怪事捜話
第四談・現代奇談ナイトメア①

 都市伝説。それは人々の間で実しやかに囁かれる物語。
 例えば、あの多忙な著名人は実は複数存在するとか。
 或いは、あの建物は有事の際に核シェルターとなるように設計されているとか。
 他にも未確認生物の噂、就職のジンクス、宇宙開発陰謀論など枚挙に暇がないが、それらの多くは誰かの流したデマや誤解、ジョークや風刺等が元である。
 ……尤も、どこまでが嘘でどこまでが本当なのかなんて、真の当事者以外には知る由も無いのだが。
 そんな都市伝説の中にも、ホラー仕立ての物語がある。
 口裂け女、メリーさん、ひきこさん等に代表される怪人物の物語がそれだ。時に怪物や怨霊のように描かれるそれらは、一時期単なる噂の域を超えて日本中の子どもたちを戦慄せしめた。
 ――それはまるで、悪夢のように。


 その噂が美術部の元へ飛び込んできたのは、五月も下旬を迎えた水曜日の事だった。
 雲一つない五月晴れ、穏やかで爽やかな午後の陽気にそぐわず、噂の内容は例よって怪談話。それも都市伝説的なものであった。

『日の沈んだ夜遅く、或いは雨の日の午後。一人で人気のない道を歩いていると、ひきこさんに遭遇する』
『ひきこさんに見つかるとどこまでも引き摺られる。実害も出ている』

 主として近隣の小学生を中心に広まっているというその噂は、兄弟姉妹のネットワークを伝って即座に古霊北中へと流れ込んできた。
 昨年の「校庭追走者事件」から細々と美術部宛てのポストと化していた相談箱は即満杯。それどころか直接部員達に「なんとかして」と頼み込んでくる輩も出る始末。
 方々からの熱視線を受け、美術部は噂解決に向けて動かざるを得ない状況となったのである。

「……にしても、この量はねぇ」
 いつもの放課後、活動拠点たる美術室。教卓に肘を立てて寄りかかりながら、魔鬼はあからさまに嫌そうな顔をしていた。
 その視線の先、作業机の上には学校中から届けられた手紙の山が散乱している。その量は昨年冬の比ではなく、小型ポスト大の相談箱二基のキャパシティを明らかにオーバーしていた。
 勿論、これらは相談箱だけに収まっていた手紙ではない。半分ほどは美術部二年各人の下駄箱の中にラブレターの如く押し込まれていたものである。
 陳情にしたって限度があるだろうと、魔鬼をはじめ美術部の面々はほとほと呆れかえっていた。
「どうせ同じ事しか書いてないなら二、三枚で事足りるじゃないか。選挙じゃないんだから沢山出せばいいってわけじゃないじゃんか、もう」
 深世は頬を膨らませながら一枚一枚手動式のシュレッダーにかけていく。
 何だかんだで逐一中身を確認してから処分するあたり几帳面といえば几帳面なのだが、まだまだ手紙は山積みだ。ゴミ箱が満杯になるのと深世が疲れ果てるのとどちらが先だろうと考えながら、魔鬼は開いた手で意味も無くペンを回した。
「にしても”ひきこさん”かぁ」
 頭の後ろで手を組みながら遊嬉が言う。
「一時期から怪談とか都市伝説とか、世間的にはすっかり下火になったものだとばかり思ってたのに、まっさか今頃になって出てくるとはねー? ……ね?」
「いや、『ねっ』って何だ『ねっ』て」
 急に同意を取るように視線を向けられ、深世は眉間にあからさまにしわを寄せた。
 そんな話を振られたって、元々オカルト屋でもなんでもない深世からすれば至極どうでもいい事で、何ともコメントしようがなかった。
「……困るんですけど」
 他人行儀に呟いて、深世は手紙の処分作業を続けた。
 遊嬉はつれないなぁと呟きながら、ふんぞり返るように上体を後ろに反らした。背もたれの無い作業椅子の上、中々に無理のある姿勢だったが、そのまま倒れて行かない辺りを見るに、腹筋はかなり強そうである。
 そんな遊嬉の後方の机の上にはずっと杏虎が寝そべって皆の様子を黙って見ていたのだが、その時になって初めて口を開いた。
「ところでひきこさんてどんなだっけ」
「は?」
 その言葉に、遊嬉は信じられないとでも言いたげな顔で杏虎を振り返った。
「……いや、いやいや。何急に真顔になってどうしたのさ」
 流石に少し焦ったような杏虎に対し、遊嬉はヌッと顔を近づけた。鼻がぶつかりそうなくらいの至近距離。思わず頭を後ろへ引く杏虎の肩を遊嬉ががしっと掴む。そして一言。
「それマジで言ってんの?」
 静かな声でそう言った遊嬉の目はカッと見開かれている。彼女は食い入るような眼光を杏虎に向けたまま、声のトーンを変えずにもう一度言った。
「美術部としてそれマジで言ってんの?」
「え、いや、マジって、何急に」
「そうか、マジか。ならしかたないねぇ」
 遊嬉は両肩を捉えた手から力を抜き、何故か労うように杏虎の肩をぽんと叩いた。
 ますます意味が分からず首を傾げる杏虎に、遊嬉は悪戯を思いついた子供のような笑みを向けた。
「いやー、この間は知らない内に退魔宝具を手に入れてやがったり鵺とか勝手に倒しやがったりして非常に焦ったけどぉ? チミもまだオカルト道的には初心者とつまりそういうわけですなぁ。うぇっへっへっへ」
 すっくと立ち上がり、物理的にも態度的にも上から目線な口調で杏虎に告げる遊嬉は、やはりこの間の件を根に持っていたようだった。

 この間の――ゴールデンウィーク明けの鵺侵入事件。
 護符の異変を察知し、校内に散っていた乙瓜、魔鬼、遊嬉、眞虚の四人が図書室に集結した時には既に全ての片がついていて、彼女らが見たのは教室中央で息絶えた鵺の死骸と弓を持った杏虎の姿だった。
 雨月張弓。遊嬉の崩魔刀に次ぐ新たな退魔宝具。それを携えて怪異の死骸を見下ろす杏虎を目撃した後、遊嬉は荒れに荒れた。
「久々だと思ってたのにやること何もなかったじゃないか!」と、小さな子供みたいに駄々を捏ねて周囲を困らせた遊嬉は、彼女なりに悔しかったのだろう。「何かあったら自分が何とかする」と約束した相手が自力で怪事を何とかしてしまったという事が。
 勿論、遊嬉とて共に戦う仲間が増えて嬉しくなかったわけでは無いのだが、それは同時にライバルが増えるという事でもある。眞虚が参入した事も含め、これで美術部内の対怪事勢力は五人。
 先達の魔鬼や乙瓜ならまだしも後続の杏虎に先を越されたという事実が、遊嬉の中に妙な対抗心を芽生えさせてしまったようであり。仲違いしたというわけではないが、ここ二週間近くの間、遊嬉と杏虎の関係はほんの少しぎこちないものとなっていた。……一方的にだが。
 実際対抗心を抱いているのは遊嬉だけで、杏虎としては別に遊嬉やその他部員に対抗しようという気持ちはない。同じような力を手にして肩を並べたいという願望はあったが、それはすっかり叶ってしまった。
 それに杏虎の意識の中では、初陣を一人で飾ったという気は更々なく。寧ろ斬子の働きあってこその勝利だったとすら思っている。
 美術部の他の面々が間に合わなかったのも妖界の展開で時空が歪んでいた為であり、助けが遅れたのは仕方の無かったことだと、杏虎は誰も咎めることはしなかった。

 だがその結果として、遊嬉はいざというときに自分がどうすることもできない可能性に気付いてしまい。
 拗ねて荒れていじけた末に、しょうもない知識でも優位に立てた事で妙に偉そうな彼女が居るというわけだ。
 一応、一時は花子さんのお土産(うなぎパイ)で機嫌を取り戻したかに見えたが、どうやらまだ引き摺っているらしい。

 ――話は現在に戻る。
 杏虎が”ひきこさん”を知らないという事で遊嬉は嬉々として部屋中の暗幕を下し、以前のような怪談会の準備を始めた。遊嬉のホラー語りは新入部員が入って以来ご無沙汰となっていたが、もう体面を取り繕う必要も無いので堂々と復活させるつもりらしい。
 電気すら消されて薄暗くなった部屋の中。いつの間にか遊嬉の妹分となっていた柚葉が何処から持ってきたのか手際よく蝋燭と燭台を準備し、火を灯す。
 遊嬉はそれを受け取ると、光源を自らの顔をぼんやりと浮かび上がらせるような位置へとセッティングし、いかにもな声音で語り始めた。

「これは、実しやかに語り継がれるこわーい話……」


 何十年か昔の事。とある学校に一人の少女が居た。学校では成績優秀で運動神経も抜群、おまけに顔も学校一の美少女だった。
 彼女は他の子供達に妬まれ、酷い虐めを受け、顔に傷を負い。やがて家に引きこもり、学校にも街にも姿を現さなくなった。
 それから何年もの時が過ぎ、少女は怨念から怪異と化す。そして太陽の出ていない夜や雨の日に一人で居る子どもを捕まえ、すさまじい力で町中を引きずり回して殺すのだと云う。
 それはかつて自分が虐めで引きずり回された事に由来しているらしい。
 もしひきこさんの姿を見かけて引き摺られそうになった時は、「引っ張るぞ」と怒鳴るとかつてのトラウマを思い出し退散すると云う。また、かつてのいじめっ子に似た子は襲わないとも、いじめられっ子のことは襲わないとも云われている。
 ひきこさんの容姿は長い黒髪に白い着物という、日本の怨霊のテンプレートにほぼ即したものに加え、かつての虐めが原因で顔は醜く、目は吊上がり口は耳元まで裂けているそうだ。
 この手の伝承の類の例に漏れず、語り伝えられる場所によって話や特性に微妙な差異があるらしいが、『ひきこさん』の伝説は概ねこんな話である。
 その口の裂けた容姿や助かる呪文のようなものが存在する辺りは、かの有名な口裂け女との共通点も見られる。

「以上、突発怪談タイムでした。――どーよ?」
 蝋燭の明かりの吹き消された部屋に、遊嬉の得意気な声が響く。その裏で柚葉たち一年が暗幕を上げて窓を開け、吹き込んだ五月の風と共に部屋に明かりが戻る。
 明瞭となった視界の中に、案の定ドヤ顔で口角を上げる遊嬉が居る。その横で、何も聞かないようにと一心不乱にシュレッダーを回し続ける深世が居る。「その話もう聞いたなー」という顔で手持無沙汰にペンや山積みの手紙を無意味に回している三人の姿がある。
 そんな彼女らを見て、杏虎は少しの間だけ考え込むように手を顎に当て、数秒の後に「なるほどね」と呟いた。
「そのひきこさんが、今古霊町このまちを震撼させてるっつーワケ」
「そゆこと。それに噂だけじゃない、手紙に書いてあった通り実害も出てるんだよね。ここ数日やたらと救急車のサイレン聞こえるじゃん? アレ、八割ひきこさんらしーよ」
 遊嬉がケラケラと笑ったタイミングで、裏の道路から救急車のサイレンが聞こえてきた。それには流石に手持無沙汰三人組も驚いたようで、顔を上げ、只無言で遠ざかって行くサイレン音を見送った。
「マジか……」
 乙瓜がぼそりと呟く。
「マジだよ? 家の近所の、小学生の子持ちの奥さんが言ってたもん。まー、流石に話通り死ぬまで、って事はないっぽいけど。コンクリの上なんて数メートル引き摺られただけでも大なり小なり怪我確定じゃん?」
 転んだだけでも痛いのにさ、と続け、遊嬉は伸びすぎた前髪を払った。
「んー、誇張でもなく本当に実害が出てるなら、対処が必要じゃないか?」
 漸くペン回しを止めた魔鬼が、ずっと寄り掛かっていた教壇から体を起こした。机上の缶立てにペンを戻すと、胸ポケットからいつもの定規を取り出して構える。
「危険な怪事は解決しないと駄目じゃないか。な、乙瓜?」
「おうよ」
 小首を傾げながら問う魔鬼に答え、乙瓜もまた立ち上がった。
「校外の事だからか花子さんからは特に何も言われねえが、やるしかないだろ」
 言って、机上の手紙の山を一瞥する。遊嬉の情報と手紙の陳情に嘘偽りなければ、被害は冬の事件の比ではない。
(――成程、山になるのも頷ける)
 納得する乙瓜の視線の先には、明らかに中学生よりも幼い子供が書いたような字の手紙やチープなキャラクターものの便箋が見える。相談箱がパンクしたのは、兄弟姉妹伝手で手紙を出した小学生の存在もあるからなのだろう。
 そんな数多の切実な願いの籠った紙は、深世によって次々とスクラップにされているのだが……それでも届いてしまったものは無視できない。乙瓜と魔鬼は互いにアイコンタクトを取り、頷きあった。
「今日から手分けして夜道を見回ろう。いつまでもこのままにしておくわけにはいかないだろうしね」
 そんな魔鬼の言葉に皆が賛同する。何故か嬉しそうな遊嬉や微力ながら頑張るといった姿勢の眞虚や杏虎の他、深世までも深く頷いた。
「あれ、深世さんも手伝ってくれるの?」
 不思議そうに問う眞虚に、深世はとんでもないと首を振り、まだまだ減らない手紙の山を指差した。
「これ以上来たら私が死ぬ」
「ああ……」
 早くも疲れ切った様子の深世を見て、皆呆れたような困ったような顔を浮かべ、そして思っていた。
 ――だから几帳面すぎるんだってば。と。


 兎にも角にも。
 その日、数多の不安と深世の憂鬱を背に、北中美術部はひきこさんの怪事を解決するために立ち上がったのである。

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