怪事廻話
第十環・エクストリーム②

 美術部が天に飛び立ったその頃、草萼火遠は動ける味方を促して傷付いた味方を校舎へと撤収させ、自らも姉の元へと向かっていた。
「姉さん!」
「火遠か」
 答え振り向く嶽木はこしらえすべてが壊れ剥がれた刃毀はこぼればかりの刀を、ボロボロになった衣服の切れ端で古木の腕に固定しているという有様で、彼女が身体の限り戦い抜いてきたであろうことは想像に難くない。
「姉さん一旦グラウンドから離れよう。遠からず美術部が封印の秘術を発動させる」
「……ああ、そうだね。遊嬉ちゃんたちの邪魔にならないようにしなくちゃ」
 ふぅと息を吐き、嶽木は上空を見上げた。そしてやや残念そうに呟く。
「おれはもうここまでみたいだ。身体は平気だけれど、飛び立つだけの体力がない」
「構うもんか。……姉さんはとてつもなく頑張ったよ」
「……夢中で藻掻もがいていただけだよ。頑張ったというならそれこそ乙瓜ちゃんや、水祢にでもいってやることだよ」
 ほら、と嶽木が指さす先に、兵装車両の付近で倒れる花子さんらを変異させた腕にまとめて担いでグラウンドを離れようとする水祢の姿があった。
「大した弟だよ。少し前まで口を開けば兄さん兄さんとしか言わなかったのに」
 嶽木はその口許に笑みを浮かべ、それから火遠に向き直った。
「火遠は行く・・んだろう? なら地上のことはおれや丙、ヘンゼリーゼに任せて。離れていても、遠くに居ても……共に。共にこの影を取り払おう」
 共に。そう伝える姉を見つめ、火遠はコクリと強く頷いた。

 直後、火遠の髪に宿る炎が翼と変わり、彼の頭と背中に二対四枚の翼を作る。
 その被膜に宿る夜明けの紫色を、虹を散りばめた透明な鱗が囲ってキラキラと輝く。髪は山鳥の尾のように長く長く伸び、見る者全てにその細く折れそうな身体を強く大きなものと錯覚させた。
 それは三月に見せた姿。【運命の星】の力に選ばれた者に許された最終的な超越ファイナルエクストリーム。星をめぐって孵る力・世界という舞台装置を廻しこじ開け塗り替えるご都合主義の機械仕掛けの星デウス・エクス・マキナ。そういうものとしか説明しようのない、理不尽の塊。
 火遠はそれを知らぬままに天女から【星】を授けられ、関する知識を無意識の内に本能へと刷り込まれた。
 しかし当の火遠本人は、ねじ込まれたそれらの知識に無自覚なままだった。
 決して短くない年月、記憶領域の片隅に仕舞われたままだったそれら知識が初めて火遠の意識にリンクしたのは、富岡沙夜子が死に向かうあの日あの状況下。開花表出した能力と共に浮上した知識それに触れて、火遠は本当のこと・・・・・を知った。
 否、思い出したというのが正確だろう。
 あとからエルゼに教えられるまでもなく、己に宿ったその力がどういうものであるのかを。火遠は己の無意識の中から思い出したのだ。

 刷り込まれた知識は、言葉もなく火遠に全てを教えた。
【星】は宇宙を廻る【種】。宇宙を構成する大きな樹の【種】。……遥か未来か、またはこの世界の外側か。そこで停滞した宇宙を再び動かそうとしている【六つの存在】が、【停滞を打破する可能性】を生み出す実験の中に投じた希望の欠片たちの一つ。
【欠片】は宇宙に存在する様々な存在の間を廻り、この宇宙は何度も死と再生を繰り返してきた。何度も何度も、【欠片】を与えられた者の望んだ姿に塗り替えられながら。
 宇宙を塗り替えた者は新たな【欠片】を拡散し、生命のくびきから解放される。
 前回この宇宙を終わらせた者は鳥となった。鳥は燃え続ける星になり、この地上からもよく見える場所で強く光り輝いている。
 けれど、鳥の次に【種】を与えられた"女"は宇宙の書き換えを望まなかった。
 望まなければ、宇宙を変えなければ、真に超越した存在にはなれない。本来のキャパシティを超えた力に肉体が耐えられず、じわじわと蝕まれて死ぬしかない。【欠片】はそうして己を拡散しない者を滅ぼし、新たな宿主を探しに行くのだ。
 先代の"女"はそれを承知の上で、自ら【欠片】切り離した。その過程で【欠片】は更に二つに分かれ、一方は宇宙の彼方へ、もう一方は青い星へと落ちて行って――そこで籠の中の鳥のように生きる少年に拾われた。

 ――あなたは広く世界を見なければなりません。自分の足で世界を歩き、自分の目で世界を見つめ――そしてこの世界を殺すべきか生かすべきか、自分の頭で考えなくてはなりません。それがわたくしの最期の願い。

【種】の中に残った"女"の意志は少年に言った。だから少年は――火遠カエンは山を下りて、仲間を得て、失って、世界の美しさと醜さを知って、……その果てに"女"と同じ道を選ぼうとしている。
 今、まさに。神聖で強大に見えるその変身の裏で、じわじわと命蝕まれながら。

 そんな火遠の覚悟を、飛び去った後の風を受ける嶽木は知らない。だが、彼女には彼女なりの覚悟がある。
 すっかり火遠の背が遠くなった頃を見計らい、嶽木はとある二つの学校妖怪の名を呟いた。
「たろさん、闇子さん。居るかい?」と。口にするなり彼女の隣の空間に黒い穴がぽかりと口を開け、その中から「おうよ」と声が、遅れて闇子さんとたろさんが顔を出す。
「撤収だろ? あちこちで倒れてるやつらは動ける奴とお婆ちゃんババアが粗方回収したから、嶽木も早くこっち来な!」
 手を伸ばす闇子さんに続き、たろさんも「嶽木殿早く」と促す。封印の秘術に巻き込まれれば、如何に嶽木であろうとただでは済まされないだろうことは明白だ。そもそも、あの火遠ですら十一年前の事変の後始末から自力で抜け出すことが出来なかったのだから。
 ここは退くべきなのだ。美術部に対する嘉乃の抵抗はあるだろうが、彼女らに味方を巻き込んでしまったなどという後味の悪い思いをさせない為にも、味方は一旦遠くへ離れ、精々遠距離からの支援に徹するべき場面なのだ。
 ……だというのに、嶽木は。つい先程火遠に言った言葉を覆すように首を横に振り、そしてこう言った。
「いいや。校舎へ行くのはまだ後だ」
「はァ!?」
「後」
 嶽木は驚き訝る声を上げる闇子さんに二度はっきりと意思を示し、……それから美術部らが飛び火遠の向かった空を指さした。
 そして、云うのだ。

「闇子さん、試しに聞くけどこの穴あの空に繋げられるかい」と。



 火遠が飛び立つ少し前、三階指揮所のヘンゼリーゼは唐突に「あら」と呟くと、胸の高さで手を前に出し、その掌中に水晶玉を出現させた。
 その水晶玉は青く輝き、ヘンゼリーゼの手前四メートルほどの空間に四角い光を投影する。丁度映画のスクリーンのように。唐突に現れた光のスクリーンを見て、神社姫が「うお」と声を上げ、ミ子は無言で瞬きする。一応は驚いているようだ。
 そんな二者が見守る中で、スクリーンの中には画像が映し出される。妙に暗い背景だ。指揮所の全員がそれを認識した次の瞬間、画面の向こうからは「もしもーし」と陽気な声が響き、続いて明るい赤毛の女が画面全体に大写しになった。それはヘンゼリーゼが初めに召喚した悪魔の一柱・大鴉の悪魔だった。
「あれは飛行一班と共に行った……」
 ミ子がそう呟く中、ヘンゼリーゼはきわめていつも通りの様子で「あら久しぶりね」と画面の向こうへ語り掛けた。
「通信がないから死んじゃったかと思ってたわ。元気かしらトーニカ?」
『縁起でもないッスね、こっちは極めて元気ッスよフロイライン・ヘンゼリーゼ。リッヒ・・・とヨーカイのみなさんも元気元気。アルミレーナ嬢と三咲嬢の使い魔も』
「それはなによりね。……で、何か進捗はあったのかしら?」
『それなんッスよォ』
 鴉の悪魔は溜息交じりにそう言って、それから画面の向こう側――自らにとっての背後を示した。
『なんもないんですわ、ここ。確かに本部の建物自体はあったんですがね、これがものの見事にもぬけの殻』
「なるほどね。つまり罠だったと」
『やけにすんなり通されたと思ったんッスよ。ここには敵が居ない代わりに助けるべき相手も居ない、そしてなにより出口がない』
「まんまと敵の罠に引っかかったというわけね。【月喰の影】は戦わずして十以上の戦力を無力化することに成功した、と」
『まぁ明け透けに言えばそうなんスけど。その代わりリッヒが興味深いものを幾つか見つけまして』
「あら、なにかしら?」
『それが――』
 画面越しの悪魔が言葉を返そうとしたところで、指揮所教室のドアがガララと開いた。
 ヘンゼリーゼは入口を振り返り、同時に魔女と悪魔の遣り取りを静観していたミ子と神社姫も振り返る。
 そうして皆が一斉に目を向けた教室の後方側扉の先には、白く小柄な人物・丁丙の姿がある。彼女はキョトンと目を見開いて――すぐにキリッとした真面目な表情になり、教室へと一歩踏み入った。
「ここは無事だったか」
 丙はそう呟いた後でヘンゼリーゼの持つ水晶玉とそこから光で繋がるスクリーンに気付いた。そしてそれがヘンゼリーゼの使役魔方面からの通信であると丙が察するのに、そう時間はかからない。
「取り込み中か」
「そうでもないわ」
 尋ねる丙にそう答え、ヘンゼリーゼは水晶玉に向き直った。その瞬間に丙が来た扉側から、蜜香がそっと顔を覗かせる。取り込み中の気配を感じた彼女は静かに教室に入り込むと廊下側の壁に背を付けて、室内の皆がそうしているように魔女のスクリーンへと視線を向けた。
 そのスクリーンに映る鴉の悪魔はコホンと一つ咳払いして「いいッスかね?」と断ると、あるもの・・・・を示して見せる。
 それはなにも大したものではない、小さな写真立てに嵌めこまれた一枚の古ぼけた写真だった。
 いかにも写真館で撮ったというよな無地を背景にして立つ二人の人物。着物姿の大人の女性と、袴姿の十代前半ほどの少年か少女。一見親子のようにも見えるが、恐らくそれは違うだろう。写真は劣化が進んでいるものの、子供の方の姿は恐らく、いやきっと――
「……曲月嘉乃の写真か」
 最初にそう呟いたのは丙だった。悪魔はコクリと頷くと、「これだけが残されてたんスよ」と続けた。
『どうなんスかね、これ? 曲月嘉乃と人間の写真だと思うんスけど? 猿神サマなにかわかります?』
「……さあな。あちきにもその写真の意味は分かりかねるが……けれども一つ確かにわかることがある」
 丙はそう答え、表情をやや険しくしてこう続けた。

「曲月嘉乃の隣に写る女。彼女の名前は――天海あまがい照子てるこ



 一方その頃美術部は、槍を構える嘉乃と彼の上空から伸びる影の触手を包囲し、その動きを縛り大霊道封印を決行する為に動き出していた。
 乙瓜と眞虚が結界陣・結界壁で嘉乃の進路を阻み、その間に遊嬉が大霊道から力を吸い上げる触手に斬りかかる。当然それを阻もうとする触手を深世の鏡が薙ぎ払い、魔鬼と杏虎は嘉乃の死角に回り込んで、葬魔槍の間合いの外から攻撃を試みる。
 しかし敵は流石の曲月嘉乃、退魔宝具の蒼き槍は二重重ねの結界を貫き破り、長く伸びた髪が騒めき動いて視界外の敵を討つ。遊嬉らに攻撃される触手も断ち切られる度に次の触手が再生し、いかに祓魔鏡ハラエマノカガミ事割剣コトワリノツルギが一器当万の退魔宝具だろうと一向に屈する気配が見えない。
「……ぜんッぜんきりがないッ!」
「当たり前じゃないか。"影の魔"の力はこの世の影そのもの、この宇宙に幾億万の星が煌めいても消すこと敵わない闇の力だ! 君たち如きぽっと出の人間に掻き消されるような代物じゃないと知れッ!」
 悲鳴のように叫ぶ遊嬉を嘲笑うようにそう言って、嘉乃は葬魔槍の穂先を天にかざした。そしてくらい輝きを放ったかと思うと、嘉乃の周辺を飛翔する美術部全員を不可視の攻撃が襲った。言うならば、衝撃波が。槍の間合いなどお構いなしに、彼女らの全身にくまなく襲い掛かる。
「……がッ!」
「うぁッ」
 美術部らの口から短い悲鳴が上がる。圧迫された肺から空気が無理に押し出され、胃液が食道を遡って各自の吐き気を促進した。
 銘々に苦悶の表情を浮かべる彼女らを見て、しかし嘉乃は浮かない様子でいた。
「へえ、その程度で済んでしまうのか。本当なら、君たちみたいな人間は肋骨が砕けて血を吐いててもいいはずなんだけれど。その服の所為だね」
 つまらなそうに、残念そうにそうに呟いて、けれども嘉乃は槍を構え直し、再び口角を上げる。
「けれど決して攻撃が通らないわけじゃない。それならどれほどまでの攻撃に耐えられるか、僕が耐久テストをしてあげよう!」
 嬉々として言って、嘉乃は宙を蹴った。翼も無いのに空を駆る、彼の行く手一直線の先には乙瓜の姿がある。
「まずは君からだ、裏切者の愛娘ッ!」
「なっ……――くそがッ!」
 やや遅れて嘉乃の行動に反応した乙瓜は、咽喉元まで逆流した気持ち悪さを飲み込んで護符を構え――直後それでは間に合わないと察し、代わりに骨組みの翼を己の前面へと付き出した。己を守るように、鳥籠の格子状に。
 しかし嘉乃は急ぎわが身を守ろうとする彼女を嘲笑うように黄金の目を爛々と輝かせる。
「馬鹿め、そんなもので守れるわけがないだろう! そんな隙間だらけの翼でッ!!」
「――っ」
 乙瓜は思う。そんなことは自分が一番理解している。こんな隙間だらけの翼では槍から身を守るクッションにすらなりやしない。……だが、それでいい。
 槍が翼の隙間を抜け、次は乙瓜の身体を刺し抜くかといった刹那の瞬間。その瞬間に乙瓜は全神経を集中させた。
「……大事なことを忘れてるぞてめえ!」
 乙瓜が叫ぶ、その手前の何千分の一秒か手前。乙瓜の翼は急速に変形し、槍を挟み捉える壁と化した。
 それはあらゆるものの影である"影の魔"の有する変形能力の一端。彼女と同じく"影の魔"の分身として生まれた同類が忘れさせられている己の正体・・・・を自覚したが故に、乙瓜はその力を再現することができたのだ。
 だが、槍を絡め受け止められた嘉乃はといえば、さして驚く様子もなく。「なるほどやるね」と余裕に笑むと、槍を手放さないまま、乙瓜の目を見てこう続けた。
「けれど君の方こそ大事なことを忘れてるよ。僕が君を攻撃するのに、槍を動かす必要はない」
 さっきみたいにね。嘉乃が楽しそうに目を細めるのと、乙瓜を再び衝撃が襲うのは同時だった。
「ァ……うぐッ」
 乙瓜の口からは意味を成さない呻きが漏れ、槍を抑えていた壁はあっけなく軟化して骨組みの形へと戻る。
「出力はさっきの1.5倍ってところかな」
 嘉乃は苦しむ彼女を前に対して感慨もなさそうにそう呟くと、即座に槍をくるりと回し、穂先を背後へと向けた。
「君も体験してみたいのかい?」
 と、彼がにこやかに言葉を投げかける先には怒りの形相の黒梅魔鬼が、魔法出力で一メートルほどに伸びた定規を嘉乃に向けて攻撃を仕掛けんとする姿がある。そして彼女を中心として扇状に、更に他の美術部四人が迫っている。
 その時魔鬼の爆裂魔法は既に発動していたが、それが嘉乃を襲うよりも早く、魔鬼ら五人を槍の衝撃波が襲った。秒差で魔法が炸裂。しかしその爆炎の去った後にはすました表情の嘉乃が在り、そして彼の髪に巻き取られて、ボロボロの乙瓜がそこに居るのだった。
「っ……乙瓜ッ! ……てめえ!!」
「ごめんね、丁度手頃だったから盾にさせてもらったよ。というか、君たち変身したとはいえ六人だけじゃ全然大したことないね。身構えて損した、まったく拍子抜けだよ」
 叫び睨む魔鬼に悪びれもせずそう言って、嘉乃は己の髪に絡め取った乙瓜を見た。
「こ……んのやろっ……離せッ!」
「おや、まだ意識があるのか。意外だな」
 嘉乃はひゅうと口笛を吹いた。二度の衝撃波と魔鬼の殺意全開の攻撃魔法を受けて未だ動き話す気力が残っているのは想定外だが、それならばそれでまだなぶり甲斐がある。そんな黒い感想から漏れ出した口笛だった。
「それにしてもこの服凄いね、なかなかの防御力だ。弱体化した田舎神の力の寄せ集めだと思って、こちらも少々侮っていたよ。……いや、この子の場合はもしくは――」
 嘉乃はそこで言葉を区切り、不自然に上体を逸らした。直後、何か鋭い風のようなものが先程まで嘉乃の頭のあった空間を走り抜ける。
 二度目の衝撃波の苦しみから立ち直ろうとしている美術部各員は、やや遅れてその正体に気付く。

 斬撃。
 赤い斬撃。そしてそれを放ったのは――

「遅かったじゃないか。……やっぱり君のお陰かい? 乙瓜がこうしてピンピンしてるのは」
 ゆっくりと。曲月嘉乃が振り返った先には、あけ色の翼と炎の尾、虹色の光の鱗を纏う者・草萼火遠の姿がある。
 皆既食の瞬間を控えた薄暗い空の中で。変身した美術部よりも明るく輝く異物の彼は、紅の退魔宝具・崩魔刀の大鎌を嘉乃に向け、静かに告げた。

「そうだとして頷くものか。……乙瓜を離せ曲月嘉乃!」

HOME