怪事廻話
第六環・愚か者だと笑えばいいさ⑥

 翌土曜日、午前9時少々手前。
 深世含む美術部三年の姿は、一時集合場所である古霊北中学校――のはす向かいのコンビニにあった。五人は既に買い物諸々済ませて駐車場で自転車のペダルに片足かけて出発を待っている状態だが、遊嬉だけがまだ出てこない。

 あれから・・・・数日、美術部三年は部活時間の一部を費やし深世の勾玉を覚醒させる方法をあれこれ考えていた。
 能力が足りないからじゃない? という意見は早々に却下された。異ではなく深世に託した理由を曖昧にしか語らなかった薄雪だが、六人の能力は極力均一であることが望ましいと語ったのは他ならぬ彼女である。美術部が丁度六人だったからといって、わざわざ実力の劣る者に託すのは合理的とはいえない。なにより今は世界がどうなるかという瀬戸際である。その事態きちんと受け止め、神社の護りに充てる力を割いてまで邀撃ようげき準備に入った薄雪だからこそ、『数合わせ』『なんとなく』で選んだなどということはないはずだ。
 とすると、深世にはあの時点で既に何らかの能力があったか、あるいは神々か【灯火】の方で能力の底上げになるようなものを準備している……といった可能性は高い。
 では能力が足りている前提で勾玉を覚醒させ得るに足りないものは何かと考える。
 気合いと覚悟……等は既に足りていると思う。深世は最後の大会や来年の受験に向けて動き出す周囲とのテンションのギャップに「こんなことしてていいのか」と思うことはあれど、諦め投げ出すのではなくどうやったら覚醒させられるのかと頭を下げた。彼女がいい加減な気持ちで勾玉を持っていただなんて思う者は美術部内には一人もいない。
 ならば、何か。妙案が出ないまま膠着こうちゃく状態にあった木曜日の放課後、遊嬉が閃いたように言った言葉が決め手になった。

「闘志じゃね。相手にかじりついてでもやってやるぞっていう。……殺意?」
「もっと言い方あるだろ……」

 その時その直後は深世も他四人も呆れたが、少し考えてみると遊嬉の意見もわからないでもないなと思えてきた。
 深世は【月】が北中を襲撃した際に美術室を防衛したことこそあるものの、自ら立ち向かって怪異を倒したことはない。当たり前といえば当たり前で、そんな経験がある人間の方が少数派マイノリティーではあるものの、今の美術部三年でどちらが少数派かと考えてみれば、答えは言わずもがなである。
 怪事に直面したことがあり、丁丙に合格を貰い、薄雪から勾玉を託された――までが六人の共通項であるならば、他の五人にあって深世にだけないものは戦闘経験くらいである。
「試してみる価値はあるよね」
 眞虚が神妙に呟いたことで、美術部会議(仮)は一先ずの結論に至った。とはいえまだ仮説の段階だ。実証しないことには何とも言えない。

 ――というわけで。

「お待たせお待たせ~」
 他の面々に遅れること五分。遊嬉がやけにこんもりと膨らんだコンビニ袋を手に走ってくる姿を見て、五人は銘々に溜息を吐き、それから遊嬉が自転車に跨るのも待たずに「じゃあ」とペダルを漕ぎ出した。置いて行ったというと聞こえが悪いが、まあ目的地は既に決まっているので問題ない。
 自転車を走らせること十分余り、美術部の面々が辿り着いたのは勾玉を授けられた神逆かむさか神社ではなく、夜都尾稲荷神社の大鳥居前だった。
 それにはれっきとしているが深刻というわけでもない理由がある。
 ゴールデンウィーク以来、美術部は『勉強会』という理由で神逆神社を訪れていた。その一番の口実であった同級生兼神逆神社の親族・鬼伐山斬子は本日所属する剣道部の最後の試合に出場するようで、それが『学校だより』にも載ってしまった。……というわけで言い逃れできないので、次点で頼れそうな八尾ことの居る夜都尾稲荷までやってきたというわけだ。ちなみに来ること自体は昨日金曜日の時点で異の許可取得済みである。
 ちなみに普段は通学鞄につけられている件の勾玉は、今日は各自紐を付け替えてブレスレットやペンダントのような形となっている。というより勾玉は本来装飾品なので、期せずして本来の用途を取り戻しているのだった。

「それで、今日は何を試そうって?」
 参道を越えてきた六人を一度八尾邸の自室に招き入れ、異は単刀直入にそう訊ねた。他人の心がほんのり読めるくせにである。
 けれど美術部らは「わかってるだろ」といったツッコミを入れることなく、異に今日までの経緯とやりたいことについて改めて説明した。単にその時それとなく茶菓子として出て来た饅頭の甘さに気を取られていただけかもしれないが。
「そんなわけで、美術部同士で模擬戦したいと思ってるんだ」
 説明の終わりに乙瓜がそう言うと、異は普段落ち着き気味な、適度に力の入っていないたまぶたをやや上げた。そしてちょっぴり興奮したように言うのだ。
「へえ、面白いことを考え付くねえ。……けれど、怪我したりしないかい?」
「ああ大丈夫だよ、もし怪我しても私治すし」
「それ以前に魔法で防御強化かけるから大事だいじにはならないかと」
 眞虚魔鬼の順でそう答え、魔鬼は言った後で饅頭を一口噛んだ。
 そう、彼女ら美術部は神域を借りて美術部対美術部で模擬戦を行うことを思いついたのだ。
 すべては深世の勾玉を覚醒させるため。
 それに万が一アプローチが間違っていたとしても、神域ならば現世時間でのロスタイムも少ないだろうという打算もあった。
 異はそうした打算まで込み込みで美術部が神域に入ることを許した。宮司である父の目に留まらないようにこっそりと本殿への扉を開き、ふよふよと浮かんでいる神使しんしの狐耳の子供らと何らかの言葉を交わし、本殿の扉を神域へと通じさせた。
 建物の内側があるべき場所を染め上げる、一面の白。そんな異界の入り口も、美術部にとってはもう十分見慣れたものだ。
 その白を背に、異がふと言う。
「今後、ぼくも斬子も都合がつかない時がないとも限らないから、今度丙に聞いておいた方がいいよ」
「? ……なにを?」
「『灯火スポット』の入り方。多分神域への裏口があるはず」
 聞き返す魔鬼に、異は当たり前のようにそう返した。
 ――『灯火スポット』。以前丙が美術部全員を『合格』とし、『【灯火】の一時的メンバー』とした際にさりげなく言っていた言葉。実のところ美術部はこの瞬間までその単語の存在を忘れていたのだが、この時の異の言葉ではっきりと思い出していた。
 そういえば、『灯火スポット』って何だっけ? と。
 その疑問を一気に口にする六人に対し、異は「詳しいことは次に丙に会ったときにでも聞いてね」と笑うだけで具体的には教えてくれなかった。なかなか勿体ぶる。
 ならば遊嬉が知っていないかと他五人の視線が一斉に向くが、彼女もまた「知らないって」と答えるばかりで、結局のところは言われた通りに丙か嶽木を捕まえて聞き出すしかないようだった。少々残念である。
 落胆しつつも切り替えて、美術部がいざ神域の入り口に足を踏み入れようとしたとき、異がまた思い出したように言った。
「あ、そうそう。知ってるとは思うけどうちの代理神様たちも勾玉に力を注ぎ込むのに集中してるから、くれぐれも邪魔しないようにね」と。
「おう、わかってるって」
 なんだそんなことかと、……まあ軽々しく『そんなこと』でもないにせよ、乙瓜は笑ってコクリと頷いた。他の面々も各々頷くなりして答えるのを見て、異は安心したように口角を上げた。
「じゃあ気を付けて。ぼくはこれからちょっとだけ家でやることがあるから同行できないけど、戻りたいときはここにもいるような子狐か赤いツインテールの子に話しかけてもらえれば道を開いてくれるはずだよ」
「おっけーわかった。行ってくるねー」
 手を振る遊嬉に続いて次々と神域の中に姿を消す美術部を見送り、異はふぅと一息吐き、それからさわりと揺れた風を感じて呟いた。
「今日はなんだかお客様が多いねえ」
「あんたが来客を許すからそうなるんでしょう? 異変を察知した神社姫はあんたの庭?」
「池に居るよ。そろそろ他の皆も集まってる頃だ」
 言って振り向く異の背後には、あの天狗少女・ほとりの姿があるのだった。



 夜都尾神社の神域に入り込んだ美術部がまずしたことは、帰りの鍵となる子狐たちと稲荷の代理神をしている狐夫婦の居場所確認、そして特に後者の邪魔にならないような場所さがしだった。
 わざわざ冷静に考えるまでもなく、現状一対一の勝負で深世が勝てる見込みはない。特殊能力の使用を禁じた所でそもそも素の運動能力が美術部同期最下位をぶっちぎっているので、丸めた新聞紙のチャンバラごっこなら勝てるとかそういうことも絶対ない。美術部最強王者決定戦ならばそれでも別に構わないだろうが、今回の目的はあくまで深世の闘志を引き出すためのものだ。敢えて不貞腐らせる理由がみつからない。
 というわけで、金曜日の部活の時間に考え出されたのがチーム戦である。
 美術部内で二手にわかれ、三対三の構図を作り出す。片方が深世を攻撃し、もう片方が深世を防衛する。勿論このままでは深世が後衛に回ってしまって戦えないので、更にルールが追加された。

 ①攻撃オフェンス側と防衛ディフェンス側でそれぞれリーダーを決める。
 ②リーダーは風船かなにかを三つほど身に付け、それが全て割られたら負けである。
 ③ただし最後の風船(仮)を割っていいのは双方チームのリーダーだけである。チームメンバーがそれをサポートする。サポートに制限はない。
 ④捕捉:リーダー以外の攻撃か偶発的事故で最後の風船(仮)が割れた場合は風船を補填し試合続行とする。

 ざっとこのようなルール制定がなされたのだが、当日風船を用意してくると言った遊嬉がすっかり忘れていたためコンビニの袋入り菓子パンで補充された。購入前の時点で転んで潰したら勿体ないだろうという意見が当然出たが、そこは潰した人が責任を持って食べるということで丸く(?)収まった。
 チーム分けは攻撃側が遊嬉・眞虚・乙瓜、防衛側が深世・杏虎・魔鬼で別れた。乙瓜・魔鬼、眞虚・杏虎と、普段よく組むことになる相手同士が別れる形になったが、グーパーで分けたのでこれは偶然である。
「……とはいえなんか相手方偏ってない? 護符おふだで防御固めて遠距離攻撃もできるし、ぜってー近距離強い遊嬉いるじゃん」
 模擬線場所に選んだ真っ白な森で、距離を取った攻撃側の面々をジトリと見つめながら深世が言う。当然彼女が防衛側のリーダーで、何が悲しいか腰にガムテープを貼り付けてメロンパンを三つもぶら下げている姿はえらくシュールである。
 対する攻撃側のリーダーは当然の如く遊嬉である。彼女もまた焼きそばパンの袋を三つぶら下げているが、いやに堂々としているせいかあまり妙に感じられないのがずるい。
 そんな遊嬉にとどめを刺さなくてはいけない都合上、深世は専用武器としてハエ叩き(新品)を支給されている。戦略としては「杏虎と魔鬼でめっちゃサポートしてドーン」である。……戦略とは。
 とはいえ攻撃側も攻撃側で後衛二人が遠距離攻撃で支援しながら遊嬉が突撃してくる感じだろうと深世は思う。……戦略とは?
「まあ最終的に遊嬉の奴と戦わなきゃいけないのは深世さんだから、それこそ死ぬ気で闘志むき出しで頑張ってもらわにゃーと」
「いや何言ってんだよ杏虎死んだら駄目じゃんこんなとこで!?」
「いや死なないから問題ない。とりあえず模擬戦開始の合図が鳴ったら十五回くらい身体強化かけるからそれで深世さんは無敵だ」
 魔鬼は冷静に答え、距離を取った攻撃側との中点くらいに立つ、赤毛というにはやけに真っ赤な毛並の狐耳娘を見る。彼女が異の言っていた帰るときに話かけたらいい「赤いツインテールの子」である。着いて早々に彼女を見つけた美術部は、挨拶ついでに彼女に審判を頼んだのだった。ルールは作ったがよく考えたら公平な審判がいない、という問題もこれで解決だ。ついでに開始の合図がなされるまで術・退魔宝具発動禁止のルールが今さっき追加された。
 審判は両者の様子をきょろきょろと確認し、「はじめてもいいですかーー」と大声を上げる。
 一、二秒して、攻撃方から「いいよー」の声が返る。この元気のいい声は遊嬉の声だ。
「いいって言うからね? はじめってなったらその瞬間にあたしが矢を撃つから、魔鬼は深世さん強化してから防壁ね?」
「了解。ほれ深世さんあんまり震えないハエ叩き落とさない」
「お、落してないわい武者震いじゃわい!」
 もうテンパりすぎて語調がおかしくなっている深世を尻目に、杏虎が審判に向けて「大丈夫」と答える。
 赤い狐の娘はそれを受けて手を高く挙げ、先程にも増す大声で宣言した。

「模擬戦開始ーーーーーーーッ!」

 合図後、杏虎と魔鬼が同時に動いた。
「雨月張弓!」
制限付きの百花繚乱リミテッド・リインフォースメント・十五連!」
 杏虎がび出す蒼の弓は、しかし以前の短弓の姿にはならなかった。クロスボウ、銃の砲身の代わりに弓を持つもの。以前、『合宿』にて狭い場所での弓が不利と感じた杏虎が編み出した新形態。お披露目とばかりに顕現させたそれで杏虎が攻撃側を迎え撃つ体勢に入る裏で、魔鬼の魔法が放つ紫の光が深世を幾重にも包んだ。
 身体強化の多重使用。予告通り十五回ほどかけたその魔法の効果により、深世の身体能力は平時のへっぽこよりも格段に向上し、ついでに攻撃に対する防御力も上がっている。具体的に、平時は転べば擦り剥け刃物なんかにはあっさり負けるただの皮膚も、柔らかさはそのままにフライパンの裏同等の装甲となっている。並の物理攻撃は通らない。地味にとんでもない魔法だ。ついでに今ならハエ叩きも包丁持った強盗と戦えるくらいの強さである。やばいぞ。
「よしこれで死なんな? 勝てるな? 信じるからな!?」
「……いや、まだだ」
 ハエ叩き(強)を構え、今にも無計画に飛び出して行きそうな深世を抑えて一旦藪の中に隠し、魔鬼は静かな声で言った。
「いい? 勝てるかどうかは深世さんがそのメロンパンを守り切り、且つ遊嬉に勝てるかどうかにかかってるからね?」
 そう忠告する魔鬼は、一度に十五回分の魔法を使ったからか既に少々疲弊気味の様子である。
 深世はそれに「わかってるよ」と答え、むしろ魔鬼に心配の視線を向ける。
「大丈夫かお前。この後長いかどうかはわからんけど、まだ戦いは始まったばっかだぞ」
「……だいじ。ちょっぴり休めばまた動く。それよりそろそろ来るぞ――……いや、……これって……なにが来た・・・・・?」
「は?」
 魔鬼のやや不可解な言い回しに深世が視界の悪い藪から顔を上げようとした瞬間、何かが空を切る鋭い音――これは杏虎の矢の音だろう――が数回連続し、更にその後でより大きな何かが風を絶って飛びかかるような音が続く。
 二、三秒の間の後、衝突音。
 もう何ごとかと立ち上がろうとした深世の頭上すれすれを、黒い影が勢いよく飛んでいく。
 飛んだ、いや、吹き飛ばされた・・・・・・・
 だが、深世がそれに気付くのはもっと後のことである。
「は? は? は?」
 いきなり動きだした展開に、深世が思考より早く疑問符だらけの言葉を浮かべる中、向こう側から――模擬戦の攻撃側が現れるはずだった方角から現れたモノは、聞き慣れた部員とは違う声でこう告げた。

「遊びを邪魔してごめんなさいねえ。だけどまとめて居るならまとめて叩いた方が早いんじゃないかしら、と思って。きちゃった」
「……は?」

 遊びとは。模擬戦とは。……誰だこの人。何が起こった。予想外の事態を前に深世の思考はぐるぐると回り、その動きを封じた。
 そんな彼女の傍らで、藪の中の魔鬼が叫ぶ。
「逃げろ深世さん! そいつは――」
 けれども魔鬼が次の言葉を紡ぐより早く、それは藪の中を、深世の顔を覗き込んでニタリと笑う。

「直接会うのははじめましてね黒い勾玉の子、愚かな無能力者。あたしは月喰の影【三日月】関東地区総括部隊長葵月あおいづきかずら。地獄の土産に覚えておいてね」
 白い髪をふわりと揺らした彼女の笑顔は、深世が今まで見た中で最も邪悪な笑顔だった。

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