怪事醒話
第四解・なりたかったモノ、なれなかった者②

・・≪巴≫・・
ほんとに全部占いでテストの答え出してあげちゃったの?
――できるとこまで。流石に考えを記述しなさいとかそういう部分はやってない。
でもそれ以外は出しちゃったってことでしょ? すごいじゃん。ことさんみたい。
――全然そんなことないよ。どうしても占えないこともあるし。
……烏貝先輩がどこにいるか、とか?

ごめんね、へんなこときいちゃったね。
<目を潤ませたキャラクターのスタンプ。「ごめんね」>
それよかムイっち、今度ふれあいまつりの日にBBQバーベキューするんだけど来ない? サイちゃんも来るし、元美の後輩ちゃんたちも来るってよ?
――ふれあいまつりいつだっけ?
日曜日。5日。
――ごめん。その日バイト入ってる。お盆には帰るから。
<しょんぼりしたキャラクターのスタンプ>
そっかぁ。残念だなあ。でも帰ってくるの楽しみにしてるから!
――私も楽しみにしてる。
<「まってるよ」のスタンプ>
――<「こっちもだぞ」のスタンプ>
・・・・・・

「…………はあ。疲れたなあ」

 メッセージアプリを閉じてスマホを置き、六夏は小さく溜息を吐いた。
 現在地は学食のカフェスペース、窓際カウンター。
 時刻は七月とはいえいよいよ日も傾き始めたかという頃。『持ち込み物』としての件のテストと自分の講義のテスト(流石にこちらでは占いは使っていない)を終えた彼女は、ここでひと時の休息を取っていた。
 テーブルの上にはカフェオレと、例の『謝礼』のスイーツ。くたびれて糖分を欲した体にはこれがあまりに有効で、六夏は「どうでもいい」だなんて思った過去の自分を反省した。

(けれどなぁ。お盆には帰るって言っちゃったけど、どうしよ)

 カフェオレを一啜りしながら、六夏は考える。
 大鳥居巴や童河裁子らとは、中学を出て高校、そして大学生になった今でもアプリで連絡を取り合っているし、なんならSNSでもつながっているので互いに今なにをしているかはぼんやりとわかる。
 だから"リアル"では会いたくないのかといえば勿論そんなことはないし、むしろ積極的に会いたい。――のだが。

(……帰ったらあの人に会っちゃうかもしれないしなあ)

 と、六夏が思い浮かべるのは、彼女の憂鬱の原因。たった一人の人間の顔。
 それは過去にいがみ合った結山美弓やその取り巻きたちなどではなく、寧ろ『親しい』寄りの人物。"師匠"とも言える鬼伐山斬子の顔だった。

 斬子は随分と変わってしまった。
 六夏が知り合ったときは明るく気さくな人物であったが、現在の彼女はまるで『氷』のようだ。

 いや、表面的には彼女はかつてと変わらぬ振る舞いで、剣道教室の講師として子供たちにも好かれる明るく元気なお姉さん――をしている。
 けれどもふとした瞬間に見せる表情が、言動が、剣筋が。あの出来事・・・・・の以前と以降では、全く違うものに変わってしまったことに、六夏は気づいている。
 親しくなったからこそ、気付いてしまっている。

 その出来事は、斬子の親友である八尾異の死だ。

 それそのものは『事故だった』、と六夏は聞いている。
 それも誰が悪いというわけではない、『天災のようなものだった』と。

 二年前の末、夜都尾稲荷神社に季節外れの落雷があり、異はその直撃を受けて亡くなったのだという。
 それそのものは運が悪かった――あるいは天文学的な確率に当たったのだから運が良すぎたのか――としか言えず、また神懸かりの力に愛された娘に相応しい最期だったとも言えなくない。
 八尾異を知る者の多くはそう捉え、納得した。かつて彼女の信者・・であった往年の少年少女などは、不謹慎にも感動すら覚えていた。

「あの勘のいい・・・・子がそうなることを予測できなかったのだから、……もう運命だと割り切るしかない」

 たった一人の愛娘を喪った両親すらも、悲しくないわけではないと前置きした上でこう語ったくらいだ。
 けれども鬼伐山斬子は違った。

 異は晩年・・、足に障碍を抱えていた。
 四年前のあの日、もう一人の"クビカリ様"である一会いちえの爪は、着物の下の異の右足をどうしようもなく粉砕していたのだ。

 その後現代医療の力で形だけ取り戻すことができたのは奇跡だが、機能ばかりはどうにもならなかった。

 ――そのために。斬子は異の死を「仕方のないもの」だと受け止めなかった。
 異はあの二人に――クビカリ様に、首接丹夜と首買一会という二人の『怪異』に殺されたのだと。そう捉えたのだ。
 そうして斬子は変わった。
 彼女は幼い頃から武道をたしなんできたが、スポーツや精神修行としてのそれを辞め、『型』を捨て、なにかを壊すため・・・・・・・・の稽古を一人ひっそりと始めるようになった。
 薙刀、弓、そして剣。
 斬子が自身の口からはっきりと「そうだ」と言ったわけではないが、剣術を学んでいた六夏にはそれがはっきりとわかってしまった。

 古霊町を離れる前、六夏に稽古をつける斬子の眼光には鬼が宿っていた。
 ともすればこれが稽古だということすら忘れて、目の間に立つ相手――六夏をほふってしまいそうな圧があった。

 斬子はあの二人を殺すつもりだ。
 バラバラにしただけでは殺しきれないものを、今度こそ完全に殺しきるつもりだ。

 ――『ねえ六夏ちゃん。古霊町を出て、もしもどこかであの二人に会ったら――』

 上京前に最後に話したとき、なんでもないことを話すような声に対して獲物を見定めるように輝いていたあの目・・・を思い出す。
 ……六夏は、斬子に会うのが怖かった。

(今どうなっちゃってるかな。……そう諦めがつくことじゃないってのもわかるけど。地元帰ったら絶対どっかから分かっちゃうしなぁ)

 二度目の溜息を吐いたのと同時、スマートフォンがピロンと鳴った。おそらく、メッセージアプリの通知音だ。
 誰からだろう。また巴からだろうか。
 そう思いながら再びスマートフォンを持ち上げた六夏の目には、「ゆずティー♪」の文字列が飛び込んできた。

(……誰だっけ。学部の知り合いじゃないし、バイト先バさきの人でもないし……)

 六夏は数秒考えて、それから一人の人物に思い至った。
 数年前に知り合った『北中美術部OG』。美術部つながりというだけで強引にフレンド登録をしてきた押しの強い『先輩』。

(ああ、あの人か)

 やたらとテンションが高く調子のいい彼女の様子を思い浮かべて、六夏はアプリを開いた。

・・≪ゆずティー♪≫・・
 突然だけど今夜お迎えに上がっちゃうぞ! 夜までご無事ご安全にいてちょうだいね☆
<「よろしくお願いします!」のスタンプ>
・・・・・・

「……どういうこと?」

 思ったことがそのまま口を吐いた。さっぱり意味が分からない文面に、六夏は首を捻った。

返信したツッコんだ方がいいのかな? 迎えに来るって、この先輩今あたしが住んでるとこ知ってるの? 『ご無事ご安全に』とは??)

 黙っていても「?」しか浮かんでこないと悟った六夏は、恐る恐る画面をスワイプし、返信の文面を打ち込んだ。

『なにかあったんですか?』

 メッセージを送信した直後、秒も待たずに『既読』の表示が付き、一分も待たずに返信がついた。

・・≪ゆずティー♪≫・・
 詳しくは言えないぞよ! 期待して待たれよ!
 ――夜はバイトがあるので無理です。
 急用が出来たと伝えてくだされ( ̆ω̆ )
 ――その用事がわからないんですが。
<「まあまあそこは」のスタンプ>
<流行っているらしいアニメのスタンプ。「企業秘密ですので」>
 とにかく適当に言ってごまかしといて!(手を合わせる絵文字)拙者が行くまであまり一人きりになっちゃだめだよ!
 ――だから意味が分からないし来ないで欲しいんですけど。
・・・・・・

 きっぱりと断るつもりで送った最後のメッセージには、数分経っても既読がつかなかった。

(無視してるのか本当に来るつもりでもう見てないのか……。こうなったらもう来るんだろうなあ。家知ってるかどうか知らないけど)

 六夏は心なしか痛い気のする額に手を当てて――そのときふと、向かい合っている窓ガラスの向こうに誰かが立った気がした。
 たまたま通りがかったという様子ではなくて、ちょうど六夏の前で足を止めて、こちらを見ているような――

(えっ……?)
 顔を上げる。……けれどそこには誰もいない。
 夏の夕陽を浴びて黄金色に染まるキャンパスと、そこを交う学生たち。そんないつもの光景があるばかりだ。

(……気のせい? いや――)

 またこれ・・だ。六夏はそう思った。
 実のところ、ふとした瞬間にそこに誰かがいるような気がしたのはさっきが初めてではない。
 今のところ特に害があったわけではない。けれどもこの数週間、ふとした瞬間に誰かに見られているような感覚があった。それも一度や二度に留まらない。
 なんなら、今日莉乃に連れ込まれたテストの教室でも。
 そしてなにかが居たなあと思った後は、不思議と、決まってあるもの・・・・の形が思い浮かぶのだ。

 それは金色の狐の面だ。暗い闇の中に、そこだけ照らされているようにぼうっと浮かぶ狐の面だ。
 狐面を被った黒衣の集団が、暗闇から、物陰から、日常の隙間から、自分の動向をじっと伺っている姿だ。
 まさに今、六夏の頭の中にはそんなヴィジョンが形を結んでいた。

(なんなんだろう、これ。幽霊なのか、幻覚なのか、別のなにかなのか……。一人で考えてもどうにもならないし、そろそろ誰かに相談した方がいいのかも)

 帰省のこと、先輩が来るらしいということ、狐面のこと。
 あまり考えたくない悩み事を振り払うように無心でスイーツとカフェオレを補給し、六夏は大学を後にした。
 その晩これから起ることなど、まだ知らないまま。

HOME