怪事戯話
第十四怪・幽霊部員と秘密の封印①

 真っ暗になった部屋の中で、少女は一人。
 下弦の月が細く頼りなく照らす窓枠に手をかけながら、誰も居ないどこかへ向かって。しかし、"誰でもない彼女"に向かって語りかける。
「長らく言いそびれちゃった感があるけどねぇ。明日全てをあの子たちに打ち明けようと思うんだ」
 刹那、風も無いのにざわざわとカーテンが揺れた。
 少女はそれを感じてにこりと笑った。



 三月。長い冬が終わり、街角の梅の花が咲き始め、蜜を吸うメジロが姿を現し始める頃。古霊北中学校では、例年通り卒業式の準備及び予行練習が行われていた。
 中学三年生の三月は恐ろしく短い。入ってすぐに県立の入試を終えたかと思えば、その結果が出るより早く卒業式で送り出される。その間僅か一週間足らず。憂鬱になる間もなく感傷に浸る間もなく、十五歳の彼らは学び舎を去らなくてはならないのだ。
 そんな矢継ぎ早で目まぐるしい日々の中だった。放課後の美術室に引退した三年生たちが遊びに来たのは。
「なんだかもう久しぶりって感じじゃない?」
 こうして部活中に顔を出すのは何か月ぶりのことだろうか。元部長の首無藍子は、自分たちの製作した応団幕や体育祭のシンボルマークを名残惜しそうに見つめている。真面目を象徴するような眼鏡もコンタクトレンズに変え、三つ編みお下げの髪をばっさりと切り落とした藍子の姿は、在部中とは大分印象が変わってしまったものの、その眼差しは相変わらず穏やかなものだった。
 ふと、彼女の隣に人影が立った。現部長の鳩貝秋刳だった。
「藍子先輩そう言いますけどー。割と最近まで美術の授業で来てたじゃあないですかー」
「だあって、授業じゃ後輩たちがこうして作業してるところなんか見れないんだもん? ……そんなことより鳩貝ちゃん、ちゃんと部長の仕事やれてるのー?」
「な、……も、もうっ! ちゃんとやれてますよー! そもそも言うほど難しい仕事じゃないじゃないですか!」
「なら、よし!」
 藍子は調子のいい上司みたいに秋刳の肩をポンポンと叩きながら、もう一度自分たちの製作物たちを見つめた。そして目に焼き付けるように右から左へとゆっくりと視線を移した後、ぽつりと一言。
「……全部持って帰っちゃおうかな?」
「いやいや流石にそれはだめでしょう。第一、パネル絵とか重くて一人じゃ持って帰れないじゃないですか」
「やーね、冗談よー。ジョーダン」
 苦笑いしつつ、藍子はスポーツバッグの中からデジカメを取り出した。
「……たぶん、何年か後には上塗りされちゃうだろうから」
 彼女は寂しそうに言って、静かに写真を撮り始めた。少し離れた所では、他の三年生たちもカメラや携帯を片手に、作品や思い出深い美術室の様子を写真に収めているようだった。
「沢山撮りますねぇ」
「鳩貝ちゃん、人間の記憶って頼りにならないって思わない? ほら、旅行に行ったりして、その時はその日起こった楽しい事とか、ハプニングとか、泊まった宿の壁の模様まで、ずっと覚えていられるような気がするじゃない? だけど、やっぱり記録しておかないと、どんどん忘れていっちゃう。その時の光景とか、空気感とか、表情とか、――気持なんかは割と最後まで覚えてられるんだけどねー。だから今のうちに記録しておくのよ。ずっとずっと憶えていられるように」
「なるほど……」
 しみじみと頷く秋刳に向けて、不意に藍子がシャッターを切った。
「ちょっと藍子先輩、不意打ちとか酷くありません?」
 頬を膨らます秋刳に、藍子はにこりと微笑んだ。
「表情がすごく様になってたよ。新部長さん・ ・ ・ ・ ・
 そう言って、彼女は他の部員たちの元へと小走りで向かっていく。
「様になってたって、どんな表情カオだ……?」
 残された秋刳はどこか釈然としない顔で、藍子の言葉の意味に首をかしげるのだった。


 それからほんの十分ほどして、三年生の一団は美術室から撤退していった。
「久しぶりにちゃんとお話ししたけど、元気そうでよかったねぇ」
 先刻の出来事を思い出しながら、眞虚は窓際の観葉植物に水を与えていた。濡れたアロエの葉は春の斜陽を反射し、久々の水やりに喜んでいるように見えた。
 いつかどこかで聞いたような曲を口ずさみながら、オリズルランやハエトリソウ、日陰のモンステラにも順々に水を与える眞虚は、いつもより上機嫌に見えた。
 その様子をぼんやりと眺めながら、魔鬼はぽつりと漏らした。
「眞虚ちゃんえらく機嫌がいいねえ。何かいいことでもあったんか」
「さあ? なんだろね、特に何も聞いてないけど」
 答える深世は、スケッチブックと机上のオリズルランを交互に睨みながら、鉛筆を忙しなく動かしている。
 その隣では、乱雑に散らばった色鉛筆を目的無く転がしながら、時折何とも言えない溜息を漏らす乙瓜の姿があった。
「…………さっきから何をしとるんだお前は」
「……死にかけた野良猫たちの黄昏」
 呆れたように問いかける魔鬼に対してそう答えると、乙瓜は再び色鉛筆転がしを再開した。
「いや、意味わかんないし」
 どういうことだよ、と言いかけた魔鬼の視界の隅で、何やらピンク色のものが動く。見ると、窓の外の屋外で、杏虎と遊嬉の二人が梅の枝を持って駆け回っている。
「あいつらいつの間に外に出たんだ……」
 少なくとも三年の先輩が帰るまでは確かにその辺で絵を描くそぶりをしていた筈の二人を凝視しながら、魔鬼は怪訝な表情を浮かべた。
 ……そもそも、その梅の枝はどこから手折ってきたというのか。もしやそれは学校に隣接する農家の敷地から生えている梅とは違うのか。外はほのかに暖かいというのに、魔鬼の背筋には冷たいものが走っていた。
 恐ろしい想像をする魔鬼の前で、不意に深世が口を開いた。
「あーね、給食でプリン落としてからずっとこれなん」
「え、あ、はいっ!? プリンっ?」
 何のことだと言いかけた魔鬼は、直後それが「死にかけた野良猫たちの黄昏」に対する答えだと気付く。
「今日一組こっちで三人休みがでたからさ、給食終わりの頃に余ったプリン巡って争奪戦が起こったんだよ」
 深世は絵を描きながら淡々と続けた。
「乙瓜は参加してなかったんだけど、たまたま椅子にぶつけられて、んで、食べようとして開けたばかりのプリン落としたんだわ。床に。そっから」
「ああ……」
 魔鬼は納得したような目で乙瓜を見た。乙瓜はまだ色鉛筆を転がしている。心なしか橙やら黄色やら茶色やらの色を集中的に弄っているように見えた。
「一応ね、地禍チカが半分あげるかって話したんだけどさ、この子つまんない意地張って断っちゃったんよ」
 はぁと息を吐くと、深世は漸く鉛筆を置いた。そして乙瓜の方を見て「お馬鹿だなぁ」と呟くと、スケッチブックを畳んで立ち上がった。伸びをしてから眉間を抑えている様子を見るに、どうやら目が疲れたらしい。
 休憩とばかりに席を立つ深世と入れ替わるように、如雨露じょうろを持った眞虚がやってくる。
「これにもお水をあげようねーー」
 眞虚は机上残されたオリズルランに水をやり終えると、すぐにまた軽やかな足取りで去って行った。
 かくしてその作業机には、魔鬼と乙瓜とリュウゼツランが残された。
「…………まあ、そう気を落とすなよ。プリンなんてまたその内食べられるじゃんか」
「わかってる。わかってるけど……」
 今にも口に入りそうだった瑞々しいカスタードの色が忘れられない。乙瓜はそう語った。

 何とも言えない空気に包まれる机の傍に、ふっと立つ影があった。
「ちょーっと話いいかな?」
 二人が顔を向けるより先にそう口を開いたのは、先程まで前部長の相手をしていた鳩貝秋刳だった。
「なんですか、秋刳先輩」
 姿勢を正した乙瓜が言う。転がしっぱなしの色鉛筆をケースに片づけ始めた彼女に、別に片づけなくてもいいと言いながら、秋刳は続けた。
「実はさ、話しておかなくちゃならないことがあるんだよね。そこまで背筋伸ばして聞くような話じゃないんだけどさ、なんせもう三月だし、あたしらも来年度入ったらすぐ引退だし、このこと話しておかなきゃなー、なんて」
「……どういうことです?」
 首をかしげる魔鬼を見て、秋刳は頭を掻いたり指を意味も無く弄ったりと、柄にもなくやや挙動不審な動きを繰り返した後、やがて意を決したように咳払いをし、その言葉を発した。

「ごめんなさいッ!」

 次の瞬間、秋刳はほぼ直角に腰を折り、二人に頭を下げていた。何より、まるで運動部みたいに大きな声をあげるものだから、美術室中の視線が一気に集まる。
「え?」
「はい?」
 先輩の予期せぬ行動に目を白黒させることしかできない乙瓜や魔鬼に変わり、驚き振り返った眞虚が変わりに尋ねる。
「……えっと、鳩貝先輩? 乙瓜ちゃんや魔鬼ちゃんに、何か謝るような事でもしたんですか?」
 恐る恐る近寄る眞虚に対し、秋刳はふるふると首を横に振った。彼女はふぅと一呼吸してから顔をあげ、顔にかかった前髪を払いのけた。
「な、な……なにを謝ることがあるんです……?」
 呆気にとられていた魔鬼がやっと声を出す。秋刳は彼女らの方をもう一度真っ直ぐに見据え、話を続けた。
「二人は去年の五月から度々学校で起こるおかしな出来事と対峙してるじゃない。それは大霊道って言う、封印し続けなくちゃならないものの封印が解けたから。そうだよね?」
「ええ……はい。それが――」
 どうしたんですか、と魔鬼が言う前に、秋刳は次の言葉を紡いだ。

「じゃあ、やっぱりあたしの所為だわ」

「それ、どういう……?」
「あたしの責任、って意味」
 言葉の意味が一瞬分からず聞き返す乙瓜に、秋刳は繰り返した。そして頭をわしゃわしゃと掻くと、やけくそ気味に言い放った。
「ええい、この際だから全部暴露します! すみれ、まほろ、供子!」
 唐突に呼ばれた二年生三人の肩が、びくりと跳ねた。
「どうした急に改まって」
 副部長の美霞洞みかど菫が、驚きを隠せない表情で近寄って来る。秋刳はそんな菫の両肩に両手を置き、真剣な声音で言った。
「これから去年……いや、一昨年の秋にあったことを、みんなに包み隠さず話そうと思う。聞いてくれる?」
「一昨年の……? …………あっ」
 少しの間をおいて、菫は何かに思い当たったような顔をした。
 ――一昨年の秋。今の二年生たちが一年生で、一年生たちがまだ小学生の時の話だ。当然乙瓜や魔鬼や眞虚は何が起こったか知りもしない。が、菫のみならず他二人の二年生の様子も見るに、どうやら何かがあった事だけは間違いないらしい。何故なら仮名垣まほろや滝壺供子もまた、何か心当たりのあるような表情をしていたからだ。
「ついに話してくれんのね?」
 そう言う菫に深く頷いて、秋刳は一年生の方に向き直った。
「乙瓜ちゃん、魔鬼ちゃん、そして眞虚ちゃん。……遊嬉ちゃんたちが居ないのは少し残念だけど、今からあたしの体験したことを話すから、ちょっとだけ付き合ってほしい。いいね?」
 特に拒否する理由も無いので、三人は静かに首を縦に振った。それを確認してから、秋刳は大きく息を吸った。

「これは、あたしの体験した……たぶんきっと怪事アヤシゴト
 そうして彼女は、過去に起こった出来事をぽつりぽつりと語り出した。

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