怪事醒話
第二解・いつかあの人のように②

「あなたが転校生っていう。……それで? 今まで会ったことも話したこともないウチになんか用?」
 初めて見る転校生を上から下までねめつけて、童河裁子は一度チラリと窓を見た。
 窓外に広がる雲はいい加減暗く厚く、そろそろ降り出しそうである。
「雨降る前に帰りたいんだけど。なんかあるならちゃっちゃと済ませてくんない?」
 裁子は不機嫌そうに言いながらも、ベッド横の丸椅子にどんと腰を下ろした。一応、用件を聞く気はあるようだった。
「ちゃっちゃ……と済むかはわかんないんですけど、はい、その――」
 眼子はあからさまに機嫌の悪い裁子の態度に気圧けおされるが、勇気を振り絞って次の言葉を紡ぎだした。
 その短い空白の内に、養護教諭は黙って保健室から退室した。おそらくそれは思春期の子供たちの心のぶつかり合いを邪魔すまいと思った彼女なりの気遣いで、保健室には眼子と裁子の二人きりになった。
 ガラリと閉じる扉の音の後、眼子は言った。
「どうして、なんですか? クラスに顔を見せないのも、お友達になにも言わないのも」
「……なにそれ。転校生には関係ないじゃん。それとも、ナオやマリアに訊いてこいって言われたの?」
 裁子はますます不機嫌に不可解に眉をひそめた。
 ナオとマリア――首洗くびあらい奈桜なおと霊藤マリアはいずれもバスケ部のクラスメートである。眼子は確かに彼女らに事情を訊いた上でここに来たが、
「違います。ここに来たのはわたしがそうしたかったから、です」
 決して誰かに行けと命じられたわけではない。その意思をはっきりと示した上で眼子は改めて自分の意思を伝えた。
「知りたいんです。童河さんになにがあったのか。……わたしはクラスに来たばっかりで、まだみんなのこともよく知らないことが多くて。そうだから、逆に。親しい人に言いにくいことも話しやすいかなって、思ったんです……!」
 勇気を出して、普段よりずっと大きな声を出して眼子が言った直後。サアアという雨音が窓越しに耳を打つ。
 いつの間にか雨雲は決壊していた。裁子はそんな窓外に目を向けて、それから小さく舌打ちする。
「……降ってきちゃったじゃん」
「ご、ごめんなさい」
「…………いーよ、別に」
 裁子は咄嗟とっさに謝る眼子に向き直り、諦めたようにベッドの上に荷物を投げ出してからこう続けた。
「転校生さ、これからウチが話すこと、絶対誰にも言わないって約束できる?」
 言って、うたぐる視線を蛇のようにじっと向ける彼女に、眼子は一拍の間の後、慌てたように大きく頷いた。
「……できますっ! 絶対にっ……」
「絶対のゼッタイ? 絶対だよ? 破ったらウチ、あんたのことマジでコロすからね? 奈桜にもマリアにも、先輩にも後輩にももちろん先生にだって、誰にだって話したらダメ。……できんの?」
 静かに言う裁子には、本当に眼子のことを殺してしまいそうなほどの気迫があった。
「言いません! 絶対誰にも!」
 眼子が必死て何度も「約束」したところで、裁子は冷めたように「そう」と呟いた。どうやら話してくれる様子だったが、あの蛇のような視線だけは依然として変わらなかった。
 まさしく蛇に睨まれた蛙といったところか。眼子が緊張にごくりとつばをのんだところで、裁子はおもむろにニット帽に手を伸ばした。
「本当に、言ったらただじゃおかないからね」
 ゆっくりと帽子が取られていく。それを見ているのは眼子だけだ。一階保健室の窓外は普段の昼休みならばいくらか人通りがあったりするものだが、雨の今日は人っ子一人通る気配もない。生活委員は花の水やりをしなくていいと喜んでいることだろうし、鳥小屋のニワトリも元気にエサを突いている様子で、そちらの世話で通りがかる人間もいそうにない。
 だからそれを見たのは正真正銘、鬼樫眼子ただ一人だった。
 ぎ取られた帽子の下にあったものを見て、眼子は思わず手で口をふさいだ。

 童河裁子の頭の上には、皿のような白い円盤が、ずり落ちることなくぴたりと張り付いていたのである。

 ゴールデンウィークの末日のことだった。
 裁子は蔵の掃除をしている最中、うっかり・・・・一枚の皿を割ってしまう。
 彼女の実家は古霊町三大神社とも四大寺社とも称される歴史と由緒ある童淵わらべぶち神社を代々管理しまつってきた家系で、蔵の中には滅多に使われなくなった家財の域を超えた、秘蔵の宝物が何点か眠っていた。
 運が悪いことに、皿はそんな宝物の一つだった。『あめふらしの皿』として伝わるそれには「河童カッパから与えられた」という逸話が残されており、それは童河家の縁者ならば誰もが一度は聞かされる"むかしばなし"だった。

 曰く。昔々神社の近くを流れる灯籠とうろう川には河童の住みつくふちがあり、水辺を通りがかる人間にしばしば悪さをしていたと云う。
 それを見かねた童河家の先祖は果敢にも河童に勝負を挑み、「自分が勝ったら二度と悪事は行わぬよう」と約束をとりつける。そして河童の得意とする相撲において、見事河童の大将を打ち負かしてみせたのだ。
 河童たちはひれ伏し、二度と悪事を行わない約束の証として先祖伝来の『あめふらしの皿』を先祖に差し出した。そして心を入れ替え水神の使いとなり、神社の片隅に祀られるようになったのだ――と。

 その由来が嘘かまことかはともかく、かの『あめふらしの皿』は子孫の代まで残っている。普段は蔵に仕舞われているが、親族全員が集まる席――たとえば正月や冠婚葬祭の際に取り出され、水をいっぱいに注がれるのだ。
 そうすると不思議なことに、皿から音が鳴るのである。耳心地の良い音が鳴れば一族に吉事があり、不快な音が鳴れば凶事がある。そして音が一通り鳴り響くと、一時間以内に必ず雨が降り出す。
 皿にはそんな不思議な力があった。果たして河童が本当にいたかどうかすら疑る親族も少なくない現代、けれども『あめふらしの皿』の占いだけはほとんど誰もが信じていた。過去の文献・先代先々代からの口伝くでん・そして自らの経験からするに、皿の示す吉凶には外れがないと知っているからだ。

 そんな、家宝の皿を割ってしまい、裁子は青褪あおざめた。
(――どうしよう)
 後悔と混乱に、最初裁子はへたり込んだ。どうしていいのかわからない。けれどもその内頭が状況を飲み込んでやや冷静になると、裁子の頭の中をこんな考えが埋め尽くす。

(隠さないと)

 叱られたくなかった。当然である。誰だって叱られたくなんかないのだ。しかしそれ以上に裁子は、今までほどほどの『優等生』として通ってきた自負がある。『良い子』であったプライドがある。
 童河家は四人兄妹で、裁子はその末っ子だ。長兄はそこそこ誰でも名を聞いたことのある大学へ進んだ後に高校教師に、次兄はこの春から晴れて警察官に。一番歳が近く仲の良かった三番目の兄も、家業を継ぐためと目的をもって大学に進んだ。兄たちは誰一人グレることなく優秀だった。片田舎に置いておくのが惜しいくらいには一通りなんでもできた。だから裁子も誰から請われたわけでもなく、「自分も兄たちのように優秀でなくては」と考えるようになるのは自然なことだった。
『優秀な良い子』でなくては。自分自身にそう課した裁子の前には、自分が割ってしまった家宝の欠片が散らばっている。
 裁子が自分の思う通り、『そつなく良い子』であるためには――その欠片に消えてもらうほかなかった。

 裁子は嘘を吐いた。
 皿の欠片を集めて包み隠した後で、「蔵から皿がなくなっている」と嘘をついたのだ。
 当然のように騒ぎになって、そのうち「泥棒が入った」ということになってしまった。次第に話が大きくなっていくのを言い出せないまま見つめながら、「大変なことをしてしまった」という後ろめたさと「よかった、自分のせいにはならなかった」という安堵が心の中に混在していた。
 穏やかならない安心を手に入れた翌朝、目覚めた裁子は違和感を覚えた。
 なにかが頭に張り付いているような感覚。手を伸ばすと固くてひんやりとして、すべすべとした何かが指先に触れる。寝ている間になにかが頭にすっぽりはまってしまったのかと思って外そうとしてみるも、外れそうな気配はない。
 すっかり眠気は飛んでいた。布団から跳ね起き慌ててスタンドミラーの前に立つと、頭の上には皿状のものがぴったりと乗っていたのだ。

 そう、まるで伝説に伝わる河童のように――

「……たぶんノロイなの。カッパのノロイはほんとうにあったの。約束の証のお皿を割っちゃったから、ウチの頭に皿がくっついたの。……たぶん」
 怒っているような泣き出しそうなそんな表情でぼそりと言って、裁子はニット帽を被り直した。
「こんなの誰にも見せられるわけないじゃん。……笑われるしバカにされるし、それに……水はダメなの。……皿に水が溜まるとこいつ鳴くの。ウチの声で色々わめき散らすの」
「そんなことが……。だから雨のこと、気にして……」
「雨だけじゃない。おフロだとタオルのっけて水吸ってればいいんだけどさ、部活後のシャワーなんて絶対ダメ。だから辞めるしかなかったし、……こんなじゃ海もプールもどこもいけないじゃん。わかる? マジ最悪だよ?」
 なげやり気味に言ってベッドの上に上半身を倒し、裁子は諦めたような視線を眼子に向けた。
「わかったでしょ? そういうワケだから。転校生にはどうしようもないから。……誰にもどうしようもないから。さっさとどっか行ってよ。ウチは頃合い見計らって帰るから」
 シッシと手を振る、そんな裁子を見て眼子は思う。

(同じだ、少し前までのわたしと――)

 なにもせずとも周囲の人間に不幸が襲い掛かる。それは自分ではどうしようもなくて、誰にもどうしようもないと思っていて、なにもかも諦めていた。……そんなかつての自分の姿と、裁子の姿が重なった。
 ――だから。

「どうしようもないなんて、ないです……!」

 眼子は言った。裁子は「はぁ?」怪訝な顔を浮かべると、「なに考えてんの?」と身体を起こした。
「転校生あんたわかってんの? これノロイだよ? どうにかできると思うワケ?」
「大丈夫です! ……きっと、きっと【美術部】ならっ、六夏ちゃんならどうにかできますっ!」
「美術部……?」
 復唱した言葉を反芻はんすうし、裁子は身体を起こす。
「誰に聞いたか知らないけど、それってずっと昔のウワサ話でしょ? 今はそのときの部員ヒトなんてもういないし、あの"一匹オオカミの六夏"しかいない部活が今更なにをしてくれるって言うのさ?」
「噂なんかじゃないですっ……! それに部員だって、……一人じゃないです、だからっ!」
 眼子は思い切って裁子の手を掴んだ。それは裁子にとっても意外な行動だったようで、ずっと不機嫌に細められていた目がそのとき初めてぱっちりと開いた。
「なにする……、ってのさ……!?」
 驚き戸惑い訊ねる裁子に、眼子は言う。

「わたしは美術部員としてっ……童河さんの助けになりたいんです!」

 ――そう、きっと自分も六夏のように。力及ばずとも、「なれるんじゃないか」と願って。

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