怪事醒話
第三解・憧れの向こう側②

 ――"クビカリ様"。それは古霊町北東部に在する旧家・首刈クビカリ家を筆頭にする親類一族、通称『首の一族』に伝わる"怪異"である。

 かつて――江戸時代の中頃、古霊町の一部が罪人の流刑地であり刑場であった頃。
 汚れ仕事を請け負っていた『首の一族』はその恨みと怨念を集め、それが形を成したものがクビカリ様なのだと云う。
 クビカリ様の怨念は明治の終わり頃から猛威を振るい、一族の者を――特に一族の未来となる子供を多く葬り去って、その呪詛の中に取り込んでいった。
 このままでは一族は滅びてしまう。強い危機感を覚えた大人たちは方々に頼り、やがてクビカリ様の強すぎる念を少しずつ封じ込めるための呪術を編み出す。その為に、『首の一族』の葬儀や風習は他所とは少し変わっているのだ。

『首の一族』に属する人間は、現代でも外出時、特に旧黄泉先村の土地を超えるまでは首に"巻き布"をして過ごしている。
これは北中学区ではよく知られていることで、学校側も『家庭の事情、あるいは信仰上の理由』として特例的に許していることだ。
現に今現在美術部に属する無紅輔だって、ジャージの襟に隠れ気味な首にガーゼのようなものを巻いている。
 六夏たちにクビカリ様とは何かを語って聞かせたのは、他ならない紅輔だった。

「クビカリ様っていうのはつまり、うちの親戚筋に代々伝わってる怨霊? 的なモノに違いないと思います。……けれどなんで今更。それにこの手紙の送り主、どれもうちの親戚じゃないですね」

 不思議そうに首を傾げる彼が示す通り、律儀に名前まで書いている者は『首』の付く姓ではなく、助けを求めておいてなぜかイニシャルで済ませている者も『K』が入っていない。

「でもこの三人目のイニシャルSだし、『しゅ』とか『す』とかで始まる苗字はないの?」

 眼子が思い当たったように話を振ると、これには紅輔だけでなく、六夏も凛音も首を振った。

首の一族あの家はみんな『くび』から始まるから。首藤しゅどう姓とか首澤しゅざわは違うよ。あと、真ん中とかお尻の方に『首』が付くのも違う家のはず。……だよね、紅輔くん?」
「はい。うちの親類は首刈を本家として首売くびうり首買くびかい、首塚、首型、首譲くびゆずり首接くびつなぎ、首無、首有の九家ですね」
「……なんで近い親類なのにこんなにたくさん苗字があるの?」

 首を傾げる眼子に、またも紅輔が答えた。

「元々は全部江戸時代までにできた分家筋だって聞きました。それが後に呪いのこともあって、高祖父や曾祖父の代に子供たちを分家に養子に出して分散しようとしたらしいんです。……あまり意味はなかったらしいんですけども」
「なるほど……」

 眼子は頷き、それから再び怪訝に眉をひそめた。

「わかったけれどわからなくなっちゃった。どうして首無くんの親戚筋だけを狙うオバケから助けてほしい人がいるんだろう?」
「さあ……自分にはちょっとわかりかねます。ただその、先輩たちの実力を疑っているわけじゃないんですけれど、クビカリ様には本当に気を付けた方がいいですよ。平成に入ってからも結構死んでる人とか失踪してる人出てるんで、こればっかりは本当にガチです」
「珍しいね、紅輔くんがそこまで言うの」
「そうですかね? いえ、すみません。自分には身近なことなので」

 意外そうな六夏に申し訳なさげに頭を下げて、紅輔はふと凛音を見た。「八尾先輩」と。

「――八尾先輩。確か先輩は夜都尾稲荷の親類筋でしたよね」
「そうだけど、なにかな?」
「もしかしたら――いえ。これは自分の仮定なんですけれどね。もしかしたら六年前に……現状最後に行われたクビカリ様を封じる儀式でなにかマズいことがあって、それでクビカリ様が一族の外に解き放たれた――なんてことがあったんじゃないかと。今思いまして。クビカリ様を封じる儀式……『首守』の儀式は、古霊町の四大寺社からそれぞれ代表者を招いて行われることになっています。……先輩、確かお姉さんいましたよね?」
「……いるけど、色果いろはちゃんも音色ねいろちゃんも神社のことは手伝ってないし、多分なにも知らないよ? 知ってるとしたらお爺ちゃんか、本宅のことお姉ちゃんか、稲人いなとおじさんところのかさねお姉ちゃんだと思うけど――」
「あ、異さんならもしかすると斬子さんと一緒にいるかも」

 思案し始めてしまった凛音の横からそう言ったのは六夏だった。
 神逆神社に少なからず縁のある彼女は、八尾異と鬼伐山斬子が友人であることは既に把握していたし、話を聞いてくるくらいは出来るだろうと咄嗟に思ったのだった。
 それを聞いて、凛音は「そっか」と手を叩いた。

「いい考えだと思いますよ先輩! 斬子お姉ちゃんなら十年くらいずっと神逆神社の祭事に出てますし、もしかするとあちら側の当事者かもしれません!」

 妙案を見つけたとばかりに元気になった彼女を見て、六夏と眼子は顔を見合わせて頷き合った。

「ありがとう凛音ちゃん。それじゃあ、あたしたちはクビカリ様についてちょっと調べてくるから、凛音ちゃんは名前のわかる手紙の送り主に、なにがあったか聞いてきてくれない?」
「がってん了解です! えっとそれじゃあ、紅輔さんはお留守番お願いします」
「わかりました。自分、ちゃんと『美術部』してますから、先輩たちは行ってください。でも異世界とか妖界とか見られそうになったら呼んでくださいね」

 最後に小さく「気を付けて」と呟きイーゼルに向かい直す紅輔に背を向けて、三人はそれぞれ美術室を後にした。
 時刻は浅く四時半前、梅雨明け発表を前にしながらも晴れた空には、この季節この時間にしては、妙にに赤々とした夕焼けが広がっていた。



 手紙の送り主の一人、地蔵ヶ原じぞうがはら和珂のどかは、女子バレーボール部に所属する一年生である。
 彼女が"クビカリ様"に遭遇したのは四日前、部活帰りの夕暮れ時に、通学路の一部になっている寂しい林道に差し掛かったときだった。

 その日激しい練習で疲れていた彼女は、その道で一旦、少しだけ休憩しようと自転車を止めた。そしてふと横の山藪を見遣ると、その中に白い着物の女が立っているのが見えた。
 今日日きょうび着物というだけでも珍しいのに、死人に着せるように真っ白な着物なんて滅多に見られるものではない。
 和珂は最初何かの見間違いかと思って目を擦り、……けれども見間違いではないようなので、怪しく思いながらも目を凝らし――そしで気付いてしまったのだ。

 おかしい。白い女の襟元から覗く首が異様に長いのだ・・・・・・・
 ……いいや長いのではない。首から肩にかけてのラインが、きちんとくっついていないのだ・・・・・・・・・・・・・・

 白い女の首は真ん中から上と下ですっぱりと分断されていて、頭部は糸かなにかで吊られたように宙に浮き、胴体は腐ったように変色して崩れかけていた。
 和珂は確かにそうだったと語り、決して首吊りではなかったと凛音に訴えた。

「だって、動いたんです、歩いたんです! ……揺れたんじゃない、確かにあたしの方に歩いて来てたんですっ! ……だからあたし、怖くて……」

 首と胴が分断されている女が、藪を掻き分けて迫ってくる。
 そんな光景を目の当たりにして、和珂は叫び出す時間すら惜しみ、急ぎ自転車に跨り逃げ出したのだという。
 そうしてやっと家まで着いて、ばくばくする胸を押さえながら「助かった」「あれはなんだったんだろう」と考え始めたとき、それは起こったのだという。

「家電が鳴ったんです。……誰もなかなか出なくて、びっくりしたけどきっと関係ないって思って、あたし出ました。そうしたら――」

 和珂が受話器を取った瞬間、電話の相手は女の声でこう告げたのだという。

『あなたはクビカリ様に呪われました。一週間後に首と身体カラダ、どちらかをお迎えに参ります』

「もう三日しかないんです! ……お願いします、あたしを助けてくださいッ!」
「大丈夫です。きっと私たちがなんとかします」

 必死の形相で頼み込む彼女にそう答えながら、けれど凛音の表情は強張っていた。
 和珂の話すクビカリ様の話は、紅輔から聞かされたクビカリ様の話とは大分違う。
 首か身体を持っていくという点では共通しているが、より現代の都市伝説的に変異している。

(……紅輔くんはたしか、最後の儀式は六年前だと言っていました。そのときまでのクビカリ様が伝承通りの存在だったとするなら、やっぱりこの六年の間になにかがあったはずです。『首の一族』に拘らなくなるなにか・・・が……。六夏先輩……眼子先輩……、なにかわかるといいのですが)

 それから凛音は念のためにと、もう一人の投書者の男子と、彼や和珂が「もしかしたらそうじゃないか」と言う女子一人にも話を聞いた。
 けれど残りの二人に起こったことも和珂と変わらず『首と胴体の別れた白い女と出会い、その後電話がかかってきた』というものだった。
 そこまで聞いて何故だか無性に不安になって、凛音もまた北中を飛び出した。

 向かう先は、そう。先に六夏や眼子が話を聞きに向かった、神逆神社である。


 暮れ行く田舎道の古いコンクリートの上でガタゴト転がるのは、彼女・・が引いていくキャリーバッグのタイヤの音。
 彼女は彼女の目的の為、趣味の為、夢の為。
 そのために、円満に・・・この町に別れを告げるために。最後の仕上げに向かっていた。
 ガラガラ、ガタゴトと。鳴るタイヤの音に紛らして、詰め込んだ呻き声・・・・・・・・を引きずりながら。
 長い緑の黒髪を夏風に揺らし。首にガーゼを巻いたその女もまた、神逆神社を目指していた――

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