怪事戯話
第二怪・見ずの訪れ、水の音すれば②

 兄さんに会いに来たんだ。
 自分のことを草萼水祢と名乗った声の主は、紛うことなく確かにそう言った。
 草萼。そうがく。
『草萼火遠。妖怪を狩る妖怪。理の調停者』
 昨日遭遇し、乙瓜に謎の契約を施していった妖怪がそう名乗っていた。
 ――マジかよ。
 姿が見えない以上判別は出来ないものの、最近聞いた名前の中で『草萼』などと名乗っていた相手は彼一人……否、一匹しか思い当たらない。そして少なくともそれを知っているのは自分・烏貝乙瓜と、あの場に居合わせた友人・黒梅魔鬼のみ。
 誰かが質の悪いトリックで口から出任せに挙げた名前とは、到底思えない。
 …………………………。
 いや、本当に。マジですか。
 乙瓜は心の中で再度同じ台詞を吐き出していた。それくらいには動揺していたのである。

「どうして黙ってるの」
 乙瓜が何も返してこないのに腹を立てたのか、背後の声はやや苛ついた調子で言葉を投げつける。
「……はあ。いい? 俺が欲しい返事は草萼火遠を知ってるか知らないか、そして今火遠が何処にいるか、その二つだけ。そんな簡単な事も返せないの? おまえ今幾つ? ……どうせ十歳そこそこ回った程度の小娘だろうけど、それくらい答えられないわけないよね? それとも愚図なの? 愚鈍なの? はあ。これだから人間は――」
「!?」
 いきなり声の態度がガラリと変わり、矢継ぎ早にポンポンと投げつけられる暴言毒舌に乙瓜は怒るでもなく驚くでもなく、ただただ呆然とした。
 ……は? 何こいつ何なのこの、何でいきなり俺キレられてるの????
 訳が分からず何も返さないでいる間にも、声――水祢による謂われのない暴言が続いていく。現実時間に換算すると恐らくたったの数分なんだろうが、乙瓜には十分にも二十分にも感じられた。
 帰りたい。じゃなくて、早く解放されたい。切実にそう願っていた。
 それは反省すべき点なんて全くないのに、連帯責任という都合の良い言葉で全く非がないにもかかわらず説教を喰らっている時と全く同じ心境だった。
「――っておいお前、聞いてる? 聞いてた? 聞いてなかったでしょ、呆れて物もいえない。……まあいい」
 乙瓜の気持ちが伝わったのかは定かではないが、水祢は唐突に理不尽説教を止めた。どちらかというと言うだけ言って満足したようだったが。
「要はお前が火遠の所在を知ってるか知ってないか、それだけを知りたいの。……さあ」
 答えて、とは言わなかった。言わなかったが文脈上それを要請し強要しているのは間違いない。寧ろ、それ以外はあり得ないことは確実である。
 兎に角、もうこれ以上理不尽な罵り文句が続くような事態だけは避けたいと思った乙瓜は正直且つ素直に答えることにした。

「お前の兄さんの事は知ってはいるけど……今何処にいるかは知らない」

 知らない。解らない。
 嘘偽りのない言葉である。
 乙瓜は確かに昨日草萼火遠と名乗る妖怪と一戦を交え、謎の契約を交わしやしたものの、その後の彼の動向行方については一切知らない。今何処にいて、何をしているのか。全く。
 寧ろこっちが教えて欲しいくらいだと、乙瓜は心の中でごちた。
「…………そ」
 意外にも、水祢は疑うことなくすんなりと信用したようで、先刻までひしひしと伝わっていた怒気や殺気といったものが一気に霧散するのを、乙瓜は感じた。
 助かっ……た?
 あまりにもあっさりとしすぎていて、乙瓜は拍子抜けした。
 しかし水祢の声は安堵で緩みかけた乙瓜の心に追い打ちをかける。
「勘違いしないで。一旦余所を当たってみるだけ。またお前が兄さんと接触しないとは限らないし、近いうちにまた来るから」
「うえっ!?」
 再来予告。カミングスーン。次回に続く。
 不穏な宣告を残し、背後の気配は綺麗さっぱり消え去っていく。
 完全に消え去る寸前、幽かに「じゃあ、また」という声が聞こえた気がした。

 沈黙。
 超常怪奇から日常回帰。
 僅かに傾きかけた昼の光がうっすらと射し込む廊下に残されたのは、美術室の扉に手を掛けたままという不自然な体勢で固まる乙瓜のみ。

「嘘だろ……」
 誰に向けるでもない乙瓜の独り言が、周囲の空気をほんの僅かに振動させた。
 そう、独り言。独り言の、筈だった。が。
「嘘じゃないんだなぁ、これが」
 その独り言に返す者がいた。
「はっ、うぇ!?」
 驚いて振り返ると、先程まで水祢と名乗る気配が居た場所には、赤い髪に紅い瞳の件の妖怪、草萼火遠が立っていた。
 憎々しいまでの笑みを浮かべた口元は昨日と同じだが、乙瓜に無惨に抉られた左の目には包帯が、恐ろしく長かった髪はサイドにだけ長さを残し、他はばっさりと切り落とされている。
「おっ、お、おおま、おまええええええええええええええええええ!!? 今まで何してたんだ!!! ていうか自称兄弟がさっき来てたぞ!!!! 近くにいたなら何黙ってたんだうぉおおおい!!」
 テンパって爆発するように半狂乱になって叫ぶ乙瓜を見てにやにやしつつ、火遠は「なぁに、二人で内緒の話でもしてるのかと思ってね?」などと暢気にのたまった。
「何言ってんだ、超怖かったんだぞ!! 昨日確かお前言ったよな、身辺の安全を保証するとか何とか!!」
「言ったけど、それが?」
「酷ぇ!」
「まあまあ、そうカッカすんなよ」
 ――多分あいつなら初見で殺したりとかそういう強硬手段は取らないと思ったからさ、と火遠は続けた。
「……あいつは本当にお前の弟(?)なんだな?」
「ん? まあね」
 火遠はそれがどうしたとでも言いたい風に言った。恐らく本当に兄弟ではあるのだろう。多分。
 妖怪に兄弟が居ないだなんて誰も一言も言っていないし、確かに無い話ではないが……なんだか意外だ。お化けにも家族がいるのか。
 ほんのり幽霊と混同していた乙瓜には目から鱗だった。
「それにしても最初・・に来るのがあいつなんて、まあそれはそれで都合がいいけれど。……うん」
「なんなんだよ」
 何やら一人で納得しているようなので僅かに睨み付けると、火遠は話を続けた。
「昨日君と魔鬼に言ったことを覚えているかい?」
「……校内で起こる怪事アヤシゴトを解決してもらう、だっけか?」
 そうそれだ、と言って火遠は目をにぃと細める。そして乙瓜に背を背けて二三歩進んでからくるりと踵を返し、嬉々とした声音でこういった。
「喜びな、その記念すべき第一号が向こうから出向いて来てくれたんだから!」
 そして両の手を翼のように広げ、宣言した。

怪事アヤシゴト来たれり」

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