怪事廻話
第七環・転回禁止の分岐点に②

 深世ら防衛チームが葵月蘰をくだした。それを外部からいち早く察知したのが攻撃チームと対峙するアンナだった。
 蘰は元々さして強力な怪異ではない。人形師アンナとその前任者の作品・・によって自身を強化し、幹部級にまでのし上がってきた。故にだろう、アンナは蘰の身に起る異変には他の何者よりも敏感だった。
(葵月の姐さんがやられた……?)
 正確無比を自負していた信号・・を内心やや疑いながら、しかしアンナは己の目の前にある状況を見つめ、これから何を成すのが最善であるか計算を始めた。
(今回の作戦目的は勾玉を覚醒させていない一人を勾玉諸共葬ること……アタシたちの襲撃がかえって覚醒を促してしまったなら失敗も失敗、尚且つ姐さんの身体パーツの一辺でも持って行かれたら大失敗……!)
 たかが一般人一人とみて虎の子のダーツを使わなかったことが仇となったか、とにかく今は蘰を回収し退却しなくてはならない。そう判断した瞬間、アンナは奥歯を噛みしめた。それは悔しさからだけではない。アンナの奥歯にはスイッチが仕込んであり、強く押し込むととある仕掛けが作動するようになっていたのだ。
 その仕掛けは結界壁越しに遊嬉たちを取り囲んでいた剣のマネキンたちに作用した。間もなく結界壁を打ち崩さんとしていた彼らは一斉にその動きを止め、ピンと手足を揃えた直立不動の状態になる。
「……?」
 そんなマネキンたちを前にして、怪訝に思わないような遊嬉たちではない。彼女らはこれまでマネキンの攻撃によって徐々に陣地を狭められていく結界壁の内側からも決して戦意を失わず、隙を突きながら幾体かのマネキンを破壊してきた。形勢は未だ不利なれど、依然として負ける気などなかった。だが、現状有利である敵方が攻撃の手を止める様は単純に不可解に、そして不気味に見えた。
 そんな気はまっぴらないのだが、「このまま攻め続けた方がこちらが陥落する可能性は高いのではないのか?」―と。味方目線のチャンス到来も、敵目線で考えてみたときの違和感の方が強烈に感じられたのだ。
「なにか仕掛けてくるかもしれない」
 遊嬉が攻撃姿勢を崩さぬままに呟く。それについては眞虚も乙瓜も同意見だった。ほぼ背中合わせに戦う彼女らがそれぞれの視界から注意深く睨みを利かせる中、マネキンたちの表情を持たない首が一斉にゆれ、ごとりと落ちた。まるで落果のように。
 人質の狐娘を抱えるマネキンもまた首を落とし、神域の地面に浅くめり込む。
 辺り一面に転がる首、首、首。それらがかすかに煙のような臭いを放っていることにいち早く気付いたのは眞虚だった。

「これ、爆だ――」
「弾けろ!」

 爆弾、眞虚がその単語を口にするより早く、四方八方に転がる首たちが一斉に炸裂した。爆炎と爆風が辛うじて残っていた結界壁を破壊し、攻撃チーム三人と狐娘に襲い掛かった――

 その派手な爆発は、やはり神域前面からも観測されていた。
 空にはドラマ撮影用のセメント爆発よろしく鋭角で舞い上がる砂煙。地上のナパーム爆発同様の爆炎光は、森の木々を縫って尚赤赤と主張している。内臓までびりびりと響く振動は大地を揺らすに留まらず、衝撃波となって空気をも揺さぶっている。
「な、なんなのよあれは……」
 衝撃波を空中で受けたほとりは敵前であることを一時忘れ、彼方の爆発を見つめた。しかしそうしていたのは何も彼女だけではない。森の中から緑の閃光が奔った時と同様、【月】の下っ端たちもまた一時だけ攻撃の手を止め、爆発の方向を見ていた。
 けれども、【月】の連中の中にあるのは予想外の出来事に対する衝撃ではない。
 奇襲隊の有象無象の一人として存在していた桂月は、敵味方の動揺の隙に大穴を開けられた神域社殿の屋根の上で溜息を吐いた。
「社殿にまで侵入できたのに、ですか。……仕方ありませんね」
 元より撤退の狼煙のろしであった爆発を見つめ、彼女は口惜しそうに拳を握った。
 その数メートル下で、文徳みのりふさの夫婦を追い詰めていた十五夜兄弟もまた爆発を感知していた。
「……しくじったか」
「葵月が」
「惜しいことを」
 兄弟は眉の一つも動かすことなくそれぞれ呟くと、破壊した屋根から覗く神域の白い空を見上げた。
「しかしこれもまた頃合いかもしれん」
 そう言ったのは目の見えない音月おとつきだった。
「間もなくやつ・・がくる」
「――そうか」
 弟の言葉にそう返し、杳月はるつきはまさに狐夫婦を仕留めようとしていた腕を静かに下ろした。
 すっかり戦意を失くしたような十五夜兄弟に対し、天井の残骸に足を潰された嫁狐を庇うように身構えていた文徳狐は尚も二人を睨んだままだ。なんなら「なぜ撃たない」とも思っている。
 この距離ならば杳月の狭範囲破壊能力でいつでも狐夫婦を仕留められる。無論文徳とて簡単にやられてやる気はなく、房が負傷してからは神通力を集中して簡易結界で防御しているが、それでも十五夜兄弟が試行回数を重ねて来るならばいつかは――といった具合だ。
 まだ油断する時ではない。……が、このまま神通力を防御に回し続ければ、薄雪らと話し合って決めた「六勾玉に力を託す」という計画が崩れるのではないか。それが狙いか。――と、文徳狐が考える中で、十五夜兄弟は静かに呟く。
「撤退が決まった。命拾いしたな拾われ妖狐」
「あと幾らかだけは生かしておいてやろう」
 言って二人が姿を消すのと同時、外部にある敵の気配も消失する。この神域の主である狐夫婦はそれをはっきりと感じることができた。
「……おまえさま。助かったのでありましょうか?」
 房狐は呆然と呟き、瓦礫に挟まれた足を今更そろりそろりと引き抜こうとして表情を歪める。文徳狐は「無理はしなさるな」と嫁に言い、それからようやく肩の力を抜いて、ずっと張り続けていた結界を解いた。
 やや遅れ、外の勢力に行動を封じられていた味方側の妖怪勢と子狐たちが大丈夫かと集まってくる。彼らに瓦礫をどけてくれるよう頼みながら、文徳は外部からまた別の――だが少なくとも【月喰の影】ではない何者かが近づいてくるのを感じていた。
(なるほど、それでやっこさんたちは撤退に積極的だったんですかい)
 迫る者の正体を悟って息を吐いてから、文徳狐はこの場に居ない美術部と娘狐・・の身を案じた。



 一方、その美術部はというと。
 アンナの撤退爆撃を至近距離で受けた攻撃チームは、命からがらどうにか生きていた。
 結界壁を失った咄嗟の咄嗟、その他一切の物音を掻き消す轟音の中で「身を屈めろ、口だけは閉じるな」と叫んだのは乙瓜だった。当然彼女は常日頃から爆撃に怯える紛争地帯の子供でもないわけで、そんな知識はテレビかなにかで一度か二度観たことがある程度である。それが丁度の瞬間に思い出されたのは奇跡としか言いようがなかったが、お陰で多少負傷はしたもののどうにか皆生き残ることができたのだ。
 爆発の激しい衝撃が去った後、恐る恐る身を起こした彼女らの前には既にアンナの姿はなかった。人質となっていた狐娘が人化の解けた狐の姿で倒れていたが、一時的に耳が聞こえなくなってしまっているものの命に別状はない様子だった。
 とまあ無事が確認できたとはいえ、いつまでも同じ場所に留まっているわけにはいかない。皆傷付いた身体で立ち上がると、眞虚の封壊の護符を包帯のように巻きつけた。皆ミイラのような出で立ちになった。ついでにその時になってはじめて、無限に出て来るかと思われた護符にも打ち止めがあることを知った。少々勿体ないことをした気分にもなったが、ここから動けないことにはどうにもならない以上仕方ない。
 防衛チームの無事を確認する為、遊嬉らと一匹は森の中をよろよろと進んだ。
 そして――深世らとは存外すんなりと合流できたのである。
「……なんだよお前ら揃いも揃ってハロウィンか」
 遊嬉らを見つけるなりそんな皮肉で迎えた深世ら三人も、他人のことをとやかく言えたような様ではなかった。皆一様に木の枝に引っ掛けられており、顔と言わず腕と言わず足と言わず、切り傷・あざこぶだらけの酷い有様だった。
「そっちこそなにさ、不良漫画でしか見たことないよそんなの」
 ニコリともせずかといって怒りもせず、ただただくたびれた様子で皮肉を返す遊嬉を見下ろし、杏虎は同じ調子で「人形使いにやられた」と返した。
「ちょっとヤバかったけどあの葵月とかいうやべーやつには勝てたんだよ。そしたら地震? ってか爆発? でめっちゃ揺れてさ。そしたらあのアンナっつー人形使いが飛んできてあたしらまとめてこの様よ。葵月にもとどめさせんかったし」
 少々恨めしそうに言いながら、杏虎は「あー」と息を吐いた。
「てか誰か降ろしてくんね? もうあっちこっち痛くて動く気しないんだけど」
 無気力そうに手足をほんのりと揺らす杏虎の隣の木の上で、魔鬼もまた「同感」と口にする。
「つか聞いてよ乙瓜、なんか私だけめっちゃ腹蹴られたんだけど。多分肋骨にヒビ入ってると思うんだよね。酷くね?」
「おう災難だったな。でも俺も肩外れかけてるからきにすんな」
 と、乙瓜はほぼ初手の段階でアンナの人形にやられた肩に手を当てた。なにを気にするなというのか。だがそんな返しが「こんなもんか」で通ってしまうほど、この場で傷ついていない人間なんて一人も居なかった。言うまでもなく狐娘も。
「ごめんね、私が消耗してるからなのか、しばらく護符出せそうにないんだ。……誰かが助けに来てくれるといいんだけど」
 眞虚が木の上の三人に対して申し訳なさそうに言うと、どんよりと重い溜息が返って来た。その後で、深世が思い出したように言う。
「そういえばさあ、その辺に黒っぽい獣倒れてない? ちょっと瀕死そうな感じの」
 言われて、地上の三人はどれどれ、と辺りを捜す。ほどなくしてそれらしきものを見つけたのは眞虚だった。
 猫や狸よりもほっそりとした体形、オコジョのような細長い胴体。しかしその目は閉ざされ、体はぐったりとしている。
「この子? ――っ、」
 深世に確認するよう抱え上げたとき、眞虚はその生き物の身体のあちこちがぬめりとした液体で汚れているのに気付いた。黒い体毛のためか一目では気づかなかったが、それは血だった。
 生き物は傷ついていた。ともすれば死んでいるのかとすら思ったが、微かに上下する胸部がその可能性をまだ僅かに否定する。
「生きてる……」
 眞虚がそう呟くのを聞き、樹上の深世はよかったと零した。
 その様子をキョトンと見つめ、「なんなんだこれ?」と乙瓜が問う。深世は彼女をじとりと見下ろすと、
「命の恩人。一緒に助けてやってほしい」
 呟き、どこか安心したように目を閉じた。
 その暗闇の奥に、彼女ら美術部を呼ぶ大勢の声を聴きながら――

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