怪事醒話
第五解・証人M護送作戦④

「寝台列車なんて初めて乗りました。わぁすごい、ちゃんと個室で広いんですね」

 作戦のことなど忘れたように感心する六夏を見て、以神まなみはクスクスと笑った。
 六夏はハッとして彼女を振り返り、恥ずかしさにどぎまぎしながら「ごめんなさい」と手を合わせた。

「ご、ごめんなさいこんなっ、修学旅行みたいなこと言って……!」
「いえ、いいんです。私も初めて乗りましたから、気持ちはわかります」

 まなみは言って、それから窓のシェードを下した。
 それは気配を辿ってくる相手にはあまり意味のない行動だ。仮にシェードを下ろさなかったとて、【灯火】側の幾つかの術式と結界で気配も外見も擬装できる。
 そのことは事前説明の時点でまなみにも通達されていたはずだが、どうやら閉めた方が落ち着くらしい。

 今六夏らがいるのは、現在国内で唯一定期運行を行っている寝台夜行特急の最高級の個室だ。本来一人部屋でベッドも一台しかないが間取りが広く、ドアはパスワードでロックできる。
 難点があるすれば個室であること・出入口が一つしかないことから逃げ場がないということだが、前後から挟み撃ちされるよりは幾分かマシと取ったのだろう。
 また、この列車が直に大阪に停車するわけではないことから【逆月】が目星を付けるこちらの目的地を分散する狙いも(期待薄ながら)あった。
 周囲の車両・個室は【月喰の影】からの軍資金を用いて【灯火】が事前に全て抑えており、護衛本隊以外の遊撃要員が控えている。

 今夜この列車に乗り込む者の三分の一は【灯火】の関係者だ。

 公共交通機関は移動経路こそ限られているが、運行のためにタイムスケジュールが管理されているため、人目を避けた一般道で事故に見せかけてひっそり処分されるよりは幾分か安全だ。
 これが列車事故となれば瞬く間に大事おおごとになって却って敵も動き辛いはずだ。それに事故の次第によってはまなみだけサルベージするのが困難になりかねない。
 それにあまり大事を起こせば恨みや悲しみに突き動かされた不特定多数の被害者や遺族の中から狐面の尻尾を掴む者が現れるかもしれない。【逆月】という組織の活動内容・各国との後ろ暗い繋がりが暴かれることを、彼らは望まないはずだ。

 あくまで【逆月】がある種の常識的な思考の元で動いている、という前提込みになるが――丁丙はそう読んだのだ。

 読みが合っているとすれば、彼らは乗客に紛れて寝込みを襲うだろう。
 出発駅から乗り込んでいるのか、停車駅で乗り込んでくるのか、それとも囮に攪乱されて現れないまま終わるのか、それはまだわからないが――

(とにかく用心しないと。気を引き締めないと)

 六夏は修学旅行気分を振り払い、駅のコンビニで買っておいたエナジードリンク缶のタブを引っ張った。
 数ある選択肢の中から好んで寝台特急に乗るような乗客は随分と遅くまで起きている傾向にあるので、一番危ういのは早朝、と丙は言っていた。とにかく今夜は寝るわけにはいかない。
 ちなみについ先ほどまでずっと共に行動していた沙奏は、周囲の様子を確認してくると言って外に出ている。

 現在の客室内には、六夏とまなみの二人きりだった。
 六夏がエナジードリンクを飲みながら横目で様子を伺うと、まなみは鞄の中から分厚い本を取り出して目を通している。

「……それ、なんの本ですか?」

 ふと気になった六夏は、一旦缶から口を離してまなみに訊ねた。
 まなみは読書を邪魔されたのを嫌がる風でもなく顔を上げ、それどころか一旦本を閉じて表紙を見せてくれた。
 そこには英語……でもなく、というかアルファベットでもなく、とにかく六夏の読めない文字で、おそらくタイトルが書かれていた。

「わ……ぜんぜん読めないですね」
「でしょうね」

 まなみは悪戯っぽく笑い、それから「どことは言えませんが南の方の国の言語です」と教えてくれた。

「この後関空からその国に行くんです。あの、あなたが連れてる女の子が特別に飛行機を出してくれるらしくて、それで少しでも勉強しておこうかなと」
「そうだったんですか。沙奏ちゃんプライベートジェットとか持ってるのか……。……びっくりしませんでした?」
「うーーん、しなかったと言えば嘘ですが、こういうことはたまにあるので――なんていうか、慣れ、ですね」

「慣れですか」と呟く六夏にまなみは頷き、本を自分の横に置いてから神妙な面持ちで言った。

「少し……昔話をしてもいいですか?」

 六夏は黙って頷いて、備え付けの椅子に腰を下ろした。それを確認してから、以神まなみは静かに語りだした。

 今の六夏ぐらいの年齢の頃、好奇心から狐面絡みの事件に深入りしすぎてしまい、誘拐されて怪しげな人体実験を受けたこと。
 致命傷を負っても再生する体になったこと。そのために未だに狐面に狙われていること。
 信頼できる友人と共に各地を転々としてきたが、次の場所に移る準備で友人と一旦離れた隙に襲われたこと。
 再生が間に合わず動けなくなっていたところを助けてくれた人がいること。

 助けてくれた人――烏貝乙瓜。

 その話が出るや否や、それまで適度に相槌を打つだけだった六夏は訊ねた。「それはどんな人でしたか?」とやや前のめりで。
 まなみは少し驚いた様子で――けれども六夏の態度に言及することなく答えてくれた。

「優しい人でしたよ。怪我が治るまで匿ってくれて、こちらの事情に深入りしてくることはなかったけれど、友人に連絡をとってくれて。それで丙さんのところに行けたんですから、結果的にツいてましたね。私」
「そう――ですか」

 優しい人だった、その解答に六夏はどこかホッとしたような気持ちになった。
 良かった。烏貝先輩は相変わらず優しい――と。自分の中のイメージに合致したままであったことを静かに喜び、密かに拳を握りしめた。

 まなみはそんな六夏の様子を見て、察したように訊ねた。

「もしかして、お知り合いですか?」

 訊ね返されるとは思わなかったのか、六夏はキョトンとして、それからはにかんで答えた。「恩人……みたいな人です」と。

 そう答えた直後、部屋の扉がコンコンとノックされた。
 六夏は瞬時に背筋を伸ばし、まなみに一応死角に隠れるよう促して、そっとドアへと近づいた。

『俺だ。メッセージを確認しろ』

 ドアの向こうから聞こえてきたのはもう一人の退魔師の声だった。
 言われた通りにスマートフォンを確認すると、応接室で連絡先を交換したアプリには「別室で用件があるそうだ。一旦護衛を交代する」とぶっきらぼうなメッセージが届いていた。
 ちなみに本人設定したのか他人にそうされたのかわからないが、相手の名前は「やますぃ」となっていた。

 スマートフォンが奪われた可能性も考慮し、ロックを解除してから慎重に開いた扉の向こうにいたのは例の退魔師本人だった。

「開けるのが遅ぇ」
「用心のためです」

 六夏は不満げな男にきっぱり言い返し、それからどこへ向かえばいいのか訊ねた。
 彼は――目的地をきちんと伝えていなかったことに思い至ったのか、「下の部屋であんたについてた嬢ちゃんが呼んでる。下降りて右。××号室」と教えてくれた。
 この列車は二階層になっており、一階部分にはるりかや柚葉たちの部屋がある。
 外に出ていた沙奏が直帰せずそちらに向かったことには疑問だが、目の前の男が狐面の変装とも思えなかったので、六夏は軽く礼をしてから部屋を後にした。

 指示通りの部屋に向かうと、そこにはるりかと沙奏がいた。

「待っていました」

 ツイン部屋のベッドの上にちょこんと座った沙奏は六夏を見るなりそう言って、咳払いしてからこう続けた。

「先行させている我々の仲間からの情報です。次の停車駅で敵が乗り込んできます」

 彼女の静かな声は、ガタゴト揺られる部屋の中で、やけにはっきりと響いていた。

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