怪事戯話
第六怪・一夜怪談⑥

 闇に、包まれている。
 怪を談する少女たちが囲う明かりの外には、闇が広がっている。網戸の外に見える外灯は煌々こうこうと闇を割き、そのあかりに大小さまざまな虫が群がっているが、部屋には遠すぎて、頼りない。
 かといって、部屋の中にある光源も、思うほど頼りになるものではない。
 電池一本で灯る小型ライトの明かりは切れかけて小さくなり、ディスプレイを点灯させっぱなしにした携帯電話の電池も残り少ない。
 すでに電池切れになってしまった携帯もあり、一層暗さに侵食された室内では、残りわずかな光源にぼんやりと照らし出される各々の輪郭を確認するので精一杯だ。
 そんな不鮮明な視界の中、白薙杏虎は語りだした。

 ――一夜怪談。

「十年か、二十年か。とにかくそのくらい昔の話。とある学校で宿泊があって、丁度こんな感じの青年館に泊まることになったんだわ」
 杏虎はありきたりな語り口で話を展開した。
「で、夜になった。大抵の奴らは日中馬鹿騒ぎしてるから疲れて眠っちゃうんだけど、まあ消灯時間になっても眠れない奴っていると思うんだよね。丁度今のあたしたちみたいに。その学校の生徒にもそういう輩が五、六人居て、暇を持て余したその子たちは怪談しよう! ってことになった」
 ふっ、と辺りがより一層暗くなる。切れかけだった小型ライトがその役目を全うしたらしい。だが語り部は全く臆することなく、平然と話を続ける。
「その子たちの時代には、携帯電話なんて普及してなかったから、丁度そう、今電池切れたみたいなミニライト持っててさ。その明かりの下でこっそり怪談を始めたわけ。ミニライトって新しい電池入ってる状態だと結構明るいし、その子たちは大して幽霊とか信じてなかったから、特に怖いとかなかった。まあ、内緒のお喋り感覚でやってたんだ」
 一台の携帯が充電を促すアラート音を出し、その持ち主が慌てて電源を落とす。また一つ光源が無くなり、残っているのは杏虎の携帯ただ一台である。
「ね、ねえ杏虎ちゃん。それ、電池残りどれくらいある……?」
 不安になったのだろうか、誰かが問う。冷静に聞くと斉藤の声だとわかるそれは、酷く震えていた。
 杏虎は一旦話を止め、ちらりとディスプレイを確認してから、「今、一つになったところ」と呟いた。

「どうする……?」
「充電は他の人使ってるし……」
「使い捨ての充電器持ってる人いる?」
「持ってたら使ってるよ」
 ざわざわと、杏虎以外に動揺の波が広がる。

「……そだ、他の人の携帯!」
「だ、駄目だよっ、……勝手に使うのは」
 妙案を思いついたような鵺鳴峠の声を、斉藤の声が止める。
 だから、続く舌打ちは恐らく鵺鳴峠のものなのだろう。その音に場がしんと静まり返る。

「――話、続けていい? それともやめる?」
 杏虎の声する。だが、反論する者は誰もいなかった。
 それを続行の了承と見たのか、杏虎は話を再開した。
「ところで、百物語、ってあるじゃん。怖い話一話語るごとに蝋燭ろうそく消してくやつ。まあ、蝋燭なんてないから、その子たちはミニライトでそれをやったわけ。何本もあるわけじゃないから、一人語っては消し、またつけて消し、みたいなお粗末なもんだったらしいけど。兎に角やったんだ。すると一話ごとにほんの数秒だけど部屋の中が真っ暗闇になる。何も見えないってのは、まあ怖いよね。だって化け物が背中に乗ってたってわからないんだから」
 そうでしょ? 問いかける杏虎の言葉に、誰も明確な言葉を返さなかったが、聞き手は皆一様に同意していた。
 そしてその時、聞き手全員は感じていた。――寒い。
 涼しくなったのとは違う。寧ろ冷静に考えれば、相変わらずの熱帯夜が続いていることがわかる。しかし、誰も暑さを感じていなかった。
 暗闇で視えないが、その時聞き手たちは漏れなく背筋にぞわぞわした感覚を覚え、腕に鳥肌を立たせていた。そして、その感覚こそが彼女らに寒さを感じさせているものの正体だった。

 一方、白薙杏虎は。
 夜陰という隠れみのの下、目を見開き口角をにぃと釣り上げ。怯える彼女達とは対照的に、獲物を前にした肉食獣のような顔つきで笑っていた。その表情は、今この状況下に於いてあまりにも場違いで、あまりにも異様なものだった。
 だが、それに気付く者は誰もいない。それを識っているのは他ならぬ杏虎だけである。
 そんな怪談の語り手は、見えるはずのない闇の中をぐるりと眺めると、再び話を続行した。

「勿論、明かりがついてしまえばそんなものはないってわかる。光の中にもう一度浮かび上がるのは見知ったクラスメイトの顔。想像上の化け物は霧散し、安心がやってくる。……だけど、誰かひとりが気付いちゃった。話の何巡目からか、周回の順番がずれるようになったのに気付いちゃった。丁度一人分、ね。だけど、目で数える人数に変わりはないし、誰かが余分に話してるくらいにしか思わなかった。けど、おかしい。どんどん自分の番が巡ってこなくなってきてる。その子は気付いちゃった。気付いちゃって、それで――」
「――で。ちょっといい?」
 いよいよ話は山場というところで、話し手の言葉を遮る声があった。
 暗がりでよくみえない声の主は、杏虎の手前に置かれていた携帯電話をとって持ち上げる。顔の高さまで上げられたディスプレイのバックライトは、語り手と遮った主、二人の顔をぼんやりとだが、確実に照らし出した。
「あんただれ」
 遮った主の言葉と同時に、その場にいた車座の全員が二人の顔を知覚する。――そして絶句した。

 照らし出されたのは、両方とも白薙杏虎の顔だった。

 片やゾッとするような笑顔を浮かべた顔、片やまぶたを半分下して不機嫌そうに口を尖らせた顔。
 遮った方の杏虎――不機嫌そうな顔の方は欠伸あくびを一つすると、素早い動きで笑顔の杏虎にデコピンを喰らわせた。
 笑顔の杏虎は表情を歪めると、一瞬にして実体のない霧のように消えてしまった。

『もう少しだったのに……』

 どこからともなく恨めしそうな声がする。それは杏虎の声でもなければ、その場にいる誰の声とも違っていた。

「い、今のって……」
 震えで歯をガチガチと鳴らしながら、四十雀が言う。
 丁度そのタイミングで杏虎の携帯の充電も切れ、部屋は本当の真っ暗になってしまった。途端、物凄い悲鳴があがる。

「キャぁアアアアアあああアァアアアアぁアアアアアアああああアあッ!!!!!!」

 あまりにもうるさいので、布団がもぞりと動き、眠っていた生徒たちが目を覚ます。誰かが手さぐりでつけた室内灯の明るい照明に照らし出されるのは、互いに抱き合うようにして狂ったように叫んでいる四十雀と鵺鳴峠、それを呆然と見ているその他怪談組の面々だった。
 この煩さだと教師が飛んでくるのも時間の問題だろう。関係ないと言わんばかりに混乱に乗じて自分の布団に戻ってきた杏虎は、一言「ざまぁ」と呟き、いそいそと布団にくるまった。

 その時、杏虎はチラッと魔鬼の方を見る。
 実のところずっと起きていた彼女は、何とも言えない表情で杏虎を見ていた。
 杏虎は凄い悪戯っぽい笑顔でそれに答えると、廊下の方からドタドタと聞こえる足音が扉を開かぬ前に布団に潜ってしまった。



 ――翌朝
「あまり眠れなかった……」
 寝たふりをしつつも他人のお説教まで聞いてしまった為快眠できなかった魔鬼は、目の下にクマを浮かべていた。一方で同室の美術部三人は快眠スッキリ爽快といった顔でいるのだから納得いかない。
 特に杏虎なんかは、「いやーいい朝だねえ」と言いながら魔鬼の肩をポンポン叩いてくるのだから尚更である。
「ていうか、なんで眠くないのさ……」
「そりゃ寝たからに決まってんじゃん」
 けろりと言う杏虎に魔鬼の殺意が加速する。
(憎い……簡単に寝れる輩が憎いわ……!)
 そこにハンカチがあったら昔の漫画よろしく噛み付いてしまいそうな気持ちを必死でこらえながら布団を畳んでいると、部屋のドアが勢いよく開いた。
「よぉーっす! 元気ですかぁーー!!!」
 遊嬉だった。別室だったとはいえ彼女もまた憎らしいくらいに元気がいい。
「おっはようおっはよう眞虚ちゃんおはよう!」
 入ってくるなり眞虚の手を取りぶんぶん振る姿からは、パワーが有り余っていることが一目瞭然だ。そのパワーを半分くらい私に分けろよ、と魔鬼はしかめ面で呟く。
 そんな気持ちも知らず、心行くまで眞虚とスキンシップを取った遊嬉は、くるりと体をひるがえし、杏虎や魔鬼、そして乙瓜の方に向き直った。
「と・こ・ろ・で。昨晩この部屋に幽霊が出たってマジっすか?」
「ああ、そんなこともあったね」
 杏虎がさもどうでもよさげに答えると、遊嬉はえらく悔しそうな顔になる。
「うあぁぁ……マジでそーなんだぁ……あたしもこの部屋なればよかったぁ……」
 もう顔どころか体全体で悔しさを表現する遊嬉だが、乙瓜も魔鬼も直接それを見たわけではないので何とも言い難い。
 そんな中、杏虎は相変わらず落ち着いた様子で……というかため息交じりに話し出す。
「そんな嬉しがるようなもんでもなかったよ。つーかあたしに化けて出てきてすっごいイラッとした。……まあ、阻止したったからいいけど」
「阻止?」
 遊嬉は唐突な単語に首をかしげた。遊嬉だけじゃない、実際にその場に居たのは杏虎だけなので、魔鬼も乙瓜も、眞虚も頭上に疑問符を浮かべている。
 杏虎は言った。
「あれ、多分途中で百物語になっちゃってた。多分あたしの姿取ってた奴のが百話目」
「ん?」
 遊嬉はますますわからないという顔になる。
「え、話してたのってほんの一、二時間っしょ? それで百話とか無理くね? ん???」
「いいや、百話だよ。人が語るのはほんの十話くらいでいい。人の語り手が語るのなんてね」
「なんだよぅ、勿体ぶってないでおしえろよぅ!」
 口を尖らせる遊嬉から一旦目を逸らして、杏虎は乙瓜を振り返る。
「――視えてた?」
 その唐突且つ意味深な問いに、乙瓜はただ頷いた。杏虎はにやりとすると遊嬉に向き直った。
「この館、曰くつきの割になんにもいないと思ってたけど、怪談が始まった瞬間から物凄い湧いて出てきた。うるさくて・・・・・眠れなかったから違いないよ。なんたってあっちはあっちこっちはこっちで好き勝手に怪談してるんだからねー。やんなっちゃうよ本当」
 さらりと答える杏虎だったが、遊嬉は即座に食って掛かった。
「いやいやいやいやマテマテマテマテ、まず二、三つっこませろ。……えっと、杏虎って視える人だっけ?」
「違うよー」
「じゃあ聞こえるってのは」
「ああうん、聞こえるだけなら」
シィットSHIT!」
 余りにもあっさりと言いのけられ、遊嬉は頭を抱えた。
「羨ましすぎるだろ……。魔鬼は魔法で乙瓜は護符フダ、杏虎は聞こえるだと……? じゃああたしは何なのさぁッ!」
「え、ホラーテラー?」
「違うの、もうこの面子のなかではホラーテラーなんて没個性じゃんか……」
 へなへなと膝から崩れ落ち、ワザとらしくしくしく泣いてみせる遊嬉だったが、割と真面目に立場の危機を感じているようである。
「あたしもなんかオカルト的な能力ほしいよぅ……」
「えっと、ほら、私がいるよ!」
 忘れないでと言わんばかりにぽんぽんと遊嬉の肩を叩く眞虚だったが、そんな彼女を見て遊嬉は、「眞虚ちゃんは可愛いポジションだからいいの」と、真剣な眼差しで言うと、シャキッと立ち上がった。

「あーあーあー! いいですよぅあたしもその内なんか手に入れる予定だからッ!」
「予定があるのか……」
「そうだよッ!」と、ツッコミを入れたそうにしている魔鬼をびしっと指さす遊嬉は、何故かドヤ顔だった。
 じゃああたしそろそろ行くかな、と言って肩を鳴らすと、遊嬉は大部屋から出て行った。そういえば朝食が近い。

「結局何がしたかったんだ」
「暇なんだろう」
 殆ど話す事も無く呆然とする魔鬼と乙瓜にも、それぞれの班員からお声がかかり、美術部員は一時解散し、自分たちの布団を押入れに収納する作業に戻った。



 一晩お世話になった布団の片づけも終わり、皆が荷物を以て退室してしまえば、ただでさえ何もない宿泊施設の部屋はがらんとする。たった一泊の合宿、昼にカレーを作るまではまだ青年館の敷地にいるものの、荷物は朝の内に持ちだしてしまうのでもうこの部屋に戻ることはない。
 部屋を出るのが最後になってしまった魔鬼は自分の荷物を握りしめ、最後に部屋を振り返る。

 小さなつのを生やした子鬼のようなものが、部屋の真ん中にちょこんと座っていた。

『うらめしや』
 子鬼が言う。
『怪を語らぬならあたしは何にも出来やしない。され失されよそ者さん。嗚呼ああうらめしや。うらめしや』
 子鬼はうらめしいと言うものの、愉快な歌でも歌うような声音で、和服の袖をふりふりと振る様などは、出て行けと追い払うより別れを惜しんで手を振るそれによく似ていた。

 魔鬼は呟く。
「怪事、来たれども」

 ――祓う事も無し。
 扉が閉じられた。最後の瞬間、子鬼がにいっと笑ったような気がした。

「どうしたの?」と問う同班の生徒に「なんでもない」と返して、魔鬼はもう振り返ることもせず一階への階段を降りて行った。




 だが、心に植えつけられた疑念の種は消されないまま。じわりじわりと確実に根を伸ばす。
 それはいつか芽吹き、花開くだろう。例えそれが何なのか分からなくても。

(第六怪・一夜怪談・完)

おまけ
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