怪事廻話
補環・約束の果て

 彼方へと遠ざかり閉じてゆく光の中で、異怨は思い出す。

 彼女は白竹色の髪を持って生まれた。それは化け竹より生まれ出で主に蒼から緑、黄緑の髪を持って生まれる彼女らの種族のなかでは極めて珍しく、不吉の象徴であった。
 故に彼女には与えられるべき名が与えられず、それでも便宜上白子しらこ姫と呼ばれるようになった。
 白子姫は他から浮いている容姿に加えて育ちが他より遅く、すぐ下の妹の方が姉に見えるほどで、言動もいつまでたっても幼いままであったため、周囲から馬鹿にされいびられる毎日を送っていた。
 役立たずのくせにと食事もろくに与えられず、常に腹が減っていた。堪えきれずに山の中で野草や木の実、キノコなどを一人探して泥だらけになるのだが、それが更に嘲笑といびりを加速させた。
 唯一、すぐ下の妹姫だけは庇ってくれるのだが、何十と居る姉姫たちからはとても庇いきれない。
 妹姫が申し訳なく謝る度、白子姫は自分がみっともなくて仕方なかった。
 せめて自分がもっと賢く足りているものだったら、白竹色の髪でなかったら、身体もまっとうに育っていたら。……あの意地の悪い姉姫たちがいなかったら。
 そしてある時また食べ物を求めて分け入った森の中で、掌に乗るほどの小さな、けれども大きな輝きを放つものを見つけた。

 それは遥か宇宙の彼方から飛来した"なにか"。世界を思う通りに変えてしまえる【運命の星】。
 けれどもそんなことを知らずに拾い上げた異怨は、光の中に天女を見た。

 ――もしも意のまま世界を変えてしまえるとしたら、あなたはなにを望みますか。

 その天女の問いかけに、白子姫はこう願ったのだ。――「おらをいじめるねえさんたちをころしてください」と。
 それは天女の意に反する答えだった。
【星】は白子姫に罰を与えた。そして次に彼女が目覚めたとき……果たして彼女の願い通り、姉姫たちは全て死んでいた。彼女が自ら食い殺すという形となって。後には唯一味方だった妹姫だけが残されて、けれども彼女は白子姫の姿を見て怯え震えた。
 そのとき白子姫は、妹姫に伸ばした自分の右手が怪物のようになってしまっていることに気付いた。
 化け物になってしまったことに絶望した白子姫は自ら命を絶たんとしたが、天女の罰か、彼女は死ねない身体となっていた。
 焼こうが刻もうが、肉の一辺でも残っている限り彼女は蘇ってしまう。そして蘇る度にどんどん壊れて行った。正気で居る時間が短くなり、正気でない間は動くものは見境なく襲い。次第に自分より大きな獣を仕留めて食らうようになった。
 白子姫はそんな自分が恐ろしかった。このままでは、今は辛うじて襲っていない妹姫を手に掛けるかもしれない。そして正気の間に妹に頼んだのだ。自分をどこかに閉じ込めてくれ、と。
 妹姫は重々しい表情で頷いた。初めは怯えていた妹姫にも思うところはあったのだ。自分が白子姫を庇いきれないから、姉はああなってしまったのだと。
 かくして、白子姫は地下に閉じ込められ、更に片足を鎖で拘束された。そして姉妹は約束したのだ。

「そのうちいずみ・・・のこともわからなくなる。そうなるまでに殺す方法をみつけてほしい」
「……必ずきれいに殺してあげます。待っていて」

 妹姫は泉という名だった。彼女は約束の為に姉を閉じ込め、その間化け竹が新しく生んだ子供はどんな異端の姿であろうと愛そうと誓った。
 白子姫と同じ悲しい思いをさせないために。滅多に生まれず他所の群れでは排除されがちな雄の同族も他の妹たちと等しく愛した。
 火遠はその中に生まれた。捻じ曲がることなく育った火遠は白子姫を拒絶した【星】に受け入れられ旅立ったが……残された嶽木は寂しさの中で見つけてしまった。隠された地下への扉を。興味本位で開き、そして解き放ってしまった。
 惨劇が起こるのは必然だった。すっかり正気を失ってしまった白子姫は妹たちを食らい、食らい、最後に泉姫までもを食い殺してしまった。
 そして駆け付けた火遠に一度討伐され、蘇り、野に放たれ――怨みとは異なる荒ぶる者となった彼女を鎮めるために火遠が付けた名……それが"異怨"だった。

 異怨は――曲月嘉乃と同化して共に大霊道の底へ落ちる刹那、その断片を思い出した。
 泉姫との約束を。そして自分が泉姫を殺したことを。

(せかい、まっくら)
 異怨は思う。
(いずみ、もういない。やくそく、やぶったから。おれ、わるいこ。だから、かえらなくて、いい。てけてけ、げんきなら、いい。がっき、かのん、みずね。げんきなら、いい)
 それでよかったのだと。遠ざかり消えて行く地上に光を感じながら。今更救われる必要はないと。
 けれども一方で、こうも思うのだ。
(さみ、しー、なー)
 寂しい、と。
 それは単に自分だけが寂しいというわけではなく、きっと、おそらくは。同化している曲月嘉乃の感情でもあった。
(……よみの、さみしーか?)
 異怨は思う。けれど口がないので嘉乃には伝わらない。
 だが、伝わらなくてもいい。そもそも伝えることは得意ではないのだから。――異怨は拙いなりにそれに近いことを考え、伝わらない言葉を語り掛け続けた。

(くらいとこ、へーき。いっしょに、いて、やるから、な。なくな、なくな?)

 大霊道は完全に現世と断絶されようとしていた。
 封印に押し込められた瘴気はこれから再び長い長い年月をかけて地表を目指し、遠い遠い未来にまた噴き出すのだろう。
 何もかもが"影"よりも濃い、無としての闇の中に見えなくなっていく。
 自他の境すら不明となっていくその瞬間、異怨はもう存在しない耳に誰かの独り言を感じた気がした。

「……変に同情しやがって。……まったく揃いも揃ってとんでもない狂人だよ。君ら・・きょうだいは」

 その声は、少しだけ涙声だった。異怨がそこまで感じ取ったかは、定かでない。



(補環・約束の果て・完)

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