怪事廻話
第九環・冥府霊道カタストロフ⑥

 その閃光は、破壊光線というよりは目くらましのそれであった。
 新型人形兵には閃光音響弾スタングレネードのような非致傷性で強烈な閃光と爆発音を生ずる手榴弾を内蔵しており、それがアンナ・マリーの指令で一斉に放出・炸裂したのだ。
 通常攻撃にのみ備えていた【灯火】陣営の主戦力は、その光と音をまともに浴びてしまった。
特に聴覚や視力に優れる者ほど甚大な影響を受け、直立すらままならなくなった者たちが地にのたうち回る。助けを求める声も上がるが、耳をやられた大多数の仲間にはその声が届くことはない。……とはいえ、特殊弾の影響力は永続的ではなく、いずれは感覚異常は回復に向かうだろう。そしてごく何割かであるが、ごくわずかにしか影響を受けなかった者も存在した。火遠や丙などもそうである。
 数秒と待たず復帰した彼らは、周囲で目や耳を塞いで倒れている観測手たちを見て先程の攻撃の正体に気付いた。そして彼らを心配し、申し訳なく思いながらも視線を移したグラウンドにどこからともなく黒灰色の煙が広がっていくのを見て、敵の狙いが【灯火こちら】の連携を分断することだと即座に察する。
「嶽木、美術部各位、前進勢力! ……駄目だ通じていない! クソッ!」
 呼びかけた通信符の沈黙に丙は舌打ちし、焦り苛立つ気持ちのままに屋上を固めるコンクリートを一つ蹴った。聞こえているのかいないのか、取り込んでいてそれどころではないのか。これでは安否の確認もままならない、と。
 そんな丙に、火遠は一つ「師匠!」と叫んだ。
「敵はもう攻撃を開始している、全滅前に動ける俺たちが動くしかない!」
 師をいさめるよう強く言って、火遠はコンクリートの地面から浮かび上がる。当然、仲間の救援の為に。もう温存だのと悠長なことは言っていられない。

 実際火遠の言う通り、アンナ・マリーの人形兵による攻撃は既に開始されていた。
 人形たちは特殊弾の影響が少なかった者を優先的に襲撃、複数体で組み敷き動きを封じてから確実な攻撃を浴びせるという戦法を取り、【灯火】サイドの健在戦力は火遠が叫んだ時点でも既に幾人かの犠牲者を出していた。まだ健闘している者もいたが、まともに動ける味方が格段に減った今、彼らが陥落・全滅するのも時間の問題であろう。

 事態は一刻を争う。

 火遠は遂に屋上から飛び立ち、大鎌片手に自ら戦闘領域へ飛び込んだ。彼の軌跡に火の粉が散り、火の粉の中から銀の護符が生まれ、火遠の体は流星のような尾を引いているように見えた。
 丙はそんな弟子の姿を見下ろし「馬鹿め」と呟き、それから通信符に呼びかけた。
「戦闘指揮本部、戦闘指揮本部。聞こえるか」
 三階にいるミ子へ向かって。しかしそれに答えたのは一ツ目の忠実な部下の声ではなく、クスクスクスと、この期に及んでも愉快そうな女の、ヘンゼリーゼの笑い声だった。
『単眼の子は今それどころじゃないみたい。閃光をまともに視てしまったから、私が代わりにお返事するわね?』
「…………お前は無事だったのか。ミ子の他はどうなっている」
神社姫ゼーユングフラウはびっくりして言葉をなくしてるだけで特に変わりないわよぅ。指揮所ここ直属の護衛だった"サムライくん"や"トゲトゲさん"たちもそうだったようだけれど、地上が危ないって飛び出して行っちゃったわ。うふふ心配しないで、すぐに私の下級悪魔レッサーデーモンたちに追わせたから、盾なり囮なりにはなるでしょう。……他にご質問は?』
「指揮所は――いや。当面の校舎の防衛はお前さんに任せる。ミ子が復帰するまでの間にどこかから通信があったら、あちきと火遠は戦場領域に出たと伝えてくれ」
『うふふいいわぁ。了解よ』
「…………。……最後に一つだけ。アルミレーナと石神三咲、そして最初から姿の見えない七瓜の所在を知らないか?」
『あら。気になる? そうねぇ――』
 ヘンゼリーゼは答えを焦らすように一呼吸分の間を置いて、それから答えた。

『この外側の戦いに、かしらぁ?』と。



 先に戦闘領域に突入した火遠は、薄暗い煙幕の中でとある六つの気配を捜していた。
 美術部六人と彼女ら一人一人の所持する勾玉の気配――勿論姉の嶽木や弟の水祢、自陣営全員の安否も気がかりではあるが、まずはここが崩れてはどうにもならないという六人の探知のみに感覚を集中したのである。
(――どこに)
 火遠は生きているもの、動いているものの気配を慎重に探った。しかし視界を覆う煙幕には満遍なく奇妙な気配が混じっており、火遠の探知能力を著しく鈍らせた。
 これでは特殊弾のダメージの少ない味方も思うように動けまい。火遠がそう感じると同時、感覚を遮る煙の中から数体の人形が躍り出て来る。火遠は己に飛びつき絡みつこうとするその手を辛うじて逃れ、召喚した銀の符で自身を中心とした護衛陣形を緊急形成する。
(数が多い。面倒だが各個破壊していくしかない。……一刻もって時に……!)
 火遠は回避に崩れた体勢を立て直して大鎌崩魔刀の柄を強く握り、いつの間にか周辺をぐるりと包囲している人形たちを睨んだ。

 一方、火遠がグラウンドの戦闘領域に突入したことは既に【月喰の影】陣営に補足されていた。
【月喰】が特殊兵装車両と称するものの一台に乗り込むアンナは、その漆黒の箱型車両から【灯火】陣営を翻弄する煙を噴霧し続けながら、自らはその煙の影響を受けない特殊なゴーグルを用いて戦況を把握し、その上で全人形をたった一人で動かしていた。
 新型人形兵は人形使いの命に従い戦闘行動を続ける。動きを止める為には人形の身体を再起不能なまでに破壊するか、あるいはアンナ本体を討つ他ない。
 ――が、【灯火】側がこの状況の打開策として後者に希望を見出すであろうことが読めないアンナではない。
 今頃感覚を鈍らせる霧の中を血眼になって己を捜しているであろう【灯火】の妖怪たちを思い、アンナはニヤリとした。
「そうしてまた木葉天狗が一体、河童が二体やられていく。……来訪神たちはしぶといなあ、でももうあと一押し、かな。そして」
 ゴーグルと人形を操る感覚越しに、アンナは火遠の姿を見る。
「そう簡単に美術部とは合流させないよ。まさかこの戦場にアタシの人形部隊しかいないとお思いかな?」
 不敵に呟いて、アンナは特殊車両の内三つの荷台を開き、その積み荷・・・を開放した。
【灯火】の観測手をして「視え方がおかしい」と言わしめたその車両は単に感覚妨害の煙を噴霧する為の特殊車両に非ず。
 寧ろ煙はその積み荷を隠蔽する為の副産物で、真の脅威は煙の奥にこそ隠されていた。
 静かに展開していく黒い箱の中からより濃密な煙が放出され、その内側に隠されたものが立ちあがる。よほど接近しない限りは謎の影としか判断されないであろうそれは、しかし確かに人の形をとっていた。



 その頃、そんなことなど露知らず、烏貝乙瓜と黒梅魔鬼は不明瞭な視界の中を走り抜けていた。
 彼女らには閃光音響弾の影響がまるでないわけではなく、今現在でも聴力と平衡感覚にやや難がある状態が続いている。はっきりいって万全の状態ではないが、それを魔法等で補ってでも、彼女らは走り出さなければならなかった。
 部室小屋の上にいた彼女らは特殊弾の炸裂に咄嗟に目を瞑り、それを開いたときに小屋の下へと引きずり降ろされて行く花子さんとエリーザを見た。
 二人の学校妖怪は悲鳴を上げたかあるいは「気にするな」とでも叫んだのだろうか、そのとき聴力をほぼ完全に奪われていた魔鬼と乙瓜には知る由もない。
 知る由もない、が。花子さんもエリーザも今まで自分たちを温存する為に戦ってくれていた、それを差し引いてももう二年以上の付き合いのある仲間である。助けに行かない理由はなかった。

 立ち塞がる人形兵に護符と魔法をぶつけて、ぶつけて。魔鬼と乙瓜は瞬く間にグラウンドを覆い尽くしてしまった煙の中に花子さんとエリーザの姿を見出そうとした。
 けれども――火遠の探知すら阻む煙はこの二人に対しても絶大な効力を発揮し、概ね自身の半径一メートル圏内を外れた場所にあるのが敵か味方か障害物かすら把握できない状況にあった。
 二人はどこに居るのか、まだ無事でいるのか、そもそも二人以外の皆も無事なのだろうか。
 乙瓜と魔鬼は互いに思い、けれども他人の心配ばかりはしていられない状況で、煙の中から一人また一人と姿を現す人形に向かってそれぞれの得物を構える他ないのである。
 同じ頃、武道館上に居た遊嬉も遊嬉で大変な状況にあった。

 彼女は視野を完全に喪失した状態で、けれども左手に持つ戦いに飢えた退魔宝具・事割剣の導きで辛うじて敵と戦っている状態であった。
「遊嬉さん後ろに!」と、時折こうした調子で銀華が言葉で敵の位置を教えるのだが、遊嬉はその声音から銀華が決して十全の状態でないことを察していた。

 ――『な、なに大丈夫!? 怪我したの?』
 ――『……大丈夫っ、掠り傷ですわ』

 少し前に二者の間ではそんな会話が交わされたが、銀華は言葉とは裏腹に少しずつ息が荒くなり、明らかに弱っている。――きっと本当は重症を負っているに違いない。そんな遊嬉の想像通り、銀華は左上腕から下を人形にねじ切られ、咄嗟に傷口を凍らせることで失血を防いでいる状態だった。
 人ならともかく銀華は雪女、応急処置としては完璧な対応だった。しかし腕を一本失ったという重症には違いなく、銀華のただでさえ白い顔色は時間と共に真っ青へと変わりつつあった。
(早く……早く……。早く、一瞬でもいいからこの状況を切り抜けて、銀華さんを校舎の中に連れて行かなくちゃ)
 遊嬉は焦るものの、閃光を浴びた彼女の目は未だまともな像を結ぶことを拒み続けている。
(どうにかしないと……! どうにか……!)
 遊嬉は見えない目に涙を滲ませて、それから彼女の契約妖怪に願った。
(嶽木、今どこなの!? 嶽木――)

 …………………………。

 だが、応答は、ない。

 通信符は襲撃してきた人形兵に破壊されている。嶽木への念が届かないなら遊嬉と銀華が頼れる味方は、……今のところ近くには居そうにない。
 さしもの遊嬉でも、この時ばかりは恐ろしい想像に負けそうになった。

 実際にはこの時、遊嬉の想像に反して嶽木も、美術部メンバーも、水祢も、当然火遠と丙も無事でいた。
 歩深世は篤風天狗に閃光から庇われ、首に巻き付いた雷獣が咄嗟に耳宛ての役割を果たしたために視聴覚共に大きな異常はなく、今は閃光音響弾を逃れたほとりと合流し、自らを庇った篤風の救援に向かっていて。
 白薙杏虎は聴覚に異常を来しながらも"虎の目"は健在、強烈な閃光に宛てられて一時的に霧散してしまった青行灯に代わり、迫りくる人形に反撃を試みていて。
 小鳥眞虚は閃光音響弾の影響を受けた狩口ら三人を防壁の内へ隠し、自身は水祢と共に煙の中の傷付いた仲間の捜索・救援に向かっていて。
 そして遊嬉の念に応じなかった嶽木はというと、特に多くの敵に囲まれて斬っては斬られての血みどろの戦いを繰り広げているものの、彼女の回復力からすればさしたる問題ではなく――要するに取り込み中であるだけで、決して遊嬉が想像したような最悪の状況にいるわけではなかった。
 協力妖怪の中には残念にも十人弱の死傷者が出てしまったが、ヘンゼリーゼの召喚物が上手く盾役になっていた場所もあり、損害はそこまで甚大なものではなかったのだ。

 閃光音響弾の影響下にある者もいずれは復帰する。【灯火】陣営は未だ健在だった。
 しかし特殊弾と煙幕、人形兵の息を付かせぬ波状攻撃で互いの連携や落ち着いて通信・状況確認のできる環境を殆ど喪失した彼らには、遊嬉でなくとも互いの状況を、【灯火】陣営全体としての現状を知る術はない。
 故に。
 戦況は完全にひっくり返っていた。
 そして悪いことはそれだけに留まらない。

【灯火】の視界と感覚を阻む煙の上で、半分以上影に飲まれた太陽に向かって。
【月喰】の三台の特殊車両に隠れていた者たち――【月喰】の精鋭大幹部たちが手をかざし、そしてなにかを唱え始めた。

 その時特殊車両は煙の中でそれぞれ一定の距離を取り、校庭の一部を円形に切り取る形に配置されていた。
 円形、円陣。なにかを封じ込めるような、あるいはなにかを呼び起こすような。
 その円の外周・正三角形に結べる三点に立ち、葵月蘰は――十五夜音月は――十五夜杳月は――宣言した。

「闇よ開き、闇に砕けろ地表面。地の底冥府より湧き上がり、高く天まで噴き上がれ――!」

 その瞬間、大地は激しく鳴動した。
 唐突に怒った大地震を思わせる揺れは【灯火】勢力の足下を崩し、グラウンドの大地は大きく裂け始める。

「やだ、なに……まさか……!?」
 乙瓜と共に人形と戦い花子さんとエリーザの姿を捜していた魔鬼は、辛うじて立っている姿勢のまま辺りを見回し、黒灰色の煙を突き破って空に弾け跳んだなにか――なにか大きなものを見た。
 それがまさか『グラウンドの表面』だなんて、果たしてすぐに気付けるものなのだろうか。シャンパンの栓のように内側から押されて飛び上がっただなんて、すぐに想像できるだろうか。
 少なくとも、魔鬼にはすぐにそれが地面だとはわからなかった。わからなかったが、すぐにどこからともなく伝わってくる濃厚なおぞましい気配を前にして、何が起こったかだけは察していた。
 それはきっと乙瓜もそうで、彼女の驚愕に見開かれた瞳は何かに呼応するように金色に輝く。

 まさか、まさか。ひどく消耗した【灯火】の妖怪たちは皆思う。それごと封印する為に、この時を待っていたというのに。
 今まで感覚を阻害していた煙の力が及ばないのか、それともこれでも和らげられている方なのか、不明瞭な視界の彼方から伝わる圧倒的な力に彼らは一瞬、体の芯から凍り付いたのだ。

 そんなをまともに受けて、草萼火遠は呟いた。

「大霊道、が」

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