怪事捜話
第五談・壺とお札と壊れた家⑦

「それにしても久しぶりじゃないのー。この間ぶり?」
 狩口は世間話の延長のような調子でそう言うと、美術部の方へと歩み寄った。
 彼女の云う所の「この間」とは、それこそ先月のひきこさん事件の事に他ならない。
 彼女の親類であるひきこさん……森谷燈見子が暴走の末に引き起こしてしまった凄惨な事件――。
 だが、今の狩口はそんな事件の陰など微塵も感じさせない朗らかな様子であり、ラフなTシャツとジーンズ姿で、いかにも主婦(狩口は主婦でもある)といった出で立ちだ。
「……狩口さん、なんでここに?」
 乙瓜は不思議そうに小首をかしげた。狩口の住む住宅街と神池小学校周辺は、町内とはいえそれなりに距離が離れている。
 狩口の自宅周辺にもコンビニくらいあるだろうに、わざわざこの辺りのコンビニに立ち寄るのは、いくらか不自然だと、そう思ったからである。
 訝しむような視線を受けて、しかし狩口はさもおかしそうに笑った。
「やーねえ、主婦が買い物してて何がおかしいのよぅ」
 彼女はそう言うと、バッグの中から何かを取り出した。外気に触れて幽かにクシャリと音を立てたそれは、どうやら薄い紙のようで、そして何かの台紙であるらしかった。
 狩口はそれを得意そうな仕草でマスクの前にかざすと、目を細めてこう言った。
「集めてるのよ、『パン祭り』」
 狩口の言う『パン祭り』とは、某社のパンを買うとついてくるシールを集めるもので、既定の枚数を揃えて応募するともれなく何か景品が貰えるというキャンペーンのものだった。
 そして彼女の掲げる台紙は既に三分の二以上がシールで埋まっており、残り数枚でコンプリートできるところまで来ていた。
 話を聞くに、どうやら狩口は数日かけて町内のスーパーやコンビニをゆっくりと梯子し、各店から数個ずつパンを買い集めていたらしい。
「なんでそんな回りくどいことを……」
「だって、買い占めとか大人げないじゃないのー。それに、主婦友の間でがっついてるとか思われたら嫌じゃない?」
 顔をしかめる乙瓜に対し、狩口はケロリとそう言ってのけた。
(いや、買い占めなくてもこの人よくパンばっかり買ってくなあって思われてるんじゃないのかな……)
 話を傍から聞いていただけの魔鬼はそう思った。一方乙瓜は「主婦友いたんだ……」と、ちょっぴり失礼なことを考えていた。
 その間眞虚や杏虎が先日の件について二三やり取りし、続いて遊嬉が「何かおごってくださいよー」などと軽口を言ったりする。
 案の定狩口がやや困った表情を見せた、その時だった。

「えっと、あの! 先輩の知り合いの狩口さんという事はっ! あなたがあの小説家の狩口梢先生なんですかっ!?」
 突として上がった大きな、そして緊張したように裏返った声に、皆一斉に振り返る。
 そこには先ほどまで全く蚊帳の外だった寅譜が、顔を真っ赤に染めて立っていた。
 前方に一歩踏み出した体勢で拳をきつく握りしめた体勢の彼女は、一斉に自分に向かう視線に一瞬怯むように体を震わせたものの、すぐに己のバッグを漁るなり、一冊の本を取り出した。
 携帯するにはいくらか嵩張るだろうハードカバーのその本には、表紙と背表紙にしっかりと『狩口梢』の名前が印字されている。
 その本と、寅譜の態度を見てその場にいた全員が察した。寅譜は狩口のファンだったのだ。
 先のひきこさん事件の顛末を美術室で聞いていた彼女は、「狩口」と呼ばれ二年先輩と親しげに話す女性を見てすぐさま憧れの作家であると気付いたのだろう。
「あの、さ、サインおねがいします!」
 案の定な台詞を口にし、腰を直角に曲げて捧げるように本を突き出す彼女に、狩口は一瞬驚いたような表情を見せるが、やはりそこは曲がりなりにもプロと言うべきか。常備しているのだろうか、即座にカバンの中からサインペンを取り出すと、にこやかな笑顔でそれに応じた。
 普段の儚げな様子とはうってかわり、満面の笑みを浮かべる寅譜を見て、魔鬼は納得した。
 寅譜結美という少女が、何故こんな・・・部活に入部しようと思ったのか。その理由を、今更。彼女も同じ穴のむじなだったのだ。
(あの真面目そうな寅譜さんまでそうだったとは……。美術部はいつからオカルト愛好者の受け皿になってしまったのだろうか)
 何故。魔鬼はそう考えかけて、しかしすぐにそれは他ならぬ自分たち世代の仕業であること思い至り、それ以上追及するのを止めた。
 眼前には感涙しながら狩口と固く握手を交わす寅譜の姿がある。「ありがとうございます! 一生大事にします!」と、幸せそうな彼女を見て、魔鬼は思わずこう漏らした。
「私たち何しにきたんだっけ……」
 何とも身も蓋もないその台詞を吐いた瞬間、彼女の背後から悲鳴にも似た声が上がった。「何言ってるんですか!?」と。

「なっ、何言ってるんですか! 雛崎さんですよ雛崎さん! 先輩達、雛崎さんの事をどうにかしに来たんじゃなかったんですか!?」
 そう叫んだのは明菜だった。
 実のところ、彼女は狩口が現れて話が脱線し始めたあたりから、ずっと何か言いたげにうずうずしていたのだが、此処に来ていい加減堪忍袋の緒が切れたようだった。
 寅譜と同じく滅多に大声を出すようなタイプでない明菜の叫びに、すっかり本筋を見失っていた美術部員たちはビクリと肩を震わせ、一瞬後には各々あらぬ方向に視線をやるのだった。
 ――やばい。そんな各人の心の声が聞こえてきそうなこの場において、狩口ただ一人だけがキョトンとしている。
 彼女は何が何やらといった様子で目をパチクリと瞬かせ、少し考え込むように顎に手を遣った後、明菜の方へと視線を向けた。
「まって。……雛崎さんって、あの雛崎さん?」
「……知っているんですか?」
 驚きの声を上げる明菜に狩口は頷き、「私が間違ってなければ、だけど」と、前置きしてから続けた。
「この辺で雛崎さんっていったら、あの雛崎さんでしょ……? あまり声を大きくして言えないけど――」
 そこまで言って狩口は声の調子を落とし、周囲に一瞬目を遣ってからこう言った。

「あの、おフダの家の」



 どうやら雛崎家の顛末は近隣の主婦の間でもかなりの噂になっているようで、主婦友から主婦友へ伝播し、この近辺の住人ではない狩口の耳にも届いているようだった。
 美術部達の云う所の『雛崎家』が、かの有名な『お札の家』だと知った狩口は、すっかり興味津々の様子で「私もお札の家を見てみたい!」と、なんとも不謹慎極まりない事を主張し出し、大の大人が中学生を促して行こう行こうと騒ぎだした。当初の目的である筈の『パン祭り』の事などは、すっかり頭にない様子である。
「いや、私たち狩口さんと違ってゴシップ気分でやってるわけじゃないんだけど……」
 怪事を解決する途中なんだけど、とすっかり呆れた様子の魔鬼の左肩を、誰かがポンと叩いた。
 その誰かは魔鬼が振り向くより早く「まあまあ」と言葉を紡ぐ。それは遊嬉の声だった。
「いいじゃんいいじゃん。あたしらもここでいつまでもハムむしててもどうにもなんねーし、引き下がったところで雛崎が嘘認めるとは限んねーし、いっちょやっこさんがうんざりするまで押してみるのもテかもしんないぜー? っていう?」
「っていう? ……とか言われてもなぁ」
 魔鬼は愚痴っぽく零しながら、僅かに左後方へと振り返った。
 その視線の先には、案の定。むくれ顔の彼女とは対照的に、ニヤリと笑う遊嬉が居た。
 その如何にも不敵な笑みを見て、魔鬼はケッとわざとらしく口を尖らせた。
「遊嬉さ、なんか最近火遠の奴に言動が似てきてんじゃないか?」
「ええ? どこがさー? あたし前からこんなだし、せんせ・・・の契約相手は乙瓜じゃんよう? 嶽木に似てきたってんなら、まだわかるんだけどなー?」
 言ってケラケラと笑う遊嬉を見て、魔鬼は深い溜息を吐いた。
(やっぱり、その妙な笑いが激似だと思うんだけどなあ……)
 不安がる魔鬼を他所に、遊嬉はなんでもない調子で話を戻した。
「まあ、そんなことは置いといて、とりあえず雛崎家に行ってみよーぜい」
「そー簡単にに言うけどー。どうせまた入れてくんないぞ……?」
「入れてくれないなら押し入ればいいんさね。……それに、どうせ」
「……?」
 思わせぶりに言葉を切った遊嬉を、魔鬼はまじまじと見つめた。
 遊嬉は、顔・身体こそ魔鬼の方向へと向けていたが、その視線は魔鬼を通り越してどこか別の場所に向けられているようだった。
 その顔面からは先程までの不敵な笑みは消え失せており、代わりにまるで授業中のように真面目な、それでいてえらく神妙な表情が張り付いている。
 そんな、少し異様な状態の遊嬉につられるようにして、魔鬼は彼女の視線の先を辿る。
 振り返った彼女の視線の先には、何やら二人だけで話し合っている眞虚と杏虎の姿があった。
「あの二人が何か?」
 訳が分からず首を傾げた魔鬼の背後で、遊嬉が小さく息を吸う音がした。
 それは紛れもなく何か言葉を発しようとする気配だった。しかし、次の瞬間彼女が紡いだ――否、紡ぐ筈だった言葉を魔鬼が聞くことはなかった。
 何故なら、その瞬間。

「行ってもいいのね!? 連れてってくれるのね!? 早速行きましょう! 行きましょう!」

 そんな、歓声にも似た狩口の声が。遊嬉の言葉を見事に遮ってしまったから。
 続き、「はいはいわかったわかった」と、乙瓜の呆れた声がする。明菜のものらしき溜息も聞こえる。
 複数の足音が動き、自転車が軽く振動した時のベル音と、スタンドを上げる音がゴトゴトと聞こえる。
「魔鬼ちゃん、置いていくよ?」
 眞虚の声に、魔鬼はハッとした。
 見ると、狩口の車の助手席に眞虚が乗り、今まさにコンビニの駐車場を出ようとウィンカーを出している所だった。
 他の部員たちは各々自転車で出発してしまった様子で、先程まで背後にいたはずの遊嬉もまた、ヘルメットを装着し、自転車のスタンドを蹴り上げた所だ。
「どうした、追いてっちゃうぞー」
 遊嬉はそう言って、わざとらしくチャリンチャリンとベルを鳴らして魔鬼の横を通り抜け行く。
 同時に狩口の車が出発し、遠ざかる車から「急いでねー」という眞虚の声が、小さく聞こえた。
 すっかり静まり返った周囲に、自分が思っていたより長い間呆然としていたことに気付いた魔鬼は、急いで自転車へと跨り、今度は誰の先導なくても知っている雛崎家へ向けてペダルを漕いだ。

 焦る気持ちで自転車を速く速く走らせながら、魔鬼は遊嬉が確かに言った筈の言葉について思考を巡らせていた。
(一体、何を言おうとしてたんだろ……)
 恐らくきっと、それが今回の面倒臭い怪事を解決する糸口であり、彼女には――否、彼女達には、もう何をどうしたらいいのか、大凡の答えが見えているのだろう。

 ――如何にして雛崎燿子に嘘を撤回させるか。
 ――説得できなかった場合はどうしたらいいのか。
 そういったものが、ぼんやりとだが。遊嬉や杏虎、眞虚たちにはわかりかけている。

「ずるいなあ、やっぱりずるいなあ!」
 魔鬼がそんな独り言を吐いたのは、やはり矜持からだろうか。かの三人よりも、長く怪事に関わっているというプライド。無意識下で芽生えたライバル意識。そんな思いを、誰にも聞かれぬようにこっそりと吐き出して魔鬼は行く。

一度追い帰された雛崎家へと。嘘の噂と本当の噂、双つの噂の中心にある、お札の家へと。

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