怪事醒話
第三解・憧れの向こう側⑥

 異を振り向いたまま狼狽に固まる六夏の背中に、嘲笑うような丹夜の声が被さった。
 だが、否。それは六夏に浴びせられた言葉ではない。

「遅いよ。もしかしたら来ないかと思っちゃったじゃない」

 その言葉の線上に。傷つき倒れる八尾異の向こう側に。表情を凍らせて一点を見つめる眼子の視線の先に。
 そこに居る、死に装束のような真っ白な着物の女に。丹夜は言葉を向けていたのだ。

 視界に突として現れた彼女の存在を認識した瞬間、六夏の身体は自然と粟立っていた。
 その女の顔は血の気が抜けて青白く、なのに目だけは植えた獣のようにギラギラと光っていた。そして絹糸のような白く長い髪の間から見え隠れする首は横にすっぱりと裂けていて、上下で完全に分断されている。
 ……あからさまに生きている人間ではないものがそこにいた。
 彼女は輪郭だけなら美しい顔で――けれども生死の同居したアンバランスな顔で奇妙に微笑み、その笑顔を依然として地べたに倒れ伏す六夏に向けた。

「大人しくして。ね? そうしたら、……あなたは少しちがうから。とらないであげるから。ね?」

 女は言う。
 外見ばかりは大人のようなのに、少なくとも十代後半ほどの様子なのに、どことなく舌足らずで幼い語調で言う。それでいてどこか窘めるように言う。
 ――とらないであげるから、と。

(なにを――)
 六夏は一瞬その意味を捉えかねた。
 捉えかねながらも、相変わらずぞわぞわとした悪寒ばかりが止まらなかった。
(なに言ってんだこの女(ひと)!? なんなんだこの女ッ!!)
 けれどわけのわからなさに見開かれた六夏の目は、すぐに疑問の答えの一端につながる像をその網膜上に結んだ。

 真っ白な死人の手と装束を彩る、鮮烈なまでの赤。

 血。血液。鮮血。誰の。何者の。――八尾異の。

 八尾異の。自分を庇って負傷した異の血と同じ色がその女にあると気付いて、六夏は理解した。……目の前の人ならざる何かが敵だと理解した!
 理解した瞬間恐怖が裏返って、次に湧いてきたのは怒りだった。
 怒りと、「倒さなければ」という"北中美術部"としての義務感。
「何故」や「なんで」という疑問は必要ない。一端の理解が更なる理解を呼んで、六夏の中一つの仮説が爆発的な勢いて組み上がろうとしていた。

(もしかして、今クビカリ様と呼ばれているモノは――この二人! 二人で一つの"クビカリ様"! それが今生徒を襲っているモノの正体! 首接丹夜が首を、そしてこの一会とかいう人が身体を、それぞれ集めている……!?)
 その仮説を裏付けるように、丹夜が言う。
「庇われたのはたまたまだったけどナイスだよ一会いちえちゃん。そのままこっちゃんの首取っちゃって」
 朗らかに。簡単に。小さな成功を喜ぶように。残酷なことを。
 白い女――一会はそんな丹夜に視線を向けてニコリと笑い。
「へえ、この子がそうなんだ」と。倒れた異を見下ろして、その手に付着した血をぺろりと舐めた。
「……丹夜ちゃん、この子他と違う味がする。他よりおいしい血の味がする。丹夜ちゃん、この子私が貰っていい? 別にからだは好みじゃないけど、この血が貰えたらいつもより"長持ち"する気がするの」
「いいよ。あげる。首も好みじゃないから好きにしていいよ。その代り絶対に殺してね」
「うん。そうする」
 まるで他愛ないことでも話し合うかのような会話の後、一会は無邪気そうに頷いて、血に塗れたその手を肩の高さまで上げた。揃えた指先を異に向けて。まるでその手で異を穿とうと、狙いを定めているように。
「やめろっ!!」
 六夏は慌てて立ち上がろうとした。立ち上がって、護符を展開して、自分を庇ったばかりに負傷した異を助けなければと思った。
 けれど動き始めた六夏の周囲に、いつの間にかどこからともなく、翠色に発光する蝶の軍勢が舞い。あっという間に視界を遮ってしまった。
「なっ……、これっ……生きてる蝶々じゃない! 一体っ!?」
 惑わすような大量の蝶に囲われてしまった六夏の耳に、丹夜の嘲笑だけが届く。
『駄目だよ、邪魔なんてさせないんだから。すぐに動き出せなかったらそれだけでもう君の負け。今の美術部は本当に弱い、クソザコ。クソザコ』
「……! どこ! どこに居るのッ!?」
 慌てて周囲をきょろきょろと見回す六夏だったが、その視界のどこにも丹夜の姿はない。
(これは……なにかの術……!? どうしてだかわからないけれど、首接丹夜は魔法みたいな術を使っている! ……だったら! こっちの護符術で相殺できるかもしれない!)
 眩暈がしそうなほどにぐるぐると飛び交う蝶の群れを見ないように目を瞑り、六夏はその手に再び護符を呼び出した。
(今あたしが使える中で一番広範囲で一番威力が高い護符術ワザ。それをこの幻影みたいな蝶にぶつけて破壊するしかない! 今すぐに!)
 手指の間に可能な限りの護符を召喚する。八枚、十六枚、三十二枚、六十四枚、百二十八枚。持てる限り出せる限りの護符の束を放ち、六夏は叫んだ。

「本流・攻性退魔護符乱射! 流星ながれぼし!」

 それは六夏が烏貝乙瓜に直接習った最初の技にして、現在六夏が習得している中で最強格の大技だった。
 名の通り流星りゅうせいの如く放たれる護符の群れを幻影の蝶にぶつけ、ぶつけ、ぶつけ。途切れても途切れる前に新たに護符を召喚して放ち、放ち、放ち。
 護符を放つことに特殊な技能など持ち合わせていない六夏には、そうすること以外に自分を襲っている現象を打ち破る術がなかった。手数がないのだからこれが正攻法かどうかなど考えてはいられない。この力技で脱出を成功させる他ないのだから。

退け! 退け退け退けそこを退け! 異さんに触れるななにもするなあッ!」

 諦めたらの異が殺されてしまうと、六夏は必死に護符を放ち続ける。けれどもそんな六夏を、未だ消え切らぬ蝶たちが笑う。丹夜の声で笑う。まるで一人で不可解な踊りを踊っているような彼女を馬鹿にするように。
『弱い弱い』
『弱い弱い』
『なにも守れやしない』
『だれも救えやしない』
『だってこんなのは"ごっこ遊び"だもん。あの美術部の"真似っこ"をしているだけだもん。"おままごと"だもん』
『雑魚』
『ざぁこ』

 嘲笑され、罵倒され、けれども否定しきれない自分が悔しくて涙を浮かべ。だがそんな六夏の目の前が、不意に開けた。
 まるで夜が明けるように、とばりが消え去るように。
 唐突に蝶々の群れが捌け、元に戻った視界の先に。六夏は驚くべきものを見た。

 ――バラバラ。そう、一口に言ってしまえば、それはバラバラだった。
 全身をバラバラに切断された女が鳥居の前にごろりと転がっていて。……笑っていた。バラバラになった上で尚ケタケタと笑っていた。
 そしてバラバラになっているのは異でもなく、眼子でもなく。紛れもなく首接丹夜だった。

 六夏は呆然とし、けれども悟った。彼女がバラバラになったから術が解けたのだと悟った。そして丹夜が既に人間ではないなにかであることも。

(でも、えっ……、なにが、なんで――?)
 混乱する六夏の視界に、既に一会の姿はどこにもない。異は六夏が最後に見たとき以上には負傷していない様子で、その傍らには眼子が寄り添っていて。……けれどもその二人の視線が向かう先に、一応の答えが用意されていた。

 刃があった。
 その先から滴る赤い雫があった。
 まさに血を吸ったばかりの刀を持って、バラバラの丹夜を鬼の形相で睨む女がいた。
 "刃の退魔宝具"に限りなく似せて作られた化け物斬りの写し刀を持って。収まりきらない殺意を持って佇む女が――鬼伐山斬子がそこにいた。

「斬子、さん……?」
 恐る恐る呼びかける六夏に、しかし斬子は答えなかった。
 彼女の声など聞こえなかったように、首だけで笑い続ける女を見てこう言った。

「……地獄へ堕ちろ、ヒトデナシ」

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