怪事廻話
第六環・愚か者だと笑えばいいさ⑦

 深世がそれを敵と認識したときには、相手は既に行動を再開していた。
「最後の希望、逆転の希望。芽吹かない内に壊させて頂戴ね~?」
 文字通り鈴なり・・・の杖を振りかざし、かずらは深世目がけて突撃する。
 その瞬間になって、深世ははじめて杏虎の姿が見えないことに気付き――そして先に吹き飛ばされて行った黒い影の正体を知る。
(嘘、あれは……、まさか!?)
「杏虎――」
「他の子を気にしている余裕があるかしら?」
 胸に過った友への心配から己に迫る危機を一時忘れかけた深世に、敵の無情な言葉が覆い被さる。
「死になさい。潰れなさい。壊れなさい!」
 じゃらりと騒々しい音を引き連れ、蘰の杖が深世の頭めがけて鉄槌の如く振り下ろされる刹那。藪の中の魔鬼が弾かれたように飛び上がり、棒立ちの深世を突き飛ばした。
 魔鬼の機転で深世は間一髪難を逃れるが、蘰の杖は勢いそのままに、深世を突き飛ばした魔鬼の背に打ち下ろされた。
「かはっ……!」
「あら」
 背を打たれる衝撃と、続けざまに地面に打ち付けられた衝撃で、魔鬼は声にならない呻きを上げる。そんな彼女を見下ろす蘰はほんのちょっぴりだけ困ったように眉を下げると、「変なところに割って入るからよ」とだけ呟いて、転がる魔鬼の身体を躊躇ためらうことなく足蹴あしげにした。
 先に突き飛ばされていた深世が起き上がりざまに見たのは、丁度そんな光景である。
「魔鬼!」
「ばか、だからにげろって……!」
 まだ立ち上がることもままならぬままに叫ぶ深世に、踏み躙られたままの魔鬼は振り絞るような声で告げる。
 蘰はそんな警告を遮るように、今度は魔鬼の腹を蹴り上げた。魔鬼は何とも言い表し難い声を上げ、今度こそ動かなくなった。
「ごめんなさいねぇ。あたし、友情とか助け合いとか、そういう美談的なの大っっっ嫌いなのよ~。どうせ腹の内じゃ何考えてるんだか知れないのに、なにかにつけて仲良しこよしですって見せつけないでくれるかしらぁ?」
 と、動かなくなった魔鬼を見下ろし語る蘰は笑顔だった。その笑顔のまま死体蹴りよろしくもう一度魔鬼を蹴った。抵抗の余力すらなくした魔鬼の身体は砂袋のように蹴り上げられて、再び地面へと叩きつけられた。
 蘰はそのさまを見て面白そうに「あは」と声を上げる。面白い玩具を見つけたとでも言わんばかりに。そして、彼女は再び魔鬼を蹴り上げた。……否、再びなんてものではない。まるでツボに入ったかのように、あるいは何かのたがが壊れたかのように。無抵抗の魔鬼を何度も何度も執拗に蹴り上げる。
 ……その間、深世は逃げろと言われたことすら忘れて足を震わせていることしかできなかった。
 そもそも、魔鬼がここまであっさりやられるしかなくなったのは直前に深世に対して魔法を重ね掛けしたからである。平時のような十全の状態ならば、逃げろと言った時点で何かしらの反撃ができたかもしれないというのに。
(私のせいじゃん……! 私が弱っちいからじゃん! 私がなんとかしないと、じゃん……)
 そうは思えど深世の足は動かない。辛うじて握りしめたままのハエ叩きがあるが、……それでどうしろというのか。
 動けない。けれども同じ美術部の仲間が、出身小学校も同じ昔馴染みがただただ暴行を加えられている現状を前に、まだ叫ぶことくらいはできた。

「……っ、やめろよッ! なんてことしてんだよ!」

 振り絞った大声に、蘰はぴたりと動きを止めた。そのままゆらりと深世に首を向け、思い出したように「ああ」と呟く。
「そうね、あんた殺すんだったわ」
 笑顔から無表情に、無表情からまた笑顔に。蘰は再び杖を構えた。
(立て、走れ、でないと本当に殺されるぞ私……!)
 この期に及んでまだ立ち上がれない深世は、ずりずりと後ずさりながら考える。疑問も泣き言もなにもかもひっくるめてぐるぐると考える。
 なんで自分がこんな目にという恨み言や、痛めつけられた魔鬼は生きているのだろうかとか、そういえば遊嬉らはどうしたんだろうという仲間への心配。強化ハエ叩きでどこまで戦えるかなというほんの僅かな希望と、そういえば来週提出の宿題終わってないなという現実逃避。
 完全に混乱して逃げるという選択肢を見失った深世を見下ろして、蘰は言う。
「助けは来ないわよぉ。邪魔されないようみんな・・・で来たから」

 みんな・・・。蘰の言うみんな・・・。それが深世の中に浮かんだ一つの疑問への解だった。
 一帯の主である狐たちの力が六勾玉に与えられるために弱まった防御を突き。【月喰の影】幹部級がこの神域内に複数入り込んでしまったのだ。杏虎はそれに真っ先に気付いて攻撃に移ったが、反撃を受けて吹き飛ばされたのである。
 そう遠からぬ位置にいるはずの遊嬉たちは、蘰と同じく月喰の幹部級、アンナ・マリー・神楽月と彼女の操る人形に対峙していた。審判として呼ばれていた狐娘は、その人形の一体に人質として捕えられてしまっている。
 更には範囲破壊能力を持つ十五夜杳月・音月兄弟までもが侵入し、【灯火】サイド・神社サイドの希望の一角いっかくになう狐夫婦を狙っていた。

「……は?」
 己を取り巻く状況が危機にあると、そして自分一人を救けにくる余裕なんて誰にもないと知らされて。深世の口から出たのは、そんな間抜けな一言だけだった。
 知っていた。
 日常がいつでもひっくり返る事を知っていた。あの二月と三月でわかっていたはずだった。危機は遠からず再来するということも。
 けれど心のどこかで思っていた。
 まだその時じゃないんじゃないか。いっそこのまま何事もないんじゃないか。大丈夫なんじゃないか。
 楽観と、慢心と、逃避。どこか、自分には関係ないんじゃないかと思う心。
 今更に一月のスキー合宿前を振り返って、深世は思う。
 あの時自分が元気づけた気でいた美術部なかまたちは、とっくの昔からそんな気持ちと戦っていたのだ。

(そっか。……馬鹿は私だった)

 思い、己の脳天目がけて振り下ろされる杖を見上げる深世は、絶望というよりかは難しい問題が解けたときのような心持でいた。それでも体は死の危機を覚えて思考ばかりが加速しているのか、杖の動きも蘰の動きも、今の深世にはやけにゆっくりに思えた。
 でもそれだけだ。深世が早く動けるようになったわけではないし、なんならいまだに立ち上れてすらいないという事実は変わらない。変わらないから諦めるしかない。
 そして深世が見つめたままの杖の上に、青白い光が炸裂した。

 炸裂、そして、破裂。天を割き地を焼く猛々たけだけしき光。340メートルを後追いする轟音。――雷。

「!?」
「……あらぁ?」

 局所的に発生した雷は深世に迫る杖を弾いた。秒もかからないことだった。
 呆然とする深世と咄嗟のことで動きを止めた蘰。その二者の間に小さな黒いものがスッと降り立った。
 小さな――四足の獣のようなもの。
「雷獣……!?」
 深世の両目が驚きに見開く。そう、それは確かに雷獣だった。彼は全身の毛を逆立てながら深世を庇うように葵月との間に立ち塞がり、深世を振り返りもせず叫んだ。
「嬢ちゃんさっさと逃げるんだ! 今のうちに!」
 そこまできて、やっと深世は雷の正体に気付いた。雷獣は雷の化身。彼が深世を救ってくれたのだ。どうして雷獣が神域にいるのか深世にはわからなかったが、それでも彼に助けられたのは事実。
 そして落雷を目の当たりにしたショックがごちゃごちゃとした思考をリセットしてくれたからか、深世はようやく己のすべきことに思い至った。
(そうだ、逃げなきゃ。杏虎と魔鬼がやられた今、私までやられるわけにはいかない……! とにかく適当な狐捕まえて戻って、誰か応援を呼んでこないと――)
 この際現世と神域に時差があろうが関係ない、けれどなにもしないよりは遥かにマシであるはずだ。……まだ魔鬼の身体強化まほうは生きている。走り出しさえすれば蘰をけるかもしれない。
(よし、やろう)
 深世は弾かれたように立ち上がった。――けれども。
「…………もう、雷で電送系・・・がすこしやられたじゃない。どうしてくれるのよ」
 くるりと背を向け逃げ出そうとしたところで。投げつけられた蘰の言葉に、深世は思わず振り向いてしまう。
 そして、見た。
 先刻の邪悪な笑顔から打って変わり、静かな怒りに燃える表情の蘰を。その二の腕全面を突き破って生える無数の何か、触手――いや、硝子ガラスでできたパイプのようなものを。
「なんだあれ……」
 呟き、続けて深世は思う。ばけものか。
 いや、人間でないことなんてはじめからわかっていた。けれども人間ヒトの形をしたモノの、あからさまに人間ヒトとは異なるさまを見せつけられて。深世は心底ゾッとすると同時に、それと対峙する雷獣の身を案じた。
 けれども、雷獣はその小さな体に雷を纏い、果敢にもばけもの相手に突撃していく。その小さな勇者に硝子の砲身・・を向け、ばけものは確かに何かを放った・・・・・・
 それは後付けの状況からの推測である。少なくとも深世の目には、葵月蘰から生える硝子パイプが何かを放ったようには見えなかった。だが、それに立ち向かう雷獣は、確かに何かに身体を貫かれた。見えざる弾丸のようなものの集中砲火・・・・・・・・・・・・・・・・・を受けて、勇敢な黒い獣は呆気なく地面に落ちたのである。

 呆気なく、呆気なく。

 自らを救ってくれたものがまたしてもやられていく姿を見て、深世は一つのことを思い出していた。

 ――おれっちもさ、本当は戦いたくなんてないんだよ。

 数日前、寝落ちる前、雷獣が話してくれた身の上話を。

 ――だけど親も兄弟もみんな連れてかれてさ。壊されて・・・・、奴らの機械工場を動かす動力源にされちまって。……だから楽にしてやりてえんだ。

 深世は雷獣の話を思い出した。思い出して、願いかなわず落ちていく彼を見て。
 何かが、切れた。

「……あらあら。逃げないのねえ。せっかく彼がチャンスをくれたのに、愚かね」
 雷獣を倒してほんの少し冷静になったのか、蘰は怒りの形相を引っ込め、代わりにあざけりの笑みを口許に浮かべながらその場にとどまり続ける深世を見た。
 立ち上がりこそすれ結局逃げなかった深世の姿は、彼女からすれば随分と間抜けに見えたことだろう。
 しかし、深世は。
「うるせえよ」
 恐怖とは違うもので身を震わしながら言う。唯一の武器強化ハエ叩きを両手で持ち構えながら言う。
「何とでも言えばいいさ、愚か者だと笑えばいいさ、そうやって他人をみんな痛めつけて、あんたらだけの王国で笑ってればいいさ」
 ゆっくりと顔を上げる。蘰を睨みつける両目に鋭い眼光を宿しながら。食いしばった葉に不退転の意思を宿しながら。深世は叫んだ。

「そのあんたらの王国を、私は絶っっっ対に容認しない! ブッ潰れろ!!!」

 それは言葉ばかり達者で。勇気ばかり達者で。実力の伴わない少女の戯言であるはずだった。
 けれどもその言葉と勇気に答え、首にかけられた黒の勾玉は雷獣の雷にも引けを取らない鮮烈な光を放つ。
 芽吹きの色、緑色。その光が歩深世の身体を包み、葵月蘰の目を焼く。

 ――最後の勾玉が、覚醒の咆哮を上げた。



(第六環・愚か者だと笑えばいいさ・完)

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