怪事廻話
第七環・転回禁止の分岐点に①

 自ら逃走の選択を捨て、立ち向かう意思を派手に表明した深世には、その時点で勾玉を覚醒させられる希望などなかった。
 そもそも、勾玉が覚醒した今この瞬間においてもそのことになんて気付いてはいないだろう。彼女は遊嬉らに闘志が足りないんじゃないかと言われたことを思い出して闘志を出してみたわけではないし、そんなに器用な人間でもない。
 ただ、自分より小さな生き物が――たとえ自分より強かろうが――更に強大な力を持っているであろう相手に果敢に立ち向かい、けれども力及ばず蹂躙されて行く姿を目の当たりにして、ただキレただけなのだ。その瞬間の感情を爆発させただけ。発露の仕方が変わっただけで、恐ろしいものを前に気絶していた頃と何ら変わっていない。後先なんて考えていない。

 けれどもその爆発力に勾玉は応えた。

 そして勾玉が放った緑の閃光は襲撃を受けていた夜都尾稲荷の神域各所で目撃されることとなる。

 深世ら模擬戦防衛ディフェンスチームと分断されていた遊嬉ら攻撃オフェンスチームは、神域の森の木々を縫って強烈に走り抜けたそれを最初攻撃だと思った。
 黒梅魔鬼の魔力光とは違う緑色、防衛チームがやられたのではという懸念。けれども想定外そうに表情を変える人形使いアンナを前に、懸念は希望へと変わる。
「この光ってもしかして……!」
 顔を上げる眞虚は、結界防御壁で襲い来る人形の軍勢から辛うじて安全圏を確保していた。その頬には不意打ちの貰い傷で赤い線が引かれてしまっており、目立たない傷はあちこちに及ぶ。そして負傷しているのは眞虚だけでなく、攻撃チーム全員が似たり寄ったりの状況だ。いかに結界もち・・・・が多かろうと、唐突に現れた敵に対応するの要した時間で幾らか貰ってしまっていた。
 敵は以前北中を襲ったマネキンの腕を剣に換装した凶悪な軍勢、遊嬉は抜剣前の腕と脚をやられて眞虚の応急処置で辛うじて動いている状態であるし、乙瓜は六人中唯一の回復役である眞虚を庇った際に肩をやられている。アンナ・マリーはいつにも増して本気だった。その上審判を頼んだ狐娘を人質にして降伏を勧告している。
 状況はあまりいいとは言えなかったが、分断された防衛チーム側から届いた光は彼女に確かな勇気を与えた。
「眞虚ちゃん乙瓜ちゃん、まだ行けそう?」
 傷を覆う応急処置の封壊護符と皮膚の隙間から血を流しながら、遊嬉は紅蓮赫灼ぐれんかくしゃくを握り直した。治るまでにまた酷使するので傷はあまり癒えているとは言えなかったが、それでもこのまま休んでいるわけにもいかないと立ち上がり、遊嬉は他の二人を振り返った。
「私はまだ大丈夫。……はもう少しは持たせられるし、まだ遊嬉ちゃんたちを治せる余力はある。だから早く杏虎ちゃんたちに合流しないと」
「当然だろ。最低でもここでこいつら追い返さないと詰んじまう、降伏なんてするもんか。それに食べ物の恨みは恐ろしいんだぞ」
 眞虚に続けて戦意を表明し、乙瓜は遊嬉の腰のあたりに目を向けた。そこには模擬戦の判定用の袋入りの焼きそばパンが、……辛うじてまだ袋に収まったままであるものの、随分と無残な姿となってぶらさがっている。それが当然アンナらの攻撃の影響であることは言うまでもない。
「食べものの恨みね。そりゃあまったくだ」
 遊嬉はフッと笑ってアンナに向き直ると、鋭い剣先を彼女に向けた。
「そういうわけだから。あたしら降伏とかしねーんだわ。……だから早いところそのを開放して去ってもらおうか!」
「……イキっちゃって生意気な。そんな口聞けなくしてあげようか」
 アンナは不機嫌に頭を振った。
 あんな光程度で蘰がどうにかなるわけない、そう自分に言い聞かせながら。

 その光は神域前面・代理稲荷神の籠る社殿方面でも目撃されていた。
 護りの手薄となっていたそこにはやはり【月喰】の軍勢が攻め入っていたが、現れた京都合流組の妖怪たちによって辛うじて社殿への侵入は防がれていた。そこには天狗のほとりの姿もある。
 彼ら合流組の妖怪は普段現世側から三神社の護衛に当たっており、【月喰】はそれを知った上で彼らに気付かれないルートから神域に侵入したつもりだった。神域と現世には時間のズレがあるため、僅かな察知の遅れが致命的となるはずだったのだ。
 けれども護衛の妖怪たちが間に合えたのは、ひとえに神社姫なる妖怪のお陰である。
 神社姫は人魚の一種である。人前に姿を現して流行病などの厄災を伝え、その厄災から逃れるために己の姿を絵に写せという妖怪だ。海型で長命な"くだん"と云えば妖怪に明るい人間には伝わるだろうか。そして日本に伝わる人魚なので腰からと言わず首から下から割ともう魚な風貌だ。しかもつのがある。
 とはいえ予知能力者なら既に八尾異がいるので、神社姫は若干いらない子扱いされていた。……が、未来をいつか・・・起ることとして予知する異に対し、神社姫は厄災が起る「まさに今!」という瞬間をピンポイントに察知する事ができた。故に妖怪たちは間もなく起ることとして襲撃に備えることができたのである。
 ちなみに神社姫が不吉な気配を察知した後でその全身を異が描きおろしている。夜都尾稲荷の護衛に訪れて以降は八尾邸の、丁度異の部屋の外にある池に住んでいたので、異とは気兼ねない関係でもあったりする。
 とまあそんな神社姫の助けあって、ほとりらは夜都尾稲荷神域防衛に間に合うことができた。深世の前に雷獣が現れたもそのためであり、到着早々稲光と化して森へと走って行ったのだ。嬢ちゃんが危ないから、と。

 雷獣は何故そこまでして深世をどうにかしてやろうと思うのか。ただ一度だけ会話をした相手だというのに、いったい何が彼をそこまでさせるのか。
 仲間の妖怪たちはそれが解せなかった。歩深世は丁丙に認められ、薄雪媛神に六勾玉の一つを託された中でも最弱の部類の人間だ。仲間に影響されてか妖怪や幽霊を認知しているものの、素の能力は心霊適正を持たない人間とそう変わりない。そんな少女にどうしてそこまで肩入れするのか、と。

 正直、深世のような別段特殊な力も持っていない人間が【月喰の影】の計画を打ち破る要の一角となっている現状に不満不服を抱く者はほとりをはじめとして少なからず存在していた。案の定いつまでも勾玉に認められない姿を前に痺れを切らし、隙あらば勾玉を奪い取って自分たちのいずれかが認められたという既成事実を作ってしまおうとさえ計画していた。
 そしてしくも、今日がその計画の実行日となるはずだった。――しかし。

「うっそでしょ……?」
 前触れなく森からほとばしる光に敵味方両陣営が動きを止めた一瞬、ほとりは思わずそう口走っていた。美術部を『ただの中学生ごとき』と思いその動向を密かに観察していた彼女は、一目してその光の正体に気付いたのである。
 戮飢遊嬉が、黒梅魔鬼が、白薙杏虎が、小鳥眞虚が。各々当人たちが無意識の間に勾玉に認められ目覚めさせたときの光。あれ・・はそれらと同じものだと。雷獣がなにをしたのかは知らないが、あれは間違いなく勾玉の覚醒光だと。
「まだ能力のある子たちならわかるわよ。けれどあの子は想いだけで覚醒させたっていうの……? どうなってるっていうのよ……!」
 ほとりは混乱をそのまま口にしながらも羽扇で幾らかの雑魚を薙ぎ払う。今すぐにでも真相を確認したい気持ちでいっぱいだったが、彼女がその目で真実を確かめるのはあと少しだけ先になるだろう。
 個々は弱くとも依然として敵意を失わない敵の下っ端たちを睨み、ほとりはギリと歯を噛んだ。

 一方敵味方問わず目撃された光の源では、勾玉より迸った閃光が敵対する葵月蘰の目を一瞬だけくらませていた。
 一瞬、されどもその一瞬。
「なんだというのよ、この……!」
 蘰が雷獣を攻撃した腕を防御の為に動かした、その一瞬。深世は行動に移った。

「肥溜に帰れ、ゴミ虫野郎が!」

 黒梅魔鬼の身体強化魔法十五連、その効果が残ったままの身体は平時の何倍も素早く動いて蘰の間合いに入り込む。蘰は未だ己の目を守っており、深世はそこにすかさずハエ叩きを撃ち込む。
 どこにでも売っているハエ叩きは、しかし深世本体と同様魔鬼の魔法の効果で強化されている。持ち前の軽さとしなやかさはそのままに、打ち付ける力はむちよりも鋭く金属バットよりも重い。
 そんなものを連続で叩きこまれ、さしもの蘰とて無事ではいられない。
 二の腕から生え出した硝子パイプは悲鳴のような高い音と共に破壊され、造形物めいた腕の表面もまた鈍い音を立てながら事故車の板金よろしくぼこぼこにへこみはじめる。
 だが当然そこまでされて反撃すらしない蘰ではない。
「うるさいのよちょこまかと」
 蘰の震える声は怒りに沸き立ち、眼光は鋭く深世を捕えた。
 その眼が深世の足を見る。力を込めるため地面に踏み込む無防備な両足。それらを目がけ、蘰は己の足を動かした。
 ヒュッと鋭い風切り音、しゃがみ姿勢からの回し蹴り。
「!」
 深世がそれに気付くのと、足を払われたのはほぼ同時。その瞬間、強化魔法の副作用か。深世の意識は間延びした。
「浮いてる」、次いで「回ってる」。空中で半回転したということを、深世ははっきりと認識していた。そしてその間延びした意識の中で、深世は藪の中になにかを見た・・・・・・。それを認識したと同時、体は前面から地面に叩きつけられる。
「痛っ……」
 受け身を取る間すら与えられず転ばせられ、深世は涙目になった。けれどもそこで止まらない。反撃に転じるべく起き上がり、蘰の方を向こうとした。
 その咽喉のど元に、あの鈴生りの杖先が付きつけられる。蘰が拾い直した得物が。
「ちょっと優勢になったくらいでいい気にならないでくれるかしらぁ。ちょっとは強化されてるみたいだけど、そんな棒一本で勝てるだなんて本当に思ってるの?」
「…………」
 優勢を取り戻し限りなく意地の悪い声で問いかける蘰に、深世は答えなかった。だがそれは蘰の言葉に対する肯定ではない。深世の戦意はまだ死んでいなかった。
 深世はその証明とばかりに強い意思を宿した目でじっと蘰を睨み返す。それが気に食わないように舌打ちし、蘰は「まあいいわ」と呟いた。
「逃げないなら丁度いいわね。現世と隔絶されたこの場所で、家族にも知られず死になさい」
 言って、蘰は改めて杖を振り被る。雷獣を倒したときのような奥の手・・・、或いは小細工・・・なんて必要ないと主張するように。自分がそうされたから仕返しするとでも言いたいように。深世を殴り潰すつもりで鈍器を振り下ろすつもりなのだ。
 けれども深世は分かりやすい加害の気配を前にしてニタリと不敵に笑みを作った。少しだけ不安の汗を滲ませながら、それでも彼女は笑ったのだ。
 そして「なにを笑っているのか」。蘰がそんな疑問を口に出すより先に、深世は言った。

「馬鹿野郎、そういう語りたがりお前らの慢心なんだよ」

 その言葉が終わるか終わらないかといったところだった。二方向から放たれたものが蘰の身体を貫いたのは。
 それらこそ。

「……忘れてもらっちゃあ困るっての。まさかあんな一撃であたしのこと倒せたとでも……?」
 深世の右方で誰かが言う。いち早く襲撃を察知し攻撃に転じたものの、殴り飛ばされたまま音沙汰なかった杏虎の声が。それに続けるように、深世と対面する向こう側からまた別の誰かが言う。
「……深世さんに気を取られてとどめさしておかないからさ。人のこと何度も蹴りやがって、私が詠唱抜きで防御魔法出せなかったらヤバかったぞ」
 甚振られ気絶したはずの魔鬼の声が。
 先に痛めつけられた二人は大分ボロボロであったが、再び立ち上がる力を取り戻していた。当然通常ならばこんなに早く復帰できるようなダメージではないのだが、魔鬼などは今さっき自分で説明したように咄嗟に一度だけ防御魔法を己にかけることができた為、そして杏虎は殴り飛ばされた先の藪が上手い具合にクッションになったがために、こうしてまた立つことが出来たのだ。
 深世回し蹴りを喰らった瞬間に杏虎の復帰に気付いたのだ。そして立ち上がることを封じられたときに蘰の足の間から頭を起こす魔鬼の姿を見、彼女らの復活と反撃を確信した。
 そしてそんなことにはまるで気付かなかった蘰は杏虎の矢と魔鬼の魔法をまともに食らった。爆風に焼かれ、退魔宝具の魔を滅する矢に貫かれ。
「…………そんな、ことって…………?」
 呆然と呟きばたりと倒れる蘰。崩れる彼女とは対照的に立ち上がった深世は、たっぷり溜息を吐いた後でこう言うのだ。

「あんたが大嫌いって言った友情とか助け合いってやつ。私は結構嫌いじゃないよ」

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