怪事廻話
第八環・嵐の前③

 三週間前、つまり火遠が目覚めてからおよそ一週間後の月曜日、その昼休み。
 特に臨時の会議や面談でもない限り利用されることのない生徒会室には火遠と水祢、学校妖怪裏生徒会、引退前の美術部三年六人フルメンバー、そして【青薔薇】との橋渡しとして遣わされた七瓜らの姿があった。
【青薔薇】の主戦力であるアルミレーナと三咲ら、そして丙や嶽木などの【灯火】代表格こそ不在であるものの、【灯火】方についた各陣営が揃ったその場所で、火遠は己の考えを伝えたのだ。

 長く眠りに落ちていた間に見たと、目覚めてからの一週間で知らされた不在間の出来事。それらを照合し彼なりに考える、嘉乃の考えと【月喰の影】の今後の動向。

「不在中、慈乃が姉さんに語った推測はおそらく外れだろう。……けれども全くの見当違いとも言い難い」
 曲月慈乃はこう推測した。嘉乃は日食に乗じて火遠に『何か』を行い、その力で世界を今度こそ正そうとしているのではないか、と。
 けれども、火遠の考えではそれは違った。
「十一年前の事変からの九年間、【月喰の影やつら】が大霊道に手を出せなかったのは、嘉乃があくまで俺を直接倒すということにこだわったからさ」
 そういうところがあいつにはある。やや呆れたように言って、火遠は言葉を続けた。
「嘉乃やそれに従う連中にはとしての俺に期待することはもう何一つないだろう。その為に新しい神を影の中に見出し、その力で現行の世界を打ち滅ぼすことこそが彼らにとっての救済だ。畏れ多くも新しい神の歴史を始めようというのだから、シチュエーションは大事にしなくてはならない。これから挿げ替えられる新しい影の人類たちを統率し、乙瓜みたいな不信心の裏切者を出さないようにするためにも。だから『日食に乗じて仕掛けて来るだろう』という部分については俺も同意見だ。七月二十二日。誕生祭の四日でなければ二十二日で間違いない」
「誕生祭?」
 話をさえぎったのは花子さんだった。彼女がそうしなくとも誰かが同じことをしただろう。そのくらい、この話題の中に於いて異質な言葉ワードが『誕生祭』だった。
「誕生祭っていうのは、誰の?」
 改めて問う花子さんを見つめ返し、火遠は「決まってるじゃあないか」と答えた。
 答えて、どこかハッとしたような顔になって。
「嘉乃のだよ」
 そう言った火遠の声には、少し寂しそうな色が混ざっていた。
「グレゴリオ暦換算で七月四日、ずっと昔にあいつから聞いた生まれ月の季節と星巡り、そして過去の【月喰】の活動から見てほぼ間違いない。そちらもまた【月喰の影】にとって特別な日に変わりないから、『神殺し』仕掛けてくるとしたらその日か日食かのどちらかだろう……と伝えたかったんだ」
「……だとしたら、もうそんなに時間はないわね」
「ああ。だからこそこちらも備えなくてはならない。あくまで焦らずに、慎重にね」
 疑問から一転、表情を引き締めた花子さんにコクリと頷き返し、火遠はその場に集った皆を見た。
「最速で三週間、長くとも八月までには【月喰の影】と決着をつけなければならない。やつらの動向は【灯火】の偵察隊が引き続き監視し、古霊町周辺の警戒は引き続き協力妖怪たちとローテで行う。八尾異と神社姫には少しでもきざしらしきものが視えたら伝えてくれるように頼んであるから、美術部は各々技術錬成に励んでほしい。花子さんたちは学校の異変を察知したら即報告してほしい。いいかな?」
「わかったわ」
「まかせとけ」
 花子さんと乙瓜がそれぞれ答えるのを確認して、火遠は七瓜を見た。
「君は今日のことをヘンゼリーゼに伝えてほしい。……まあ、あいつのことだからもうわかっているかもしれないけれど、一応感謝していたとも伝えてくれるかい? この局面で気を損ねられると厄介だからね」
「そうね。そのように伝えておくわ」
 七瓜は頷き、それから少し考えるように視線を下に向けた後、意を決したように改めて火遠を見た。
「あの……あのね火遠さん。ありがとう」
「なにがだい」
「私と乙瓜を助けてくれたと聞いたわ。ずっとお礼が言えないままだった」
 七瓜の脳裏にあるのは、あの三月。
 あの日あの場で諸共消えてなくなるはずだった自分と乙瓜。危ういところを救われた礼を、彼女は漸く伝えることができたのである。
 畏まって頭を下げるを見て、乙瓜も慌てたように頭を下げた。
「あっ……えと、なんていうか……ありがとう。本当に。……ごめん」
「なにがごめんだよ、二人とも無事だったならそれが何より、十分じゃあないか」
 火遠は苦笑いし、それからふと思い出したように乙瓜を見た。
「そんなことより乙瓜、ミ子の奴にそそのかされて勝手に契約解いたろう? いつまた奪い返されるとも知れないからわざわざそのままにしておいたのに、まったくもう」
「は!? え!? ……いや、だってそうしないとお前が目覚めるの遅くなるって」
「それはミ子の推測だろー? 本当のところはわからないぜ?」
 つい先程の真面目な雰囲気とは打って変わり、火遠は人をおちょくるような笑みを浮かべてそう言った。完全に以前の調子だった。
 乙瓜はそんな彼を見つめ、実に悔しそうに言った。
「どれだけ心配したと思ってるんだよ」と。
「ちゃあんとわかってるさ」火遠はニヤリとした。
 そこではじめて、火遠にべったりとくっついているだけだった水祢が恨めしそうに言う。
「いい気にならないでよね。俺の方がお前なんかより火遠のそばにいたんだから」
 乙瓜をジトリと睨む水祢の頭を、火遠はよしよしと撫でた。「こっちもちゃあんと知ってるよ」と。
 言うや否や、そんな火遠を茶化すように遊嬉が口を開いた。
「せんせーそんな言葉だけじゃあだめですぜー。水祢はよっぽどよっぽど心配してたんだから」
 ねえ眞虚ちゃん。そう振る遊嬉に眞虚はコクコクと頷く。
「水祢くんだってよっぽど待ってたんだから。そこはちゃんとそれなりに応えてあげないと駄目だよ!」と。
 思わぬ水祢への援護射撃に、火遠は困ったように首を傾げた。
「いつの間にそういう流れになってるわけさ?」
「いつの間だっていいじゃない、だって水祢くんこの三ヶ月くらいほとんど火遠くんの近くにいたみたいで、私だってあんまり姿見てなかったんだから!」
 珍しく強気にそう言う眞虚に続き、「そうだそうだ」と遊嬉は言った。
 実際美術部らがここ数ヶ月で水祢の姿を見た回数は両手で数える程しかなく、そして学校妖怪はその理由が火遠の眠る図書室の妖界に足しげく通っていたからだと知っている。それが例え一方的な片思いだったとしても、あの日・・・水祢の過去の一端に触れてしまった眞虚としては、せめてもう少し水祢のことを思いやって欲しいという気持ちがあった。遊嬉は面白がっているだけであるが。
 そんな眞虚の気持ちを知ってか知らずか、水祢は不機嫌なトーンで「ちょっと黙って」と唸った。
「……勝手に人の気持ち代弁しないで。きもちわるい」
 言って、「なんでさ」と不満げな遊嬉と、不思議と何も言い返さない眞虚を順々に睨み、水祢はそれから火遠を見つめた。そして、
「…………ありがとうとか言って欲しかったんですけど」
 平時の態度からすると驚くほど素直に、彼はそう言ったのだ。
 火遠がキョトンとして水祢を見つめ返すと、青い水祢が顔を真っ赤にしてそっと視線を逸らした。
 ほんの少しだけ間があって、それから闇子さんが身を乗り出してこう叫んだ。
「馬鹿火遠おまえ、そこでだよ! そこでありがとう言うんだよ!」と。
「そうでござるよ」とたろさんが続く。「今を逃していつがあるのさ」と遊嬉が謎のハンドサインを送る。
 本筋から逸れた所でギャラリーが大変盛り上がってしまったので、茹蛸ゆでだこ同然になった水祢は「もういい」と噴火して、そのまま生徒会室を出て行ってしまった。

 それから火遠がブーイングを浴びて、流れでその日その場はお開きとなった。

 七瓜がそのときの遣り取りを振り返ったのはおよそ三週間後の七月四日、火遠が目星を付けた誕生祭、即ち【月喰の影】にとっての七月の特別な日の昼下がりのことである。
 古霊町の未来視・夢見の能力者がそう断じた通り、その日は実に何事もないままに半分以上が過ぎようとしていた。故に美術部(厳密には既に元美術部であるが)たちは自主鍛錬及び戦いの後の進路に向けた勉強等をして過ごすことができ、古霊町全体を見渡してみても至って平和な光景が広がっている。
 だが――と七瓜は思う。
(敵はまだ来ない。けれどもなにか嫌な予感がする。今日、この世界のどこかで、なにかとても嫌なことが起こっているような――)
 胸騒ぎを覚え、七瓜は日傘を持つ手をギュッと強く握りしめた。
 こんなことを思うのも、やはり三週間前――美術部らに続いて生徒会室を後にしようとしたときに、不穏な会話を聞いてしまったからに違いない。そう思いながら。

 あの日、重々しい話題が比較的ライトな流れで終わり、美術部らが去った後。火遠は何かを訴えようと縋りつくてけてけにこう言ったのだ。
 ごめん、と。

「慈乃の仮説から、姉さんは俺を暴走させるための餌だと感じたらしいけれど……。異怨が攫われた本当の理由は、多分もっと深刻だ。異怨は恐らく、もう……溶かされてしまっている。【星】の力に触れた証、無限再生の命を得るために」

 どういうことか。七瓜は疑問に思ったが、その場で声も無く表情にも出さず、けれども泣き崩れるてけてけを見て、何も問うことが出来なかった。
 そうなると頼れる者は自分を庇護している黒い魔女しかいない。ヘンゼリーゼの元に帰った七瓜は火遠の【月喰】の計画に対する見解を伝え、そして恐る恐る訊ねた。
 溶かすとは、と。
 果たして問われたヘンゼリーゼはクスリと笑って。そして納得したように「そういうことだったのね」と呟いてから、七瓜の疑問に解を示した。
「そのままの意味よ。殺しても死なないから、殺さないで"命"の分部以外を溶かすのよ。変梃へんてこな話だけれど、【月喰の影】の絵空事科学はそれを可能にしたのでしょう。白い子は元々自我がめちゃくちゃだから、さぞや簡単に溶かせたでしょうね」
「……そんなことをして、無限再生の命とやらが手に入るの?」
「おかしなことを訊くのね。意味もなくただ溶かしただけと思って? 自我と肉体を削いで純粋な"命"だけの存在になった白い子を総裁嘉乃と一体化させる技術が、既にあちらにはあるのでしょう。最後の戦いのために、そして次なる地上の支配者となるために」
 面白いことを考え付くこと。ヘンゼリーゼは目を細め、そして続ける。
まえから疑問だったのよ。いくら元が長命とはいえありふれた植物の精霊ごとき・・・が、どうしてエルゼの不滅の魔法に匹敵する無限再生の命を持っているのか。でも考えてみれば不思議なこともなかったわね。緑の子がそうであるように、白い子も過去にどこかで【運命の星】の力に触れたんだわ。あの子は選ばれなかった成れの果て――」
 上機嫌に語り続けるヘンゼリーゼを不安げに見つめ、七瓜はその名を呼んだ。
「ヘンゼリーゼ」
「なに?」
「無限再生の命と一体化してしまった曲月嘉乃は、まだ私達の敵う相手でいるかしら?」
「さあ? 知らないわ」
 深刻そうに問う七瓜にそう返し、ヘンゼリーゼはふふふと微笑んだ。ゾッとするくらい綺麗な顔で。

 その表情を思い出し、七瓜は七月四日の曇り空を見上げていた。
(不安は全く消え去ったわけじゃない。曲月嘉乃は今頃どうなっているのか、溶かされてしまった子は元にはもどれないのか。乙瓜たちはどこまで知っているのかしら)
 彼女はふうと息を吐き出して、それから空ではなく、自らの身体の向く正面へと視線を移した。足を踏み出すべき方向に。
「――たとえ、なにがわからなくても進むしかない。行くべき未来さきを拓き、歩くべき道を作り上げる為に」
 弱音を掻き消すように頭を振って、七瓜もそこから歩き出した。

 烏貝七瓜にも守りたいものがあった。【灯火】と【青薔薇】の協力関係という枠の中のものではない。
 乙瓜を守りたい。乙瓜にその居場所を譲った家族だってそうだ。勿論今の家族・・だって、ちょっぴり子供っぽい三咲や多くを語らないアルミレーナのことだって失いたくはない。そして――自分と乙瓜の為に叫んでくれた幸呼を、かつての自分と同じ目に遭わせたくはない。
 そんな想いは美術部にだってあるだろう。協力しに来た妖怪たちにもあるかもしれない。個人か、集団か、或いは己の属する世間か、もっと漠然と広がる世界か。きっとなにかしら守りたいものがあって、同じ側に立っているのだろう。
 その明日に、向かっていくために。

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