怪事捜話
第四談・現代奇談ナイトメア②

 最終時間の放送も過ぎ去り、夕暮れの帰路。太陽は既に地平線の山の向こうへと顔を隠してしまい、赤紫色の空も徐々に闇に染まりつつある。
 快晴の空にはもういくつもの星が瞬き、そのともしびに見守られるようにして子供たちは帰路を急ぐ。
 ――そんな中、美術部たちは。各々自宅とは反対方向の道を行き、"ひきこさん"の姿を探していた。


 北中から南東3kmほど離れた地点、近所の小学校の通学路であり、一際おどろおどろしい小道には遊嬉の姿があった。かたわらには文字通り地に足付けずふわふわと浮遊する嶽木の姿もある。
 まるで重力に囚われない嶽木はベッドに寝そべるような姿勢のまま遊嬉に視線を向け、言った。
「いつまでそうしているつもりだい?」
 やや心配そうにそう問う彼女に視線を向け、遊嬉は「なんのこと?」と返した。
 嶽木はそんな遊嬉の反応に溜息を吐くと、頬杖を付きながら続けた。
「杏虎ちゃんのことさ。ライバル意識を持つのは勝手だけど、あの子よりも先に手柄を立ててやろうと一人張り切りすぎるのも危険だよ。……君たちは仲間なんだから」
「……わかってる」
 言って、遊嬉は目を伏せた。
 この一年、色々あって怪事に対抗する力を得た美術部の同期たち。彼女たちは技術を競い合うべきライバルであると同時に、"怪事"という共通の壁を前にして共に立ち向かう仲間である。
 その目的は大霊道を封印すること。そして、大霊道を狙う怪しい輩【三日月】に対抗すること。仲間は一人でも多い方がいい。
 そんな事くらい、遊嬉だって頭では十分に理解しているつもりだ。
 ――だが。遊嬉の心の奥底には誰にも負けたくないと思っている自分が居た。「誰かのピンチに現れてサッと形成を逆転できる主人公的な自分」になりたいと願う自分が居た。
 ……本当は誰にも傷ついて欲しくない筈なのに。
 今回の見回りで皆に別行動を提案したのは他でもない遊嬉自身だった。分担した方が早いという尤もらしい理由もあったが、本当の理由は皆と一旦距離を置いて頭を冷やしたかったからだ。
(よりにもよって誰かのピンチを願うなんてさ。最低だよね、あたし……)
 羨望せんぼう、嫉妬。或いは暗い対抗心の塊。客観的に見た今の自分は何て利己的で自己中心的なんだろうと、遊嬉は失望する。
 そんな遊嬉の内心を、傍らの嶽木はわかっていた。いつも見守っているパートナーの事、例え言葉に出さなくとも表情や態度から何もかもお見通しだった。
 彼女が些細な、だが中学生の少女にとっては決して小さくない悩みで自問自答している事なんて。
 だからこそ、嶽木は言うのだ。
「ねえ遊嬉ちゃん。……大丈夫、君が自分で自分をどう思っても、みんな君の事を突然見捨てたりはしないよ。誰だっていつも良い事ばっかり考えてるわけじゃない。ズルい事を考えたり、悪い事を考えたり、誰にだってあるさ」
「……ちゃんとわかってるし」
 相変らず目を伏せたままぼそぼそと言う遊嬉を見て、嶽木は困ったように笑った。
 しかしそれは呆れ果てたようなものではなく、母が子を見守るような、「しょうがないねえ」という優しさの籠った表情だった。
 そんな笑みを浮かべながら、嶽木は遊嬉の両肩に優しく手を乗せた。
「今のままでも遊嬉ちゃんは強いよ。だけど遊嬉ちゃんの望む力には、きっとまだ遠いんだよね」
 申し訳なさそうに言う嶽木に、遊嬉は口を噤んだままコクリと頷いた。嶽木は「そっか」と呟くと、数秒の間を挟んでから次の言葉を紡いだ。

「君はおれのようになりたかったんだね」

 その言葉に遊嬉はハッとしたように顔を上げた。
 何となく、自分の持つ「力」に対する希求の高さの正体が分かった気がしたからだ。

 遊嬉は、小学四年の夏に蛇神に魅入られ、異界へと連れて行かれそうになったところを嶽木に助けられたという過去を持つ。
 人とは違う能力を持つ嶽木は持てる技巧を駆使して遊嬉を助けた。小学生の遊嬉は、その時の嶽木の姿に強く憧れた。中学生になって彼女と再会するまで、その憧れをずっとずっと持ち続けていた。
 ――ああ、そうか。遊嬉は納得する。自分はきっとあの時の嶽木になりたかったのだ。いつどこでピンチになっても必ず助けに来てくれる、誰かにとっての憧れの存在に。
 だから、本当は。遊嬉は杏虎が力を手に入れた事に対して悔しく思っていたのではなくて。妖界という時間も空間もねじ曲がった世界に囚われた杏虎の元に間に合わなかった自分の無力さが悔しかったのだ。
 ……その事に気付いて、彼女は吹っ切れたように「あはは」と笑った。
「あたし馬鹿だなあ。……嶽木みたいにすごい能力チカラなんて、手に入れられるわけないのにさー。あはは……」
 遊嬉は自虐するように頭を掻いた。そんな彼女の手を取り、嶽木は「そんなことないよ」と優しく囁いた。
「いつか成れるさ」
「……なれる、かな?」
「成れるよ」
 だから合流した時に杏虎ちゃんに謝らないと駄目だよ、と続け、嶽木は遊嬉の頭を優しく撫でた。

 その後方の茂みで、何かが大きく音を立てる時まで。


 ほぼ同刻、北中から南西1.5km、丁度古霊北中学校と古霊南中学校の学区の境目付近地点。
 冬のマラソン大会の起点である文化センターへと向かう長い長い坂道を登りながら、魔鬼はくたびれた息を漏らした。
 この坂道を越えれば商店街が見えてくる。
 だが活気あふれる賑わいも昭和の昔の事、大抵が有り余る土地に建った大型スーパーやショッピングモールに客層を取られ、現在ではその殆どがシャッター街と化している。
 ……何も珍しい事ではない、日本の田舎ならばどこでも起こっている、ごくありふれた事だ。
 しかしその名残で道は広く、沿道にはガソリンスタンドやコンビニエンスストア、病院、そして商店街の仇たるスーパー等が立ち並んでいる。
 故に今ぐらいの夕方ならまだ明るいもので、そこまで寂しい気配も無い。――筈だった。
(……にしちゃあ妙に静かだ)
 そんな僅かな疑念を抱きつつ、魔鬼は周囲の様子を確認するようにゆっくりと視線を動かす。
 相変らず雲一つない空は既に濃紺色に染まり、天上の星もその数を増している。闇の帳の落ちた歩道には街灯の明かりが落ち、見える範囲の民家からも屋内の光が漏れ出している。
 何の変哲もない宵の風景だった。……ただ一つ、車道にも歩道にも往来が全くない事を除けば。
「こんなん、どう考えてもおかしいだろ。普通」
 魔鬼は眉間にしわを寄せながら腕組みした。
 そうなのである。おかしいのである。
 幾ら田舎の古霊町とはいえ、まだまだ仕事や学校からの帰りで歩道・車道問わず往来があっても不思議はなくて、24時間営業のコンビニでなくても開いている店もまだまだ多い時間帯。
 奥まった山道ならまだしもこんな開けた通りに人っ子一人居ないというのは、流石に妙である。
 その違和感に気付いた瞬間、魔鬼は既にポケットの中の定規を取り出していた。
 彼女は経験上わかっていたからだ。学校でも、学校外でも。日常の中でふと、何処か違和感を覚える尋常ではない状態に遭遇した時。大抵それが合図なのだ。
「――怪事が近い」
 呟き、魔鬼は地雷原を行く兵士の如く慎重な一歩を踏み出した。
 現在地点はまだ坂道の中程。来た道にも見える周囲にも異常がなければ、恐らくこの異様な状況の原因はこの先に居る筈だと考えたからだ。
 そろりと一歩。また一歩。どのタイミングで何が視界に飛び込んできても問題ないように、瞬き一つせずに坂を上って行く。
 やがて坂の上にある信号機が見えてくる。視界の向こうにぼんやりと輝く赤い信号灯に照らされて、黒い人影が目に入る。
(……女?)
 魔鬼は瞬時にそれを女だと思った。目を凝らし、よくよく見てみると、それは確かに髪の長い女のシルエットに見えた。

 ――誰も居ない商店街の入り口に、髪の長い女が一人。

 それを見て、魔鬼は咄嗟に自らの記憶を辿った。
(ひきこさんの容姿は、確か。長い黒髪に白い着物……)
 美術室で遊嬉が改めて語った内容を脳内で反芻はんすうさせつつ、魔鬼は道路の向こうの人影を睨む。
 服の色は影になっていて全くわからないが、シルエットは完全に邦画ホラー御用達のそれだし、怪しい事この上ない。
(クロか……、いや、クロだろ。絶対怪しいもんな、アレ。人間でも、そうじゃなくても)
 魔鬼は人影を完全に"ひきこさん"だと断定した。そして、ならば先制だとでも言わんばかりにサッと定規を構え、短く宣誓する。
でよ使い魔!」
 宣言と共に魔鬼の周囲に三つの小さな魔法陣が浮かび上がった。
 薄紫の光から成る魔法陣は強く輝くと、ポップコーンが弾けたような可愛らしい音を立て、運動会の花火のような煙を立てた。
 その小さな煙の中から、小さな何かが姿を現す。それは一応人のような形をしていたが、饅頭のような丸顔に黒いてるてる坊主のような簡素な体と簡単な手足のついた、人形劇の腕人形のような姿をした不思議な存在だった。
 敢て特筆することがあるなら、それらすべての背中に蝙蝠のような翼が生えているということか。
 彼等はそれこそ絵にかいたようなまん丸い目と真四角の口をぽかんと開くと「ぼっさー」と気の抜けた鳴き声を上げた。
 何やら頼りなさげではあるが、彼等こそが魔鬼の言うところの"使い魔"に他ならなかった。
 以前は影も形も無かったその存在を魔鬼が手にしたのは、去るゴールデンウィークの頃である。

 五月のはじめ、家人の居ない時を見計らって自宅で黒魔術の研鑚をしていた魔鬼は召喚魔法に興味を持ち、それを実践したところ、大して力も無い低級の悪魔ばかりを大量に召喚してしまう。
 実質無害に等しい悪魔たちは、しかし海外のブラックなコメディ映画の如く悪戯を開始し、家族が帰ってくる前に収拾を付けようと焦った魔鬼は悪魔たちを自分の魔法で乗っ取り、言う事を聞く使い魔とすることで(家庭規模な)大惨事から逃れることに成功した。
 個人的にとんでもない目に合ったとは云え、折角手に入れたはじめての"使い魔"。
 魔鬼はしばらくの間それらをどう活用するか悩んでいたが、その末に彼女が見出した"有効活用法"はこれだった。

「目標、あの怪しい人影! ……狙いよし、使い魔レーザービーム・照射ァ!」

 即ち、使い魔たちを自らの魔法の砲台にすること。
 その名の通りレーザービーム。大きく開かれた使い魔の口から魔鬼の魔力色である紫色の光が勢いよく放たれ、眩い光と轟音を伴いながら、怪しい女の人影目がけて一直線に向かって行く。
 一瞬の事だった。瞬きする間に紫の怪光は人影の方向で炸裂し、砂煙が上がった。魔鬼は「よし」と呟くとぐっと拳を握りしめた。
 魔鬼の目視と計算に狂いが無ければ、全ての起動は直撃のコースを進んでいた筈である。故に魔鬼は思った。先制奇襲は成功したと思った……!

 思った、のだが。

「なっ!?」
 次の瞬間、魔鬼は驚愕で目をいっぱいに見開く事となる。
 砂煙の消えた場所には何の影も無い。もし第三者が居たのなら、跡形も無く消し飛んでしまったのではと言われるかも知れないが、それは絶対にあり得ないと魔鬼は返せる。
 魔鬼は加減していたからだ。相手が万が一・・・只の人間の不審者だったときの事も想定し、精々感電して倒れた程度の威力となるように。
 光と音もこけおどしで、とんでもない破壊力があるものではない。妖怪や怨霊の類に当たったとしても、こちらの存在に気付かせる程度の意味しかなかった。
 だが、女の影は跡形も無く消え去ってしまった。ならば吹き飛ばされたか、……それにしては周辺に転がっている様子はない。
 使い魔たちは相変わらず気の抜けた鳴き声を上げながら不思議そうに首を傾げている。そんな中、魔鬼は顔面蒼白になっていた。
 別に誤って只の人間を負傷させてしまったとか、そういう思いがあったからではない。威力の加減はちゃんと出来ていたと確信しているし、起動計算にも狂いは無かったと信じている。
 しかし。その上で尚魔鬼から血の気を奪ったのは、たった一つ。魔鬼が直撃を「確信」できなかったたった一つの要因に他ならない。

 ――無かったのだ。

(手応えが……まるでなかった……)
 そう。魔法が確かに直撃したという手応え。それだけが、魔鬼の中に無かったのだ。
(見間違い……? 幻覚……? ……いいや、そんな筈ないっ、アレは確かに、あそこに――)
 何か嫌な予感に駆られ信号機の下へと走り出そうとした魔鬼の肩に、ポンと手が乗せられた。
 その瞬間、魔鬼の心臓はドキリと跳ねた。背筋は凍り付き、冷たい汗がつぅと伝う。
(――嘘だ、何の気配も感じられなかったのに……!?)
 魔鬼は激しく動揺しつつも、このまま何らかの発作を起こして止まってしまうのではないかと錯覚するほどバクバクと跳ねる心臓を抑えるように胸に手を当てる。
 本当はすぐさま後ろを確認し距離を取るべきなのだろうが、魔鬼は振り返ることが出来なかった。何となく下手に振り返ったら悪い事が起こる気がしたからだ。
 動けない魔鬼の背後で、静かな呼吸音が上がる。まるで何か言葉を発する前のような息継ぎの音。
 果たしてこの"ひきこさん"(かもしれない相手)はどんな恐ろしい言葉を発するのかと、魔鬼はいよいよぞっとした。
 ……が。背後から発せられたのは予想外の言葉だった。

「あのねえ、あなた。おばさん、偶々たまたま素早いからよかったけど。あんなの街の中でぶっ放したら危ないでしょう?」
「へぁっ?」

 怯える魔鬼の背に投げかけられたのは、予想に反して落ち着いた大人の女性の声だった。
 まるで夜遊びする子供を叱るような調子の言葉を聞いて、魔鬼の中の危機感や恐怖は一瞬にして霧散した。
 そして先程までとは全く別の意味の驚愕と共に、今度こそ背後を振り返ったのである。
 右回りにくるんと振り返った視線の先。そこには、確かに髪は長いものの、白い着物ではなく明るい色のカーディガンを羽織った女性が立っていた。
 どこにでもいる近所のお姉さんと言った感じのその女性はやけに大きなマスクを付けているが、花粉の季節故特に怪しい点も無い。
 そんな彼女は振り返った魔鬼の目をまっすぐ見つめて腕組みすると、ぷりぷりした様子で説教を続けた。
「聞いてる? 街中でビームとか撃ったら危ないでしょう。……もうっ」
「うえあっ? あのっ……えっと……。……ごめんな、さい?」
 条件反射的に謝りながら、しかし魔鬼は思っていた。
 何かがおかしい。一見普通の恰好をしているけれど、目の前の相手はこちらがビームを撃った事に気づいているし、その上何と言ったか。

 ――おばさん、偶々素早いからよかったけど。

 振り向く一瞬前、確かに紡がれた言葉。
(つまり……避けたって事だよな……!? そこから一瞬で私の後ろに回り込んだって、そういうことだよな!? ……やばい、この人絶対普通じゃないだろ……!)
 魔鬼は手にしたままの定規を改めて握り直し、後ろに飛びのきつつ目の前の女性に向けた。
「……ッ! お前は何者だ!」
「えっ、ちょっとなにいきなり」
「とぼけるな、普通に考えてビームを見切れる人間が居るわけないだろ!」
「……! なるほど!」
 女は何故か納得したようにポンと手を打った。
 そんな何とも天然な様子を見て、魔鬼は何だか調子が狂ってしまった。それで思わずズッこけそうになるのを堪えながら、やけくそ気味に叫ぶのだった。
「あーもーーー! なんなんですかあなたッ!」
 指し示す定規をぶんぶんと振りながら言い切ると、女はぽかんとしたように目を見開き、ワンテンポ遅れて「ああ、……あー!」と、何とも締まりのない声を上げた。
「いや、あの。おばさん怪しい人じゃないから、本当に怪しい人じゃないから通報しないで」
「ん?」
 何だか別方向の心配をしているような彼女を見て、魔鬼はすっかり真顔になった。
 その間に女はバッグの中から財布を取り出すと、一枚の厚紙を取り出して魔鬼に渡した。どうやら名刺のようだった。
 魔鬼は何が何だか分からないままその名刺を読み上げる。

鐘楼しょうろう出版専属、小説家、狩口かりぐちこずえ、…………。………………。えええええええぇええぇええっ!?」
 名刺と目の前の顔を見比べながら、魔鬼は思わず叫び声を上げた。
 それは単に、目の前の人物の肩書きが小説家という稀有な職業だったと分かったからではない。
 魔鬼が驚いたのは、その名前が自分も知っているものだったからだ。

 ――小説家、狩口梢。近年人気の出てきた"怪談小説家"である。
 既存の怪談や都市伝説をモチーフにミステリーやサスペンス、コメディや児童文学まで幅広く手掛け、オカルト好きの中でも知名度は高い。
 故に魔鬼も『狩口梢』の名前を知っており、実際に何作かの著作を読んだこともあった。
 狩口梢の――特に小説作品は、その独特の文体とテンポに拒否反応を示す自称書評家も少なくないが、コアなファンには「臨場感があって病みつきになる」と評され愛されている。
 魔鬼はどちらかというとファン側だった。学生の財力ゆえに全巻所持には至っていないが、図書館に新刊が入れば必ず通うし、家にある数冊はそれぞれ十回以上は読破していると自信をもって言い切れる。
 そんな作品の作者が、目の前に居る彼女だというのだから。魔鬼はもう卒倒寸前だった。
(……た、確かに! 狩口梢は古霊町のどこかに住んでるって話を聞いたことがある気がするけど! まさかこんなところで!? こんなところで会うとか!? なにこれ夢!? えっ!??)
 色々な事が一度に起こりすぎて、魔鬼は軽くパニックに陥っていた。
 そんな彼女の様子を見て狩口はクスクスと笑うと、人差し指を立てて「静かに」のジェスチャーを取った。
「しぃっ。あんまり大きな声出さないで。ご近所さんには秘密なの」
「……。…………ほ、本当に狩口先生なんですか……?」
「嘘だと思うなら書きかけの原稿みせてあげる?」
 冗談めかして「生原稿、家にあるのよ」と囁く彼女に、魔鬼はまた叫びだしそうになる気持ちを抑え、ヒートアップする頭を冷やすように大きく深呼吸をする。
 そしてその途中、何かを思い出したように首を傾げた。
「……いや、あなたが小説家の狩口先生なのはいいとして。それってレーザービーム避けられた理由にならないですよね?」
 妙に冷静に言い放つと、魔鬼はまた疑惑の視線を狩口に向けた。
 狩口はギクリとした顔で一瞬魔鬼から目を逸らすと、辺りの様子をチラチラと窺い、人が居ないのを確認してから「誰にも内緒よ?」と呟いた。
 魔鬼は妙にぎこちない彼女の態度を不審に思いつつも黙って頷いた。すると狩口は、徐に自らの顔面の半分を覆うマスクを外した。
 それまで隠されていた下半分の顔が明らかになる。――そこには。

「あのね、あなた。私の秘密教えてあげる」
 耳元まで裂けた大きな口が、にぃと笑っていた。

 それを見て一瞬硬直する魔鬼に、狩口梢は目を細めてまたクスクスと笑った。

「私、"口裂け女"なの」

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