怪事戯話
第一怪・現世に怪事ありて⑤

「――まあ、そこからそんなこんなありまして魔鬼が見てた場面シーンに続くんよ」
 乙瓜は事の顛末を苛ついた様子ながらも淡々と語った。そして魔鬼を隔てて反対側に対峙する妖怪をちらりと見、「俺は一ミリも悪くない。いきなり襲いかかってきたコイツが悪いんだ」と切り捨てた。
 件の妖怪の方は、全く動じぬ涼しい表情で受け流している。
 ――妖怪、妖怪ねぇ。
 魔鬼もまた、己の左手側に居るそれを見る。
 宙に浮かんでいるのも、何もない空間から大鎌を大言して見せたところも、しっかりと己の目で確認した。だが、その姿は絵巻物に出てくる異形のものではなく、どう見ても――。
「只の人間にしか見えない、とでも言いたそうな眼じゃないか?」
 考えをそっくりなぞられて、魔鬼の心臓がどきりと跳ねた。
 妖怪は「やっぱり」と呆れ顔で溜息を吐き、続ける。
「これでも一応産まれ持った姿形なんでね、それを想像イメージと違うだなんて言われたって困るわけさ。それに――」

「君の方こそ何なんだい? 只の人間ではないようだがね?」
 妖怪は左手で顔の傷を抑え、怠そうに挙げた右手で魔鬼を指さし、明瞭はっきりとそう言った。
 今まで指摘されなかったことを面と向かって言われ、魔鬼はたじろぐ。
 ――っどうしよう、間違いなくさっきのことだ……!
 二者の間に割って入るにはああするしかなかったとはいえ、咄嗟に力を使ってしまったことを激しく後悔した。
「あ……あれは……」
「あれは?」
「オイ魔鬼なんなんだよ」
 左には妖怪、右には乙瓜。双方から詰め寄られて、益々焦りを増す。
「言っちゃいなよ人間、俺たちも事の顛末を話したじゃないか」
「気になるじゃんか、何だったんだよあの光はー」
(こ、こいつら本当は仲良いんじゃないの!? なにこの連携!? 酷い、酷いって!!)
 勢いに押されるようにじりじりと下がり続け、遂に壁際まで追いつめられた時、魔鬼は覚悟を決めた。
「ッ、言います! 白状しますーー!! わ、私は――」
 ――ええい、ままよ!

魔法使い!! 魔法が使えるんです! 今まで内緒にしてましたけど!! ……い、いい、言ったからね!!」
 ――お、おわった……。
 耳まで真っ赤にして言い切った魔鬼が見たのは、呆気にとられて呆然とした顔の乙瓜の姿。
「ま、まほー……つかい? おまえが? え、魔法……え?」
 何かの聞き間違いじゃないかという風に反芻する乙瓜の反応に、ああ……やっぱり、と魔鬼は引きつった顔のまま目尻に涙を浮かべた。
 実際問題、魔鬼が魔法使い告白カミングアウトに関して気にしていたのはこの反応だった。
 本当は大勢に自慢して回りたいくらいなのに、中学生にもなって「自分は魔法使いだ」なんていきなり言われても、相手は何かの冗談だと思うか、頭の残念な可哀想な子だと思うかくらいしか思いつかない。
 そして想像通りな反応が返ってきた今。
 (はっずかしいいいいいいい!!! 今すっごいすっごいは恥ずかしいんですけどおおおおおおうあああああああああああ!!!!)
 魔鬼は己の入室のタイミングの悪さと、乙瓜に鍵を貸した事を深く深く後悔し、妖怪の出現を恨みに恨んだ。そして少し前の乙瓜と同じく、妖怪の方を睨み付け。
「全部こいつがあっ!! こいつが悪いんじゃああっ!!」
 と絶叫した。
「……オイオイ、揃いもそろって近頃のお嬢さん方は偉く口が悪くなったもんだ。嗚呼嗚呼嘆かわしいよ。凶暴女に魔法使いさん」
 芝居がかった抑揚かつオーバーな態度で訴えてみせる妖怪に、乙瓜と魔鬼が噛みつくようにブーイングを飛ばす。
「うるせぇ、お前がいきなり人の命を狙ったのが悪い!!」
「そーだそーだ! お前の所為でこっ恥ずかしい思いしたぞ!!」
「あーあーあー、煩い五月蠅いよ。そっちだって俺の顔に穴を開けたじゃないか。お互い様だよ」
 それにね、お嬢さん方と、妖怪は続ける。
「さっきから聞いてりゃこいつだのお前だの、俺には歴とした名前があるんだけれどね。だのに代名詞の羅列、妖怪という記号で一括りにされて話されたんじゃ、えらく不快だし不本意だ」
 妖怪はくるりと一回転して踵を返し、そのままつかつかと美術室の黒板の前へ行くと、おもむろに白いチョークを掴んだ。そしてカツカツと、まるで転校生が己の名前を紹介するときの如く文字を記し始める。
「覚えな、人間」
 カツン! と最後の一画を払い、一匹の妖怪は二人の人間に振り向いた。
草萼火遠そうがくかのん。妖怪を狩る妖怪。ことわり調停者まとめやく古霊北中ここに来てからは十余年。長らく美術室の小戸に封印されてたんだがね、毎日毎日飽きずに怪談話をする連中のお陰で封印が緩んで、今日やっと復活することが出来た。その件に関しては感謝しているよ。心から」
 君たちのお陰だ、と妖怪こと火遠は笑い、そして意地悪そうに嗤う。
「だが君たちの所為でまた別の封印も解けてしまった。識っているかい? それとも知らないかな。この北中には旧来より黄泉に通ずる霊道、しかも特大の大霊道があることを」
「だ、大霊道ぉ!? うっそおッ!?」
「なんだよそれ! 聞いたことないし、出鱈目じゃねーのか!?」
「それが嘘でも出鱈目でもないんだなあ」
 魔鬼乙瓜両名のリアクションツッコミに、本気で残念そうに、そして面倒臭そうな声の調子トーンで返す火遠。どうやら嘘ではないらしい。火遠は続ける。
「まァ、兎に角そんなものが開くと大変な事になる訳でね、君らの先祖達は代々霊道に異変があれば封じ、また開かないように監視してきた訳だ。少なくとも先の大戦……第二次世界大戦が終わる前までは……ね」
「……今は、違うっていうのかよ」
 乙瓜がつぶやく。
「残念なからね」
 言って火遠は肩をすくめる。
「この国の人々の価値観が変わってしまったからね。土着の信仰や迷信の類は急速に廃れ、今や祟りだの天罰だのを本気で信じてる輩の方がおかしい風潮じゃァないか。封印の秘術なんか伝えるより車の免許でも取った方が飯が食っていけるからね」
「現金な話だなぁ」
 魔鬼は既に呆れ顔だ。
「人間なんてそういうモンさ。だがね、実際に今大霊道は開いてしまった。これがどういう事かわかるかい?」
「知らねーよンなもん。寧ろお前解ってんだろ、ええと……」
「火遠だよ、口の悪い方のお嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんじゃねぇ、俺にだって乙瓜って名前があるわ。んで、こっちが魔鬼な」
 乙瓜は己と魔鬼を指さし言った。
 魔鬼は魔鬼で「こっち言うな!」とか言っていたが、乙瓜は敢えて気にしないことにした。
「そう、乙瓜に魔鬼。大霊道は開かれた。それまで大人しくしていた現世の雑霊・妖怪どもも騒ぎ出し、いずれは常世の悪鬼悪霊まで溢れ出てきてしまうだろうね。古霊町はその名の通り、古い霊の跋扈する魔境となってしまうのさ! ……そしてその封印を解いてしまったのは君たちだ、乙瓜に魔鬼!」
「いやいやいや私達だけじゃないし!! いや私達も居たけど私達だけじゃないんだからねっ!!」
「おいお前自分で『妖怪を封じる妖怪』って言ってたじゃないか、何とかしろ!」
「そのつもりで出てきたら負傷してしまってねぇ? 流石にちょいとキツいのさ、これが」
 誰かさんの所為で。と火遠は己の顔を指さす。
「だーかーらーそーれーはぁ! お前がいきなり意味不明なこと言って襲ってくるからッ! いけないんだろうが!!」
 乙瓜は反論するも、火遠は小馬鹿にするような顔で一言。

「誰にだって間違いはあるさ」

「おおお、おまええええええ!!! もっかい勝負だ! 来い!!」
「落ち着けって乙瓜! さっきの話聞く限り乙瓜が一回勝てたのは偶然だって!!」
 羽交い締めにして宥める魔鬼の言葉に同調するに火遠も続く。
「そうだよ乙瓜。君が本当に運以外で俺に勝つなんて不可能さ、この男女おとこおんな。」
「誰が男女だ、誰が!」
 間髪入れずに乙瓜が反論するが、火遠は全く耳を貸さずに進めていく。
「何れにしろ、君たちには責任を取って貰わないといけないねぇ。封印を解いてしまった責任として――」
 火遠は勿体付けるようにたっぷりと間を置いて――きっと実際は数秒の間だ。しかし乙瓜と魔鬼の二人には、充分に長い時間に思えた――そして言った。云った。宣言した。

「――これから君たちには、校内で起こる怪事アヤシゴトを解決してもらう!」
「「あ、あっ、あやしごとォ!? なんじゃそりゃ??」」
 乙瓜と魔鬼の二人が同時にハモって叫ぶ。
「幽霊沙汰妖怪沙汰、人の物とは思えない奇っ怪な事。それが怪事さ! 時に魔鬼、よかったじゃないか。やっと君のその特技まほうが役に立つ時が来たよ!」
「そ、そりゃどうも……じゃない!! どうすりゃいいのさっ! あと何で学校!!」
「言ったろ、大霊道を即刻封印する術は失われた。だが徐々に閉じていくことはできる。要するに、お化け退治をしていけばいいのさ。『化け物が調伏されている』その事実が術に代わり、いずれ道は閉ざされる」
 いずれ、の所だけをやけに強調したものの、妖怪を封じる妖怪は断言する。大霊道は封じられると。
「ちょいまてちょいまてクソ妖怪! 魔鬼は魔法使えるから丁度いいだろけどよ? 俺はなーんも出来ない一般市民だぜ? それなのにどうすりゃいいんだよ!」
 素手で戦えってのか、と食ってかかる乙瓜に、火遠はやれやれと言う顔をして。
「まさか。流石に何も出来ない奴にどうこうしろなんて、無茶なお願いはしないよ」
 それを聞いてほっと胸をなで下ろす乙瓜に、火遠は。
「だから、こうしてしまうのさ」
 言って、パチンと指を鳴らすと同時にぼんやりとした光が生じ、乙瓜の体がふわりと、床から三十センチ程浮かび上がる。
 明らかに動揺する乙瓜に火遠が向かい、右手の指先でそっと彼女の額に触れた。
 ――暖かい。
 なんだか妙に落ち着く。まるで柔らかい春の日差しに包まれているかのような暖かさ、ふかふかの布団に包まれているような心地よさ。不思議と落ち着く感覚に、乙瓜は自然と目を閉じていた。
 光を遮断した乙瓜の世界に、火遠の声が響く。
『契約宣誓。一つ。この者の身辺の安全を保証するもの。二つ。この者に我の持つ術の一つを与えること。三つ。この者から我に眼を一つ与えること。四つ。我からこの者に眼を一つ差し出すこと。我が契約の名はソウガク***。契約主はカラスガイイツカ。契約承認。契約完了』
 光が消える。乙瓜の体は緩やかに地面に戻される。
「……何をした」
 目を開いた乙瓜が問う。
「『契約』さ。君が簡単にくたばらないように、俺の持ってる技の一つを貸してやったのさ」
「……明らかにそれだけじゃないこともつらつら言ってたろ……。あと右目の見え方がおかしいんだが」
 乙瓜は言いながら右目を閉じたり開いたり、瞼の上から抑えたりしている。
「ああ、なぁに。ちょっと視力をね。すこし拝借したまでさ」
 ちょっとした痛み分けだよ。と、火遠はしれっと言い放った。
「なっ、オイ! ふざけるな!! 今すぐ俺の視力返しやがれっ!!」
「別にいいだろ目の一つや二つ。大体その代わりにオマケもつけといたから、それでおあいこさ」
「おまけぇ……?」
 乙瓜は怪訝そうに言い返し、そして何かに気付いて驚愕の表情を浮かべる。
「……!? さっきから見えてるこの変なののことか!!」
「ちょいまち、変なのって何さ? 何が見えてるんだ?」
「いや、魔鬼、なんつーかさ……視界の半分がネガ反転したみたいな変な色っていうか、変な黒いのが泳ぎまくってるっていうか、その割に暗いところの輪郭がはっきりしてるっていうか……」
 一つ一つ挙げられていく『視えているもの』に、魔鬼は「あれ?」と引っかかりを覚える。
 ――それって乙瓜が閉じこめられたって言ってた空間にちょっと似てない?
「火遠! これって――」
 気づき、魔鬼は火遠を見上げる。
「そう! 妖界が見える力さ。否、敢えて言うなら妖界と現世が重なった世界が視えている、と言うべきかな。今乙瓜の右目は現世を視ながら妖界を視ている状態なのさ。まあ、持っていて損はないだろうと思うよ?」
 何故か嬉しそうに語り出す火遠に、乙瓜はしかめっ面で冷たい視線を遣る。件の右目は視界のみならずその形質にも変化を示し、丸い瞳孔は細く狭まり、火遠と同じく昼間の獣のような目と化していた。
「けっ、望んでもないプレゼントをありがとよ。……えらく鬱陶しいものが視界に入って今日から楽しく生活出来そうだぜ」
「まあそう怒るなよ。慣れれば己の意思で切り替えが出来るようになる筈だぜ?」
 クスクスと笑いながら言う妖怪を見るに、明らかにこんな反応が返ってくることを想定してわざとやったようにしか思えない。少なくとも乙瓜はそう思ったが、なんだか突っ込んだらキリがないような気がして止めた。
 ――それにもう今日は充分怒ったしな。疲れた。
 いい加減帰りたい。乙瓜は正直にそう思った。
 隣を見れば、魔鬼も同じようなことを考えていそうな顔をしている。
「いい加減帰りたい、って顔だね」
「……まあな。思えば自転車の鍵忘れただけでエラい目に遭った。さっさと帰って一分一秒でも長く寝てやらんと割に合わん」
「同上。私も早く帰りたい」
「…………ハイハイ。ま、いいだろ」
 特に疎通せずとも結託して帰らせろと迫る二人に、火遠は諦めたのか。
「今日の所はもうこれ以上特筆して言うことも無いね。夜の帷が降りきる前に帰るがいいさ」
 そしてふわりと羽のような髪を広げて飛び上がり。
「さよならお嬢さま方。明日から宜しく頼むよ」
 とだけ言い残し、空間に溶けるように消えた。

 ――静寂。
 美術室に再び静けさが舞い戻る。
 乙瓜と魔鬼は狐に摘まれたような気分で少しだけ呆然としていたものの、すぐに各々の荷物を持って退室する。今度こそ忘れ物などありませんように。そう願って鍵を閉じる。

 ガチャッ。

 かくして、奇妙な出会いの舞台は施錠される。
 二人は互いに無言のまま、冥い廊下をコツコツと歩く。
 ――出会ってしまった。本物の妖怪おばけに。そして任されてしまった。非現実じみた責任取りおばけたいじを。
 何やら面倒な事に巻き込まれてしまったとは思う。でも、二人の心は割と弾んでいた。
 幽霊は居る。妖怪は居る。神も仏も、人々が化生・化け物と呼ばる異形異能も存在する。それは恐ろしいことではあるが、彼女たちにとっては。少なくとも彼女たちにとっては。何か途轍もなく面白そうな事が始まる予感を感じさせる、それに足る出来事だったのである。
 
 ――怪事、来たれり。
 
 赤い月が低く照らす宵入りの頃。それは静かに幕を開けた。

(第一怪・現世に怪事ありて・完)

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