怪事捜話
第六談・古井戸の夢⑥

 場所は再び階段へと戻る。
「――よーっし、じゃあ嶽木! 鵺鳴峠及び他諸々の連中の監視頼んだ!」
「頼まれた!」
 遊嬉の頼みに応じて姿を見せた嶽木は、ノリノリで敬礼のポーズを取るなり階下に向かって消えていった。
 その一連の流れを見て、乙瓜はぼやいた。いいなあ、と。
「……いいなあ。火遠ウチのは何も頼まれてくれないのに」
 羨ましさと恨めしさ半々な調子で頬を膨らませる乙瓜を見て、遊嬉は思いっきり噴き出した。
「あっはははははは! ないないないない! あの火遠が誰かの使いっパシリ頼まれてくれるとか想像できないから! ないない!」
 絶対無い、あり得ない。そう連呼しながら壁をペチペチと叩きつける遊嬉。
 どうやら彼女の頭の中には素直に物事を頼まれる火遠の姿が想像されてしまったようで、それがツボに入ったらしい。
 尤も、眼前の乙瓜はそんな事知る由もない。突然秀逸な笑い話でも聞いたかのように腹を抱える遊嬉を見て、乙瓜は困惑していた。
(えっ……えっ? 俺、何か面白い事言ったか……?)
 自身が直前に放った言葉を冷静に思い返し、しかしやはり笑える要素なんて一ミリも無い事を再確認して。乙瓜はその頭上に特大のクエスチョンマークを浮かばせるのだった。
 そんな乙瓜を他所に、遊嬉はわざとらしく大きく息を吐くと、両の手をパチンと叩き合わせて顔を上げた。
「んじゃ、行こうか!」
「ふぇ、な、うぇあ!?」
 何事も無かったような態度で言い放つ遊嬉を見て、まず乙瓜の口から飛び出したのは、日本語ですらない意味不明な単語だった。
 だが遊嬉は目を白黒させる乙瓜など歯牙にも掛けず、一人納得した様子で階段を上りはじめた。
 そして数段上ったところで振り返り、キョトンとした様子で首を傾げた。
「ちょっとー、なーに立ち止ってんのさ。昼休み終わっちゃうよ?」
「……いや、いやいやいやまて、行くって何処にだよ!?」
「んー?」
 遊嬉は怪訝そうに眉をひそめ、一瞬考えるような表情になってから、やはり不可解そうな様子で言った。
「何処って……教室じゃん? 鵺鳴峠たちが放課後に動くなら、相談事は早い方がいいっしょ?」
「あ、ああ~……」
 思いの外合理的な答えを突き付けられ、乙瓜は気ぬけたような返事をしながら手を叩いた。成程そういう事か、と。
 そんな乙瓜を見て、遊嬉は再び足を動かした。
 乙瓜もまたそれにそれに続き、彼女の背中を追う。
 十二段で折り返し、踊り場を曲がって次の十二段を上りきる。
 そうして三階廊下に辿り着いた時、乙瓜は思い出したように言った。
「そういえば、遊嬉と嶽木はどんな風にコミュニケーション取ってるんだ?」
「うん? どんな風にとは?」
「いやその……なんていうか、さっきみたいに姿隠してたのが急に現れてー、みたいな時とか、どんな風に意志疎通図ってんのかとか、そんな感じの?」
 乙瓜の語るイメージは妙にフワフワしていたが、しかし遊嬉には伝わったらしい。
 彼女は「ああ、ああ」と頷くと、なんでもない調子で「別に普通のやり方だよ~」と答えた。
「用があるときに話しかけるだけ。うんにゃ、頭の中で思うだけの事もあるかな? だって、見えないだけでいつだって傍にいるのわかるもん。多分眞虚ちゃんとこもそんな感じだと思うけど、乙瓜ちゃんとこは違うのん?」
「ん……。違うというか、なんというか……」
 ――時々視界を覗かれている気がする・・・・・・・・・・・・・、と続けかけた言葉を、乙瓜は寸前で飲み込んだ。
 言ってどうなるというのか。
 そんな考えが一瞬脳裏を過り、代わりに口を突いて出たのは「いや、なんでもない」という言葉だった。
 なんでもないと口にしながら、乙瓜は内心妙な胸騒ぎを感じていた。
(……もしかして、俺だけか? イマイチ意志疎通取れてないのは……)
 そんな乙瓜の不安を知ってか知らずか、遊嬉は茶化すような調子で「わかった! 火遠と喧嘩でもしたんでしょ!?」などと問い詰めてくる。
「仲直りの秘訣は勇気を出して謝って、喧嘩の原因についてちゃあんと話し合う事だぞ」などと宣う彼女に対し、乙瓜は溜息交じりに頷いた。
 別に喧嘩したわけではないが、特に反論する気も起きないのが本音だった。それに、遊嬉のアドバイスもあながち間違いでもないと感じたのもある。
(そだな、まずはきっちり話し合って見ない事にはわからん……)
 思い、一旦目を瞑った乙瓜の頭の中には、以前――一年前に鏡の怪事に遭遇した時、確かに自分自身が言った言葉が蘇っていた。

 ――だが後で全部聞かせてもらうぞ、昔何があったのかとかキッチリとな! お前と縁を切るかどうかもそれから決める!

 そうだ、そうだった。忘れていた大事な事を思い出し、乙瓜は再び瞼を開いた。
「考えとく」
 小さく呟いたその言葉は、しかし遊嬉には届いていないだろう。その瞬間遊嬉が手に掛けた教室のドアの音が掻き消してしまったからだ。

 経年劣化のせいか建付けの悪いその引き戸はガタガタと不穏な音を鳴り響かせ、コンマ数秒の間を置いてガララと開け放たれる。
 扉の向こうに広がるのは二年一組教室。乙瓜と遊嬉のホームルーム。
 室内には曇天でも容赦ない気温と湿気が立ち込めており、カビとキノコにとっては天国のような環境なのだろうが、人間にとっては只々不快な空気が凝縮されていた。
 そんな有様だというのに教室の窓は一つも開いておらず、中に残る生徒たちは皆一様に極限状態の修行僧のような表情を浮かべている。
 この空気にやられたらしい。思えば、今遊嬉たちが開けるまで出入口の扉も締まっていたわけだから、室内の不快指数は相当なものである筈だ。
「な、何やってんの……」
 遊嬉は若干引き気味に呟いた。
 その呟きに一番入口側に居たクラスメートの女子・首型くびがた稚晴ちはるが反応し、若干だるそうな様子で答えた。
「なんかね、昼休み入ってからみんな眠気が酷いってんで……。眠らないように部屋を不快にしてるのさね……」
 そう答えながら、稚晴はふわぁーと大きな欠伸あくびをした。
 彼女の言う通り、確かに室内の大半の生徒が眠気を堪える様な姿に……見えない事も無い。
「い……いや、だからってここまでしなくてもいいじゃんよ?」
「いいや、ここまでしなきゃあ駄目だよ」
 呆れたように言う遊嬉を見て、稚晴は薄く笑った。
 笑ったのだが、その目はちっとも笑っていなかった。
「夜じゃなくてもいいんだ、眠ると絶対夢を見るんだ……。例の古井戸の夢……。授業中に居眠りでも見た子がいてさ、だから気を付けなよってこっちん・・・・が言ってた」
八尾やつおこっちゃん・・・・・が?」
 僅かに目の色を変えた遊嬉を見て、稚晴はにんまりと目を細めた。
「そう、こっちん。あの子二組のミルちゃんと同じくらい霊感あるらしーから、やばいよう、これ。やばいと思うよう。やばい。眠い。やばい」
 稚晴はどこか壊れた調子で「やばいやばい」と繰り返した後、狂ったようにケタケタと笑い出した。
 遊嬉はそんな彼女を見てはあと溜息を吐き、続いて教室内をぐるりと見渡した。
 教室内は相当キているらしく、稚晴と同じように不気味な笑いを漏らす者や、どうにかして寝まいとしているのか、数学の公式を念仏のように唱えている者がそこかしこに存在していた。
 その狂気の集団の中に杏虎と眞虚の姿がない事を確認し、遊嬉は無言で教室の扉を閉ざした。
「なんか、なんというか。……前から思ってたんだけど、この学校の人たちどうにも雰囲気に呑まれ易すぎる気がする。ちょっと大丈夫か」
 言って軽く頭を抑える遊嬉を見て、あまりのヤバい気配を前にずっと棒立ちしていた乙瓜は思った。……今更だろうと。
 と、思ったと同時。一つだけ気になることがあったことに思い至り、乙瓜は徐に口を開いた。
「ていうか、なんだよ。八尾のこっちゃんて、あの八尾だろ? 後ろの方の席の、いつも授業中にこっそり漫画描いてる人。霊感がどうとか言ってたけど、あの人どうかしたのか?」
 乙瓜の脳裏に浮かぶ、さほど親しくはないクラスメートの姿。
 人形のような白い肌と、対照的な黒髪。まるで美人画の中から抜け出してきたような線の細い少女で、壊れ物のような外見を映してか病弱で学校は休みがち。
 偶に学校に出て来たかと思えば、授業を聞いているフリをしながら漫画を描いているらしい、というのは後方の席になった者ならだれでも知っている事で。しかし良い家庭教師でもつけているのか、その成績は決して悪くないらしい。
 それが烏貝乙瓜の知るそのクラスメート・八尾ことの全てだった。
 霊感だのなんだのという話は、高確率でそう云った話を拾い上げそうな美術部であるにも関わらず聞いたことがない。
 まるでわけがわからない、と言った様子の乙瓜を見て、遊嬉は「ああ」と口を開いた。
「そうか、乙瓜ちゃんは知らないか」
 思い出したように呟いて、遊嬉は八尾異について話し始めた。。
「こっちゃんはねー、あたしら社祭第二小学校ニショー生の間では、そこそこ有名な霊感少女だったんだよ。ほら、古霊四大寺社とか三大神社とか言われてる夜都尾やつお神社ってあるじゃん。あそこを管理してる八尾家の本宅ほんたくの娘さんがこっちゃん」
「ああ、あの夜都尾稲荷の子だったのか。なるほど」
「そうそ。八尾はなんでか子供が多すぎて分家とかもはや神社と関係ない家とかいっぱいあるからわかりにくいけどね。でもあの子は本物だよ。占いっつうか予言っつうか、そういうのすごい当たるし、失くし物とか見つけるの得意だし。二小ニショーじゃあ、あの子の伝説・・なんて山ほど転がってるよ?」
 言って、遊嬉は意味ありげにニヤリと笑った。
「マジかよぱねえな。……ん、まてよ。だったら井戸の夢の呪いをどうしたらいいのかとか、八尾に聞けばいいんじゃないのか?」
 ふと妙案を思いついたように手を打つ乙瓜を見て、遊嬉は「駄目だめ」と首を振った。
「こっちゃんは駄目。多分もう早退してる」
 あの子意味ありげな事言った後は学校の途中だろうがふらっと帰っちゃうんだ。
 そう続けて、遊嬉は苦笑いをした。
「なんだそれ……自由すぎないか?」
「ほんっと。自由だよう、あの子は。……まあ、この次学校に来たとこ見かけたら話しかけてみ。存外いい子だからさ」
 遊嬉は八尾異に関する話題をそんなふうに切り上げると、「そんじゃあ次行こうぜ」と、二年二組へ向かって歩き出した。

 所変わって二組の教室。そこには一組のような地獄絵図はなく、普段通りいつも通りの(少しだけ様子のおかしい生徒はいるものの)平凡な光景が広がっていた。
 そんな教室の一角に、今日の日直なのか学級日誌を熱心に記入している深世の姿があった。
 深世は近づいてくる気配に気付いて顔を上げ、そこに遊嬉と乙瓜の姿を認めるなり、何かを諦めたような表情で溜息を吐いた。
 続き、ぶっきらぼうな口調で「なんか用?」と言い捨てる。
 遊嬉はそんな深世に臆面も無く近寄ると、わざとらしい仕草で辺りをきょろきょろと見回し、そして言った。
「あれ、魔鬼は?」
「開口一番言う事はそれか」
「だって魔鬼さがしてんだもん~。どこ行ったか知らねー?」
 悪びれもせず言い放った遊嬉を見て、深世は不機嫌そうに頬を膨らませた。
わたしゃ知らんよ。トイレにでも行ったんじゃないの?」
「そっかー。じゃあ杏虎と眞虚ちゃんは? 見なかった?」
「一組の事なんて益々知らん。……ていうか、どうせまたアレなんだろ。今流行りの井戸の夢がどうたらかんたらって話聞いて、それをどうにかする会議でも始めるつもりなんだろ? わかってんだからね」
「んー、まあ概ねその通りなんだけど、さ。ね、乙瓜ちゃん?」
「否定はしないぞ」
 コクリと頷く乙瓜を見て、深世は溜息交じりに「やっぱりな」と漏らした。
 そして学級日誌をパタリと閉じ、改めて二人に向き直った。
「……勘違いしないでよね、私は別に呪いが怖いから嘘を言ってるワケじゃない。日直の片方が逃げやがったから、ずっとここで学級日誌つけてただけだからね。怖いわけじゃないんだからね」
 深世は人差し指をピンと立て、怖いわけじゃないという事をやたらと強調した。
 要するに怖いのである。そもそも元来人一倍怖がりの深世が、話を聞いただけで伝染する(かもしれない)呪いが広まりつつあるこの状況下で何も感じないわけがなかったのだ。
 それを証明するかのように目尻に少しだけ涙を浮かべながら、深世は続けた。
「私は怖くないけど、なんでか不安に思ってる人がやたらと居るから、早いところ合流なり対策会議なりしてなんとかしてよね。私は怖くないけど、困ってるんだからね!」
「へいへい」
 遊嬉は苦笑いの表情を浮かべ、何気なく教室の壁時計に目を遣った。
 長針はもうすぐ二十分を指し示す頃で、昼休みの終わりまで幾許いくばくも無い事を告げている。
「……魔鬼戻って来ないねえ。どうしよっかなー」
 遊嬉は半分自問するかのような口調でそう漏らし、乙瓜を振り返った。
 当然の如く自分に話を振られたと思った乙瓜は、数秒考えた後に閃いたように手を叩いた。
「伝言しとけばいいんじゃね」
「なるほど」
 遊嬉もまた手を叩くと、上機嫌な顔で深世に向き直った。
「そゆわけだから、深世さん魔鬼に伝言よろしく」
「おい待ておかしいだろ」
「おかしかないよー、同じクラスだろー? 放課後までにうちらンとこまで顔出してくれるように言ってくれるだけでいーからさー」
 お願いね、と手を摺り合わせ、遊嬉は風のように二組教室から去って行った。
 乙瓜もまた「じゃあ、そゆことで」と手を振りながら廊下へと消えて行く。
 ほどなくして流れ出した昼休み終了のチャイムを聞きながら、深世はゆっくりと席から立ち上がった。
「あいつら毎日毎日楽しそーで何よりだよ……」
 皮肉めいた独り言を呟きながら、深世は魔鬼に伝える内容を頭の中に刻み込んだ。……と、その時だった。

 どこかから――三階の二年二組教室からそう離れていないどこかから。何か重たい物が崩れるような、決して小さくない音が響き。そして。
「きゃああああああ!」と。耳をつんざくような絶叫が、学校中に響き渡ったのは。

HOME