怪事捜話
第十一談・幻想暴走フェスティバル①

 空に高々と新円の月が昇り、静かな光が夜を明るく照らす。
 八月は既に中旬。盆も開け、帰省によって僅かに活気づいていた古霊町も再び平時の様子へと戻ろうとしていたその晩、古霊北中の校舎屋上に佇む人影が一つ。
 手摺に肘立て頬杖付き夜空を仰ぎ、赤い瞳に月光を映し。時折夜風に流れる髪は、紅を帯びて灯の燐光を散らす。
 幽かな虫の音が場を満たす中、彼は――草萼火遠は独り物思いにふけっていた。

 先の怪事――躯売詩弦に関する四辻通りの一件や、その前に美術部が旅先で遭遇したという海の怪事は、それぞれ眞虚と遊嬉が解決へと導いている。
 それも誰かにそうしろと言われた方法ではなく、遭遇した怪事に対して自分なりに考えて、そうした方がいいと判断した方法でだ。
 その・・兆しは『お札の家』事件の頃から既にあったのだ。
 現れた怪異を力任せに叩くだけではなく、それなりの落としどころを見つけて解決する。言われるままに戦ってきた初々しい時代は既に終わり、もう彼女らは自分達の意志だけでこの怪しい世界を渡っていけるだろう。
(出会った頃は乙瓜も魔鬼も俺の指示かあいつらなりの意地で戦ってて、他の皆もただただ巻き込まれるばかりだったけれど……。成長、か。人間の……十代の少年少女の順応力の高さには大抵いつも驚かされてばかりだよ)
 思い、火遠は頬杖解いて背筋を伸ばした。息を一つ吐き、相変わらず在り続ける銀月を仰ぐ。
 煌々と輝く月光は太陽光の反射であると云う。
 しかし月の小さな体では昼の太陽に成り代わる事叶わず、最も輝ける満月の時でさえ、夜にそっと寄り添う事しか出来ないのだ。だがそんな頼りない光が悠久の昔から人々の心を動かし。時に神聖で神秘的なものとして、時に邪悪で不穏なものとして、手の届かない美しいものとして、今日に至るまで見つめられ続けて来たのだ。
 その光を焼き付けるように見つめ、火遠は思った。

 ――今宵の月は何の兆しなんだろうね、と。



「地味に大変な事になってしまったわ」
 明くる八月十八日。盆休みを終えた運動部が肩慣らしにグラウンドを走る声が響く朝の古霊北中、その生徒会室にて。
 僅かに開いた窓から入る夏風がカーテンをふわりと揺らす中、長机の上に肘を立てて妙に深刻な顔をした花子さんの姿が、そこにはあった。
 生徒会室の中には彼女の他にもたくさんの生徒――学校の名簿や公式の記録には一切登場しない、一般の教師や生徒にはその存在すら認識されていない人で無きものたち・裏生徒たちが集まっていた。
 朝も早くからお化けの会議。人間たちの多くはお化けは夜に出るモノと認識しているようだが、そんなもの彼らには関係ない。
 彼らはいつでも学校に居るし、昼を問わず夜を問わず学校内を闊歩している。ただ、人間の方にそれを知覚できる者が少ないというだけなのだ。
 それでも夕方や夜になると幽霊妖怪の類を認識できる人間が増えるのは、視界が悪くなった分明るい時より周囲へ注意するようになるからだろう。その時無意識に普段使われない感覚のスイッチを入れてしまって、うっかりおかしな世界を覗き見たりしてしまうのかもしれない。
 怪談話の「幽霊を呼び出す方法」の多くに普段わざわざやらないような事が条件として設定されていたりするのも、もしかしたら見えざるモノを見るスイッチを動かす為なのかもしれない。
 まあ、そんなことは当の人外たちからするとどうでもいいことだ。見えようが見えまいが学校に居る、ちょっと普通の生徒とは違う生徒が即ち裏生徒なのだから。
「なんで居るの?」と問われた所で、ビルの屋上から地上を歩く人々を指して同じ事を問うくらい無意味だ。

 そんな学校妖怪の中で特に全国的な知名度が高く、この北中の裏生徒の約半分を従える花子さんは再び繰り返す。「大変な事になってしまった……」と。
 まるでこの世の終わりのような表情で頭を抱える花子さんを前に静まり返る生徒会室の中で、一人の裏生徒が発言権を求めるように手を挙げる。
「はいはーい! 花子お姉様! 大変な事って何ですかー!?」
 どこか落ち込んだ場の雰囲気に抗うような声音でそう言ったのは、異国の名を持つ赤マントの少女・エリーザだった。
 アイスブルーの瞳が鎮座するまなこを丸く見開いて問う彼女を見て、花子さんの口元には僅かに笑みが宿った。しかし眉は浮かない八の字のまま。
「うーん、私たちには直接の関係はないんだけどぉ……」
 困ったようにそう言うと、花子さんは悩みの種を語りはじめた。
「先月、古霊町や美術部に関する噂が大きくなりすぎて、町に来るようになった変な人たちを私たちで懲らしめたことがあったじゃない? それはそれとして終わったんだけれど、最近になってまた美術部についてのあまりよろしくない噂が流れてるらしいのよ。今度は主婦の間で」
「……しゅふ?」
 エリーザはキョトンとして首を傾げた。「なんでしゅふが地味に大変に繋がるんですか?」と、まるでわけがわからないといった様子だ。
 そんな彼女の傍らで別の手が挙がった。それは毒々しい色のネイルが光る闇子さんの手だった。
 闇子さんはもう片方の手で一人問答を続けるエリーザの口を塞ぐ。そして「こいつはいいから」と話の続きを促す闇子さんに応え、花子さんは再び話し出した。
「主婦たちの間で流れてる噂は、北中美術部が勝手に他人の家に押し入ったりしてるらしいとか、まだ部活動の時間の筈なのにコンビニでたむろしてるのを見たとか、そういうレベルの噂よ……。うう……酷い……。なんでそんな事言うのかしら……みんないい子なのに…………」
「いや、それ多分事実だろ事実ッ!?」
 言いながら涙目になりはじめた花子さんに対して、闇子さんの迅速なるツッコミが刺さった。
 そうである。何を隠そうそれは事実である。闇子さんは今年の六月前後から美術部がよく"校外活動"している事は知っているし、そもそもその最たるものである『お札の家』と雛崎燿子の一件については半分花子さんが唆したようなものだというのに。何を今更と。
 闇子さんでなくても室内の八割方がそう思って居るらしく、どこか深刻だった空気は一転・「なに言ってんだ……」という呆れへと変貌した。
「まさかとは思うけど、『地味に大変な事』ってのはそれか……?」
 恐る恐る尋ねる闇子さんに返って来た答えは、「当たり前じゃない?」というなんともありがたいお言葉。
(な、なんだったんだ一体……)
 初めの切り出し方からどこか深刻な話を予想していた闇子さんは頭を抱えた。他の裏生徒も各々なんとも呆れかえったリアクションを取っている。赤紙青紙の長い腕は物理的にこんがらがっていて、エリーザは漫画みたいにひっくり返っていた。
「あ、……あら?」
 そんな惨憺さんたんたる状況に逆に困惑してしまった花子さんの傍らで、手鏡の上の小さな人影――魅玄がやれやれと肩を竦める。
『……なんていうか、君はさぁ。時々真面目なノリでズレた事を言うよね。それってネタなのか本気なのか、すごい判断に困るんだけど……』
「ネタだなんて……私はいつも本気よ? ほ、本気なのよ!?」
 感覚のズレを指摘されて焦る花子さん。そんな彼女に魅玄はジトリとした視線を向ける。
『ていうか、学校妖怪の君が主婦の噂話なんてどこから仕入れてくるんだよう。お化けのくせして時々ふらりと遠方に旅行に行ってるのは知ってるけどさぁ』
 それは恐らく、この場に居る誰もがこっそり気になっていた事であった。
 俗世間、特に主婦ネットワークとはほぼ無縁の学校妖怪が、何故「主婦の間の噂」なんて情報を知り得るのだろうか。それも情報源たりうる子供が校舎内に少ないこの夏休みに。
 そこを突かれた花子さんはというと、鳩が豆鉄砲を食ったような顔を浮かべ、「えっ」と間抜けな声を上げた。
 微妙に不安になるそんな反応を前にして、魅玄はまさかまたネットに書いてあったとか言うんじゃないだろうなと不安になった。
 そんな中で花子さんがケータイを取り出すものだから尚更だ。
 しかして花子さんから返って来たのは、想像とは異なる回答であった。
「いや、普通に電話で聞いたのよ? ちょっと主婦してる友達に。北中美術部が悪し様に言われてるからちょっと助けてあげて、って」
 花子さんはそう言うと、画面を皆に向けてそこに表示されている電話帳を魅玄に、そして皆に見せた。
「梢ちゃんって言うんだけど」
『…………。いやちょっと、いや……まて!!』
 魅玄は画面上でカーソルの合わせられた名前をまじまじと見つめ、脳内で三回ほど繰り返し読み上げた後でそう叫んだ。
 そこに表示されていたのは紛れもなく『狩口梢』の名前。
 魅玄は直接会った事はないものの、話くらいは聞いている。美術部が遭遇したと云う"口裂け女"その人の名前だった。
『口裂け女じゃないか!?』
「そうよ~?」
 驚愕する魅玄とは対照的に、花子さんの態度ときたら「さも当然」と言わんばかりだ。
 ……というか今この場で驚いているのは魅玄ばかりで、他の裏生徒たちときたらどこか納得顔で頷いてすらいる。
「あー……、そういや梢ちゃんって結婚したんだっけ?」
 闇子さんが言う。まるで旧友の近況でも気にするような調子だ。……というか多分、確実に「まるで」は要らない。それは魅玄にも理解できた。この場に居る裏生徒たちは口裂け女・狩口梢を知っている。
「梢殿が言うなら間違いないでござるな」とたろさんが言う。「梢ちゃん元気?」とエリーザが言う。赤紙青紙は絡みついた手が解けて、今では長い手をうねらせてどこか上機嫌な様子だ。
 彼らと狩口との間に何があったのか、それは魅玄には分からないが、少なくとも友好的な関係である事だけは間違いないだろう。
(やばい、アウェイだ……!)
 魅玄は思った。自分がここ古霊北中に棲みつく者たちの仲間入りをしてから間もなく一年が経とうとしているが、まだ新参も新参。単体では怪談未満の、とりあえず居るだけの幽霊生徒も平気で二十年近くの年季があるし、花子さんたちクラスになるともう四五十年近い時間を共有している事だろう。一年ものの自分には平気で分からない事が多すぎる。
 元々はうつし出すことに特化した妖怪として、やろうと思えばありとあらゆる場所の「映るもの/写るもの」に残された記憶を自在に見たり見せたりすることが出来るものの、起こった事を知り得た所で魅玄と当事者では微妙に話が噛みあわない。まあ、当然といえば当然である。魅玄のそれは事実を淡々と流し続けるだけの記録映画のようなものなのだから。しかも映画のように一人一人の言葉が台詞として鮮明に分かれているわけではないし、全く無関係な周囲のざわめきも混じるし、感情移入も何もあったものじゃないのだ。
 そんなわけで一人話題についていけず、魅玄は鏡の上で体育座りした。
 手乗りサイズの魅玄の視点から見上げる学校妖怪たちは皆巨人並で、それが益々彼の孤独を深めた。
 その時、すっかり和気藹々とした雰囲気へと変わった生徒会室の扉がガラリと開かれた。
 平時なら人間の生徒か教師の来訪を警戒するところだが、すぐ近くの吹奏楽部の練習のない今日のような日にわざわざ三階の生徒会室を訪れる人間は居ない。
 そもそも認識に干渉して生徒会室のドアは施錠されているように偽装しているので、鍵も無しに入ろうと言う気すら起きない筈だ。
 当然といえば当然であるが、扉を開けて現れたのは人間ではなかった。
 そこに居たのは現代の学校ではまず見かけない、留袖姿の老婆であった。
 しかし花子さんたち裏生徒は知っている。彼女はこの北中に棲みつく学校妖怪の一人、トイレなどに出現し生徒を四次元空間に誘う怪異・ヨジババであると。
 ……ちなみにヨジババが闇子さんの実の祖母である事は、この学校の怪談事情に詳しい物には周知の事実である。
「あらお婆ちゃーん! どうしたの~?」
「なんだよ、今若者だけで会議してんだから勝手に入ってくんじゃねえよ」
 笑顔を手を振る花子さんと対照的に、闇子さんは身内だからこその憎まれ口を叩いた。
 そのあまりにあんまりな態度に、たろさんがほんのりと苦言を呈す。
「闇子殿、実の祖母様に向かってあんまりでござるよ。……というか皆若者かどうかと聞かれたらかなり微妙な線を行っているのでは?」
「……うるせー。心が若ければリアル年齢は関係ねえ」
 闇子さんはプイとソッポを向いた。たろさんはどうしたものかと腕を組んだ。
 そんな二人の様子などまるで気にせず、エリーザが「お婆ちゃーん!」とヨジババに抱き付いた。
「お婆ちゃんどうしたの? エリーザたちが生徒会室に居たから寂しくなっちゃった?」
「おやおや。寂しかったのはエリちゃんの方でしょう。うふ、うふ。でも他にも寂しそうにしている子が居たから連れてきたのよ」
 ヨジババはエリーザの頭をよしよしと撫でながら、もう片方の手で己の傍らを指し示した。
 一件誰も居ないように見えたそこには、上半身分の背丈しかないあの妖怪が居た。
「てけてけ!」
 エリーザが呼びかけると、てけてけはニコリと微笑み、腕の力だけでぴょんと一つ飛び跳ねた。
 何も知らない一般生徒が見たら卒倒しそうな光景であるが、声帯が損傷して声の出せないてけてけにとって、それは精一杯友好的な挨拶なのであった。
「てけちゃん、学生さんが運動場でやってる事が気になるみたい。ね?」
 ヨジババの言葉にてけてけはコクコクと頷いた。
 その言葉に生徒会室のモノ達は皆「?」と首を傾げ、一番窓際の花子さんがそっと屋外の様子を窺う。
 彼女が見下ろすグラウンド上では既に運動部の朝の走り込みが終わっていて、しかし各々の活動を始めた彼らとは別に、普段はそこに居ない生徒たちが何やら集まっているようだった。
 近年めっきり使われなくなった朝礼台の上に立つ生徒。その傍らにはCDラジカセ。
 集まった生徒たちはどうやら部活を引退したばかりの三年生のようで、いかにもやる気に満ち溢れている者から明らかにやる気のない様子の者まで様々だった。
 ともすれば不思議なその光景を見て、花子さんは「ああ」と納得した。彼女とて伊達に何年も学校妖怪しているわけではないのだ。
「体育祭のダンスの練習が気になるの?」
 振り返った花子さんに、てけてけはコクコクコクと激しく頷いた。
 恐らくここ十年以内にそうなったのだと思うが、ここ古霊北中体育祭の午後の部には応援合戦なる種目が存在する。
 他の団(この学校では三年生のクラスを基準に体育祭の団分けをするので、実質他クラス)の健闘を讃え合い最後まで戦い抜く意気込みを見せるという面目で、それぞれの団がダンスと組体操的パフォーマンスを披露するというものだ。
 これはイベント的に一番派手で盛り上がる要素である為、三年生たちは夏の間に徹底的に振付を覚え、休み明けすぐの体育祭に向けて後輩に教えられるようにしているのだった。
「三年なら受験勉強もしろよって思わんことも無いけど、……ま、中学の夏もこれで終わりだもんな。気持ちは分かる。気持ちは」
「うむ。泣こうが笑おうが死んでも生きても十代なんていまだけでござるし」
 闇子さんとたろさんはそれぞれうんうんと頷いた。他にも何人か頷いている裏生徒が居る。人型ですらない赤紙青紙も何やら神妙な様子でゆらゆら揺れている。
 魅玄だけがちょっと解せない様子でいた。
 そんな彼らの様子を一通り見てから、花子さんは何やら思いついた様子で手を叩いた。そうだわ、と。
「そうだわ。これだわ。こうして集まってもあまり目新しい話題のない閉塞した毎日の中で、私たちはきっとこういうのを望んでいたんだわ!」
 花子さんの表情がぱぁっと一層明るくなった。
 その表情を見上げ、魅玄はまた嫌な予感を感じていた。てけてけは笑っていた。ヨジババもニコニコしていた。
 その他はまた花子さんの思い付きが始まったなとざわつき始めた。

 古霊北中学校の花子さんは、単調に繰り返すなんでもない日々の中で、時々何かを思いつく。
 それはふらりと何処かへ旅に出る事だったり、自分に直接関係のない合唱バトルに裏生徒の観客を集めて合唱祭へと仕立て上げる事だったり、招かれざる客人と戯れる事だったりと様々で、時折大霊道絡みでこの北中の地を監視している【灯火】の者にお叱りを受けそうにもなるのだが――要はなんでもいいのだ。彼女の暇が潰せれば。
 果たしてこの日も花子さんは、この些細な会話のなかで良からぬことを思いついたのであった。
 両手を大きく左右に広げ、彼女はそれを高らかに宣言した。

「体育祭に参加しましょ!」

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