怪事廻話
第九環・冥府霊道カタストロフ③

【月喰の影】の先遣隊の大半は若い妖怪であった。
 とりわけ元々山野に居て人を化かす獣の怪が多く、大多数が人間の開拓や都市開発で住処を追われた一族の出身であった。
 幼き頃から親世代やもっと上の世代の妖怪から「人間に住みよい場所を奪われた」という恨み言に似た愚痴を聞かされてきた彼らが進んで【月喰】の思想に賛同するのは不自然なことではなかった。軽い誘いから思想に取り込まれた彼らは自分たち子世代の為に戦わなかった親世代を責め、嬉々として人間社会に呪詛や呪物を流す手伝いをした。
 人間を弱らせて、人間を置き換えて、人間を大人しくさせて……そうすれば、いつか自分たちにも親世代やそれ以前の世代の頃のような繁栄が戻ってくる。……そう信じて。

 その目的の為に、彼らはどんなことでも行ってきた。

 疑問を抱き始めた者はたとえ同郷出身の仲間だろうと逃げ出し寝返らない内に捕え、兵器開発の実験台に奉げてきた。
 活動に理解を示さない故郷の村の親兄弟を襲い、近隣の村に対するみせしめとした。
 僅かにまともな感覚・・・・・・を持っていた者も先鋭化していく彼らの行動に恐れをなす。恐れをなして……多くは心を殺して生きることを選択したが、中には敵対勢力に無謀な戦いを挑んで命を絶つ者もいた。しかし後者の絶望・・は英雄視され、皮肉にも【月喰】下層人員の狂った団結をむしろ強める結果となる。
 既に彼らには自分たちが『唯一尊い目的』の為になにをしでかしてしまっているのかを冷静にかえりみる能力はなく、もはや幹部たちの盾にされることにすら疑問は感じていないだろう。それで目的が果たせるならば、命を捨てることすら躊躇ためらうまい。
 古来、狐や狸の中からは大妖怪と語り継がれる驚異的な力をもったものが現れたのもまた事実である。しかしつい数十年かそこらで漸く化けるようになった若輩者の【月喰】先遣隊にはそんな大それた妖力ちからはない。

 本気でぶつかり合えば必ず負ける。命だって落としかねない。
 けれども、彼らの中には今更退却の二文字はない。ましてやこの局面で裏切りなんて。

 故に彼らは奔走はしるしかなかった。

「立ち上れる者は立ち上がりなさい! 走れる者は走り、泳げる者は泳ぎ、一人でも多く奴らを削ぎ殺しなさいッ!」
 喉を裂く勢いで声を上げる桂月に、ぬかるむ大地に這いつくばった者たちが少しずつ起き上がり、動き出す。
 皆自分を奮い立たせるように声を上げ、前庭に退避する妖怪たちに、その奥に控える憎き"灯火"に、各地点に散った美術部に向かって爪や牙をむき出しにする。
『……なんて優秀な使い捨て人員だろう、僕がいたときよりずっと先鋭化してやがる』
 部室小屋の上からグラウンドを見下ろす乙瓜の手の中で、赤く丸い玩具の手鏡が――元【月喰】の鏡の怪、魅玄が呆れたように言った。
『今日ほど上手く抜けられてよかったと思ったときはないよ。……あんな連中でも今は僕の方が非力だから絶対投げたり落としたりしないでね? その代りにちゃんとナビ・・するから』
「はいはい」
 乙瓜は気だるげに応えて私服のハーフパンツのポケットに鏡を突っ込むと、既に臨戦態勢に入っている花子さんとエリーザに目を遣った。
 去年九月の一件から様子見も兼ねて能力に封印を施されていたエリーザだったが、この局面になってその措置から解放されている。戦力としては申し分ない。彼女の赤マントの裏からは何がどうなっているのか赤紙青紙の長い腕がにょきりと伸び、向かってくる敵を威嚇するようにうねうねとうごめいている。
 その横を見れば、花子さんの長い髪が重力に逆らって持ち上がり、毛先を二つに縛り分けた赤いリボンから先が手の形に変わっている。よくよく考えれば乙瓜も、そしてその場にいる魔鬼も花子さんが直に戦っている姿を見たことはないが、彼女らも戦ったことのある闇子さんに勝ったというくらいだから相当にやる・・のだろう。
 彼女らは乙瓜と魔鬼の前に出て、「下がっていろ」といったジェスチャーをした。
「這い上がってくる雑魚は私たちが。貴女たちは背後と上空そらの警戒を」
「……わかってる。花子さんもダーツにだけは気を付けてね」
「勿論よ」
 心配する魔鬼に不敵な笑みを返すと、花子さんは「でも」と続けた。「貴女たちが先に気付くようなことがあれば、そのときは私たちを助けてね」と。
「当たり前じゃないか」
 魔鬼が頷き定規を握り直したところで、乙瓜のポケットの中で魅玄が声を上げる。
『本部からのお知らせだよ。放水限界まで残り約四分、水切れ次第グラウンドを凍結します、だって!』
「凍結?」
 乙瓜は一瞬怪訝な表情を浮かべ、それから武道館の方角を見た。
 武道館の屋根の上では木の上から移動した遊嬉が手を振っていて、その左右には雪女と雪童子の母娘が控えている。
(まあ、そうだわな。折角濡らしてんだから次は凍らせた方が効率いい)
 乙瓜は納得し、魔鬼を見た。魔鬼もまたなにか分ったような顔で乙瓜を見てコクリと頷く。
 雪童子の天華は幼いながらに北中全体を凍結させ得る力を持つ妖怪だ。暑い夏場はその能力を完全には発揮できないらしいが、今は母親である銀華も一緒だし、周囲からも対象を凍らせやすいように補助することはできる。そう、例えば対象を濡らし、その温度をあらかじめ下げておくような。
 指揮所からの報告は前庭にも向かったようで、再突撃を図る【月喰】先遣隊から校舎を防衛する隊・結界を張る【灯火】の手の者がいる一方で、飛行部隊の一部の天狗たちが武道館側に向かう姿が乙瓜たちにも見えた。恐らく天狗の風で雪の冷気を効率よく叩き込むつもりだ。
「えっげつないなあ……」
 魔鬼は思わずそう呟いた。恐らく同じことを思った者は他の【灯火】側にも居たはずだ。
 けれど今更それを止める者はいない。そうしなくては勝機がないことを知っていた。
 いずれ現れる敵本隊――幹部や嘉乃の出現まで戦力を温存するため、先遣隊一人一人を丁寧に相手している時間はない。
 しかし【灯火】本部側や美術部らが想定するその理由とは別に、京都にて【灯火】側に加わった妖怪たちには早々に先遣隊を沈黙させておきたい理由があった。

 そもそもである。【月喰】の精鋭の使い捨ての先鋒となってしまった妖怪たちも、【灯火】の戦線に加わった妖怪たちも、多くは若い妖怪たちなのである。そうでない者も幾らかはいるものの……前者の故郷が特に不幸だったわけでもなく、後者の故郷が特に恵まれていたわけでもない。
 両者の元々の境遇には大きな違いはなかった。あったとするならば、ほんの少しだけの巡り合いの違いくらいだ。生まれつき天と地ほどの境遇の差があったわけではない。何か一つでも違っていれば、今頃は立ち位置が変わっていた者も少なくないだろう。
 仲間が絶滅してしまったカワウソ化けが【月喰】についた。
 一方で、同じく仲間のほとんどが絶滅してしまった海禿が【灯火】にいる。
 人間に故郷を追われた者はどちらにも居る。人間への信用を疑った者もまた然りで、完全に信用を失った者が【月喰】に、未だ辛うじて信じている者が【灯火】に居る。
【灯火】への恨みから【月喰】についた者もいる。【月喰】への恨みから【灯火】についた者もいる。
 元々こちらもあちらも大きくは違わなかった。そんな彼らの漏らす恨み言は、【灯火】側についた妖怪たちの心に悲しみを産む。――なにか力になれたのではないか。と。けれど更に悲しいことに、彼らに今更してやれることなんてこちらの妖怪たちにはない。
 何度も起き上がり向かってくる相手を出刃包丁の背で叩き飛ばしながら、「虚しいなあ」と電八は呟いた。
 どこかで和解するか、妥協点が見つかっていたのであればそもそも戦いは起っていない。どうしようもなくなったので戦いぶつかっている。そこに敵を倒す爽快感はなくただただ虚しく哀れなだけである。いっそまったく言葉も通じない、通訳のしようもない、何を考えているかまるでわからず未知の脅威が相手だったのならこんな気持ちにはならなかったのかもしれない。
 そう思いながら、【灯火】側の妖怪たちもまた戦うことを止めなかった。ここで手を止めれば、失うものはあまりに大きい。
 そんな彼らを屋上から見下ろして、丁丙は呟いた。「すまないな」と。
 わざわざ集ってくれた彼らに虚しい戦いを強いていることに対する謝罪。けれども丙は、【灯火】は、草萼火遠はここで歩みを止めることはしない。自分たちに付いてくれた彼らの努力を無駄にしないために、今日という日のその先にある未来を掴み取る責任がある。
 間もなく地上では放水が終わり、【月喰】先遣隊に対する凍結攻撃が開始される。そんな中で丙は天の黒雲を睨み、その向こう側に潜む者たちと、その罠が待ち構えているかも知れない場所へと突入した者たち両方に思いを馳せた。
(来るなら来い、曲月嘉乃。頼んだぞ、飛行一班)
 丙が表情を険しくする横で、同じく空を見上げた火遠が言った。
「師匠。太陽が」
 その短い言葉を受けて、丙は「わかっている」と返した。
「道理で中々出てこないはずだ。やっこさんらは地上したの連中を囮に既に仕掛けていたんだ。結界の内側に入った瞬間から」
 言って丙が目線を移した太陽は、僅かにその明るさを落とし、何なら端が少し欠け始めていた。
 日食、本来ならば悪天候で観測できないはずの分部食――否、これは。
「周囲が動かされた様子はない。……空だけを小笠原諸島あたりと挿げ替えたな。この古霊町にだけ皆既日食を起こすつもりだ」

 それでも未だに強く輝く陽光の眩しさに視線を落とし、丙が、火遠が、嶽木が、水祢が目を向けた、黒雲の向こうで。
 蒼い槍を両手に抱え、白い少年・曲月嘉乃は静かに命じた。
 彼を取り巻く者たちへ。

「第二陣、攻撃開始」

HOME