――どこかに隠れていたっていいので、放課後まで学校にいてください。そして放課後になったら美術室に……。
昼休みの終わる間際にそんな約束を取り付けて、眼子は裁子の前から去った。
裁子がその約束を守ってくれる保証もなかったが、彼女を信じるしかない。そう思った。
(「すきにすれば」って、童河さん言ってたもん。わたしも好きにしていいよね。誰にも話すなって約束は、ちょっと破っちゃうけれど……)
思い、生徒としてやらなければならない日課を済ませた放課後。眼子は真っ先に六夏の席に向かい、大事な話があるということだけ先に伝えた。
「話は美術室についてからで。……いい?」
「いいよ。りょーかいりょーかい」
六夏は特にわけを探るようなそぶりもなく頷いて早々と荷物をまとめ、美術室に入って扉を閉めるまでの間、本当に一度も「大事な話」について触れなかった。
眼子は、距離が近づくにつれ見えてきた六夏の「こういうところ」が好きだった。
初会話こそ無神経で無茶苦茶な気はあったのだが、それは彼女が持つ不器用な一面が多めに出てしまったからで、基本的に六夏はこういった気の配り方だけはしっかりとしている。そんなふうに、眼子は理解していた。
その信頼をもって、眼子は昼休みに裁子に会いに行ったことを話した。
「童河さんがクラスに顔を見せなくなったのは、もしかしたら"あやしごと"が関係してるかもしれないの。放課後になったら美術室に来てほしいってお願いしたから、帰ってなければもうすぐ来ると――」
「……来たわよ」
もうすぐ来ると思います。眼子がそう言いかけたとき入口ドアが静かに開かれ、疑るような顔の裁子が顔を出した。
「サイちゃん。久しぶり」
入り口を振り返り、六夏が慣れた調子で声をかける。裁子はそんな彼女を一睨みして美術室に入ってくると、これまた音を立てないように静かに扉を閉めた。
そんな裁子の姿を見て眼子は嬉しくなった。まだなにも解決していないのだが、裁子が自分との約束の通りにやってきてくれたことが、眼子には嬉しかったのだ。
「ありがとうございます、来てくれて」
「……いっとくけど、完全に信じたわけじゃないからね」
不貞腐れたように答えて、それから裁子は六夏にじろりと視線を移した。
「あんた、まだ一人でこんな活動してたんだ」
「一人じゃないよ。眼子ちゃんがいる」
さも当然そうに六夏は答え、手近な作業机によっと座った。
「それにゼンゼンまだじゃないし。やれるとこまではずっと美術部だよ、あたしは」
「そう」
裁子は短く小さく答え、それから少し――ほんの数秒だけ――二人から目を逸らし、なにか考えるように俯いて。「まあ、いっか」と誰に言うでもなく呟くと、顔を上げて六夏たちに向き直り。
「六夏だもんね。ダメで元々、聞いてくれる?」
言って、裁子は再び帽子を脱いだ。
「『河童の呪い』、ねえ」
話を聞き、六夏は腕組みして首をひねった。
「どう? なんとかできそう?」
「それは今から考えるよ」
不安げな眼子に答え、両のこめかみに人差し指を当てて。それから六夏は唐突に言った。「サイちゃん帽子被ったほういいよ?」と。
「……唐突になんだし」
面倒そうに裁子は言うが、一秒ほど置いて怪訝そうにニット帽をかぶり直す。
「六夏ちゃん、なにか思いついたの?」
妙な流れをみて眼子が問うと、六夏はまず「うんにゃ」と否定し、直後「けれども」と打消し。
「わからないから念のため、わかりそうな人を呼ぶ」と。おもむろに、宙に向けて右手を挙げた。
まるでタクシーでも止めるように。そしてそのまま叫ぶのだ。
「"はーなこさーん"!」
言うなり、窓を閉め切り空調の風もそう強くない美術室内に、どこからともなくぶわっと大きなが風が吹き抜ける。
風に乗ってこれまたどこからともなく花弁が舞い上がり、美術室内には瞬時になんともいえない良い香りがたちこめる。
(なに、この手品!?)
(いい匂い、だけど芳香剤系の香り……っ!)
素直に驚く裁子と、もう現象そのものには驚かない眼子がそれぞれ視線を向けた、"風の中心地"。
そこにばさりと長い黒髪が舞い、"花子さん"は姿を現す!
「なーあーにー?」
赤い目をぱっちりと開き、歌うように花子さんは返事する。
その姿を見て裁子はすごい顔になり、そのままその場に膝をついた。文字通り腰が抜けたのである。
「なになになになになになになになんなのその人おッ!? どっからでてきたのぉおおお!?」
どすんと床に尻をついてから数秒して、裁子は電源を入れたおしゃべり玩具のようにわめきたてる。
六夏はそんな彼女に目をやって、別段普段と変わらない調子で「いや、呼んだから来たんだけど」と不思議そうに言った。
「帽子被ってって言ったじゃん。人呼ぶから」
「呼ぶったってそんなふうに来るなんて聞いてないんだよ! そこ先に伝えなさいよばか! コミュ障! オタク! 陰キャ!」
「陰キャは流石にひどくない? あたしだって見られたら嫌かなあっておもって伝えたのにさ」
六夏は顔をしかめた。見ていた眼子は「引っかかるところそこだけなんだ……」と感心した。
それでも流石に妙な空気になるのはまずいと思い、眼子は二人の間に割って入ろうとするが――
「はいはい。ケンカするのは勝手だけど、ご用事いったいなにかしら~?」
一瞬前にパン、パンと手を鳴らし、花子さんが二人を止めた。
六夏はキョトンとして、ハッとして。「聞きたいことあるんだった」と花子さんに向き直った。
「花子さん。たとえば妖怪だとか神様だとか、そういうのに呪われちゃったとして、どうやって呪いを解けばいいと思う?」
「あら、今日は真面目にお仕事? ……ふうん、そう。そっちのその子。貴女ね、呪われるようなことをしたのは」
小首をかしげ、花子さんはニヤリとして裁子を見た。
裁子は「得体のしれない現れ方をした者に認識されてしまった」とビクリとし、助けを求めるように声をひそめて六夏に訊ねた。
「ちょっと誰なのこの人!」
「トイレの花子さんって知らないっすか?」
「……はぁ!? ……ッ、きいたことあるけどなんでいるんだし!」
「毎度お世話になってるから?」
「そんなの理由じゃないし!」
そのやり取りは花子さんにも眼子にも完全に筒抜けだった。
眼子が「結構仲いいんだなあ」と呟く隣で、花子さんはクスクスと笑う。
おそらく、この丸聞こえの秘密会議の終わりまで楽しむつもりなのだろう。
そうしてほんのりと時間が経った後。唐突に作業机から降りて、六夏は言う。「続きなんだけどね」と。
「そうそう、それでさっきの続きなんだけど。花子さんの言う通り、この子――サイちゃんていうんだけど。なんか家宝のお皿を割って河童の呪いにかかっちゃったんだって」
「家宝……河童の……。サイちゃんさん、おうちはどこなの?」
「古虎渓先輩のお家のほうに童淵神社ってあるじゃない? そこの神主さんの子」
「あらぁ。それじゃあ呪いって…………あら、そうだったのね。貴女が『あめふらしの皿』を割った犯人なのね」
大した説明も受けず皿の名前まで言い当てた花子さんを見上げ、裁子の顔からサッと血の気が引いた。
「どうしてわかったんです?」
眼子も驚き理由を問うと、花子さんは「簡単なことよ」と人差し指を立てる。
「私だって一度は全国の妖怪やこの町の神様たちと組んで戦った古霊北中裏生徒だもの? 童淵神社の伯瑪河童と親交があってもおかしくないでしょう?」
「……"戦った"って、花子さん一体なにをやったんです……」
「んー、ひ・み・つ」
ウインクし、それから腕組みし。花子さんは言葉を続ける。
「そういうわけだから、『あめふらしの皿』が盗まれたか壊されたかしたようだってハナシは聞いてたのよ私。まさかこんなところに犯人がいるとは思わなかったけれどね。そうかもと思って見てみれば、たしかに河童かなにかみたいな気配が頭の上にくっついてるわ。サイちゃんさん」
「……裁子よ」
ニット帽越しに頭を押さえ、怒っているような泣き出しそうな複雑な表情で裁子は言った。
「そう、裁子ちゃん」
名を復唱し、顔にかかった髪の毛を払い。至極大真面目な顔で裁子を見つめ。それから花子さんは、重大な宣告めかして裁子に告げた。
「とんでもないことしちゃったわね。貴女、あとニ三日のうちに外せなかったら死んじゃうわよ。それ」