怪事醒話
第四解・なりたかったモノ、なれなかった者④

(……ちょっと強引が過ぎないだろうか)

 バイクを飛ばす柚葉の真横にちょこんとすわり、六夏は思った。
 迎えに来るというメッセージは確かに受け取っていた。妙な狐面の集団を追い払ってくれたことにも感謝している。
 けれど一旦家に帰らせて欲しいという要望は通らず、「すぐに帰れるから」とバイト帰りそのままの状態で半ば無理矢理連れていかれていることには少なからず不満がある。

「というか、今どこへ向かっているんですか? これは」

 六夏がその疑問を口にできたのは、サイドカーに乗りこんでから30分も過ぎた頃だった。
 あれから謎に都内をぐるぐる連れまわされて、とりあえず今は高速道路に入ったのは理解している。
 けれどもあまりに急な事だったし、そもそも少し前まで変な連中に絡まれていたし、且つサイドカーなんて乗るのは初めてだったし――色々なことに気を取られてしまって道路看板も碌に見ていないし、なかなか行先を聞けないでいたのだ。
 問いかけた柚葉は――かっこつけのフルフェイスのヘルメット越しでもちゃんと聞こえたのだろう、思い出したように「あー……」と言ってから、

「"RYAINリャイン"で場所言わんかったっけ?」

 と、とぼけた調子で言うものだから、六夏も少し腹が立った。

「言ってません。詳しくは言えないし用件も秘密とか言うんで普通にバイト行ったんですが?」
「いやぁゴメンゴメン! ほんとは夕方には拉致りに行こうと思ってたんだけど、ちぃーーーっと待った方がいいって雰囲気? になっちまってもー……」
「いいとか言ってないのに来るつもりだったんですか??」

 六夏は溜息を吐いた。ヘルメットのシールドの間から入り込んだ外気が、その溜息を攫って行く。
 岩塚柚葉に振り回されるのは一度や二度ではない。本当に毎回お騒がせな人だ、と六夏は思う。だが、柚葉が云うところの「待ったほうが良い雰囲気」については心当たりがある。

「……あの狐の人たち絡みのことですか。用件は」

 そう訊ねると、柚葉はあくまで前だけ見たまま、けれどもヘルメットの下のニヤけ顔が透けて見えるような声で言った。

「なァんだ、わかってんじゃねーッスか」

 ヘルメットがあってよかった、と六夏は思った。いかにOG先輩とはいえ、きっと本当に腹の立つような笑顔をしていたに違いないと確信できたからだ。

(面白がらないで欲しいんだけど。こっちちょっと危ない目に遭ったんだが? 何笑ってんだ)

 脳内で不満の追加オーダーが次々入ってきて仕方ないが、六夏は極力それを表に出さないようにして質問を続けた。

「なんなんですか? あの人たち。……どうも少し前から尾行されてるというか監視されてるというか、……多分今日が初めてじゃない感じなんですけど」
「あー……、やっぱそっちにも張ってたか・・・・・・・・・・。そっかそっか」
「『そっかそっか』じゃないですよ。そろそろはっきり教えてください。……なかなか高速に入らなかったのだって、あの人たちを撒くためなんでしょう?」
「なんだ、気付いてたんすか」
「気付いてたというか、今気づきましたけど……」

 六夏は柚葉から(ヘルメットをかぶっている以上無意味だと知りつつも)視線を逸らしてそう言った。今更気付いてしまっただなんて正直恥ずかしかったからだ。
 それもこれも初めてのサイドカーで交差点という交差点をぐるぐる曲がって連れまわされ、少し酔って判断力が鈍ったせいだ。絶対そうだ。――と六夏は思った。
 けれども正直に話してしまったため、柚葉は「真意がわかって貰えて先輩嬉しいゾ!」なんて得意げに言っている。
 一刻も早く話題を戻そう。うやむやにしなければ。
 六夏はそう思って、嫌々再び柚葉を見た。

「……まどろっこしいのでもう結論だけ言ってください。あの人たち、ですか?」
「うーん、そう。平たく言うと敵ね敵敵。それで【灯火】に連れて来て欲しいって頼まれてんだよね丙さんに」

 柚葉はあっさりと情報を吐き、バイクの速度を速めた。
 そう、このバイクはずっと【灯火】本部を目指していたのだ。

「【灯火】があたしになんの用ですか……。……一時期バイトしてただけで外様・・ですよ、完全な? 狐面の人にしたって、なんだってあたしを狙うんですか……」

 いい加減にしてくれと思いながら六夏は言った。
 高校時代こそ「強くなりたくて」、【灯火】で護符を学び直し、武者修行のつもりで軽めの案件を回して貰ったり、所属退魔師の助手として不用意に触れられないモノの再封印の様子などを間近で見たりもした。
 だがその経験があったがために、自分より秀でた人々を間近で見てしまったがために……六夏はそこから逃げ出したのだ。

 とはいえ六夏にまったく才能がなかったわけではない。中学時代の経験からして、烏貝乙瓜に少し習っただけで護符術の一部を自分のモノにしていたわけだから大したものだ。
 六夏にだって非凡な才能があった。六夏より下層を漂うしかない者はいくらでもいた。六夏レベルの力を欲しても手に入らず、泥の中で藻掻くしかない者だって履いて捨てるほどいる。

 下を見れば限りがない。
 下を見れば、自分なんてまだ恵まれている方だと気づく。
 だが、下層の怨嗟と慣れ合いに目を逸らし、上を見上げればどうだろう。
 高い空の上には、自分より高い所を軽々と飛ぶものがいくらでもいる。
 一人二人ではなく、いくらでも・・・・・だ。

 上も下もいくらでもいる。中途半端な位置。代わりなんていくらでもいる。

 あたし自分普通の人間凡人だ。

 それに気づいてしまったがために、六夏は昔より高い場所を飛べなくなってしまった。

 ――きみは烏貝乙瓜あいつにはなれないのに。

 過去から滲み出る呪いの言葉が、六夏をより下層に沈めてしまったのだ。

 とはいえ元々慢性的に人手不足気味の【灯火あちら】としては、協力者はいつでも歓迎だろうし、六夏が以前ほど力を出せなくなってしまったとしても邪険にはしないだろう。末端構成員がどうあれ、代表である丁丙はそういう人だ。
 だが、そんな丙にどこの大学に進学したかすら伝えず数ヶ月連絡を絶っていることについては、六夏も流石に不義理だと感じていた。

 だから狐面が【灯火】の敵であったとして、今やほぼ部外者の自分に張り込む意味がわからないし、今更【灯火】に顔を出すのも気が引ける。
 六夏はもう何度目かの溜息の後、柚葉に言った。

「……すみません。どこかのサービスエリアかパーキングエリアで降ろしてくれませんか? タクシー呼べたら呼ぶし、無理なら親呼ぶので」

 言うなり、柚葉は「はあ!?」と叫んだ。元々オーバーリアクション気味な彼女ではあるが、まあごもっともな反応でもあった。

ちゃんムイ・・・・・正気か!? こんな夜中に十九歳の女の子一人で置いとけってか!? タクシーとか親とかいつ来るかわかんないよ!? 深夜のPAとかぜってー治安悪いよ!!?」
「…………じゃあ一般道下りてコンビニにでも降ろしてください」
「いやそういうんじゃなくてさーーーーー! もォーーーー…………」

 柚葉は頭を抱えた。いや、物理的にはハンドルから手を離すわけにいかないので、心の中で頭を抱えた。
 柚葉には六夏の心境なんてまったくちっとも毛ほどもわかっていないが、それでも六夏の言う通りにして何かあったら自分の責任であることぐらいは理解している。
 岩塚柚葉は非の打ちどころのない真人間ではない。心の赴くままにやりたい放題やってきた学生時代は、物理的にも社会的にも危険な目に遭ってきた。
 それで悔い改めて真っ当な社会人をしようと思ったら、雇ってれた職場は何故か潰れた。次の職場もまた次の職場もそうで、温情で雇ってくれた兄の飲食店も見事に潰れ、もう表の道は無理なのではないかという瀬戸際で【灯火】に拾われたのだ。
 そんな柚葉でも成年者としていい加減なことはできないと(一応)思っているし、ろくでもないなりにやっていいことといけないことの線引きはあるつもりである。
 だから後輩の要望を叶えてやることはできないし、「なにか複雑な事情があるのだろう」ということぐらいは察することができる。

 察せはする、――が。

「なーにがあったか知らないけどさ、あんま我儘言わんで頂戴な。こちとらちゃんムイを丙ししょーんとこに連れてくのが仕事なんよね?」
「……それはわかりますけど。どうにかなりませんか」
「どうにもならないて。今回の事はししょーのご指名で、どうしてもちゃんムイがいいってことなんでー。ご理解くださいーー」
「丙さんの……指名?」

 丙の指名。その旨を受けて、六夏の心が動いた。
 どこかで不義理を謝るべきと思いつつも、今さっきまで逃げることしか考えていなかった相手が、自分を頼っている…………?

 てっきり先ほどの狐面とやりあう・・・・ために末端の構成員やバイトまで集め出したのかと思っていた六夏の目に光が戻った。
 もう期待されることもないと諦め冷え切っていた心に、かつての情熱が少しだけ戻ったような気がした。

「どうしてあたしなんですか…………?」

 信じられないという気持ちと、わずかな期待。それらが入り混じる心境で問う六夏に、柚葉は答えた。

「自分で聞いたらどーっすか?」と。

 バイクは首都高を抜けて東北自動車道に入り、数時間かけて【灯火】本部のあるT県に至った。
 時刻はほぼ丑三つ時、真っ暗な山の中で数々の結界・石灯籠・大鳥居に守られて鎮座する、真っ黒い建物――【灯火】本部の正面玄関前に立ち、六夏はゴクリと生唾を呑んだ。
 彼女の足は少し震えていたが……柚葉がいるので辛うじて立っていられた。

「行かなくちゃ。……行くぞ」

 勇気を出すためわざわざ声に出し、六夏は建物の中に足を踏み入れた。

 そんな彼女の様子を遥か上階から見下ろして、セーラー襟ワンピースの少女――弦月沙奏は無感動に呟いた。
「来ましたね」――と。

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