を抱くが、ホラーのお約束として時間ほど当てにならないものはない事を思い出し、その期待は捨てることにした。
「……まてよ、そもそもどっからおかしくなったんだろう。部屋に入ったから? それとも札に触ったから? そもそもあの女の子を見た辺りからおかしいっちゃおかしかったワケで、そっからNGだったらどうしようもなく詰んでるんだよなぁ」
 何とかする方法を導き出そうと、左右の親指で蟀谷こめかみをぐりぐりと抑える秋刳の姿は、第三者から見たらさぞやシュールだったことだろう。尤も、それを見る第三者がいればの話であるが。
 ぐりぐり、ぐりぐり。しかし中々妙案というものは浮かんでこない。精々ほんのちょっぴり頭の両脇が痛くなる程度だ。
 ぐりぐり、ぐりぐり。……ちょんちょん。秋刳の肩が軽く叩かれる。人差し指で軽く触れたような刺激だった。秋刳は自分の指が肩に触れたのだろうと思い、自問自答するように返事を返した。
「はいはい、ちょっと待ってよ。今考えて――」
 考えてるからと言いかけて、秋刳は固まった。実際にやってみればすぐわかることなのだが、親指で蟀谷をぐりぐりと触りながら無意識に人差し指で肩を叩くことは不可能に近い。それこそ人間の骨格が大幅に変形しない限り。
 無論、秋刳の手は平均的な人類手の形をしているし、肩の構造が常人のそれと異なるなんてことも無い。世界のびっくり人間コンテストなんて無縁の人種だ。だとすれば、考えられる答えはただ一つ。
 ――後ろに誰かいる。
 弾かれたように振り向いた先の人影が、ビクッと怯えたようなそぶりを見せる。視界の先に居た顔は、あの開かずの間で出会った女生徒だった。
 そのスカートの下には、やっぱり足なんて生えていない。心なしか開かずの間で見た時より宙に浮かんでいるような気がする。
「で……出たっ!」
 すっかり腰を抜かし、金魚のように口をパクパクさせる秋刳に対し、女生徒は苦笑いの顔をして言った。
「あのさ、君のその一々大げさに反応するのやめてくれないかな? ……いや、そりゃ吃驚したろうけど、私だって吃驚すんだからねっ?」
 それとも一応足の形だけは作っておいた方がいい? と、女生徒はスカートの裾をたくし上げた。もし秋刳が男子生徒なら、その仕草だけでドキリとしていたかもしれない。だが、普通の人間なら下着が見える程に上げられたスカートの中には、青白い霞のようなものが揺らめいていた。
「やっぱ怖いかなぁ、これ」
 何でもない風に呟きながらスカートを下す彼女と対照的に、秋刳の心臓は早鐘を打っていた。勿論恋ではない。
「ゆ、ゆゆ、幽れ、れれっ……!」
 指摘された手前大声こそださないものの、声は震えて上手く単語を紡ぎだせない彼女に対し、女生徒は言う。
「そうだよ、幽霊。私は2年4組――まあそんなの今となっちゃ関係ないか。千里塚ちさとづか雨筒うつつ、享年14歳。引退も卒業もしてないから多分今でも美術部の所属だよ。君と同じだね」
「……あ、あたしの事を知ってんの?」
「鳩貝秋刳ちゃんでしょ? 知ってるよぉ。だって私先輩も先輩、大先輩だかんね。自分より後の後輩の事は大体知ってるよ。だって見てるもん」
 雨筒と名乗った女生徒はえっへんと胸を張った。
「そんな大先輩の幽霊に何故呪われてるんですかあたし!」
「え、私は呪ってなんかいないよ。……ていうか秋刳ちゃん、とんでもない事してくれちゃったね? 私見てたんだからっ!」
 狼狽える秋刳にビシッと指さして、雨筒は続けた。
「開かずの間の中にある封印、外しちゃったでしょ!」
「は……へ、封印……?」
「そう、封印。お札の奴!」
 お札と言われて、秋刳はあの奇妙な札たちを思い出した。その内一枚に触れて、床に落としたことも含めて。良くわからないが、あれが何かの封印だったらしい。
「た、確かに一枚落としはしたけれど! あれが何かなんてあたし知らなかったし、そもそも封印て何の封印なんですか! 触れちゃマズイものなんですか!?」
 弁明しつつ問いかける秋刳を見て、雨筒ははぁと溜息を零した。
「……いや、うん。表生徒が知らない事くらいは承知してたんだけどさ」
 重そうに頭を抱えながら、彼女は秋刳にこう問いかけた。
「大霊道って知ってる?」
「霊道……?」
「うん、大霊道。その様子じゃあ知らないみたいだから、ちゃっちゃと説明しちゃうね――」

 そうして雨筒は秋刳に語り始めた。
 古霊町の大霊道の謂れ。封印し続けなくてはならない理由を全て。

「――でね、これは私も死んだ後に知ったんだけど。『開かずの会議室』の鍵って、本当は紛失したワケじゃないの。内鍵のツマミ諸共処分されてたんだって。……何の為だか、秋刳ちゃんわかる?」
 話の途中で唐突に問われた内容に、秋刳は首をブンブンと横に振る。雨筒は「だよねぇ」と呟いてから、その答えを口にした。
「あの部屋は最初から大霊道の封印の為の部屋だったんだって」

 彼女が言うところによると、「開かずの会議室」の「本当の本当」の謂れはこのようなものだった。
 中学校の移設計画が出た時、その移設場所として古霊町の北東部・旧黄泉先村の南端に位置するミトウの森が筆頭候補に上がった。ミトウとはすなわち未踏の事であり、その名の通り誰も立ち入らなければ住んでもいない。一応古霊町の三神社共同の管理地であるが、祠もなければ史跡もない。学校を建てるのにはそれなりの面積が必要だが、ミトウの森はそれを満たしており、各学区からの距離も丁度良い。
 そのような理由から、地主である三神社との交渉がはじまったが、初めはどこも首を立てには振らなかった。それも当然である。そのミトウの森こそかつて大霊道の大穴の存在した土地であり、何百年もの間現世と隔絶され封印されてきた場所であるのだから。
 行政と神社の交渉は平行線を辿った。神社には譲れない理由があるが、行政にはそれが理解できない。科学技術がいよいよ人類を宇宙へと導こうとしていた時代、祟りや天罰なんてものはナンセンスな寓話へと成り果てようとしていた。
 ミトウの森への移設計画はそのまま破談となると思われたが、3年に渡る議論の末に神社側が折れた事によって実現することとなる。
 頑として拒んでいた神社側が突然妥協した理由としては、頭取であった神逆神社の神主が亡くなったからとも、跡取りの若い衆が補償金に目に眩んだからとも言われているが、真相は定かではない。
 かくしてミトウの森は切り開かれ、現在の古霊北中学校の校舎が建造される運びとなったが、神社側は譲歩する代わりに校舎の設計に一つの条件を付けていた。
 それが後に「開かずの会議室」と呼ばれるようになる、ごく狭い一室を設けることであった。
「神主たちは最後の意地としてそこに大霊道封印の術式を施したんだ。いうなればあの空間は祭壇のような場所だったってワケ。そしてそれを誰にも弄られないように部屋ごと封印した。……だけど、だ」
 雨筒はほんの少し口をつぐみ、やや間を置いてから続けた。
「たまぁにね、居るんだよ。秋刳ちゃんみたいな子が。呪術的にも物理的にも封印されている場所を、スッと通り抜けちゃうのが。私は幽霊だから入れる。けど、フツーの人間がフツー入れない場所に入っちゃう人が居る。そう言う子を、私は勝手に『すり抜けさん』って呼んでる。かっこつけて『シールブレイカー』って呼んでる人もいるみたいだけどねー」
「シール……ブレイカー?」
「そうそ。封印シール破壊ブレイクするからシールブレイカー。ていうかすり抜けさんて呼んでよ。……まーいいけどさ。私たちとすり抜けさん、どっちも『開かずの会議室』に入れる存在だけど、二つの間には天より高く地よりも深い隔たりがある。何だか分かる?」
「隔たり?」
「そう、隔たり」
 雨筒はそう言うが、秋刳は全くピンと来なくて首を傾げる。そもそも、「すり抜けさん」だか「シールブレイカー」だか知らないが、自分がそのような特異な存在だなんて突然言われても、全くピンとこない。
幽霊オバケとすり抜けさんの違い……? 生きてるか死んでるかとかじゃなくて? でも、態々聞くってこたぁそんな分かりきってる話でもないんだよね……? ……封印、すり抜け。ブレイク、壊す……)
 少し前のように蟀谷に親指をぐりぐりと捻じ込む秋刳は、しかし今度はすぐにその答えに到達する。自分ができて幽霊に出来ない事。――まさか。
「……もしかして、それって。扉を越えられるだけじゃなくて、中の封印を壊せるって事じゃあ……。……違う?」
 封印、破壊。その二つの単語から導き出された答えを、秋刳は恐る恐る口にした。
 雨筒はふぅと息を吐き、「正解だよ」と呟いた。
「私たちは封印に触れることは出来ないけど、すり抜けさんの秋刳ちゃんにはそれができる。前にもそんな感じの子がいて、封印が解けちゃった事があった。エライ騒ぎだったんだよ? まーあの時は、……この話は今しなくてもいっか。……えっとまあ、つまり。後輩にこんな事言うのも気が引けるんだけどさ。秋刳ちゃんはとんでもないことをしてくれちゃったんだよ? 今はまだ気にするレベルじゃないし、直接見てた私たちしか知らない問題だけどさ。抜けた一枚の分の狂いはいつか絶対よくない方向に行くと思うよ。きっとこの学校の偉い妖怪にも気づかれちゃう。……そうなったら多分、私も秋刳ちゃんもただじゃ済まないんじゃないだろうか。はぁ」
「えええ偉い妖怪って! 具体的に何ですか!」
「花子さんとか。ヨジババさんとか、赤紙青紙とか、赤マントとか……」
「なにそのラインナップこわい! 最後のはよくわかんないけど! よくわかんないけど、それって殺されるって事ですか先輩、兎に角あたし死にたくないですよ!?」
「いやね、先輩としても守ってあげたい気はあるんだけどね。はぁ。でもごめんね、私ヒラもヒラの幽霊だから、守るとか本当無理なんで。まあ、ご愁傷様って事で。というわけで、じゃあ――」
 取り乱す秋刳にひらひらと手を振り、その場を立ち去ろうとする雨筒。だが、彼女が消えることを秋刳は許さなかった。
「ちょ、ま、やっ、置いていかないでッ!!」
「ふんにゃっッ!?」
 思いっきり袖を掴まれてバランスを崩す雨筒。めくれ上がったスカートから青白い霞が漏れ出し、宙に尻尾のような跡を描いた。
「ちょっとねえ、君ねえ! 何すんのよ!」
「何はあたしの台詞じゃないですかぁ! 元はと言うと先輩があたしの前に現れたりしなければこんな事にはならなかったんですよぉっ!? 責任取って何とかして下さいってばぁ!」
「いやいやいやいやムリムリムリムリ! 無理だから!」
 縋る秋刳にがっしりと腕をホールドされながら、雨筒は壊れた扇風機のように首を振った。
「先輩の馬鹿! 無責任! ひとでなし!」
「一応生身の人間はもうやめてるけど……うぅ」
 スッポンのように貼り付く秋刳に困り果てた顔になる雨筒は、暫く途方に暮れたように唸っていた。が、その後に何か思いついたような顔で呟いた。
「まてよ。……そっか。そうすればいいんだ」
「何か思いついたんですかぁ……」
「うん、思いついた。めっちゃ思いついたから」
 一旦離れよ? と、雨筒は秋刳を引きはがす。
「……これで逃げたら承知しないですかんね」
「大丈夫逃げないから。あんね、聞いて」
 そして雨筒は、秋刳にこう耳打ちした。


「結界に応急手当するの。二人で」

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