怪事醒話
第三解・憧れの向こう側⑦

 ――ヒトデナシ。
 その言葉を受けて丹夜の生首は一瞬ピタリと笑うのを止め、それから目だけをギョロリと動かして六夏を見た。

「出られてよかったね」

 丹夜は真っ暗な瞳でそう言って、それから「別にこんなにしなくてもいいのにね」と斬子を見た。

「まっさか斬子に邪魔されるとは思ってなかったよ。五年も経つからとっくに赦されたのかと思っちゃった」
「……喋るな。あんたを赦したことなんて一秒もない。ずっとどうしてやろうか考えてた。ずっと」
「ふーん、それで私より先に嬉美を斬ったのか。友達だって言ってたのにね」

 クスクスと笑う丹夜の首の傍らには、彼女とは対照的にピクリとも動かない首刈嬉美の首が転がっている。
 その目は真横に切り裂かれ、もう誰とも目を合わせることはないだろう。

 丹夜にはわかるまいが、きっと斬子は友達だからこそ嬉美を先に斬ったのだ。
 人間に戻る希望もなく丹夜の都合のいい道具に成り下がった彼女を、いち早く終わらせてやりたかったのだ。
 ……少なくとも六夏はそう理解した。

 そして恐らくその推測は概ね当たっているのだろう、斬子は刀――紅蓮赫灼を握る手をわなわなと震わせている。

「喋るなと言っている。……喋るな……化け物」

 震える刀の柄を握り直し、斬子はたった今友人の生命を絶った刃の切っ先を丹夜の生首に向けた。
 丹夜はそんな刀に目を遣って、

「化け物か。そうかもね」

 首だけのくせに、余裕の態度を崩さぬまま、忠告さえ無視してそう呟くと。
 改めて六夏に目線を向けて、残念そうにこう言った。

「私たちの負けだね。今日この場限りは」

 それは降伏宣言だった。

「首を取りに来て首をとられたんじゃ、もう手も足も出せないもん。きみには何が起こったかわかんなかっただろうけど、斬子もこっちゃんもきみが思ってる以上に強かった・・・・よ。それこそきみなんかよりもね。……眼鏡の子に訊いてごらんよ?」

 六夏はハッとして眼子を振り返った。
 眼子は六夏が蝶の空間に閉じ込められる直前と同じまま、特に怪我を追った様子もなく、相変わらずへたり込んでいて。
 六夏同様、丹夜の言葉に導かれるように六夏を見た。

 驚いたような、怯えたような表情で。否、もしかしたら何か言うのを躊躇うような表情で。
 ……否、否。丹夜の言う通り斬子と異が強かったと、六夏が弱いと暗に認めてしまった自分を否定するような目で。……鬼樫眼子は、六夏を見ていた。

 その表情に、六夏はひどく打ちのめされた。
 言葉なんてなくとも、すべてすっかり理解できてしまったのだ。
 そして思ってしまった。自分がなにもせずとも、……否。
 自分が余計なことさえしなければ、八尾異は怪我などせずに済んだのではないか――と。

 六夏は心臓から凍り付くような気持ちになった。
 そんな彼女に追い打つように、生首の丹夜はケタケタと笑う。

「あれ? あれあれあれ? もしかして自分なんていなくてもよかったって思っちゃった? 思ったよね? 思うよね!? ……そうだよ、きみなんて大したことない。眼鏡の子が言わないなら教えてあげようかぁ? 斬子もこっちゃんも美術部じゃなかったけど、それぞれ戦うため・自衛のため……ちゃあんと技術はもってるんだよ? きみのおままごととは全然違う術をさあ!」

 愉快そうにおかしそうに嘲笑しながら大声で言う生首に、斬子は改めて剣を突き付けるが……それでも丹夜は黙らない。
 たとえ途中で頭を両断されたとしても、力では敵わない斬子や精神では勝てなかった異ではなく、この場で一番脆い六夏の心だけは折ってやるつもりで。
 丹夜はきっと、そんな思いだけで叫んでいた。

「きみのはね、所詮あの"美術部"っていうイメージを演じてるだけに過ぎないんだよ? 形だけ似せたまがい物、役者合わせて来ただけのおままごとなのに。なにが出来ると思ってたの? ……可哀そう。どう頑張ったって、きみは烏貝乙瓜あいつにはなれないのに」

 ――紛い物。おままごと。その言葉は他のどんな罵倒よりも、六夏に深く突き刺さった。
 決して遊びだったつもりはない。かつて烏貝乙瓜に助けられ、"あの美術部"に助けられ。自分もそうなりたいと、誰かにとっての美術部でありたいと。……その想いは本物であると六夏は叫びたかったのだが、一方で「そうかもしれない」と認めてしまう自分が邪魔をする。

 きっかけは烏貝乙瓜への憧れ。――否定しない。
 だからまずは形から入った。――否定しない。
 同じ護符の力を使いたかった。――否定しない。
 烏貝乙瓜と黒梅魔鬼の関係に憧れたから、同じ鬼の字を持つ鬼樫眼子を勧誘した。――……否定しない。

 そうして色々な怪事に関わって、解決してきた過去も否定しない。
 ……だが、思い返せば解決のために花子さんら学校妖怪や、薄雪媛神ら古霊町の神々の力に随分と依存してきたことも否定できない。

 かつての美術部もそうしていた。……と言ってしまえば簡単である。
 その力も大半の部分で何者かからの借り物だったと知っている。
 けれどどこで力を得たにしろ、かつての美術部は。……今現在この場所で膝を追っている自分とは違って、――かっこ悪くはなかったはずだ。

 それは六夏の一方的な思い込みである。所詮六夏の知る"あの美術部"の、断片的な一面から成るイメージでしかない。
 けれども、部分的には真実だ。六夏が直接自分の目で見てきた、自分の成りたかった"美術部"の真実の、憧れの姿だ。
 それに「ちっとも届いていなかった」という気づきが――どんな刃物よりも鋭く六夏に突き刺さった。

(息が、くるしい……)

 肉体は無傷のまま、心の内側からくる傷に息苦しさを覚え。
 六夏はただ震えながら、目に涙を滲ませることしかできなかった。
 拝殿の裏から漏れ出る西日を受けて、生首の丹夜はクスクスと笑った。
 儚げながらも雄弁に、明確な悪意を籠めて六夏を嘲笑った。

 その不気味な笑みと対峙する、丹夜を切り刻んだ女はなにも言わない。
 反論もせず、無言のまま。静かな怒りに肩で息をしながら憎悪に満ちた目で丹夜を睨み、刀を掴む手に力を込めている。
 ……その彼女の背に庇われる形で石畳の上に身を横たえている異もまた、なにも言わない。

 六夏はなにも出来なかった。そんな彼女の肩に、ふと誰かの手が――いつの間にか事の隣を離れていた鬼樫眼子の手が乗せられる。
 支えるように、宥めるように。その手もまたなにかしらの感情に震えているのにも関わらず、自分だけは味方だと語り掛けるように。

 親友を守るように六夏の肩を抱く眼子は、周囲を支配する痛いほどの沈黙を破ってこう言った。

「……いいよ。その人にならなくてもいいよ。……なれなくたって。六夏ちゃんは、六夏ちゃんなんだから」

 震える声で、振り絞る声で、けれども確かな反抗の意思を込めた声で。
 それでも鬼樫眼子だけは、六夏の今までを肯定した。

 眼子には、六夏が今どれほどの絶望の中にあるのかなんてわからない。
 想像することはできるが、所詮他人なのだから知った風に言うのはおこがましいとさえ思う。

 けれど、だからこそ。わからないからこそ。眼子には六夏を肯定することしかできなかった。
 六夏が怪事に関わる理由がなんであれ、どうであれ――転校してきたばかりの頃、何もわからないまま雑霊に食われようとしていた眼子を助けたのは六夏だ。
 なんのつもりであったとしても、真似事であったとしても……眼子にとってはよく知らない"かつての美術部"などでなく、まさに烏麦六夏こそがヒーローなのだ。

 だから眼子は言うのだ。六夏は六夏で、贋物などではないと。だからこれ以上六夏を傷つけることは言うなと、自分も怖いながらに生首の丹夜を睨みつけながら。

(どんな言葉で罵られようと、六夏ちゃんはわたしの恩人なんだ……! だから酷いことを言うのをやめて、早くどこかに消え去って!)

 遂に涙を地に零す六夏を抱いて、自身も目尻に涙を浮かべ。眼子がキッと見つめる先で、首接丹夜は。

「そう」

 ひどく面白くなさそうに、つまらなそうに呟いて。

「……安心しなよ。そんな睨まなくてもすぐにここからいなくなるよ。この町の収穫は――『クビカリ様事件』は終わり。私はすぐにいなくなるよ。いますぐにね」

 それは撤退宣言だった。……だが、首だけでどうやって? そう思う眼子に、丹夜は「けれど」と続ける。

「けれど私がいなくなっても怪異……きみたちの言うところのアヤシゴトだっけ? それはなくならないよ。それはこの町がこの町である限りそうだし……なにより。きみみたいな、なんだかおいしそうな眼をした子・・・・・・・・・・・・・・・がいる限り。怪事はずっときみたちの近くに起こるよ。嫌になっても、ずっとね。私はその眼、なんだか嫌いだからいらないけど――」
「あんた、ぺらぺらとよくも減らず口を!」

 ――と。斬子が遂にしびれをきらし、丹夜の言葉を遮って刀を振りかざした……その瞬間だった。
 ずっとそこで『負け惜しみ』を語るだけに思われた、丹夜の首が唐突に消えたのだ。

「なっ……!?」

 慌てて周囲を見回す斬子は、一瞬後に理解する。
 首は消えたのではない。持ち去られたのだ。……今の今まで姿を消していた、一会によって。

「じゃあ、丹夜ちゃんと私は行くから」

 丹夜の首を小脇に抱えながら振り返る一会の足元には、そこにあったはずの、バラバラにされた丹夜の身体のパーツがない。
 キャリーケースさえ見当たらず、残るは斬子に終わり・・・を与えられた首刈嬉美の首だけ。
 どういった原理かは知れないが、一瞬のうちにどこかへ隠蔽、あるいは回収されてしまったらしい。
 そう、一会の言う通り、「丹夜ちゃんと私」が「行く」ために。

「待ちなさいッッ! 何処へ行こうっていうの……!?」

 狙いを定め直した刃を掲げ、斬子が問う。けれど一会はいたずらっ子のように笑って、「教えないよ」と首を傾げる。

「教えないし、どこだっていいじゃん。しいて言うなら斬子ちゃんと、コトちゃんと、ビジュツブのいないところに行くんだ。私は身体が腐ると自由に動けないし、丹夜ちゃんは首がほしいから。だから、そういうふうに暮らすの。どこかで。誰かから身体と首を貰って、どこかで」

 夕方の風がさあと境内を駆け抜けて、一会の白い髪をふわりと攫う。
 襟首にかかった毛が浮かんで、肉体と噛み合わない首の切断面を露わにする。

 その分断された首から下は、一体誰のものだったのだろうか。
 彼女はそういう化け物・・・・・・・だから、……つまりクビカリ様事件とはそういうものだったのだろう。

 失った身体首から下を永遠に求め続ける化け物と、生首を欲する異常な女の共犯・・
 二人は決して褒められたものではない利害の一致から手を組んで町に脅威をもたらし、その為に邪魔になるかもしれない八尾異をつぶしにかかり。
 ……そしてそれが失敗したためにこの場を去る。

 それだけが、この事件の真実なのだろう。

 恐らくこの件は遠からず警察沙汰になるだろうが、彼女たちを裁ける者なんてすでに人間界には存在しない。
 片や首だけの化け物で、……バラバラにされても平気でいるもう片方も、既に人間かどうかすらあやしい。
 だからきっと、彼女らは平気で、次の町でも同じことをするのだろう。……だが。

「一応同級生として忠告はしておいてあげるよ。君たちがどこに行ったにしても、いずれ【灯火】が君たちを見つけるよ。人外になったからって、それで優位になったとは思わないことだね……!」

 異が言う。麻の着物に新たな模様を作るように血の滲む一か所を、右足を抑えてゆっくりと身を起こしながら、それでも涙一つ浮かべずに言う。
 一会はそんな異を振り返って、……ふと、彼女の真横に転がっている笛を見る。
 斬子が即丹夜に斬りかかれたのは、異が笛の中から白い獣――管狐を呼び出して一会の動きを一時的に封じたからだ。
 その後続けざまに祓魔鏡の光を浴びせかけられ、一会は一時その場から身を引くことを余儀なくされた。

 ……だが、今の異にはこれ以上の追撃はできまい。
 管狐は初激の後で一会に引きちぎられているし、なにより異自身が既に出血多量で青い顔だ。
 自分たちなどに構うより、見送って病院にでも行ってしまう方が賢明だろうと、化け物の一会ですら思う。

(だからそうすればいいのに。へんなの)

 一会は思い、自身はなにも言わずに丹夜の首を掲げた。

「よくわかんないや」と。小さい子供のように。……否。六歳で人間としての生を終えた彼女の精神相応のふるまいで。
 丹夜はそんなはとこ・・・振り・・に応じ、精一杯皮肉ったらしく異に言った。
「ありがとう」と。

「ご忠告ありがとう。だけど私たちは捕まらないよ。多分もうこっちゃんと会うことないよ。……じゃあね? 行こう」

 最後の「行こう」は一会に向けて。丹夜が言うと、一会は拝殿の方を向いたまま、鳥居の向こうに――長い下りの石段に向かってぴょんと跳んだ。
 そして言うのだ。「ばいばい」と。
 一番近くにいた斬子が慌てて鳥居から下を覗き込むが……すぐに首を横に振った。

「いないわ。消えた」

 丹夜と一会の姿は既にどこにもなくなっていた。
 けれど斬子にはそのこと自体に疑問はなかった。恐らく転移の術かなにかが使われたのだろうと思った。
 ……こういった現象を、かつての美術部には散々聞かされてきたのった。
 二人の消失を確認して紅蓮赫灼を鞘に納める斬子の背に向け、異が言う。

「多分……多分だけど。丹夜ちゃんは魔女かなにかの力を得たんだろう。クロちゃん・・・・・に近い感じがあった」
「考察はあとにして。救急車呼んだげるから横になってなさい。あと……手間かもだけど警察も」

 斬子が淡々と言う中……それでも依然として、六夏は動けないでいた。
『結局最後までなにも出来なかった自分』という存在だけが残されて、息苦しいまま身動きできなくなってしまった。
 そして――鬼樫眼子もまた動かない。依然六夏に寄り添い続けたまま……その頭の中には丹夜の言葉があった。

 ――『君みたいなおいしそうな眼をした子がいる限り』

(前に花子さんも言ってた。『わたしの中にはなにかがある』って。『あちらのモノを活発にする』んだって。……わたしがいるから怪事が頻繁に起こって、だから今日のこともわたしのせいなのかな……? 怪事がまた……起こったら……)

 時間を置けば、六夏は立ち直るかも知れない。けれども今日のこのことを思い出して、また苦しくなるかもしれない。眼子は後者の可能性を考え、眉をひそめ。

「ごめんね…………」

 そう言って、やがて凛音や巴がやってきて、救急車やパトカーのサイレンが近付いて慌ただしくなってくるまで。ずっと六夏を抱きしめ続けることしかできなかった。



 鬼樫眼子が転校していったのは、そんな夏の後、秋の始まり。
 また父親の仕事の都合という当人にはどうしようもない、仕方のない理由で、"クビカリ様事件"には一切関係のないことで。
 けれども相方を失った六夏は、眼子の転校の後に女子トイレの花子さんを呼び出し、ある約束をした。

「お願い。……これから先は美術部を、美術部だからって理由であんまり助けてあげないで。オバケは人間を助けてあげなくてもいい。……そうじゃないと、勘違いしちゃうから」

 まるで決別を言い渡すような六夏に、しかし花子さんは「そうね」と頷いたきりなにも言わなかった。
 だから六夏もなにも言わないまま女子トイレを去って、……そのまま二度と花子さんを呼び出すことなく古霊北中学校を卒業した。

 強くならなくてはいけない。六夏はそう思っていた。
 まず自分自身が本当に強くならなくてはなにも守れないと。
 強くなって、それで……それで。
 いつか、あの人のように。その憧れの向こう側へ、そこへ至る解を。六夏は捜し出そうとしていた。

 そして月日は巡り、物語は四年後の夏に回帰する――



(第三解・憧れの向こう側・完)

**感想投稿・SNSシェア等していただけると嬉しく思います**
感想投稿フォーム

HOME