怪事廻話
第八環・嵐の前④

 その年の梅雨明け宣言は例年より早かったが、明けた後も古霊町方面はなかなか晴天に恵まれなかった。
 辛うじて大荒れではないものの、薄く厚く、何かの予感にざわめくような曇天が続く中、季節だけは着実に真夏に向かっていく。
 雲をものともしないせかえるような熱気、地の底から目覚め鳴きだす蝉の合唱。実りの前の若草と土の匂い。時折また降り出す雨に湧き立つ生き物の気配。
 夏休みはいよいよ目と鼻の先に迫り、期末テストから解放された生徒たちは夏休みの予定、ひいては夏休み後の体育祭の話題で盛り上がっている。

 そんな北中の屋上に、今日は曲月慈乃――嘉乃と同じ道を選ばず、この国に生きる妖怪たちの歴史を集め続けた弟が立っていた。
「【灯火】方の全ての計画は順調に進んでいるようですね。美術部のみなさんも神域あちらの世界を利用して、【月喰】の幹部に対する対策を立てているとか」
 彼の左右には二人の従者が控えていたが、それは殆ど現状確認の独り言だった。美術部がどうしているかなんて【灯火】サイドならほぼ確実に知るところであるし、今更改めて振り返るまでもない。
 それは当然慈乃にもわかっていた。左右の従者にもわかっている。屋上には彼ら三人だけで、他に反応を返す者もいないことすらも織り込み済みだ。
 そんな屋上で「これから」への希望を呟き、慈乃は一時「かつて」に思いを馳せる。

 ――今から遠い昔。彼は兄の計画に乗って共に山を抜け、茜色の中に浮かぶ白い月に、これからいままでの不遇分も幸福に、そして自由に生きようと願い誓った。
 けれどもある些細な不幸がきっかけで、慈乃と嘉乃は別れ別れとなる。思えばそれが二人の運命の分岐点だったのだろう。慈乃が再会したときの嘉乃は別の誰かと共に生きようとしていた。
 そこには多くの苦労があるように見えたが、慈乃はその姿を不幸とは思わなかった。弟は兄の気持ちを尊重し、自分も自分の寄る辺となるべき場所を見つけようと旅立った。

 後になって慈乃は思う。その時無理を言ってでも兄と共にいればよかったと。

「……坊ちゃん、まだあの時のことを悔いておられるのですね?」
 物思いにふける慈乃に、彼の二人の従者の片割れが言う。芸妓げいぎ舞妓まいこのような出で立ちの、それでもれっきとした男。歌舞伎で言えば女形おやま。淡路狸の暦。
「およしなさい。今から考えても坊ちゃんが辛いだけ、嘉乃さまのご決意は固く、もう誰が何を言ったところで簡単に変えられるものじゃあありません。坊ちゃんにも、あの火遠さまにも」
「……わかっています。説得の機会なら何十年もあったのです。けれども嘉乃兄さんは遂に首を縦には振らなかった。もう後悔もないのでしょう。わかっています。それでも……いざ失うかもしれないと思うと、あの日共に行こうと言えなかったことがどうしても思い出されるのです」
 言って己の手を擦り、慈乃は「はは」と力なく笑った。
「僕は慢心しているのかもしれません。まだ神社姫も夜都尾の正巫女様も結末を視ていないのに、『失う』だなんて。後悔したふりなどして、内心では兄さんをうとんでいたのかもしれません」
「……そんなことがあるものですか。仮に坊ちゃんが嘉乃さまを疎んでいたとしても、それでも後悔は偽物になんかなったりしませんよ。それが心というものです」
 暦は慈乃の肩にそっと手を乗せた。それに続くようにもう一人の従者・妹狸の歴もまた手を乗せる。
 慈乃は自分が彼ら二人に愛されていることを知っている。このような不安を吐けばきっと寄り添ってくれるであろうことも知っている。それは甘えかもしれないが、少なくとも今の自分は幸せであると思う。
 思うからこそ、今更に兄の境遇を思った。

 嘉乃が最初に寄り添ったのは、川の下の老い先短い孤独な老爺ろうやだった。身分は低く、決して裕福ではない彼を手伝い、……けれどもそんな日々が長くは続かないことは目に見えていた。
 人間とそうでないものの生きる時間の違い。犬や猫なら共に逝けたかもしれないが、そうでない嘉乃はそこに取り残された。
 再び孤独となった彼は、おそらくまた別の孤独な人間の所に身を寄せたのだろう。そして互いの寂しさを埋め合うように生き続け、それを何十回も何百回も繰り返したのだろう。
 そうして立場の弱い人間に寄り添う中で、みたくないものを沢山見てしまったのだ。嫌な思いも沢山して、けれどもずっとその気持ちを飲み込んでいたのだろう。何十回も、何百回も。

「嘉乃兄さんも元を辿れば寂しい人です。それを倒さなくてはならないのは、やはり少し嫌な気持ちになります。……けれども今兄さんの計画を止めることが出来なければ、僕はきっとこの先一生後悔することになるでしょう」
 慈乃は胸の前で手を組み合わせ、それを強く握り合わせた。
「僕は全くの無力ですが、時が来れば再び嘉乃兄さんに向き合うつもりでいます。あなたたちも、あの者たち・・・・・と対峙することになるかもしれません。……それでもついてきてくれますか?」
「何を今更おっしゃいますか」
 振り向く主にそう答え、従者二人は口許に笑みを浮かべた。
「今更坊ちゃんを見捨てられるわけがありますか。僕たちはとっくに家族じゃないですか」
「決して他人事ではない故に、私達もとっくに腹を括って御座います」
 歴が小首を傾げ、暦が芝居めかして琵琶をベンと一つ鳴らした。
「ありがとう」
 慈乃は変わらぬ二人にそう返し、近々また再会するであろう兄と、そして"あの者たち・・・・・"について思いを馳せた。

 嘉乃の最も近くには、常に二人の男が控えている。
 丁丙が出会ったという、『忍者みたいな奴ら』。自己主張もせず、【月喰の影】の侵攻にも関与せず。ただ嘉乃一人の護衛のみを黙々とこなす、仮面の二人組。
【月喰の影】の内部でもその素性を知る者は少なく、便宜上『右の御方おんかた』『左の御方』と呼ばれているらしいが、慈乃は、そして彼に従う二人はその素性を知っている。
 かつて嘉乃と慈乃の恵まれぬ境遇に同情し涙したその素顔を。脱走の手引きをして殿しんがりを務め、おとりとなったその忠義を。今はもう名乗らぬという、その真の名を。
 彼らの一人は黒い狐であり、一人は白い狸だった。
 白い狸は外界を知らぬ主たちの為に、信頼できる弟妹をお供に付けて山から逃がす。

 その信頼に殉じ、嘉乃を一人にしなければ――暦と歴の兄妹も、慈乃と同じ後悔を抱いてそこに居たのだ。
 それぞれの後悔に押しつぶされないよう支え合い、励まし合い。彼らはいずれ迎える大きな嵐を待っていた。



 一日一日はあっという間に過ぎて行き、古霊町内の小中学校は終業式を迎える。
 生徒たちが各々やりたいことややらなくてはならないことを胸に帰宅した金曜日、一夜明けていよいよ夏休みの翌土曜日。夜都尾稲荷神社では例年通り夏祭りが行われ、夕闇の訪れと共に輝き始める提灯の明かりの下に、元美術部六人の姿はあった。
 みんなで夏祭りに行こう。そう言い出したのは乙瓜だった。夏休み突入時点で既に七月十八日、Xデーと目される二十二日までそう日にちはないというのに、皆その提案に乗って来た。
 そして不安なんてなかったかのように遊び歩いた。暗くなってから始まった神楽奉納で、人混み越しに八尾異が千早を羽織ってひらひらと舞う様を覗き見てから、乙瓜らは本殿裏手の物置小屋前へと向かった。
 その時間そこには誰も居なくなるであろうことを、乙瓜はちゃんと覚えていたのだ。
 けれども、その日のその場所には先客がいた。
「あら」
「およ」
 驚きを短く吐いて振り返ったのは浴衣に身を包んだ幸福ヶ森幸呼と、黒っぽいワンピースの七瓜だった。そこで乙瓜はそういえばと思い出すのだが、七瓜もまたこの時間帯のこの場所に人が来ないことを知っているのだった。
「……なにしてたんだ?」
 一気に人口密度の上がったその場所で、乙瓜は七瓜に問う。とはいえ何をしていたかなんてどうでもよかったのだが、相手の名前よりも無難な挨拶よりもそんな言葉が出て来るあたりもまた乙瓜らしいともいえるだろう。
「なにしてたっていいじゃない? それよりびっくりしたわ。みんな来ちゃうんだから」
 七瓜は驚き呆れた様子でそう言って、それから幸呼を振り返った。
 幸呼はキョトンとした様子で美術部らを見ると、どこか抜けた調子で「あ、こんばんは」と軽く手を上げた。その手には水風船のヨーヨーが幾つかぶら下がっている。既に屋台を楽しんだ後のようだ。もしかしたら互いに気づかぬ内にすれ違っていたかもしれない。
「美術部もお祭り来てたんだね? なんだ、言ってくれればよかったのに」
「え、……あ……だって幸呼のメアド知らないし」
 呑気に言う幸呼とは対照的に、乙瓜はどこかぎこちなく言う。そういえばなのだが、小学五年生の一件以来、彼女らは学校で顔を合わせても殆ど会話しない間柄であった。そうしているうちに各々別の友人が出来て、話すタイミングを逃して――ほぼ断交状態だったのにも関わらず、あの三月に二度も・・・助けて貰えたのは奇跡に近い。それなのにまだ乙瓜は、幸呼にちゃんとお礼を言う機会を掴めないままでいた。
「もしかして乙瓜、まだ幸呼にお礼の一つも言ってないんじゃないでしょうね? 放送のこととか、手紙のこととか」
「……っ、本当にごめん、この通り!」
 眉をひそめて顔を近づける七瓜の圧に負け、乙瓜は幸呼に頭を下げた。……が、当の幸呼は相変わらずきょとんとしたまま怒る様子もなく。
「いいよ別にお礼とか、七瓜に散々されたから。ていうか連絡網あるから自宅電話番号イエデン知ってんじゃん。そっちで教えてくれたら私最初からきたのにさー。んもー、大人数で遊びやがってー。ずるいぞー?」
 何事もなかったようにそう言って、ふと彼女は首を傾げる。
「そっか。そういえば学校でいつでも会えると思ってたから番号もメアドも知らなかったわ。来年からいつでもは会えなくなるか。よし」
 呟き、手提げを漁り、幸呼はケータイを取り出した。
「赤外線しようぜ」
「……まじか」
 予想外にゆるい展開に乙瓜はポカンとした。そんな彼女を軽く小突き、魔鬼が小声で言う。
「馬鹿お前早くケータイ出せ、なんかこう、今チャンスだろ色んな!」
 乙瓜が神域深部に引き籠ってしまったとき、魔鬼は幸呼に手紙を託された。彼女はその内容を読んだわけではなく、むしろ間違って読まないように上から封筒を被せたわけだが、乙瓜がこちらに戻って来たいと思えるような言葉が書いてあったであろうことは想像に難くない。そんな言葉を届けようとした相手に一言もなく終わりだなんて、それは失礼なんじゃないかと魔鬼は思う。例え幸呼が気にせずとも、経緯を知っているが故のお節介であったとしても。
「言えるうちに言っとけよ、簡単だろ、ありがとうって!」
 魔鬼の『アドバイス』は完全に外野にも聞こえていて、乙瓜を取り囲む遊嬉や眞虚らもうんうんと頷きながらもどかしさに手をわきわきさせている。逃げるという選択肢は完全に絶たれた。
 乙瓜は慌ててケータイを取り出して、赤外線をやり取りしながら「ありがとう」と言った。完全に変なタイミングだったが、それを茶化す者は誰も居ない。
 誰も茶化さないが、幸呼はわざと意地悪っぽく言う。「なにが?」と。
「なにがありがとうって?」
「……わ、わかってるくせに!」
「どうだろう、思い当たることいっぱいあるからさー」
 幸呼はデータの遣り取りが終わったケータイを下げながらにんまりとして、それから七瓜と乙瓜を交互に見た。
「改めて並んでるの見るとなんか変な気持ち。乙瓜が二人に増えたみたい。……あ、元は七瓜だから七瓜が二人? でもどっちだっていいや。私、保育園から小五までずっと一緒にいたからさ。どっちが先だろうと、幼馴染がどんな子かは知ってる。絵描くのが好き。空想みたいなこと話すのが好き。字はちょっと下手。テストの点はそんなに悪くない。運動はあんまり得意じゃない。泳げない。強がってるけど他人の顔色すぐ窺う。どっちかっていうと弱虫。それでいて上手には生きられない、かわりもの」
 彼女が少々辛辣な言葉を並べる中で、乙瓜も七瓜も顔を真っ赤にして目を背けた。内心認めたくもないこともあったが、どちらにとっても全く心当たりがないことではないのだろう。
 そんな彼女らの様子を見て、魔鬼はふと思い出す。そういえば――と。

 ――ねえ、あの子のことどう思う? ……普通?

 一年生の時、夏合宿に向かうバスの中で幸呼が乙瓜について尋ねたこと。当時の魔鬼は、よくいる本人のいないところで悪評を広めるタイプの人間かと警戒したけれど、思い返してみればきっとそれは違う。
 幸呼は話さなくなってからもずっと乙瓜のことを気にかけていたのだ。同じ部活の魔鬼に変な風に思われていないか、それを知りたかったのだ。
 そのことにやっと思い至った魔鬼は安心すると同時に、なにかざらりとしたものに触れたような妙な気持ちになった。けれどもどうしてそんな気持ちになるのかを魔鬼が知るのはもっと後になる。
 それはともかく普段なら絶対に賑やかしに回る遊嬉すらも固唾かたずをのんで状況を見守る中、幸呼は手提げを腕に通し、両手をそれぞれ乙瓜と七瓜に伸ばした。
「でも変わり者とか思いながらもあの時まで一緒にいた私も結構変わり者だったよねって思う。昔ほどでなくても時々仲良くしてくれると嬉しいな」
 上下にゆらゆらと揺らす手は、握手をしようということなのだろう。乙瓜と七瓜は互いに顔を見合わせて、それから幸呼の手を握った。

 三人が友情を温め直すように手を取りあって、暫し誰も何も言わないままに時が過ぎた。
 何分が過ぎたか、それとも大した時間は過ぎていないのか。彼方の神楽の音色と祭囃子と虫の声ばかりが耳に付くようになった頃、幸呼がふと思い出したように言った。
「ところでみんななにしに来たの? 聞いたんだけど人類滅亡しちゃうかもなんでしょ?」
「……いや、先になにしてたのか訊いたのこっちなんだけど?」
 突拍子もない問いに、乙瓜は思わず真顔になった。
 感極まった思いはどこへやら、隣の七瓜も同じような表情を幸呼に向けている。恐らくは、背後の五人も。
 けれど幸呼は「そうかなあ」などとのたまうと、更に「別に良くない?」と言葉を重ね、それから改めて乙瓜を見つめた。あくまで自分たちのことははぐらかすつもりらしい。釈然としない乙瓜は七瓜に視線を移すも、彼女もまた幸呼に乗じて流れるように目を逸らす。
(なんなんだよもう)
 言えないことでもしていたというのか。隠されると余計に気になるのが人間心理ではないか。
 乙瓜はそう思うのだが、幸呼はそうでもないらしく。お祭り気分の美術部らをじっと見つめ、どこか挑戦気味に言う。
「だって、もうすぐなにかヤバイことになるって方がよっぽど気になることじゃん。その為になにかしようって人たちが遊んでていいのかなー?」
「なにをおっしゃいますかいね、遊んでるくらい余裕があるほうがいいじゃないの」
 ある意味ごもっともな質問に、そう切り返したのは遊嬉だった。ニカリと笑って答える様を見て、眞虚も微笑む。
「きっと辛い戦いが待ってると思うけど、私達辛そうにするのはやめたんだ。心配なことがなくなったわけじゃないけれど、始まったばかりの夏休みを終わらせない為に頑張ろうと思う。だから幸呼ちゃんもどこかで応援しててね」
「そーそー。よろしくー」
 おどけてみせる遊嬉に、「遊嬉はもうちょっとだけ深刻になったほうがいいぞ」と深世が言い、「まあいいんじゃない」と杏虎が返す。
「泣いても笑ってもやるだけやってみるまでさ、まだやりたいこともいっぱいあるわけだし」
 杏虎は言って、乙瓜を見た。
「夏休みどうする? 七月中はもうずっと天気よくならないっぽいけど、また海行く? 山行く?」
「おうなんだ藪から棒に」と乙瓜が言いかけるのに被せて、「はいはい温泉! 温泉行きたい夏の温泉!」と遊嬉が手を挙げる。
「温泉なら冬に行ったじゃん。スキー合宿」
 深世が溜息を吐くと、「夏の温泉はまた違うのー!」と遊嬉は頬を膨らませた。
 そんな夏の予定トークを前に、幸呼と七瓜はポカンとして顔を見合わせて。数秒くらいのの後で、恐る恐る幸呼が言った。「いや、何の話?」と。唐突さなら自分も大概であるくせに。
 脱線気味に盛り上がっていた美術部はその一言に我に返ったように静まり返り、それから遊嬉が一言。
「やりたいことがあるうちは負けらんねえー、って話」
 さも当たり前のようにそう言って、遊嬉はその場所から望める街と、その上に広がる夜空に目を向けた。
 その日も晴れる事のない雲に覆われた夜空には、星一つ見えやしない。けれども遊嬉はそんな空の向こう側を見つめ、「もうそろそろかな」と呟く。
 なんのことだろう。幸呼と七瓜がそう思う中で、それは唐突に起った。

 彼方の空に弾ける丸い光。ドンと鳴り響く火薬の音。遠すぎるために迫力はやや欠けるものの、それでも夜空に力強く広がったのは、真っ赤な丸い花火の輪。。
「おーおー始まったね。県南の花火大会、もしかしたらここからちょっとだけ見えるかもって思ったんだ。あたしの予想通り!」
「……なーにが予想通りだよ、予定通り花火大会が始まっただけじゃねーか」
「ちっちぇー。みえねー」
 さも自分の手柄の如くニヒヒと笑う遊嬉の横で、杏虎と深世が愚痴っぽく言う。けれどなんだかんだで視線は花火に向いてしまっているあたり、彼女らもまんざらではないのだろう。
 彼方で弾ける光の弾を見て、眞虚も小さく「綺麗」と零す。
 すっかり自分たちだけで盛り上がりだした四人に代わり、乙瓜は幸呼と七瓜を振り返る。
「まあ、さ。こういうのを来年も見たいからさ。がんばるよ、七瓜、さち・・
 言って、魔鬼の手を取って遠くの花火が良く見える場所を捜そうとする乙瓜を見て。七瓜はフフと笑みを零した。
さち・・なんて呼んでた時期もあったわね、そういえば」
「あったあった。でも長続きしなかったよね。何年生の頃だっけ?」
 七瓜と幸呼は顔を見合わせクスクスと笑い合った。
「……存外、大丈夫かもしれないわね、この世界」
「どうかなあ。ラスボス・・・・次第でしょう?」
「そうだけど、……ね?」
 七瓜は幸呼の手を握り直し、雲がかったままの空を見上げた。
「例え乙瓜たちが勝てなくても、あなた一人くらいは私が守ってあげる」
「ありがとう。でもそんなに期待しとかない。なの・・は弱虫だから。だから来れなくても恨まないよ」
 その時幸呼が確かに七瓜の手を握り返したのを、二人以外の誰も知らない。元美術部たちは一際明るく上がった花火に夢中で、今更に初めからいた二人を顧みることもなかったから。

 もしかしたら人類最後になるかもしれない夏休みの最初の日は、そんな風にして終わった。
 けれども美術部は確かに近づいてくる見えざる嵐の存在を感じていて、はしゃぎながらも「これが最後になるかもしれない」という不安を完全に忘れてはいなかった。
 彼女らも、学校妖怪も、協力妖怪も、【灯火】も、――火遠も。

 皆が各々思うところを抱える中、どこかの闇の向こうで水槽が割れる音が小さく響き、【月喰の影】から一枚の予告状が届く。

『ご存知の通り7月22日、全てを終わらせに参ります』――止められるものなら止めてみろと試すように、或いは止められるはずもないと嘲笑うように。

 そうして迎えた決戦前夜。元美術部の姿は真夜中の古霊北中学校、その美術室にあった。

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