怪事廻話
第十環・エクストリーム④

 亜璃紗が宙に放った護符は、それ以外の術式の発動を妨害するものだった。
 必然的に火遠の護符も、そして乙瓜や眞虚の主な攻撃・防御の手段である護符も封じられてしまうが、少々異なる理屈から発動している魔鬼の魔法や、遊嬉・杏虎・深世らの攻撃手段を封じることはできない。
 そして……術式を妨げる根源が葵月蘰の操るのような実体のないものではなく、且つ妨害の術を操る本体が見えている現況、美術部らがやるべきことは一つだった。混乱している暇も戸惑っている暇もない。
「あの護符を!」
「おうさ!」
 効力を失った火遠の護符の紙吹雪の中で。眞虚が大声で指示を出し、遊嬉、魔鬼らが前へ出る。当然のように嘉乃の髪手・・が迎え撃つが、杏虎が弓引き放って牽制し、そんな杏虎の背後を深世が護る。髪手は当然現状対抗手段を持たない乙瓜と眞虚にも襲い掛かるが、火遠が崩魔刀でそれを振り払い薙ぎ払い、彼女らを一時退避させた。
 しかし異怨の力を得た嘉乃の髪手はたちどころに再生し、護符の破壊に向かった二人と援護の二人をしぶとく妨害し続ける。当然琴月は未だ無傷であり、護符が一つ破壊されれば見計らったように新たな一枚を放ち、なんとも余裕の表情だ。その上嘉乃本体と葬魔槍も未だ健在。琴月が現れて以降は一所に浮かんでいるが、再び衝撃波を放つとも限らないし、槍で突撃を仕掛けるとも限らない。
(いずれにせよ乙瓜と眞虚が護符を発動できないままではマズいな)
 火遠は考え、嘉乃の髪手の射程外へと逃がした二人に向けて言った。
「護符がまた使えるようになったら防御系の結界陣を最大で展開、それまでは歯痒くても攻撃を逃れることに専念して。わかったね?」
「……お前はどうするんだ?」
「決まってるさ」
 言って背後を振り返る火遠を見て、二人は彼の考えを理解した。
 再度嘉乃に接近し、琴月を叩く。残った四人が既に実行していること。今更わざわざ問うまでもなかったこと。

 嘉乃の野望を大霊道諸共封じる為に。大霊道から力を吸い上げる"影の魔"の動きを一時的にでも止める為に。その為には美術部全員の力が不可欠で、故にそれらすべてを阻害している琴月亜璃紗を撃破、あるいは最低でも行動不能に陥らせなければならない。

「火遠くんも気を付けて」
「当たり前さ」
 真剣な眼差しを返す眞虚と乙瓜に火遠は頷き、再び嘉乃目がけて高速で、風を切る猛禽のように飛び出した。その手の中で、崩魔刀を日本刀の形へ――遊嬉がよく使っていた形へと変える。そして進行方向を穿つように刃を構え、嘉乃の背後から生える女を真っ直ぐに見据えた。【星】に託された焔の宿る右目と、乙瓜に刺し抜かれ影に沈んだ左目で。
 そうして琴月亜璃紗の本体に奇襲をしかけたところで、しかしその目論みは金属音と飛び散る火花によって阻止される。
「嫌だなあ、僕を無視しないでおくれよ」
 ――曲月嘉乃。彼手にした葬魔槍に。
 崩魔刀を受け止めた彼はにやりと笑い、対する火遠は「やはり一筋縄ではいかないか」と顔を歪める。
 その一瞬の隙を突き、嘉乃の髪手が一斉に火遠に襲い掛かる。首を絞め、頭を掴み、手足を抑え、もぎ取らんばかりの勢いで翼を左右に引き。火遠を宙に貼り付ける。
 そうして標本の昆虫のようになった火遠を見て、嘉乃は呟く。「ザマぁないね」と。
「無様だね。でも君が悪いんだよ。……君が本気を出さないから。僕のことをナメてかかってるんだろ。今この瞬間も。本気を出しさえすれば、【星】の力さえ使えば、どんな状況からでも勝てるもんな? 全く腹立たしいよ」
「…………」
 火遠は答えない。答えようともしない。今更迷いがあるわけではない。既に答えるべきことは何度も示してきた。今更言葉で示すことはなにもない。そうした沈黙だった。目がそう語っていた。
 嘉乃は己に向けられる視線の意図を理解した。表情からは三日月のような笑みが消え失せ、代わりにつまらなそうな、腹立たしそうな、煽りではなく心の底から悔しそうな表情が浮かぶ。
そうかよ・・・・
 嘉乃は小さく呟いて、火遠を捉える髪手に更に力を込めた。
 火遠はそれに苦痛の声を漏らし、けれどもその後でフと笑い、口角を上げた。まるで嘉乃が捨てたその表情を拾い直すように。そして言う。
「馬鹿だな君は。……そんな簡単に集中を欠くもんじゃあないぜ?」
「何?」
 嘉乃が眉をひそめるのと殆ど同時、彼の背後に居る亜璃紗が叫んだ。
「お父様いけません、避けて!」と。その悲痛な叫びに嘉乃はスッと我に返り、そして大きく舌打ちした。そして宙を蹴り、距離を取る為に折角捉えた火遠から髪手を離した。
 直後、先程まで彼が立っていた場所を紫色の光・黒梅魔鬼の魔法怪光線が駆け抜け、遅れて青色の光・白薙杏虎の矢が雨のように降り注ぐ。
 そう。因縁の敵を下す好奇と見て、嘉乃が髪手の殆どをを火遠に向けてしまったため、美術部は嘉乃への攻撃の機会を得たのだ。
「……使い潰して来た部下たちによほど大事にされて来たようだね嘉乃。多勢に無勢ではあまり戦い慣れてないだろう?」
「抜かせ! いい気になるなよォ!」
 拘束を逃れた火遠の言葉に激情し、嘉乃は背後に迫る美術部を振り返り、槍の穂先を向けた。
 当然、あの衝撃波を放つために。けれども嘉乃の目に飛び込んで来たのは美術部ではなく、自身の周囲上下左右を取り囲む大量の護符、護符、護符。
「護符結界……!? 何故ッ!?」
 対護符式は。そう問い質そうとした嘉乃に、背後の娘はばつが悪そうに「申し訳ありませんわ」と返す。
「対護符式符を破壊されました。……そしてわたくしもも、……腕を」
 と、"影の魔"の力で生成された服伝いに亜璃紗が嘉乃に見せた腕は、肘から先が綺麗に両断されている。
「再生できないのかッ!」
「生やせないのです刀の小娘に斬られてから!」
「退魔宝具か……!」
 嘉乃は忌々し気に周囲を見渡した。
 亜璃紗の腕を斬ったのは、言うまでもなく遊嬉だった。魔鬼と杏虎の攻撃を回避して、嘉乃にはまた僅かな隙が生まれた。遊嬉はそれを突いて次の護符を用意する亜璃紗に飛びかかり、一瞬の間にその肘から先を斬り落としたのだ。
 退魔宝具は妖怪やそれに類するものに対して理屈を超えた攻撃力を有する武器。それをもって"肘から先を切断される"という運命が定まったなら、それはもう覆すことができない。
「……やってくれたな草萼火遠、やってくれたな美術部ッ!」
 嘉乃は怒りに震え宙に地団太を踏み、それから蒼の退魔宝具を強く握りしめた。

「…………これで思う通りになると思うなよ……! 【彼女】を断たせてなるものか……!」
 声を恨めしく絞り出すや否や、嘉乃の全身からどす黒いオーラのようなものがどっと溢れ出した――

 一方その外側の美術部は、大霊道に起りつつある更なる変化を察知していた。
 "影の魔"が力を吸い上げ続けた影響で、穴の底に封じられているモノたちが這い出しつつあるのだ。周囲の崩落も進み、グラウンドの半分以上が既に禍々しい穴に飲み込まれている。
「ね!? 嘉乃の動きは封じたし、早いところ封印の秘術を発動させようよ!」
「いいや、まだだ」
 焦る遊嬉にそう返し、火遠は影の魔の触手と、イソギンチャクのようなその根本に目を遣った。
「この触手を絶ち力の供給を絶たないと。そして少しでも多く吐き戻させるんだ。そうでないと、【月喰】の計画がついえたとしても大霊道の瘴気だけがあちこちに拡散してしまう。……耐性のない生き物は数日で死に至る!」
「そっかぁ……ちくしょー、面倒だなあ」
 遊嬉は苦い表情を浮かべた。けれども火遠は更に続ける。
「だから念話で共有した通り、俺はあの影の魔の吹き溜まりの奥へと飛んで光を当てて来る。あれらはまだ人の肉すら模していない"影"だから、それで怯んで力を吐き戻すはず。そうしたら君たちは穴に伸びる触手の根を絶って欲しい。嘉乃が結界を破って出て来るかもしれないから、俺が戻るまで警戒も続けて」
「任された! わかりましたぜせんせー!」
 調子よく答える遊嬉に微笑み返し、火遠は次に深世を見た。
「あと歩深世」
「あゆみ……いや、何?」
「……ホシンセイって言われるかと思っただろ? 君は霊道の奥に向けて祓魔鏡ハラエマノカガミの光を当て続けて欲しい。の連中もそれで暫く出てこないだろうから」
「いいけど……」
 言って、深世は鏡を見た。
「封印されてるヤツってそんな強いの? 鏡で消し去れないくらい?」
「それが出来るなら薄雪山神が最初にそうしてるさ。けれど祓魔鏡の本質はあくまで祓い清めることだからね。取り除いた分の穢れとかはどこかに残ってるし、まさにそういうものの最終処分場とでも言うべきあの穴とその奥に蔓延はびこるモノどもには効果がない。同様に、決してなくなることのないこの世の影そのものである"影の魔"も、一時的になら掻き消すことは出来るだろうがすぐに再生してしまうし、その一部を纏っている嘉乃にも効かないだろう。……人間の存在の一部を奪い・取り込んでいる琴月亜璃紗に対しては多少違うようだけどね」
「簡単には行かないってワケか」
 深世は残念そうに呟いて、けれども納得したように「わかった」と頷いた。
「それじゃあ、遊嬉、深世、杏虎、眞虚、魔鬼、乙瓜。少しの間頼んだよ」
 火遠は六人それぞれに目を向けて、そして改めて影の魔の根本を目指した。
 それを見送る美術部の目には、火遠を取り巻く光の鱗が、すっかり暗く沈んだ周囲の中にやけに綺麗に映った。それは逆説的に、皆既食までそう時間はないことを示している。
「早く戻ってこいよ……」
 と。魔鬼が小さく呟いたところで、美術部は一斉に結界の側を振り返った。皆同時にある一点を見つめ、そして代表するように遊嬉が言う。

「はーん? なるほど。まだ刺客が居たってワケ?」

 彼女が紅蓮赫灼の切っ先を向けて示す先には、縦に白黒に塗り分けられた奇妙な面を被った二人の男たちが居る。
 結界の上に浮かぶように立つ彼らは美術部も初めて見る存在で、当然の彼らが嘉乃の専属護衛であることも知らないし、『右の御方』『左の御方』と呼ばれる存在であることも、能力もなにも知らない。故に美術部も少々身構えるが、けれども誰もこの場を譲るつもりはない。
「名乗りな? 弔ってあげるから」
「名などない。嘉乃様を守る、我らはそれだけに在る者」
 男の内、背の高い方・『右の御方』は低い声でそう答えながら、手にした杖のようなものの端を両手で持ち、左右に引く動きを見せた。すると杖だと思っていたものの内側から光るものが顔を覗かせる。
 遊嬉らがそれを刀の仕込み杖と理解するのにそう時間はかからなかった。そしてもう片方の男・『左の御方』を見遣れば、そちらのほうも手にした弓を引き――どうやら彼らにもこの場を譲る気はないらしい。
「どうするんだよ」
「戦うしかないっしょ」
 尋ねる深世に遊嬉はそう答え、それから「深世さんは下、照らしてて」と続けた。
「ちょっと仕切るけど。あたしと魔鬼とであれらを叩くから、杏虎は援護、乙瓜ちゃんは壁お願い。眞虚ちゃんは深世さん守って」
「勝手に仕切るなし。……まあいいけど」
 魔鬼は渋々と言った調子で遊嬉を見て、殆ど原型をとどめていない定規の杖を刀のように構えた。
 その上で、乙瓜を振り返る。
「後方・結界・援護、任せた」
「言われなくても任されてる」
 魔鬼はニッと笑い、そして既に動き出した遊嬉に続いた。



 その頃影の魔の触手の群れの中に飛び込んだ火遠は、その奥地で見つけたものに息を呑んでいた。
「これは――」
 そう呟く彼の視線の先には、触手の中に埋もれる髪の長い女の姿があった。
 血色の悪い肌色で眠るように両目を閉じる彼女は、けれども死んでいるというわけでもないらしく、手を近づけてみれば微かに息があるのがわかる。その姿はこの"影の魔"の中に取り込まれた哀れな人間にも視えなくもないが――しかし火遠にはその顔に見覚えがあった。
 現実には会ったことはない・・・・・・・・・・・・。だが、確かに一度会っている・・・・・・・・・・
 長い長い眠りの中で。世界が今まで刻んで来た全ての時間の出来事の走馬燈で。
 髪の長さこそ違うものの。昔日の嘉乃と共にいた、この女性の顔を。火遠は知っていた。

天海あまがい照子てるこ……!」

 夢で嘉乃がそう呼び、現実で丁丙が調べ上げた、既に亡くなっているはずの人物。そして恐らく、嘉乃が【月喰の影】を組織する真の切っ掛けとなったであろう女性。
 "影の魔"の中心に存在したのは、まさにその天海照子と同じ顔を持つ存在だった。

 ――誰も照子を救わなかったじゃないか! 救おうともしなかったじゃないか! ヒトもケダモノも、結局は同じじゃないか!
 嘉乃が火遠が邂逅する一年前、それは既に始まっていた。

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