怪事醒話
第四解・なりたかったモノ、なれなかった者⑥

「今までどうして……ッ、いやそんなことはいいんです! 烏貝先輩はお元気なんですか!? 【灯火ここ】には定期的に来るんですか!?」

 六夏は矢継ぎ早に質問を口にした。逸る気持ちはちっとも抑えきれなかった。否、抑えきれるものか。
 五年、五年だ。丙にとってはたったの五年でも、六夏にとっては大きな五年だ。少女がほとんど大人同然に成長するまでの、気の遠くなるような五年だ。
 その間六夏は憧れの先輩の身を案じ、会いたくて、会えないならばせめてもその姿に近付きたくて、真似て嘲笑われて這い上がって飛び立とうとして打ちのめされたのだ。

 打ちのめされたから、もう飛べない、飛びたくないと思っていた。
 けれどあと少し飛んだ先に烏貝乙瓜その人がいるとわかれば話は別だった。

 六夏はどうしても烏貝乙瓜に会いたかった。会って、そして――

 けれども熱くなった六夏に冷ややかな視線を向ける者がいた。弦月沙奏である。
 彼女は長い長い長い沈黙を破り、遂に言葉を発した。

「申し訳ありませんが、少々お静かにしていただけませんか。……失礼、騒音が苦手なもので」

 ローテンションだがはっきりと通る声が部屋に響き、六夏ははたと我に返った。それから今まで特に誰からも説明のなかった少女を振り返り、「すみません」と口にして、恐る恐る訊ねた。

「……今更ですが、どちらさまですか?」
「ああ彼女な、今回呼出した件のクライアント兼スポンサー……だ。弦月沙奏……さん、という」

 答えたのは丙だった。やっと紹介に預かった沙奏はぺこりと頭を下げ、改めて自分の言葉で自己紹介をした。

「弦月と申します。ツクヨミグループCE……いえ。烏麦さまには【月喰の影】現・代表……と言えば通じますでしょうか」

 ――【月喰の影】。その単語を耳にするなり、六夏の眉がピクリと動いた。
 つい先ほどまで「おさかなちゃんってこと??」なんて思っていた気持ちはフッと掻き消え、以前丙や美術部OGたちから聞かされた記憶が蘇る。

 十年近く前、田舎の片隅にある古霊北中学校で世界の命運の懸かった戦いが起こった。
 時の美術部と【灯火】に人間と共存していたい妖怪が加わった連合と、この世の全ての存在を影に置換し滅ぼそうとする【月喰の影】との戦いが。
 美術部はその戦いに勝利し、【月喰の影】の首謀者は顕現復活した大霊道諸共封じられた――

 何度となく聞かされた美術部が伝説たる所以を思い出し、六夏は言った。

「つきはみの……って、敵じゃないんですか!?」と。

 まあそうなる。そして直後「やっぱりな」という顔をして、丙が口を開く。

「色々あってな、手を組んだんだ。全ての人外の危機っちゅうことで、利害の一致というやつだな。まあ、互いに妙なことをせんように約束事を取り付けてあるから、難しいかもしれんが味方と思ってくれていい」
「はあ……、わかりました……?」

 丙がそう言うなら――と、六夏は頷いた。
 本当に大丈夫か、裏切らないか等々思うところはあるものの、約束が反故にされるようなことがあったら丙も動くだろうと、とりあえず納得しておくこととする。
 そうしてもう一度六夏が視線を向けた先で、弦月沙奏は「よろしくお願いします」と頭を下げた。

(小学生にしか見えないけれど……【月】の代表ってことはやっぱり人間じゃないんだろうな)

 そう思って沙奏に頭を下げ返すころには、久しぶりに降ってきた烏貝乙瓜の情報でいっぱいいっぱいになっていた六夏の心もすっかり落ち着きを取り戻していた。
 だが、再び情熱が萎えててしまったわけではない。
 なにかがもう一度はじまる。今ならもしかしたら、以前は届かなかった場所に手が届くかもしれない。……もう少し高くに飛べるかもしれない。
 その予感を胸に抱き六夏は丙に向き直った。
 その姿からは、もう連れてこられた時の消極性は感じられれない。しっかりと前を向いて、丙の目を見て、六夏は訊ねる。

「――事情は概ねわかりました。それで、丙さんはあたしに何をしてほしいのですか? 【月】と手を組まなくてはいけないほどの大事の中で、あたしになにを望むのですか?」

 丙は様子の変わった六夏を見てにんまりと笑った。六夏は何も伝えていないつもりだったが、高校卒業前の彼女を見ていた丙は、六夏がなにか思いつめて焦って消沈する様に気付いていた。
 それは八尾異の死のためであり、鬼伐山斬子の変化のためであり、六夏自身が自分に自信を無くしてしまったためであり、烏貝乙瓜への憧憬が強すぎるためであると、数百年生きた猿神にはお見通しだった。
 けれどきっかけは何者かへの憧れで、はじまりが模倣だったとしても――「人助け」なんていう万人がしようと思わないことを何年も続けていたのだ。
 必ずしも感謝されず、それどころか無茶を軽率に求められて、できなければ失望されて……怒りを買って。傷つくばかりなのに、何年もそれを続けてきた根性と正義感は本物だ。丙はそう思ったのだ。
 だから沙奏がもちかけてきた条件があちらにとって都合のいい人物像だったとしても――丙はそれを利用仕返し、六夏に自信をつけさせてやりたかった。

 それほどまでに、烏麦六夏という才能が埋もれていくのが惜しかったのだ。

 だから今、久しぶりに真っ直ぐな瞳を向けた六夏を見て、丙は嬉しく思っていた。

(大丈夫そうだ)

 心の中で頷き、丙は六夏の問いに答えた。

「ある人を護衛し、送ってもらいたいのさ。うちで保護している成功例――【逆月あいつら】にとっての貴重なサンプルを、ここより安全な場所にね。六夏、お前さんならできるはずだ」

 丙の見つめる先で、六夏の表情が明るくやる気に満ちた。
 彼女が頷くのに、そう時間はかからなかった。

 夏の夜はいつの間にか終わりが近づき、窓外の山々の向こうで、空は仄かに白み始めていた。
 その、やがて追いやられていく闇の中。
【灯火】の結界の外側から、遠く本部のビルを睨み――が鳴いた。



(第四解・なりたかったモノ、なれなかった者・完)

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