怪事廻話
第十二環・廻る星のどこかで③

「ああ……、いや、ちょっと」
「うん? まあいいや、こんなとこで突っ立ってるのもなんだし教室入ろう?」
 至極当たり前のことを促す魔鬼の言葉に従い、乙瓜は漸く出入り口を越えて教室の中へ進む。
 後に続く魔鬼は電気のスイッチをパチリと押して、それから既に自分の席に辿り着いた乙瓜を見た。
 そして当たり障りのない、他愛もない話を振る。
王宮おうみやとかもまだ来てないっぽいね」
「……あいつ遅いときもあるからな。それに来てたらもうなにかしらちょっかい出してくるだろ」
「たしかに」
 同意して、魔鬼もまた自分の席にかばんを降ろした。鞄の中にはもう教材なんて殆ど入っていない。諸連絡のプリントを持ち帰る為のクリアファイルや筆記用具があるくらいで、つい数日前までは有り余るスペースに教室内外の私物を入れて持ち帰っていたが、卒業前日の今となってはそういった物もあまりない。
 そんなわけで少ない私物を魔鬼が机の中に仕舞い終えると、それを待っていたかのように乙瓜は言った。
「それにしても随分早いな」
 振り返る魔鬼に、時計を指しながら。「普段はもっとゆっくり来るだろ?」と。
 魔鬼はその指摘にきょとんとした。それから考えを巡らせるように斜め上に視線を向けて、数秒の間うーんと唸ってからこう答えた。
「なんとなく。……卒業前だからかな? いや、自分でもよくわかんない」
「なんだそりゃ」
 乙瓜は呆れるように小さく笑って、ゆっくりと魔鬼の側へと歩み寄った。
「…………そういや今更だけどさ。同じ部活にならなかったら一生関わり合いにならなかったかもしれないな。俺たち」
「? うん。かもね」
 魔鬼は言って席を立ち、やってきた乙瓜を指で促して何気なく黒板の前へと、教室全体を見渡せる場所へと移動した。
 未だ彼女ら二人しか存在しない三年二組の教室内には物言わぬ机や椅子たちが静かに並んでおり、電気の明かりもあるのに依然として物寂しい雰囲気が支配しているようだった。
 そんな教室を前に教卓に頬杖を突き、魔鬼は言う。
「実を言うと、入部したばっかの頃乙瓜のことよくわかんない子だなーって思ってた」
「ひどくね?」
「ひどくないし。……ていうか今も完全にはわかっちゃないよ。去年の今頃とか大変だったんだからな」
 魔鬼は唇を尖らせた。去年の今頃――つまり【月喰の影】に乙瓜が攫われてからの一連の出来事を思い浮かべて。
「……前も言ったけどさ。今度は何も言わずにどっか居なくなるなよ。……やったら恨むからな」
「…………うん」
 トーン低めに告げる魔鬼に、乙瓜は申し訳なさそうに頷いた。けれども当の魔鬼はそんな乙瓜を見て「ちがうんだよなぁ」とばかりに溜息を洩らし、「そういうところだからなー?」と指さした。
「そういう深く受け止めすぎなとこ! ……やっぱまたどっか行っちゃいそうで心配だわ」
 不満げにそう言って、魔鬼はそれからふっと笑った。そして言うのだ。
「まあいっか。もしまたそうなっても何度だって捜しに行くからな。覚悟しとけ」と。
 乙瓜はその言葉を受けて、両の目をいっぱいに見開いた。
「本当か?」
「当たり前だろ」
 魔鬼は言葉通り至極当然とでも言わんばかりの顔でそう言った。あまりに真っ直ぐにそう言った。
 乙瓜はそれを受けて困惑と恥ずかしさと嬉しさの混じった表情になり、けれども口角をじわじわと上げて。
「ああ」と。ぎこちなく答え、頷いた。
 それを見て、魔鬼は安心した表情になった。教卓に頬杖付く手を腰に当て、ふうと一息吐いて、それから思い出したように言った。
「それはそうと、今でも結構謎だぞお前。変形するし」
 と。『よくわかんない子だな』の話題の続きを。
 ちょっぴり泣きそうになっていた乙瓜は話がそこに戻って来たと理解してちょっぴり拗ねた顔になり、「別にいいだろ」とそっぽを向いた。
「おとなしくしてれば変形しないし。そっちこそ、いきなり魔法使いとかわけわからなかったぞ。割と」
「……それこそ別にいいじゃんか。……みんなの助けになったじゃん」
 言い返す魔鬼の声音は、そんなにうんざりしている風でもなかった。代わりに今までのことを色々思い起こすように、どこかしんみりとした色が混ざっていた。――少なくとも、乙瓜にはそう感じられた。
「…………おう。めっちゃ助かった。沢山――」
 乙瓜はゆっくりとそう答え、特に意味もなく教室の床側に視線を落とした。魔鬼も魔鬼で、特に意味があるでもなく、天井の方をぼんやりと見つめていた。
 少しだけ沈黙が流れた。依然冷たい教室内で、けれどそれは暖かな沈黙だった。
 カチリコチリと室内時計の秒針が進む音だけが暫しの間大きく主張した後、特に見計らったわけでもないのに、二人の声が重なった。

「「あのさ」」

 重なって、驚き顔を見合わせて。
「……乙瓜から言っていいよ」
 魔鬼が先を譲って、乙瓜はぎこちなく頷いた。そして先程言いかけた続きを口にする。
「来月からも、……友達でいてくれるよな?」
「――! ………………。なんだよそれ。答えるか?」
 ハッと小さく口を開いた後で、魔鬼はほんのちょっぴり不機嫌そうにそう答えた。
 乙瓜は大きく目を見開いて、それから「いや」と首を振った。
「要らないか、今更な」
 呟く彼女の中には納得があった。けれどそれはそれとして、気になることもまだ残っている。
「で、お前が言いかけたのはなんだったんだよ?」
 乙瓜が問うと、魔鬼は急にそわそわし出して、それから何故か怒ったような調子で「なんでもない!」とそっぽを向いた。

 実のところ魔鬼もまた乙瓜とまったく同じことを尋ねようとしていた、ということは、当分は魔鬼の中だけの秘密となるだろう。

 やがて一人、また一人とクラスメートたちが登校してきて。学校はいつも通りに動き出す。
 その日はもう、ほぼ卒業式の予行演習くらいしかやることがなく。三年生は比較的早めに帰路に就くこととなった。
 天気予報では夕方の天気は崩れ、雪が降るだろうとのことだったが、古霊町の周辺の空は雲半分程度で、まだ辛うじて晴れていた。
 皆、またねと言って別れた。また明日ね、と。最後の明日を指して。
 帰路を異にする乙瓜も魔鬼も、そうして別れたのだった。
 徒歩で自転車で、皆がそれぞれの家を目指して帰って行く。その流れの中に、学区境の西側へ向かって歩く小鳥眞虚もいた。
 荷物を背負い茜差す道を行く彼女の数歩後ろには、なにも持たない契約妖怪・水祢の姿もあった。丁度正門前で佇んでいるところを眞虚が見つけ、「一緒に帰ろうか」と声を掛けたのである。
 合流してから暫くの間、二者の間に会話らしい会話は無かった。けれども四辻通りに近い坂道に差し掛かったところで、眞虚は前を向いたまま語りだした。
「懐かしいよね、四辻通り。あのとき水祢くんが乙瓜ちゃんたちを呼んでくれなかったら怪事はずっと続いてて、詩弦ちゃんはずっと学校に来られなかったかもしれない。……ありがとうね」
 ありがとう。眞虚がそう告げた後、ずっと沈黙していた水祢が漸く口を開いた。
「別に」と。素っ気なく。けれどもその声を聞いた瞬間、眞虚の頬が少し上がる。
 水祢はそれに気付いているのかいないのか、「別に」に続く言葉を続けた。
「そもそも電話をかけたのはお前でしょ。犬神に対峙したのもお前たちだし、感謝されるようなことは全然してないし」
「そんなことないよ。……だから何度でも言うねっ!」
 眞虚はピタリと足を止めくるりと水祢を振り返った。その顔には満面の笑みが浮かんでいて、西日に当てられてキラキラと輝いているようだった。
 その最高の笑顔で、眞虚は言う。

「ありがとう!」

 改めての感謝の言葉を送られて、けれど水祢の表情は大きくは変わらなくて。しかし彼は眞虚に合せて立ち止まったままの場所で、やや俯いて。
「……どういたしまして」
 観念したように、そう呟いたのだった。……だってきっと、認めるまでずっと眞虚はしつこいから。御しやすそうでいてそういう頑固なところがあるところを、水祢はもう十分すぎる程理解していた。
 案の定、当の眞虚は安堵して。それから――あの日・・・から――今までずっと、なるべく言及を避けていたことを口にした。
「もう、お別れだね。明日、遠くに行っちゃうんだね」
 別れについて。眞虚がそれを口にすると、水祢はふと顔を上げ、それからあっさりと首を縦に振ってみせた。
「ああ」
「…………」
 眞虚はその肯定を受けて、すぐにはなにも言えなかった。けれど口許には笑みを浮かべて、寂しい顔を浮かべないようにして。五秒ほどそうしてから、「そっか」と言って、すぅと大きく息を吸った。
 一つの大きな決意のように。十分に息を吸ってから、眞虚は言った。はっきりと。
「水祢くん!」
 そう、彼の名を呼んで。
「どこかでまた会おうね! 約束だよ!」
 約束をぶつける。そんな眞虚の頬を、きらきらとしたものがつるりと落ちた。
 そんな眞虚を見て、それでも水祢はいつも通りに言う。
「……別にお前なんかに会えなくても困らないし」と。捻くれて。
 だがそれが根っからの本心でないことなんて、眞虚にはとっくにお見通しだ。
 だから彼女は何度だって繰り返す。
「それでも! ……また会おうね! 水祢くん!」

 まだ冬の近くに居る夕方は速足で、影法師を長く伸ばしながら夜を迎え入れようとしている。
 目を離せばすぐにでも消えゆく太陽の光を眞虚越しに見ながら、水祢は、やっぱり少し不本意そうに、口籠りながらこう答えるのだった。

「…………また。どこかで。……小鳥眞虚」



 同じ頃、歩深世と白薙杏虎は途中まで同じ帰路を自転車で並走していた。
 運送トラックがよく通る都合上道は広く整備されているものの、周囲は他の道と同じく田畑林ばかり――という道を進みながら、杏虎はふと「春休みどっか行こうぜ」とそう口にした。
「どっかってどこだよ」深世が言う。
「べつにどこでも? ああ、ランドとかいく? シーがいい?」
 杏虎は特に考えていない風にそう答え、けれどもケロリとした様子であちこち場所を提案する。
 深世はその様に小さく呆れの溜息を洩らした。
「なんも考えてないのかよ。ていうかなに、うちら二人で?」
「いや元美術部で。卒業祝いってことでさ」
 訝るような深世にさっぱりとそう返し、杏虎は続けた。
「ゲーセンとかでもいいよ? てちうかほら、二つ隣の市にでっかいモールできたじゃん、田んぼの真ん中に。あそこでもいい」
「明日卒業式だってのにしんみりの欠片もないなぁ」
 やれやれとばかりに深世は言った。そして改めて実感するのだ。基本的には良くも悪くもドライ、それが白薙杏虎という奴なのだと。
 否、勿論イコール薄情でないことも知っている。冷めているかと思えば熱いところもあり、普段の態度に見えるよりは随分と仲間思いということも。
 深世はちゃんと知っていた。そして彼女の内の人物評を裏付けるように、杏虎はさっぱりとした顔で言うのだ。

「だってあたしら友達じゃん。卒業しても、これからも」



 日は彼方に見える杉木立の向こうへ消えて、夜が来る。19時を越えて古霊町の上空は漸く曇り出し、予報の通りに雪が降り始めた。
 その天気を見て古霊町の概ね小学生以下の子供たちは無邪気に喜び、一方で明日中学を卒業する子供を持つ家庭の保護者達は降りやむかどうかをしきりに心配していた。
 戮飢家でもそうだった。予報では今夜中に降り止むとのことだったが、心配なものは心配だ。大事なハレの日にスリップ事故なんて起こった日にはとてもじゃないが笑えない。
 そんな家族の心配を他所に、遊嬉は自分の部屋に居た。
 早く寝ろと言われて引っ込んだ21時過ぎ、私立受験で既に入試結果が出ている遊嬉としては、最近のこの時間帯もゲーム等して過ごしているところだが、今日はテレビの電源すら入れず、ソファー代わりのベッドの上で体育座りしている。そしてその後ろには、背を向け合うようにして体育座りする嶽木も居るのだ。
 二人がその体勢になってから、既に随分な時間が流れていた。特に会話もなく、他になにをするでもなく。まるで互いの存在を身近に感じ合うようにして、彼女たちはそこに居た。
 間もなく訪れる別れを惜しむように。離れたくないというように。
 けれど別れは避けられない。時間は止められないし、きっと戻すも出来ない。
 本当はどちらもわかっていた。このままどちらも黙ったまま時が流れ去ってしまうより、なにかを語るべきなのだと。きちんと心に区切りを付けるべきなのだと。
 ……嶽木の方から口を開いたのは、時計の長針が真下を指す直前だった。
 彼女は思い詰めた顔をやや上に向け、背後の遊嬉に向けて言った。
「今夜の内に。もう行こうと思うんだ」
 始める。別れに向かう言葉を紡ぎ始める。言い終えればもう取り返しのつかない言葉を。
 遊嬉がそれを理解して、覚悟するのに、たっぷり十秒ほどの時間を必要とした。
「そっか」
 比較的普段通りの調子でそう言って、遊嬉はコクリと頷いた。
 嶽木はそれを受けてふうと長く息を吐き、後頭部をやんわりと優しく遊嬉にぶつけた。
「……思えば遊嬉ちゃんには損な役回りばっかさせたよ。最初に色々教えて、それを黙っておいてだなんて」
「そうかなあ。あたしは楽しかったよ。スリリングで、スパイ映画みたいで。言えなくてもどかしいなぁーってことが全くなかったわけじゃないけど」
 そこで小さく笑みを漏らして、遊嬉は続けた。
「でも楽しかった」
 小さく、けれどはっきりと。感慨深そうに。
 嶽木はそれを受けて少し黙り、それから「よかった」と。心の底からそうであると思える声でそう言って。それから背後の彼女の名を呼んだ。とびきり優しい声で。
「――遊嬉ちゃん」
「なにさ」
「前に言ってた夢。きっと叶えるんだよ。楽しいことばかりじゃないかもしれないけれど、君ならきっと、強い大人になれるって。……信じてる」
「……大人なんて。まだ先だよ」
「うん。だけどそのときは必ずやってくる。だから――」
 だから。その続きを嶽木が口に出す前に、遊嬉の声が遮った。
「……泣かせに来てるでしょ?」
 そう言う彼女の声は、もう半分涙声だった。
 嶽木は言葉を飲み込んで、代わりに困ったように「そんなことないよ」と否定する。
 遊嬉はそれに「嘘だよ」と返した。否、嘘でないことは分かっていた。思いと行動が矛盾していた。けれども遊嬉はきっと無意識の間に、どうにかしてこの会話を引きのばそうとしていた。
 終わったら、お別れが来てしまうから。
 少しの間また沈黙があった。沈黙の隙間に時計の針音があって、微かな互いの呼吸音があった。嶽木は今度はずっと黙っていた。遊嬉の気持ちはお見通しだった。
 嶽木は遊嬉の気持ちを知った上で、彼女が喋りだすまでずっと待っていたのだ。それは泣きべそをかきだした遊嬉にもしっかり伝わっていた。
 伝わっていたからこそ。……遊嬉は一度止めた会話を、もう一度自分で動かすことに決めた。それでいいのかわるいのか、散々葛藤したその後で。
「……また会えるよね?」
 遊嬉は震える声で漸くその一言を絞り出した。別れの場面ではだいたい口に出されるありきたりなその台詞を。ありきたりだからこそ大事な確認の言葉を。深世だって眞虚だって、誰かとの暫しの別れ際にそうしたように。
 嶽木は遊嬉がやっと口にしたその一言をきちんと受け止めて、努めて明るい調子でそれに返した。
「――会えるよ。遊嬉ちゃんがおれのこと忘れない限りは」
「忘れないよ。忘れるわけないじゃん」
 遊嬉は普段の冗談に返すようにそう言ったつもりだったが、気持ちとは裏腹にベッドの上には小さなしみがぽつりぽつりと広がっていく。
 そして答える声からも、依然涙の気配は隠せていないのだった。
「……どうしてそういう意地悪言うかな」
「妖怪だからね」
 嶽木は穏やかにそう答え、両脚に回していた腕を遊嬉の方に、可能な限り伸ばした。
 すこしぎこちなくとも遊嬉の身体に触れて、それから子供をあやしなだめるような声で言葉を紡ぐ。
「まだ明日だけど、先に言っておくね。卒業おめでとう」
 いよいよ、終わりに続く言葉を。
 もう遊嬉の目は限界だった。涙は既に『零れる』なんて生易しい状態ではなく、決壊した下瞼したまぶたの堤防からあふれ放題だった。
 身体はひくひくと意に反して震え、全く抑えの効かない状態だった。
 そのままならない状態で、遊嬉はそれでも言葉を紡いだ。終わらせるために――否。嶽木を悔いなく送り出す為に。
 その為に。涙声でも途切れ途切れでも。遊嬉は自分の思いを伝えようとした。
「…………ありがとう。全部っ……全部嶽木のおかげ。嶽木がいなかったらあたしっ、今頃、ここに居なかったから。小学校も卒業できなかっただろうし、中学生にもなれてなかった。ありがとう。……っ、ありがとう」
 何度も何度もしゃくりあげて。そんな遊嬉に優しく寄りかかり、嶽木は上を向いて言った。
 きっと、彼女も何かを堪えながら。
「遊嬉ちゃん。君は強いから。お化け相手じゃなくても、人間相手でも強くやっていける子だから。どうかいつもみたいに笑って。がんばるんだよ」
「うん」
「身体には気を付けて。事故にも。優しい君のままで、……けれど謂われのない悪意にも気を付けて」
「……うん。…………うん」
 遊嬉はコクコクと首を振った。背後の嶽木に見えていないだなんてお構いなしに。けれどもその振動だけは、はっきりと伝わっていた。
 何度も何度も伝わる肯定の振動に、嶽木はふと表情を緩めた。それから遊嬉へと伸ばしていた腕を、ゆっくりと引っ込める。
 引っ込めて、そして。嶽木は遂に言った。
「……それじゃあね。遊嬉ちゃんの人生が、名前の通り遊びのゆとりと嬉しさに溢れたものになりますように」
 別れの言葉、その終わりに来るべき言葉を。
 遊嬉は涙溢れる目を大きく見開いて、そして勢いよく背後を振り返った。
「嶽木、あたしね……っ!」
 叫ぶように言い、――そしてそのままの体勢で固まる。…………彼女の背後には、もう誰も居ない。
 ある意味宣言通りに。そして別れ時を見失わないように、長引いて辛くならないように。草萼嶽木は行ってしまった。
 遊嬉はそれを理解して、黙って、そのままベッドの上に握った拳を力なく打ち付けた。

 雪は夜半前までにひっそりと降るのを止め、その名残は翌朝にうっすらとだけ残った。
 ――卒業式の、朝がきた。

HOME