怪事捜話
第五談・壺とお札と壊れた家⑥

 寅譜の案内により無事雛崎家に辿り着いた美術部だったが、彼女らが雛崎に歓迎されることはなかった。
 ……当然と言えば当然の事であるのだが。
 何回目かのチャイムで漸く開いたドアにはチェーンがかかったままで、あからさまに拒絶されている状態。
 僅かな開閉域からは忌々しげな視線を向ける雛崎が覗いており、その奥に続くであろう家中の様子はほとんど見えない。
 外側から見えている窓と言う窓にもレースのカーテンが引かれているようで、果たして家の中が本当に噂通りの状態なのか、美術部たちにはそれを確認することが出来なかった。
「……何の用ですか?」
 各々様子を窺うように視線を動かす美術部員に対し、雛崎は眉をひそめてそう言った。
 態度といい口調といい、彼女が「早く帰れ」と思っていることは誰の目からしても明白だった。
 乙瓜はそれを見て小さく舌打ちし、僅かに眼光を険しくするが、魔鬼はそんな乙瓜を手で制すと、毅然とした様子で口を開いた。
「雛崎さん。ここの所私たち美術部に、の投書をしてるよね?」
「はあ、投書ですか。何の事です?」
「……別にしらを切って貰っても構わないよ。別に私たちはそれを咎めに来たわけじゃないから」
 魔鬼はとぼけて見せる雛崎に一つ溜息を吐くが、「けれど」と続けた。
「けれど、……だけどね。そういった嘘を吐き続けると、今に良くない事が起こるよ。だから――」
「だからこのお守りを買え、とでも言うのですか?」
 だから早めに嘘を撤回しろ、と繋げようとした魔鬼の言葉に、雛崎の言葉が重なった。
 発言をさえぎられて少しムッとした顔になる魔鬼の目の前には、もはや嫌悪を通り越して憎悪の表情を浮かべる雛崎の顔があった。
「ご心配ありがとうございます。けれど家にはお守りも、ありがたい像も壺も、もう溢れるほど・・・・・ありますので。もう何も要らないです。帰ってください」
 雛崎は殆ど一息且つ早口にそう言い捨てると、汚物でも見るような視線を向けたままドアを閉めた。
 一瞬遅れ魔鬼が地雷を踏んだと気付いた時にはもう手遅れ、閉ざされた扉の向こうからは小さな金属音――施錠の音が聞こえてくる。
「……やべ」
 小さく呟きながら、魔鬼は迂闊な発言を後悔した。
「今によくない事が起こるよ」だなんて、雛崎がオカルトを憎むきっかけとなった新興宗教のやり口そのままである。
 他の誰かならまだしも雛崎燿子を説得しようと言うこの局面で、これほど不適切な表現はない。
 明らかにやらかした・・・・・魔鬼に対し、背後で黙っていた仲間内から落胆の溜息が上がる。
 魔鬼はその状態に焦ったのか、既に固く閉じられた雛崎家の扉を叩き出した。
「ちょっ……雛崎さん違うんだってば、聞いてよ!」
 施錠音の後に足音らしい足音はしていない。恐らく雛崎はまだ扉のすぐ向こうに居る筈だ。
 そう信じて一心に扉を叩く魔鬼の手を、彼女の背後から伸びる誰かの手が止めた。それは乙瓜の手だった。
「やめとけ、それ以上やっても余計に出てこなくなるだけだ」
「で、でもっ、私のせいで余計に――」
「あの様子じゃ、別に誰がなんて言っても拒絶されただろうよ」
 乙瓜は魔鬼の言葉を遮って首を横に振り、雛崎家の扉に背を向けた。
 魔鬼もそれにならって振り返る。
 彼女らの向き直った視線の先には遊嬉と杏虎だけがいて、先程までいた筈の眞虚、明菜、寅譜の姿は無い。
 だが乙瓜の興味はいなくなった三人の行方よりも、視界内にある遊嬉と杏虎の奇行・・に向かった。
 それというのも、遊嬉と杏虎はどこから持ってきたのか白いチョークを使い、あろうことか雛崎家のブロック塀に落書きをしていたのである。
「……落書きは軽犯罪だぞ」
「じゃあバレなきゃ完全犯罪だねー」
 呆れたように眉間を抑える乙瓜に目を遣り、遊嬉は悪びれる様子もなくそう答えた。
 杏子に至っては顔を上げるどころか手を止める素振りすら見せず、黙々と作業を続けている。
「やたら静かだと思ったらずっとそんなことしてたのかよ……」
 益々呆れ気味に問う乙瓜に、遊嬉は「まあね」答えた。
「ずっとじゃないけど、途中からずっと」
「それをずっとって言うんだよ……」
 乙瓜は渋い顔をすると彼女らの方へ数歩進んで立ち止り、まだ思い残すことがあるように玄関前から動かない魔鬼を見た。
「魔鬼」
「ん……」
 小さく頷くと、魔鬼は渋々扉を離れた。
 やはり数歩進んでからチラリと振り返った家の中で、見計らっていたかのように小さな足音が廊下を行く音がする。
 やはり雛崎は扉一枚隔てた向こうに居て、ずっと息を殺していたのだ。
 それを知った魔鬼は、呆れると同時になんだか悲しい気持ちになり、やがてそれは溜息となって口から漏れだした。
(乙瓜も言ってたけど、あんな拒絶マックス状態からどうやって説得したらいいんだよ。……いや、別に個人的にはあんな子どーなったっていいけど、放っておいたら放っておいたで本当に良くないしなあ。どうしたもんか)

 魔鬼がはぁと悩む一方で、乙瓜は遊嬉たちに問い質していた。
「で、その変梃へんてこに呪術的な落書きは何なんだ一体」
「ああこれね」
 遊嬉はにぃと意味深に笑うと、乙瓜にもっと顔を近づけるようにと手招きし、内緒話するように囁いた。

「第一次防衛線」



 やがて美術部員たちは雛崎家から撤収していった。途中で姿を消していた三人も、いつの間にか合流していた。
 あの後二階の窓からこっそり玄関先を観察していた雛崎は、押しかけて来た部員全員の姿が道の向こうへ消えた事を確認し、やっと安堵の息を吐いた。
(……それにしてもいきなり押しかけてくるなんて。何考えてるんだろうあいつら)
 雛崎は先刻の出来事を思い返す。
 何処の部活にも所属せず、今日もまた逃げるように家へ帰り着いた彼女の元に美術部員たちが押しかけて来たのが、つい十分ほど前の事。
 ドアスコープ越しに七人もの部員が玄関前に立つ様を見たとき、雛崎は内心ヒヤリとしていた。
 これまでの嫌がらせに遂に業を煮やし、集団で殴り込みにでも来たのではないかと思ったからである。
 相手は美術部のひ弱な女子ばかりとはいえ、雛崎もまたひ弱な女子の一人であり、格闘技の心得もない。七対一ではまず勝ち目はないだろう。そう思ったからである。
 しかし。いざ勇気を出して応対してみた雛崎は、別の意味でヒヤリとした。
 それはやはり、魔鬼の言い放った一言が雛崎の中の忌々しい記憶――父が騙され貢がされた新興宗教の霊感商法とダブったからである。
『良くないことが起こるよ』
 たった一つの言葉はねじれ伝わり、雛崎は美術部を強く拒絶した。
(同年代だから少しは違うかと思ったけれど、所詮ペテンはペテン……どいつもこいつもやり口は一緒じゃないか。なんなの、本当に何なの……)
 ぐるぐる、ぐるぐると。頭の中で嫌悪の感情を渦巻かせ、強く強く練り上げながら、雛崎は廊下の窓辺に腰を落とした。
 その耳に、ぽたりと。小さく、しかし確かな音が入ってくる。
 それは水の音。風呂場の緩んだ蛇口から滴る雫のような水の音。
「――夕立?」
 くたびれたような声でそう呟く雛崎は、それを咄嗟に雨の音だと思った。それと同時、ぽつ、ぽつと新しく二三の水音が立つ。
「洗濯物、あったっけ……」
 雛崎はのそりと立ち上がり、そのまま急ぐ様子もなくのろのろと廊下を進んだ。
 その表情は魂が抜けてしまったように虚ろで、とてもではないが普通の様子ではなかった。
 しかしこの家には、彼女の異変に気付くような者は一人も存在していない。離散したこの家には、そんな気の利いた人間は誰一人として存在していないのだ。

 立ち上がった雛崎の背後にある窓には、雲一つない美しい夕空が映し出されていた。



 一方、雛崎家から撤退し、各々の帰路に就いたかと思われた美術部員たちは、来る道の途中にあったコンビニの駐車場にたむろしていた。
 空はやや薄暗くなってきたとはいえ、まだ部活も終わっていないこの時間帯。自転車を六台並べて駐車場に立つ彼女らの姿は、誰がどう見ても不良学生のそれだった。
 こんな場面が教師に見つかった日には、まず間違いなく大目玉を食らうだろう。
「さぁて、こっからどうすっかねー」
 コンビニの壁に寄り掛かる遊嬉は、やや投げやり気味にそうぬかすと、買ってきたロースハムを口中に放り込んだ。
 買い食いである。
彼女らはまだ部活中の扱いで帰宅もしていないので、立派な校則違反である。
 しかし遊嬉はそんな事知ったことかと言わんばかりの顔でハムを食み、口をもごもごとさせながら「んまいねー」と親指を立てている。
「深世さんが知ったら怒るぞ、そういう行儀の悪いことするなーっ! って……」
「今居ないから無問題もーまんたい、もーまんたい。まーまーまー。乙瓜ちゃんもエネルギーを補給しなさい。ほれ」
「……たかが五枚のロースハムで補給できるようなエネルギーなんてあるのか?」
「それはしらない」
 遊嬉はそう言うと、先程乙瓜に差し出しかけたハムを齧った。
 実はそれが遊嬉の買ったパックの最後のハムであり、結局五枚のハムは全て遊嬉の胃の中へと消えていった。
「結局くれる気ないんかい。……ていうか栄養補給とかならアレとかあるだろ、ほら、ゼリーのアレとか」
 アレと言いながら乙瓜はコンビニの中を親指で指し示した。
 そこには所謂栄養ドリンクのコーナーがあり、栄養補給系のゼリー飲料もいくらか取り揃えてある。乙瓜はそれを買えばよかったのではないかと言いたいのだろう。
 しかしそんな乙瓜の様子を見た遊嬉は、物知り顔で「わかってないなあ」と呟くと、人差し指をチッチと振って見せた。
「なんでもかんでもああいうので補給できると思ってたらいずれ痛い目にあいますぞ。ちゃんとご飯食って野菜食って肉食わないと――」
「肉って……ハムじゃん。ハムだけじゃん。偏ってんじゃん」
「ぬぬぬ……」
 乙瓜による迅速且つ冷静なツッコミを受け、遊嬉はぷうと頬を膨らませた。
 そして「べっつにいいじゃんかー! 気分的にハムをつまみたかったんだよー!」とわめきながら、コンビニの袋をクシャクシャと丸めだしたのだった。
 そんな遊嬉を見て呆れる乙瓜のすぐ隣では、考え事をするような顔の杏虎がコンクリートの地面に腰を落としていた。
 およそ淑女とはかけ離れた大股開きで座る彼女は、どこからか拾ってきた木の枝で地面をグルグルと撫でながら、何やら深刻そうにうんうんと唸っていた。
「要するにさぁ、最悪説得できなくても、なんかアレ的ななんかアレで、嘘を撤回させられれば全部すりっと解決するワケじゃんよー」
「そうなるねえ……兎に角アレ的な……アレを……」
「いやいやいや、そんなフワフワした物言いで通じてるのか!?」
 しみじみと頷く眞虚に対して魔鬼はツッコミを入れるが、杏子と眞虚は本当にそれで意志疎通が出来ているらしく、両名から「少し黙ってて」と冷たい反応を貰ってしまった。
「アレ的なアレってなんだよ……」
 ふてくされたように一人呟きながら、魔鬼は考える。一体彼女たち・・・・は何を考えているのか、と。
 どうやら魔鬼が雛崎との交渉失敗で落ち込んでいる間、遊嬉・杏虎・眞虚の三人は次なる策を編み出し、実行に移そうとしているようである。
 それが何なのか訪ねてみても、彼女らは「もっと纏まるまで」と言って教えてくれないので、魔鬼の気持ちは酷くもやもやしていた。
 唯一、同じく作戦内容を伏せられている乙瓜がほんのり教えられた話に依るならば、あの時杏虎と遊嬉がブロック塀に描いていた落書きは霊的防御の紋様で、発案は意外にも眞虚だと云う。
 どうやら眞虚は自身の契約妖怪である水祢から少し前に聞き出した呪術知識を元に、雛崎家に簡易的な結界を貼ろうとしているらしい。
 紋様なのは一家離散の経緯から護符の類に過敏な雛崎に配慮してのことで、あの時眞虚と後輩たちの姿がなかったのは、裏口側にも同様の作業をしていたから、とのこと。それ以上の事は乙瓜も知らないようだった。
(与えられた情報はそれだけなんだよなぁ。それ以上は、何も――何も?)
 そこまで考え、魔鬼は雛崎家から一旦撤退する際に眞虚が言っていた言葉をふと思い出した。

『雛崎さんが嘘を認めてしまえば、雑霊達は折角手に入れた姿形を失ってしまうんだよね? だけど雑霊たちは失いたくない。……だったら――』

 ――嘘を撤回できる存在さえ消えてしまえば、雑霊達は本物の存在・・・・・になれる。
 なんで結界なんか、と問う魔鬼に対して、眞虚は確かにこう答えたのだった。
(要するに、このままだと雛崎さんは自分で練りに練った嘘の怪事に殺される、ないしそれに等しいことをされる可能性があわけだ。だけど雛崎さんは私たちを拒絶してるから、何かあっても守るのは難しい……と)
 どうしたものかと表情を険しくした魔鬼は、腕組みしながら杏虎と同じように唸り始めた。
 見渡してみれば、乙瓜も、遊嬉も、杏虎も、眞虚も、皆銘々に何やら考えあぐねている様子である。
 そんな先輩達を前に、しかし何の力もなければ策も浮かばない明菜と寅譜の後輩組二人は、ジュースを飲みながら黙って見守っていることしか出来なかった。
「……寅譜さん。どうなっちゃうんだろうね、これ」
 明菜が隣の寅譜にそう囁きかけた、丁度その時だった。

「あらぁ。なんだか不良がいっぱいいると思ったら美術部の面々じゃないのー。おーい」

 夕暮れの駐車場にやけに明るく響く声に、俯いていた二年生たちが一斉に顔を上げる。明菜たち一年もやや遅れて振り返る。
 七人分の視線が一斉に向かう先には、黒の軽乗用車。そして今しがた運転席から降り立ったばかりと思われる、一人の女性の姿があった。
 スギ花粉の舞う季節は過ぎたというのにやけに大きなマスクをつけ、美術部に向かって臆面もなく手を振るその女性の顔に、二年部員は皆見覚えがあった。乙瓜などは思わず「あっ」と叫びそうになった程である。
 ただ二人置き去りにされたような気分の一年部員たちが各々首を傾げる中、その女性は目だけでにこりと笑うのだった。

 彼女の名は狩口梢。古霊町在住の主婦にして、知る人ぞ知る"怪談小説家"。
 ――そして。先の"ひきこさん事件"の関係者であり、現代に生きる都市伝説・"口裂け女"その人である。

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