怪事廻話
第七環・転回禁止の分岐点に③

「……大変なところを遅れてすまない。他の二神社が襲撃されないとも限らない故に中々持ち場を離れるわけにはいかなかった」
 神域一開けた一画に稲荷狐と妖怪、美術部らを集め、丁丙は深く頭を下げた。彼女が率いて来た妖怪たちも倣うようにそれに続く。
 神社姫の感知した不吉を元に神逆・童淵神社方面の護衛についていた彼らは、【月】勢力による夜都尾神社神域に対する襲撃にもう少し早い段階で気付いていた。けれども別動隊の存在を警戒し、なかなか持ち場を離れ増援に向かう判断を下せずにいたのだ。現在こうしてここにいるのは、襲撃の混乱を縫って文徳狐が放った使いによる戦況報告があったからに他ならない。――主要な幹部級が集中している。ならば、と。
 使いを受け取った丙を筆頭とし遅れ参集した妖怪たちは、激戦を辛々生き残ったという様子の各面々を見て心を痛め己を責めた。せめてもう少し早く判断を下せたらと。
 だが、傷付いた味方はそんな彼らを責めはしない。止むなき事情があったことなど言われずともわかっているし、遅れ来た面々の判断が全くの間違いであると断じてしまえるほど浅はかにもなれない。
 それどころかこの場の代表と言っても異存はなかろう文徳狐はねぎらうような目で丙を見て、「むしろ助かりましたよ」と謝意を述べる。
やっこさんたちが早々に引き上げたのは間違いなく丙さんらが来てくれたお陰でしょうよ。美術部さんたちが言うように葵月とかいう幹部を打ち破ったこともありましょうが、増援の気配がなければ未だ攻撃は続いていたかも知れませんし」
 文徳狐はそこまで言って溜息を一つ挟み、少々弱気な口調でこう続けた。「それよりも謝るのはこちらの方ですよ」と。
「六勾玉に注ぐ筈だった力を大分すり減らされてしまいました。……薄雪山神さんじんには、後で直に謝らないといけませんねぇ」
 終わりにもう一度溜息を吐く文徳に、妻・房狐は「おまえさまのせいではありません」と首を振った。
「私のせいでございます。私が足をやられたばっかりに、このひとは神通力ちからを使わざるをえなくなったのです」
「……よせよせ房狐。お前さんに落ち度なんてない」
 気落ちする房の言葉をさえぎり、丙はしかし、どうしたものかと思案する。
 薄雪媛神の提案した勾玉を使った大霊道封印計画の要は、迫るXデーまでに神と神の眷属の力をより多く六勾玉に蓄積すること。しかし先の襲撃でその力の供給元の一人である文徳狐と房狐は消耗し、その長子である例の赤髪ツインテールの狐娘・ゆたかもまたマネキン爆弾の炸裂によって傷つけられた。
 ただ文徳と房の血を継ぐ子狐であるだけならば夜都尾神社の現世境内けいだい、そして神域内に存在する人型のモノたちは皆そうであるのだが……皆、親狐や姉狐に比べて弱々しく、力を束ねた所で心許ない。
(どうするか。いっそあちきの力を使うか? ……いや)
 考え、けれども丙は己の中に一度浮かんだ答えを否定する。
(まだ火遠の奴が目覚めていない現状、このあちきまで動けなくなったら対【月】の布陣が崩壊しかねん。今は念のためと北中学校に回している嶽木と水祢がいるとはいえ、代表として「じゃああとはよろしく」とは言えんだろう。……坊じゃあるまいし)
 丙はむむと唸り、一瞬の逃避のようにチラリと美術部を見た。
 六人で車座になっている彼女らの顔は翳っている。無理もない。彼女らは初めて対峙する本気の幹部級相手に打ちのめされたのだ。初陣で葵月を下した深世ですら、自らの為に傷ついた魔鬼や杏虎……そして今は離れて治療を受けている瀕死の雷獣を思ってか俯いている。
 誰も一言も発さないが、きっと六人はこう考えているに違いない。――例え六勾玉が最良の状態になったとして、【月】との決戦までに自分たちが生き残ることはできるのか? と。
 そんな彼女らがいたたまれなくなって目を逸らし、丙はなんとなく広げた己の掌の内を見つめた。そしてそこに走る幾つかのしわを見つめながら再び考えるのだ。
美術部彼女らの粗は時間さえあればフォローできるだろうが、現世時間の不足を補える神域へすら侵攻してくる敵相手にその時間が果たしてあるかどうか。……いない、できない、時間がない。自分らだけじゃないものねだり、ならばそろそろ改めて頭を下げる・・・・・・・・頃合いか)
 掌を拳と握り、丙はふうと目を閉じた。瞼の裏に浮かぶのはいついかなるときでも澄ました微笑みを浮かべる黒い女の顔。【青薔薇】の名を奪い去った彼女の姿である。
 形ばかりは同盟関係であり、確かに助け舟を出してくれたりもした彼女ではあるが、果たしてこちらの思う通りにしてくれるか否か。……だがする・・しかないだろう、丙は瞼を開き息を吐いた。

 その時、嫌に静まり返ってしまった場に小さな足音が響き渡った。

 しんみりまたは仏頂面で黙り込んでいた者たちはその足音にゆらりと顔を上げ、殆ど同時に音の方角に顔を向けた。
 美術部も、丙も、文徳狐たちも、ほとりや増援としてやってきた小鈴、電八、妖怪たちも。そうして数多の視線が交差する先で、小さな白い影が呆れたように声を上げた。

「なんじゃおぬしらその死にそうな面は。元気を出せってまだまだこれからじゃろうて。なーー?」

 甲高い声で語尾を上げ、フンと鼻息を漏らしながら腰にひづめの手を突く童女。その頭には山羊の角。六勾玉を用いた『逆転の希望』の提唱者・薄雪媛神本がそこにいた。仁王立ちしていた。
 その姿を認めるや否や、文徳狐は弾かれたように頭を下げる。
「まったく申し訳ない薄雪山神! 封印計画が失敗したら、そりゃあ私ら夜都尾の責任だ……!」
「…………あ?」
 殆ど土下座状態の文徳を見下ろし、薄雪はきょとんとしながらぴくりと片眉を上げた。
「元極悪妖狐のくせしてなにを気落ちし謝ることがあるのじゃよぅ。生き延びるために力使わんでいつ使う、お主もお房も健在ならそれが何よりじゃろうて」
 ふうと息を吐き、薄雪はそれから丙を見た。
「丙よ、お主も思うところがあるなら即行動せい。お主までメソメソ・ウジウジするのじゃったらもう色々と用立ててやらんし、地神とか・・の連中と交渉したりもしてやらんぞ? 猿神に推してやったのを忘れたか」
「お、おう? おう。……その節は本当に……いや! 今そんな昔のこと引き合いに出さなくたっていいじゃあないか?」
「引き合いに出したくもなるわい、この間なんて突然道路作るとか言い出しよってからに、儂(わし)がどれだけ骨折ってやったことか。とかく文句言ってる暇があるなら、さっさとどうにかなりそうな心当たりに当たってこんかい!」
 薄雪が豪気に発破をかけると、丙はなにかを振り払うように頭を振ってどこかへ駆け出した。さしもの【灯火】の長も、後ろ盾にして神代から在る神の言葉を受けて踏ん切りがついたらしい。
 丙がその場を去ったのを見届けて、薄雪はふと美術部を見た
 俯き気味の彼女らを見て、薄雪はわざわざ「何を落ち込んでいる」だなんて言わない。そもそも神たる彼女相手には考えていることなんて筒抜けで、かといってもし彼女が神でなかったとしても理由なんて一目瞭然。
「打ちのめされたか」
 単刀直入にそう切り出す薄雪相手に美術部六人は特に頷きはしないが、その眼は「そうだ」と語っていた。
 なので薄雪はそんな分かり切った答えがわざわざ言葉で戻ってくることを待たず、己のペースで話を続けた。
「なに、敵わなかったことは恥ではないぞ。確かに儂はお主らに切り札の六勾玉を託しやしたが、そこから先をまるで考えておらんほど間抜けでもない。丙の奴はこうして各地から妖怪を集めてくれたわけだし、異怨が攫われて以降一人の欠員も出していない。まだまだ大丈夫じゃ」
 そこまで言って、薄雪はふと笑顔を見せた。けれども未だ曇った表情の美術部の中から、誰よりも先に深世が「けれど」と声を上げた。
「けれど! ……そうかもしれないけれど。誰も死んでなくても傷ついてはいるじゃないかよ。私がもっとちゃんとはっきりとこういうの・・・・・に向いてる人間だったら、魔鬼も杏虎も怪我をしなくて済んだし、雷獣も死にかけることなんてなかったんだよッ!」
「……違う!」
 深世の言葉が終わるか否かのところでそう叫んだのは眞虚だった。
「例え深世さんに妖怪や幽霊と戦う力があったとしても、私達だって勝てなかったんだ。……ううん、それはもっと前から気づくべきだったんだろうけれど。……この局面で……! 私達は敵の幹部を一人倒すことしか出来なかったの……!」
 眞虚の声は次第に涙声になっていた。彼女の中にも自分を庇ったせいで傷ついた仲間がいるという現実が重くのしかかっている。人質となった狐娘・穣のことも。
 勿論誰も深世や眞虚を責めはしない。責めはしない、が。……誰も不安に思っていた。
 それを代弁するように、魔鬼が静かに言う。
「……あの葵月とかいうのは退けられたけれど、それは相手が単騎だったからだよ。現にアンナとアンナの操るマネキン人形複数体を相手にした乙瓜と遊嬉、眞虚ちゃんたちはしのぐことしかできなかった。そんな相手を掻い潜って、大霊道諸共【月】を封印することなんて出来るのか……?」
「ふむ。尤もな意見じゃな」
 それぞれ弱音を吐く美術部を前に、薄雪は口をへの字に変えた。しかし直後眉を上げると、強めの口調で「だが」と続ける。
「『出来るのか』? じゃない。『出来る』と思え。決して希望を見失ってはならん」
 迷いなく言い放ち、薄雪神はわざとらしく足下の砂利を鳴らす。遊嬉はその様を見ながらも「でもさ」と更になにか言おうとするが、それはすぐ断ち切られる。
「でももなにもあったものか。それに儂は既に言ったはずじゃぞ、『そこから先をまるで考えておらんほど間抜けでもない』と。……つまるところまだまだ秘策はあーーる!! 元気を出せいッ!」
 最後は殆ど叫びに近かった。これでどうじゃ、と言わんばかりの薄雪の言葉を前に、美術部は皆目を丸くした。
 皆呆気に取られ、ほんの少しばかり沈黙が流れた。
 やがて……というよりはほどなく、二、三秒の後。その沈黙を恐る恐る破ったのは乙瓜だった。
「ひ……秘策とは?」
「分り切ったことを。勾玉の方は丙に任せるとして、今この場で"ぱわーあっぷあいてむ"以外に必要なものがあるかという話じゃ」
「パワーアップアイテム!? そんなものがあるのか!?」
「あるともさ」
 はっきりと言い切った神に、美術部がどよめく。話を傍から聞いていた妖怪らも少なからずざわめくが、一方で狐神はあまりいい顔をしない。
「ちょっとお待ちなさいな薄雪山神。まさか封印した"剣"と"鏡"を引っ張り出してくるおつもりで?」
 正気か、とでも言わんばかりの顔で尋ねるのは文徳狐だ。しかし薄雪はそんな彼を振り返ると、さも当然といったふうにコクリと頷いた。
「ここで使わずいつ使う。元々あれらは儂がその為に賜ったモノじゃ。儂の持ち物をどうしようと儂の勝手じゃろう?」
 薄雪媛神はニヤリとし、再び美術部に向き直る。そして足を開き腰に両手を当て、堂々とした立ち姿で叫ぶようにこう言った。

「お主らに"みっしょん"を与える! この神域深部に封じてある二つの退魔宝具を開放するのじゃ! ……ただし!」

 と、一度溜めて、薄雪は美術部六人の顔を改めてまじまじと見つめた。
 翳りは既に晴れており、目は平時のように輝いている。それでこそだと薄雪は内心ほくそ笑み、そして次なる言葉を紡いだ。

「ただし! 退魔宝具の封印領域・・・・に向かえるのは、お主らの中の一人だけとする!」

HOME