怪事廻話
第十環・エクストリーム①

 古霊北中学校に生まれた新星の輝き。
 天に突き抜けるその光は、得体の知れない魑魅魍魎と共に闇に沈みつつある古霊町の全域から観測されていた。
 町を包む悪夢のような状況の最中起った更なる怪奇現象は、多くの人にとっては絶望と受け止められた。これ以上なにが起こるというのか。やめてくれ。そんな叫びがあちらこちらでこだまする。

 けれども。

 ほんの一部の住人だけは知っていた。
 雑霊から逃れた屋内で、不安げに外を見る二年生以下の美術部員たち。
 あまりに怪奇な現象を前になにかすべきではないかとあたふたする神社の親族の間に居る八尾異と鬼伐山斬子。
 家族を守ろうと表に出た幸福ヶ森幸呼と、彼女の前に躍り出た烏貝七瓜。
 町を駆けて人々に襲い掛からんとするモノたちを倒し追い払って回る石神三咲とアルミレーナ。
 事情を知るほんの僅かな人々はその光の正体を知っていた。

 そして――事情は知らなくとも、以前。以前この町に溢れた怪奇を前に怯え、ある噂に縋った子供たちは願っていた。
 美術部に。"古霊北中学校美術部"という、この町の子供たちの間にのみ通じる概念に。

『キタチュー美術部は、妖怪や幽霊を退治して回っている。だからそういうので困っているとき頼れば、きっとなんとかしてくれる』

 町の噂。ちょっぴり眉唾な噂。けれどもちょっぴり信じられている噂。
 ――だって。"ひきこさん"騒動で手紙を出したら、美術部は解決してくれた。
 美術部は北中に巣食う妖怪とか幽霊とかを全部倒してしもべにしていて、四辻通りの怪異を退治したのも美術部。おフダの家が取り壊されたのは美術部が何かしたからで、伝染する悪夢を止めたのも美術部。北中に入って来た切り裂き魔の正体もオバケで、美術部が退治した。
 美術部が、美術部は、美術部に、美術部だから。――子供たちの多くは、囁かれる噂のどこまでが本当か知らないし、普段は半分冗談くらいにしか思っていない。だがこの未曽有の怪現象の中で彼らが咄嗟に思い浮かべ、精神的に縋ったのは、アニメや漫画のヒーローではなく。町の噂として身近な『なんとかしてくれる』存在。北中美術部だった。
 美術部はなんとかしてくれる。わからないけれど、きっとそう。
 多くの子供たちがそう願った。わけもわからぬままにそう、願っていた。

 有ると思えばそこに在り、無しと思えばそこに亡し。
 知って知る者の祈りと、事情知らずとも願う者の心。それらを一身に受けて、北中美術部は逆転の希望を開花させる。

 起動呪文、"エクストリーム"。
 その宣言は美術部の衣服を揃いの衣装に変化させた。
 シルエットのベースは夏制服、大胆にも背中の大きく開いた白いワイシャツと、巫女の緋袴を思わせる赤いボックスプリーツ。一見露出多めのその衣装はその実着用者の頭の天辺から足の先までを装甲しており、下手な鎧の何倍も強く身を守るようにできている。
 制服をベースに余計な装飾が少ないのは、それが美術部が平時活動する姿に最も近いため。巫女を思わせる配色は、過去大霊道を封じて来たかんなぎの者たちに併せるため。
 実益と伝統・二つの意味合いを持たされた装束を纏った美術部は、更にその生身の分部をも変化させる。

 それまでに負ったあらゆる傷は癒え、個々がこれまでに強く影響を受けたものへ近付く姿に変わるのだ。

 烏貝乙瓜の髪は自らを産んだ者に似て白く染まり、けれども毛の先に自らを救った者と同じ炎を灯し。
 黒梅魔鬼の髪は憧れた変身ヒロインのように長く伸び、乙瓜と同じように一部を紫に燃やし。
 小鳥眞虚は自らを蝕んでいた孔雀の悪魔と同じ白い翼を大きく広げ。
 戮飢遊嬉はその頭の片側に草萼嶽木と同じような葉を生やし。
 歩深世は雷獣と同じいかずちの煌めきを纏って。
 白薙杏虎は己の思うままの己を表すように、断髪前の長い二つ結びを思い出させる髪型に。

 各々新生したその姿で、美術部は遥か上空の嘉乃を見つめる。強い反抗の意志を込めて。
 そんな十二の視線を浴びて、当然嘉乃は面白くない気持ちでいた。
 チッと大きく舌打ちし、自らの蒼の退魔宝具・葬魔槍を握って彼女らを見下ろす。

「それがお前たちの逆転の希望、僕ごと大霊道あなを封じるというのかい。そんな力を見せびらかして、僕の願いを絶とうというのか!」
 不愉快に顔を歪ませた嘉乃に呼応するように、未だ兵装車両の中に残るアンナが叫んだ。
「させないよッ、そんなことは、絶対にッ!」
 叫ぶと同時、アンナは車両のハンドルを思い切り前へと引いた。もしその様を見る者がいたら八つ当たりと思うのではないかというばかりに、思い切り前へと。
 だがそれは勿論やけくその八つ当たりなどではない。ハンドルが引かれたことで車両のギミックが発動し、残存する兵装車両は『煙を撒く』『幹部を運ぶ』に続く最後の仕事を果たすべく動き出す。

「動き出す前にその命終わらせてあげるよ! ……ぐちゃぐちゃに潰れろォッ!!」

 アンナの咆哮と共に。兵装車両の箱型の荷台外壁が全てパージされ、代わりに現れたのは一台あたりざっと四十連装のロケットランチャー。それらは外気に晒されると共に火を噴いて、変身した美術部に、火遠に、校庭に残る者に、体育館に、校舎に、……アンナの目に映る【月喰】以外のもの全てに向けて見境なく放たれた。
 そこから射出される弾速はあまりに速く、常人ならば――並の妖怪でも――通常は避けることも出来なければ、なんらかの術で身を守ることすら出来ないだろう。いくら【灯火】の結界使いが再びその力を使用できるようになったとて、一度崩れた校舎付近の結界を着弾までに立て直すのは不可能に近い。
 貰った。内心そう思いつつも、けれどもアンナは『まさか』を想定できない程愚かでもない。唯一弾道を把握している自分とリンクしている人形兵、彼らの何割かは嘉乃と火遠らが睨みあっていた隙にロケット弾の被害を免れる後方へと撤収させてある。同時に破壊された仲間・・のパーツの回収・修復に務めさせているので、【灯火】が『万が一のまさか』を掴んで来たところでこちらが丸腰になることはないだろう。
(そういえば十五夜の弟の方ってまだ生きてたっけ? まあいいや。どうせ死んだところでマガツキ様の要の【彼女】に、兄諸共産み直してもらえるでしょう。葵月の姐さんも)
 アンナがふうと息を吐くと同時、あちこちで爆音が轟いた。衝撃が地面を揺らし、その揺れが大霊道を刺激して微震となる。アンナはそれをどこか心地よく感じていた。
 グラウンドは火に包まれていた。体育館は崩れ、校舎にも火が付いたように見える。
「……ほら。やっぱり君たちには奇跡は起こせないよ。"灯火"も君たちも。くだらないプライドなんて持つからそうなるんだ」
 それはアンナの独り言だった。……独り言の、つもりだった。
 だが。
『もし……もし?』
 どこからから聞こえて来た自分以外の誰かの声が、その瞬間までのアンナの余裕と勝利への確信を一瞬で打ち崩した。
「どこから――誰が……、まさ」
 まさか。不意に浮かび上がった心当たりを彼女が口にするより早く、声の主がその答えを教えてくれた。
『わたしメリーさん。いまあなたの隣に――あなたの思う通りにはさせないんだからッ!』
「!」
 アンナが視線を移した車両の助手席で。カールのかかったハニーゴールドのツインテールがふわりと踊り、次いで飛び出した黒い影が勢いよくアンナの左頬を殴り抜ける。
 それはアンナを車両の扉ごと外へと弾き飛ばすほどの衝撃だった。車外へと投げ出されたアンナは何が起こったのか理解が追い付かないまま、次に自分の頭に振り下ろされんとしたなにかを咄嗟に避ける。
 そして避けてから知る。それが鋭利に磨かれた鎌であると。草萼火遠の大鎌ほどではないものの、それを避けることに失敗していたら、今頃アンナは無事では済まなかっただろう。
(なんで、なんで、いつの間に車の近くまで!?)
 ひやりとして、急ぎ起き上がろうとするアンナの頭上から、「あら」と残念そうな声が降り注ぐ。
「だめよ梢ちゃん、ちゃんと頭を狙わないと」
「狙ったわよぉ花子さん。でもこいつ避けるんだもの。ひどいわ」
 何気ない日常会話のように。まるでさりげない作業の中の失敗を指摘し指摘されるような調子で和やかに。声は言うが、アンナにとっては冗談ではない。
 一度逃げなくては。安全圏まで距離を置かなくては。体勢を立て直して反撃しなくては。人形を動かし迎撃しなくては。
 思い再び動き出そうとしたアンナの身体を、どこからともなく伸びて来た長い長い髪の毛がしゅるしゅると縛り上げる。
「逃がすわけがないでしょう、貴女みたいな危険分子を。よくも私の校庭にわをロケット弾でボコボコにしてくれたわね?」
 と。静かな怒りを込めて語るのは、学校の主。北中多不思議の頂点に君臨する学校妖怪・花子さんで。
 彼女はその髪でアンナの、それそのものが武器たりうる身体と首を強く締め上げると、見ろとばかりにアンナの頭を校舎へと向けた。
 その年代物の鉄筋コンクリートの校舎は、少し前にアンナが確認した限りでは炎上しているはずだった。だが。
「うそ……?」
 無理矢理首を曲げられて見た校舎には傷一つなく。校庭・グラウンド、体育館等は確かに崩壊炎上しているものの、何度見しても校舎だけは無傷のままで。
「なんで……」
 確かにやったはず。目の前に広がる信じられない光景を前に、アンナは呆然とし……それから喚き出した。
「なんで、どうして間に合うわけがないじゃないか! アタシの攻撃が結界の隙を突いたアタシの攻撃が! お前らなんかにやられるわけないじゃないかッ!」
「……ちょっと貴女うるさいわね」
 花子さんは喚くアンナを見てジトリと半分瞼を降ろした。
「なんでなんて教えてあげない。貴女は恨みを買いすぎたのよ。だから地獄へ行きなさい。今なら直通よ」と、花子さんがチラリと見たのは大霊道の大穴だ。
「……ッ。まっぴらごめんだね! 逝くなら君の方がお似合いだろう、未練がましい亡霊の成りあがりめ!」
「………………そう」
 減らず口の人形師に冷ややかな視線を向け、花子さんは改めて周囲を見た。
 そこには狩口が、メリーさんが、燈見子が、そしてエリーザが。アンナを取り囲むように立っている。
 そんな彼女らをぐるりと見て、「誰でもいいわよ」と花子さんは言った。無論、とどめをさすのは、の意味で。
 四人はそれぞれ顔を見合わせ、それからエリーザ以外の三人が一歩下がった。
「わたしはもう、一発入れたから譲るわ」
 メリーさんが言う。かつてアンナによって心を破壊された一人が、もう一人の被害者に向けて。
 エリーザはコクリと頷き、それから花子さんを見た。
「花子お姉さま。大事な御髪おぐし、失礼します」
 そうぺこりと頭を下げた彼女に、花子さんは「気にしないでいいのよ」と微笑む。
「……ッざけるなッ! 離せ! やめろぉおおおッッッ!!」
 アンナは喚き藻掻くが、花子さんは彼女を放さない。
「今の内にやりさない!! 早く!!」 花子さんが叫んだ。だからエリーザはアンナに告げた。
因縁ある人形師に、たった一度きりの送りの挨拶を。

「――赤いマント、着せてあげる?」

 崩壊はあっけないものだった。
 悲鳴を上げる時間すら与えられず、攻撃から逃れもがく時間すら与えられず。
 アンナ・マリー・神楽月が自ら作り上げ最高と自負していた身体はそれを縛り上げる髪ごと切り刻まれ、最も重要視していた頭部とその中身も真っ二つに両断される。
 頭部の中身。それは干からびた肉塊であり、アンナの体の中で唯一作り物でなかった部分。――脳味噌の残骸。

 百何十年も昔のことである。
 人形づくりを生業とする家系に生まれた二人の姉妹がいた。
 姉の名はアンナ、妹の名はマリー。
 彼女らは幼い頃から競うように腕を上げ、成人する頃にはどちらも一人前の職人へと成長していた。
 だが姉妹の片割れは若くして病に倒れ、この世を去る。
 残されたもう片方は取り憑かれたように人形を作り、作り、やがて自らの体を切り刻みはじめ。どうしてこんなことをしているのかわからなくなり。家族縁者に化け物と呼ばれ、自分が何者だったかを忘れ、街の怪物と呼ばれ畏れられるようになり、……そして曲月嘉乃と出会った。
(けれど、あれ? そういえば。どうしてアタシは人形を。人形の身体を作ろうと思ったんだっけ?)

 自分と云うものが消滅していく刹那、人形師はふと思う。自分の攻撃が効かなかった理由でもなく、今までやってきたことへの後悔でもなく。自らについての純粋な疑問を。
 そして……思い出す。
 遠い日の誰かの言葉を。否、誰かなんて曖昧な相手ではなく、確かに大事にしていた者の言葉を。

 ――私が死んだら私にそっくりな人形をつくってちょうだい。私をわすれないで。おねがいよ。マリー・・・

(そうか。アタシはそのために、人形を。……アンナ・・・に近い、人形を――)
 本当に作らなければならなかったもの。それを思い出し、手を動かそうとして、……だが彼女に動かせる手はもうない。
 すべてがガラクタへと還り、末期の意識も消え失せて。それが【月喰の影】の大幹部が一人、アンナ・マリー・神楽月の最期だった。
 そしてその最期の心情は誰にも知られることはない。
 復讐・・を遂げたエリーザはその場にガクリと膝を突き、花子さんは不揃いなセミロングと化した自慢の髪を撫で、アンナの残骸を踏みつけた。
「これで倒すべき敵は未だ姿を現さない参謀の琴月と総大将のみ」
 言って彼女の見上げる先には、宙に浮かびて美術部を睨む曲月嘉乃の姿がある。
 そう、美術部は――否。【灯火】はアンナの最後の大攻撃を受けて未だ健在。グラウンドも体育館もテニスコートも前庭も、大きく傷つきはしたものの、【灯火】に与する者たちは一人の欠員も無く健在であった。
「一応あの女には感謝した方がいいのかしらね……」
 と、やや不服げに花子さんが視線を移す校舎三階のベランダには、黒いドレスに身を纏った女が、ヘンゼリーゼが立っている。神社姫と共にいる彼女がアンナの攻撃よりも早く学校や【灯火】各員の前に結界を展開したからこそ、誰も彼も無事でいられたのだ。
 心無いとはよく言ったもので、魔女の表情には一つの陰りも焦りもない。かなり距離は離れていたが、花子さんにはそれがはっきりとわかった。何故もなにも、学校は彼女の庭なのだから。
「後のことは美術部に。……任せましょう」
 花子さんはそう呟くや否や、エリーザと同じように膝を折り、アンナの残骸の中に倒れ伏した。周囲では狩口ら三人も、兵装車両や機能停止した人形兵に寄り添いもたれるようにして力尽きている。
 美術部が回復したのに対し、彼女らはもう限界であった。
 せめて美術部がこれから成すことの邪魔にならないようと力を振り絞り、そして最後の、未だ強力な戦闘力を有している幹部であるアンナを葬ったのである。
 ここで全てを出し尽くした彼女たちは、けれども確信していた。世界の明日を。

 勝ちなさい。花子さんの最後の願いは、遠く美術部にも幽かに届いていた。
 彼女らはその願いを各々握りしめ、目を見開き。各々の得物を構え、天を見る。

 小鳥眞虚が空へ飛び立つ。かつては墜ちる為あった翼で天高く。
 黒梅魔鬼がそれに倣い、使い魔と同じ黒い翼を己の背に作り上げる。
 戮飢遊嬉と白薙杏虎はなにか思いついたように地を蹴って、歩深世は電気を弾けさせて地に反し。美術部は各々のやり方で嘉乃の浮かぶ空へと飛び立った。
 最後残された乙瓜は、その背に骨組みの翼を大きく広げた。
 きっと今なら翼なんてなくても空は飛べるだろう。けれども乙瓜は思い描いた。あの日、魔鬼に連れ戻されたときに生やした骨格のような黒い翼を。丁度背中の開口部分に思い描いて、その不格好な翼で空へ飛び立つ。

「……愚か者たちが雁首がんくび揃えてよく来たね」

 そう吐き捨てる父親の待つ空へ飛び立つために。そして伝えるために。
「お前から見て愚か者なら、俺たちはずっと愚か者のままでいい!」
「あなたを大霊道ごと封印します。曲月嘉乃!」
 叫ぶ乙瓜に眞虚が続いた。
 嘉乃は自身の周囲を取り囲む美術部に凍てつくような視線を送り、それから。

「やってごらん」
 不敵に呟きニッと笑った。
 月はもう、殆ど太陽を飲み込んでしまっている。

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