怪事醒話
第三解・憧れの向こう側⑤

 ――『こっちゃんには死んでもらおうと思って』。
 いとも当たり前のように飛び出してきた物騒な言葉を、六夏も眼子もすぐには理解できなかった。
 言葉を発した首接丹夜は楽しそうに口角を上げ、にやけた目でこっちゃん・・・・・――八尾異を真っ直ぐに見つめている。
 ……まるで、獲物を刈る獣のように。

 対する異は六夏らを守り隠すよう腕を斜め下に、着物の袖が広がるように構え。

「随分な物言いじゃないか、君は久しぶりに会った同級生を殺すつもりなのかい?」

 と。臆することなく丹夜に向かい、冷静な調子でそう訊ねた。
 けれども丹夜の態度もまた揺るがない。

「そうだよ。そのつもりだって言ってんの」

 小首を傾げて異の問いを肯定し、それからゆっくりと周囲を見て。
 そこで異が庇うようにしている二人の存在に漸く意識が向いたようで、彼女らを見てふふと笑う。

「誰だか知らないけど、逃がしてあげた方がいいんじゃないかな? トラウマに・・・・・なるよ?」
「ぼくとしては君が逃げてくれるとありがたいんだけどね」
「逃げるわけないじゃん。なんで私が逃げなきゃなんないわけ? へんなの。――まあいいや」

 まあいいや。丹夜はそう言って、おもむろにキャリーケースに手を伸ばした。
 異はその動きを見るや否や、背後の二人に言う。「目を閉じて」と。

「二人とも目を閉じて。アレ・・を見たらだめだ」
「ちょっと待ってください異さん! アレって、そもそも今なにが起こってるんですか! あの人なんなんですか! 話が全然見えません!」

 促され、やっと六夏が言葉を発した。
 彼女には目の前で起こっていることがさっぱりわからなかったし、それが当然の反応だった。
 けれど異は彼女の疑問に答えることなく、「いいから!」と強めの口調で訴える。

「君たちが直視しなければ一回くらいは守れるはず! だから目を閉じるか目を隠して!」

 六夏と眼子は目を見合わせた。なにがなんだかわからないが、尋常ではない事態が起こりつつあるということだけはわかった。

(どうする……?)

 眼子の目はそう訴えていた。六夏はその目を見て、それから異の向こうにの丹夜に目を向けた。
 チラリと見る丹夜は、もうキャリーケースを開きかけている。

(なにをするつもりなんだ……? ていうか、……そう、『死んでもらおう』って。『殺す』って。それって普通に異さんが危ないんじゃ……!?)

 もしかしたら凶器でも取り出すつもりなのかもしれない。やっとその考えに思い至り、六夏は異の指示に逆らった。
 異の前に躍り出て、祈るように左右の手指を組み合わせて――

「……目を閉じろって、言ったじゃないか……!」

 怒ったような焦ったような異の言葉を背に受けて、六夏は叫んだ。

草萼そうがく烏貝からすがい亜流、自立自動防衛結界・鼓星つづみぼし!」

 宣言し両手を広げると、そこにアーチ状に護符が広がる。
 それは防御のための展開。しかし結界を作動させた直後、六夏の視界は温かい闇に包まれた。
 正確にはなにかに視界を塞がれたのだ。
 なにか――否。何者の仕業かは明白だった。それは八尾異の左右どちらかの手――おそらく右手だった。

「異さんッ!? なんで――」
「眼子ちゃんはなにも見るなッ!!」

 驚く六夏の言葉に答えることなく、異は六夏の両目を右手でしっかりと覆い、改めて眼子に向けて叫ぶ。
 そしてその叫びが終わる一瞬前、六夏の閉ざされた視界の彼方で声がした。

「やっぱりわかっちゃうんだなぁ。だからやっぱ、仕方ないよね。こっちゃんにだけにはここで死んでもらわなくちゃダメだ」

 それが首接丹夜の声であることは明白だった。
 彼女は冷たく、そしてどこか恨めしそうにそう言って、……そこから静かに言葉を紡いだ。

「『我望む。天と大地の狭間にまします呪詛の本種、"クビカリ様"の力を以て。この目の届く者の首と身体を、ひとつ残らず裁断せん!』」

(なに、これ……! 呪文の詠唱!?)

 異の背後で、結局目をつむうずくまっている眼子は真っ先に魔法を連想した。

(……それにクビカリ様って、もしかしてこの人が……!?)

 直後"クビカリ様"というワードが引っかかり、眼子は思い出す。
 そうだ、丹夜が現れたとき、異は確かに彼女を『首接丹夜』と呼んだ、と。

 首接は首の一族九家の一つで、失敗した儀式でクビカリ様になったのは斬子たちの同級生で、現れた丹夜は同級生で。
 今までの断片的な情報をやっと組み合わせ、眼子はやっと現在の状況に一つの仮説を立てる。

 つまりこうだ。――首接丹夜こそがクビカリ様なのではないか? と。
 思った瞬間目を閉じることも忘れ、眼子は丹夜の方を見た。
 異の背越しに見える彼女はバレーボール大の毛の塊のようなものを両手に抱えており、それでいて少し不服そうな様子で異を睨んでいる。

(毛の塊……ううん、そうじゃない、これは……!)

「……生首!」

 眼子が引きつるように叫んだ瞬間、異は仕方ないとばかりの大きな溜息を洩らした。
 そして相変わらず振り返らないままで言う。「目だけは見ないで」と。
 それから六夏からも右手を離し、左手になにかを掲げたままに丹夜に向き合う。

「――嬉美ちゃんの生首だね?」
「なるほどね、祓魔鏡ハラエマノカガミってやつか」

 異の質問には答えず、丹夜は異が掲げるものに視線を注ぐ。
 異が掲げる一枚の銅鏡、退魔宝具・禍津破祓魔鏡マガツヤブリノハラエマノカガミに。

「ふうん、それで私の術を弾いたんだ。やっぱり未来と心が読める相手って厄介だなぁ、嫌い」
「憎まれ口をありがとう。こっちこそぼくがホーちゃん・・・・・なら跳ね返すどころか消滅させられたのになあって残念な気持ちでいっぱいだよ」
「やぁだ怖い。でも半端な抵抗なんてしなければ楽に死ねたのにね。残念だね、うれぽん・・・・

 丹夜は揶揄からかうように言って生首を覗き込み、まるで幼い子の人形遊びのように話しかける。
 けれども異は知っている。
 それは彼女らの同級生であり、そしてかつて『首守』の儀で犠牲となり、次なるクビカリ様の怪異となった首刈嬉美のものだ。

 八尾異は人の心と未来がわかるが、心は直接対面しなければわからない。
 今日ここに首接丹夜がやってくることは前もって知っていたが、彼女が何故嬉美の首を持ち自分の命を狙うのか、それは彼女の予知夢だけではわからなかった。

 だから、彼女は今この瞬間にやっと全てを理解したのだ。
 丹夜の狙いも、今古霊町界隈に広がりつつある"クビカリ様"という怪事の全容も。
 なにもかもを知って、異は珍しく冷や汗をかいた。

 そんな異の視線の先で、丹夜は人形か赤ん坊でもあやすように嬉美の生首を抱き揺するが、虚ろに目を開いた生首はなにも答えない。
 答えないどころか、異の目をもってしても心が読めない。
 ……なるほど。怪異となった直後にはまだ存在した嬉美自身の人格を、丹夜が年月をかけて崩壊させたのだろう。

 異は言いたいことを呑み込むように歯を食いしばり、それから六夏に向き直った。

「……六夏ちゃん。丹夜がクビカリ様騒動の元凶だ。彼女はクビカリ様である嬉美ちゃんを道具にして、生きている生首を集めるだけ集めてこの町を去るつもりだ」
「生きている生首を……!? って、なんのためにですかっ!?」
「それが丹夜の趣味だから以上に言いようがない。彼女は自分の言いなりになるペットが欲しいだけだ。自分に従わざるを得ないペットが」
「たったそれだけのために……!?」

 眼子が悲鳴に近い声を上げた。
 ペットが欲しい、それだけの理由のために狙われている生徒がいるなんて信じがたかった。
 そもそも人間の生首の形をしたペットが欲しい人間が本当にいるだなんて。眼子にはちっとも理解できない心理だった……!

「理解しなくていい。丹夜はそういう人なんだということだけわかればいい。……でも彼女のその気まぐれの趣味が、あちら・・・の利害と一致してしまった!」

 異は言いながら着物の袂から細長いものを取り出した。それは祭囃子に使う竹笛だった。
 武器にすらならなそうな頼りない竹笛を片手に、異は六夏に言う。「結界の組み直しを」と。

「待ってください! あちら・・・ってなんですか! 利害って!?」
「いいから!! 敵の前で油断するな、"美術部"だろう!?」

 異が檄するのに、六夏は混乱からハッと我に返った。

(そうだ、あたしは北中美術部だ! 先輩たちの後を継いで、烏貝先輩みたいにいろんな人を守れなくちゃならないんだ……!)

 六夏の頭に、二年前に見たかつての美術部の姿が浮かぶ。小学生の自分を助けてくれた烏貝乙瓜の姿と言葉が浮かぶ。

『怖かったな。でも、もう大丈夫だから――』
『この程度だったらいつでも消してやるから』

 六夏は奮起するよう眉間に力を込め、放ったきりの護符に命じた。

「鼓星再編成! 防御三連三方陣形!」

 彼女の声に、命令を失い目的無く宙を漂っていた護符が動き出し、防御の陣形を形成する。
 丹夜はふとそれを見て、ひゅうと馬鹿にしたような口笛を吹き。「そっか、そういえばそうなんだ」と意味ありげに目を細めた。

「ふうん、きみが新しい"美術部"なんだぁ。さっきからなにかなぁーって思ってたんだけど、うちらの頃に比べてあんまりにも弱っちそうだからわかんなかったよ」
「……お前、美術部の活動を……!」
「先輩に対してお前はなくない? てか知ってるに決まってるじゃん。単なる学校の噂話ってだけじゃなくて、あの頃美術部がわけわかんない敵と戦ってたのも知ってるんだから。ちゃあんと知ってて隠れてないと、嬉美倒されちゃうじゃん」

 町の大半には怪しげな噂話にしか思われていない美術部の活動を理解している。丹夜はそのことをあっさりと白状して得意げに髪をかき上げ、挑発するように指を曲げた。

「かかってきなよ。紙切れ飛ばして守ってるだけじゃ私のことは倒せないよ? 助けるんだよねえ"みんな"を。当然私が命狙ってるこっちゃんのことも守ってみせるんだよねぇ? やってごらんよ。美術部なんでしょ?」

 クスクスとあざけりながら、できやしないと決めつけるように。誘う丹夜をキッと睨み、六夏は。

(負けるもんか、やってやる……!)

 攻撃の護符を展開するために指に力を込め、より地面に踏ん張れるように脚を開いた。――その瞬間。

「六夏ちゃんだめ、避けて!!」

 背後から声がした。眼子の声だった。
 六夏には何故眼子が叫んでいるのかわからなかった。避けろと言われて、避けるようななにかに心当たりがなく、なんの気配も感じなかった。

(えっ――)

 思った刹那、今度は背後に衝撃が走り、六夏は前方に突き飛ばされた。
 突き飛ばされ、呆気にとられ、一瞬の虚の後でそれが避けるべきなにかだったのかと六夏は思う。
 ……けれどそれは違った。
 地面に叩きつけられた後で、それでも急ぎ起き上がり振り返った後で。六夏は今の衝撃が攻撃によるものではなく、自分を庇うためのものだったと知る。

 何故なら。

「なん……で……?」

 つい先ほどまで自分が立っていた場所には。

「なんでっ、なんで自分が狙われてるのに庇ったりしたんですかっ! 異さんッ!」

 隠しようもなく真っ赤な血を流して蹲っている、八尾異の姿があったからだ。

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