怪事廻話
第九環・冥府霊道カタストロフ②

「やはり空から来ましたか」
 指揮所三階から降下する敵を見遣り、一ツ目ミ子は教室中に広げた通信用の護符に向けて指示を下した。対象は飛行能力に優れる妖怪たちで編成した飛行部隊だ。
「飛行部隊全班に通達、敵・"転移ゲート"はの中です。同第一班は全敵を無視してゲートへ急行、第二班・第三班は第一班を護衛しつつ敵先遣隊の漸減ぜんげんに努めてください。第四班は地上部隊の上空直掩ちょくえんをお願いします」
 時を待たずして各隊から了解の返答があり、指揮所の窓からも木々の上に待機していた妖怪たちが飛び立つのが見えた。
「頼みますよ」
 ミ子は彼らを見送り呟いた。
 飛行部隊に参加した妖怪は四十弱、【灯火】がその貴重な四分の一を割いてまでしようとしていることは、【月喰の影】本部への潜入である。もはや放って置いても総大将・・・の登場が予想される局面であるが、それは隠されたままの【月喰の影】のオカルト兵器生産プラントを放置していい理由にはならない。
 また、【灯火】側に協力した妖怪の身内には拉致されたきり棄てられたとも操られたとも知れない者も多数いる。確証はない。けれど、もしも彼らが【月喰の影】の本部に囚われていて生きているなら。誰か一人でも無事でいるのなら。それを助ける好機チャンスは、敵が大口・・を開けて軍勢を送り込んでいる今この時にしか訪れない。
 とはいえ、黒雲の先が果たして【月】本部に通じているかどうかわからない。全ては賭け、しかし【灯火】は僅かな希望に賭けた。
 賭けに出たが、無論十人程度の飛行部隊でどうにか出来るなどとは思っていない。降下する敵勢力は現在見えているだけでも百以上、その上に幹部級も控えているし、凶悪なダーツを装備している者もいるだろう。仮に十人全員が一騎当千百戦錬磨の精鋭であれ、それだけで敵地の破壊と味方の救援をするのは困難極まりないミッションだ。
 故に、である。
「お願いします。闇の魔女」
 ミ子が次に頭を下げた、教室の隅の影の中で、黒髪・黒ドレス・黒手袋、真っ黒な魔女が赤い唇をニッと上げ、窓に向かって左手をかざした。
「"ヘンゼリーゼ・エンゲルスフィアの名のもとに命ずる"」
 静かな宣言と共に赤紫の光が教室に走り、掲げる左手を中心として円を描く。円の内には十芒星デカグラムの星が浮かび上がり、瞬く間に魔法陣が形成された。
 己の魔力が生成した光の円を前にして、闇の魔女は己の従える者に命令を与えた。
「"召喚、召喚フォーアラドゥング/コンヴォカツィオーネ"。"眠り羊・夢想の悪魔、計略鴉・幻想の悪魔"。お行なさいエーンリッヒ、トーニカ」
 宣言し終わるのが先か、後か。校舎の外壁にヘンゼリーゼが対面するのと同じ赤紫の魔法陣が生る。そこから現れ出でるのは闇の魔女と契約を結ぶ二柱の悪魔、小娘の姿に留められている二体の獣。彼女らはそれぞれ巨大なフォークやコルク抜きの螺旋針型の武器を手に空を睨み、学校の壁を蹴って飛びあがった。
 彼女らに続くように、屋上から更に五羽の鴉が飛ぶ。アルミレーナの使い魔だ。その一羽一羽が背に乗せている黒猫たちは三咲の使い魔で、次の瞬間にはそれらを護るように丁丙の式鬼神符が舞い上がる。
 ゲート方面に増援が送り込まれて行くのを確認し、ミ子は校庭とその上空を見上げた。既に飛行部隊と敵降下戦力との交戦が始まっており、幾らかの敵勢力は既に地上に降りている。それを受けて【灯火】サイド地上戦力の妖怪たちが動き出すが、彼らが交戦する敵の中には未だ幹部級の姿はなく、曲月嘉乃も依然として姿を現していない。
「肉壁ね」
 ヘンゼリーゼが呟いた。彼女に言われるまでもなく、ミ子もそう理解していた。
【月喰の影】が計画の為に大霊道を復活させたいのならば、古霊北中の敷地内でなにかしらの儀式のようなものを実行しなくてはならないのでは、というのが【灯火】サイドの見解である。とはいえ彼らにとっては敵地の中心、妨害は必至。ならばその妨害を一分一秒でも長く阻害する為にはどうしたらいいか。
 結界を張る。――それも一つも正解だろう。だがそもそも結界を張るところから確実性を持ちたいのであれば、雑兵戦力を大量投入して敵の行動をとことん阻害する――それが一番原始的で単純明快、そして【月喰の影】にはそれを成し得るだけの戦力があった。
「使えるだけ投入するつもりね。なにせ彼らにとっては最後の聖戦ですもの」
 クスクスと笑うヘンゼリーゼを静かに睨み、ミ子はそれから教室の中央を振り返った。邪魔な机や椅子の類を全て隅に除けたその場所には、理科準備室から調達してきた大きめの水槽設備が設置してあり、その水面から神社姫がにゅっと顔を覗かせている。
「神社姫さん、不吉は察知できましたか?」
「ビンビン察知してるよぉ、でもこれまだ小者の気配ね、もっと大きいのはこれから来るんじゃないかと思う」
 神社姫は胸鰭むなびれで己の角を示すと、ミ子を見上げて更に言った。
「本命はこっちが幾らか消耗したころ来るんじゃないかと思うの。どうする一つ目ちゃん?」
「そうですね……」
 ミ子は大きな一つ目を床に向け、考え込むように数秒黙った後、
「こちらも切り札は温存したいですし……可能な限り一掃しましょう」
 そう言って、通信護符に対して指示を与えた。
「プール部隊、地上に到達した敵に対し放水を始めて下さい!」
『はぁい! りょうかーい!』
 護符を通じて甲高い声が答え、プールサイドの水妖たちが動き出した。
「放水ー放水だよー。こーしょんこーしょーん。みんな離れてー」
 海禿うみかぶろがぺちぺちと鰭脚ひれあしを叩き注意を促す真下で、プールの大半を占拠する海坊主が文字通りの意味で回頭・・し、校庭中央に頭を向けた。プールの水面は荒れた海のようにうねり、プールサイドとそれを囲うフェンスの外にまで波と水しぶきを飛ばしている。
 あちこちから来た河童たちが更に水を浴びて活気付く中、海坊主の立てた波は竜巻となって天に伸びる。
 ミ子はこれを校庭に向けてぶつけるつもりでいた。状況が許せばもっと敵の主力が出てきたところでぶつけたかったが、次々と降ってくる敵雑兵を見て考えを切り替えたのだった。
 当然こんなことをすれば味方にも累は及ぶのだが、当然その為の対策も考えてある。
「地上部隊は前庭へ退避、飛行直掩四班も地上部隊の撤退を補助しながら退避してください!」

「――随分放水が早いわね。……まあいいとにかく一時撤退よ!」
 飛行部隊第四班、地上部隊の直掩をしながら降下してくる狐狸妖怪はじめ有象無象と交戦していたほとりは、近くで戦っていた小鈴と電八に声をかける。
「了解がや~」
「ん。まあ、まんず敵よがだがらな本当に敵が多いからな。仕方ねな」
 二人は頷き、獲物の出刃包丁をそれぞれ脚に装着したホルダーに納めると、「さあ」と促すほとりの手を取り宙に飛びあがった。
「ほとちゃん重くないがかいね?」
「……平気よ、二人か三人くらい」
 二人を掴んで上空に離脱するくらい、ほとりにはわけないことだった。けれども彼女には気になることがあるようで、飛び去った地上をジトリと見つめて二人に問う。
「あんたたち、どうして敵兵仕留めなかったのよ?」
 と、ほとりの見つめる先には倒れた敵雑兵がいる。が、見た所二人の得物による刀傷はなく、どうも気絶しているだけのように見える。事実、二人は出刃包丁を斬る為に振り下ろしてはいない。皆峰打ちであった。
「んだごど言わいでもむどちらだべ、つまるところ可哀想だ」
 ほとりの不機嫌を受けて、眉をひそめて電八が言った。故郷の言葉と標準語で、それぞれ「可哀想だろう」と。
祖父じっちゃが言ってただ、なまはげの出刃包丁は厄払いの大事な包丁だ、悪いように使ったらだめだどよ。能登でもそうだべ?」
「そうがいね。わてもとーとによーけ言い聞かせられたかって、殺生は止めとこって思ったぎ」
「あんたたちね……」
 ほとりはムスッとしながら前庭へと引き返し、そこに二人を降ろした。二人はそれぞれ礼を述べてほとりを振り返り、それからおもむろに体育館の屋根の上を見上げる。
「本当はあの子らもこんな戦いしたくないはずぞいね。だれだってそうがや」
「あや」
 小鈴と電八がそれぞれ言って見つめる先、彼らが襲撃に備えて待機していたその場所には、歩深世の姿があった。
 そこに居る元美術部は彼女だけだが、その首元にはすっかり懐ききってしまった黒い妖怪が巻き付いていて、傍らにはほとりよりもずっとしっかりとしている寺の天狗が共に在る。
「……そうね」
 渋々ほとりが頷く中、前庭の上空を水柱が横切った。

 海坊主らによる放水が開始されたその頃、元美術部の六人はそれぞれ学校敷地内の六か所に分散していた。
 ほとりらが見た通り、深世は居鴉寺の天狗篤風と雷獣をお供に付けて体育館の屋根の上に。遊嬉は天華銀華母娘と共に武道館横の木の上に。杏虎は青リボンの子鬼と共にテニスコートはずれの屋外トイレの上に登り、魔鬼と乙瓜は花子さんやエリーザ、赤紙青紙と共に屋外の部室小屋の上に、最後の眞虚はグラウンド最南端の最も味方から遠い陣地に、とある妖怪たちを護衛に付けて立っている。
 彼女らの待機位置は円で結べるようになっており、そして校庭上空に出現した黒雲をぐるりと囲う陣形となっていた。
 水責めで崩壊する敵の陣形を殆ど見ることなく、彼女らはただ一点、空に浮かぶ不自然な黒雲――敵方の転移ゲートを見つめ、そして待っていた。
 敵の主戦力、勝利しなくてはいけない相手、以前は退けるのがやっとだった幹部部隊、そして曲月嘉乃が降りて来るのを。
 その視線の先に幾つかの黒い影が黒雲の中に突入するのを見届け、一縷いちるの希望を託しながら。

 一方で、だ。
【月】の雑兵は今でこそ水流に溺れ押し流されているが、その内何割かの水中・水上活動に適応した妖怪から体勢を立て直すだろう。そしていずれ水が尽きれば、そうでないモノの中からも復帰者が出始めるはずだ。
 この時間稼ぎはいつまで持つだろうか。美術部は考える。――否、美術部だけではない。全体指揮を任されているミ子を始め、屋上に控える火遠も、丙も、皆が同じ懸念を抱いていた。……長引けば長引くだけ不利になる。
 いつまで――【灯火】勢力が大なり小なりそれを考え始めた頃、グラウンドで辛うじて流されていないサッカーゴールの上によじ登った者がいた。
「……雑魚というのはわかっていますよ。数だけ多い私たち雑兵が、本隊の盾だってこともちゃあんと理解してます」
 濡れた体を犬猫のようにぶるりと振わせ、それは――彼女は、遥か北中校舎の屋上に立つ赤い影をキッと睨んだ。
「いい気にならないでくださいな。我々は本気で勝ちに来ている、おいそれと負けるわけにはいきませんとも……!」
 濡れた金色の毛から僅かな夏毛の黒を覗かせ、彼女は、桂月は叫んだ。

「雑兵の意地を見なさい! 残存勢力前へ、反撃戦を開始します!」

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