怪事廻話
第六環・愚か者だと笑えばいいさ⑤

 深世が遊嬉・杏虎・眞虚らに対して唐突に頭を下げたのはその日の昼休み、三年一組教室のほぼど真ん中でのことだった。

「全然だめです! なんかコツとか教えろください!」
「いや唐突にどうしたよ?」

 いきなり大声を上げるものだから、窓際にたむろしていた三人が驚いたのは勿論、外に行かず残っていた生徒たちもびくりと肩を跳ねさせ、何事かと深世の方を振り向いた。だが当の深世本人はそんな目線も杏虎のツッコミもお構いなしに「頼むから」と両手を擦り合わせ、このまま答えなければいずれは熱心な仏僧さながら五体投地まで始めそうな勢いだ。
 請われる件の三人は困惑気味に顔を見合わせ、暗黙の内に何かを察し、頷き合った。
「わかったオーケー。ちょっと人目のないとこ行こうか」
 代表するように遊嬉が言うと、流れるような動きで深世の腕を掴んだ。深世は少しムッとした表情になりつつも承知したようで、そのまま遊嬉に先導されるような形で教室のドアへと向かい、その後に杏虎と眞虚がてくてくと続く。
 ぞろぞろと教室を去った美術部四人を、クラスメートたちはポカンとしながら見送った。けれども何割かはすぐにそんなことには興味を失い、中断されていたおしゃべりや自習等を再開する。
「なんだべな」
 山根地禍チカもまた不思議そうに頭を一つ振ると、ルーズリーフに漫画を描く作業を再開した。
 運動部を選んだとしても絵を描くのが好きな層は一定数存在するし、一定数存在するオタク・マニア層は今日も昨日のアニメの話やら好きな銃器の話やらでいている。修学旅行を切っ掛けに昼休みの二十分ほどを自首勉強に充てはじめた同級生も少なくないが、なんだかんだ「学校では友人との時間を優先している」という層も入試前日まで残り続けるだろう。

 今のままのこの世界が続くならば。
 或いは、誰にも知られず塗り替えられた後も。


 さっと行ける人目のない場所として、深世が連行されたのは二階廊下の西の果て、今は施錠されている被服室前だった。
「――で、改めてだけど唐突にどうしたんよ。なんのコツを教えろって?」
 杏虎が仕切り直しとばかりに腰に手を突き問い返すと、深世は「気付いてるかもしれないけどさ」と、スカートのポケットの中に手を突っ込んだ。そして取り出したのは、普段は鞄に付けている勾玉である。
 託されたときと同じ夜色に沈んだままのそれを示し、「どうしても色変わらないんだよ」と、若干三人から目を逸らしながら深世は言う。
「……今まで馬鹿とか思い上がるなとか偉そうに言ってごめん。なんでもいいんでヒントとかコツあれば教えてほしい」
 いつになく、珍しく、今まで見たことがないくらいしおらしい深世を前にして、他三人はもしかしたら天変地異の前触れなんじゃないかなと思った。いや、そんなこと抜きに【月喰の影】による危機は目前なわけであるが、自力で解決できないことを前に気絶したりテンパって無駄に強気になったりするでもなくしおらしく助けを請う深世なんて、保育園からこの方一緒の遊嬉ですら見たことない。つまり深世の対外対人関係史上初めての現象が観測されたわけだから、明日世界が滅んでもなんら不思議ではない。そのくらいの衝撃が走ったのである。
 しかし請われたからとて適切な答えを返せるとは限らない。
「コツとかいわれてもなあ」
 特に意味があるでもなしに雨漏り痕が残る天井を見上げ、遊嬉は眉を寄せた。
 遊嬉が勾玉を覚醒させたのは託されてから約三日後のことだったが、その間遊嬉は何か特別なことをしたという覚えはなく、色が真っ赤に変わったことにきづいたのも学校に出かけようとした朝のことで、厳密にいつそうなったのかは全くわからない。
「参考になるようなことといってもとくには……」
 気まずそうに後に続く眞虚もまた歯切れ悪くそう答えた。
 先の土曜日に覚醒させた彼女がしたことといえば託されたその日の自宅自室で勾玉に挨拶した程度で、けれどそれがきっかけか? と問われればそうとも言い切れず、且つちょっぴり恥ずかしいなと思ったのではっきりと答えられなかった。
 無言ながらも話題をやり過ごすように廊下の隅を見つめる杏虎も似たようなもので、要するにつまり彼女ら三人から教えられることは何もない。
 ……というようなことをやがて眞虚がやんわり話すと、深世は一瞬「無」を体現したような表情となり――それから壁と一体化した掲示物コーナーにふらふらと歩み寄ると、無言のままにそこに頭を打ち付け始めた。
「ちょ、なにやってんの深世さん!?」
「まだ自棄になんてならないで!?」

「うるせぇぇぇーーーー!!! 離せーーーーーーー!!! やっぱ元からの積み重ねとか才能が必要なんじゃないかよ!!! 無理ゲーじゃいどちくしょう!!!!」

 遊嬉によって即羽交い絞めにされながらもばたばたともがき続ける深世の右手は薬物乱用防止ポスターを掴み、今にも破こうとしていた。掲示物破壊、ダメ絶対。
 その危険な右手を杏虎がなんとか引き離し、且つ掲示コーナーと深世の間に割り込んだ。掲示物の平和は守られた。
「どうどう、どうどう。言うてまだ一週間ちょいだよ? 深世さんもまだチャンスあるって」
「ねえよ! そう信じられるポイントがたった今なくなったんだよ!! マジお前らふざけんなよ!」
「駄目だ完全に錯乱してるわ。……衛生兵ーメディーック!」
「衛生兵早くきてくれー!」
「……遊嬉ちゃん杏虎ちゃんふざけるのやめようよ」
 眞虚は悪乗りする杏虎と便乗する遊嬉に苦言を呈し、それからもう涙目の深世に向かって言い聞かせるようなトーンで話しかけた。「あのね深世さん」と。
「――あのね深世さん、悩んでたんだったらもっと早く相談してくれてもよかったんだよ。……言っても、私たちにも何がコツだったかわからなかったんだけど、一緒に悩んだり考えたりすることはできるから。そうだよね?」
 遊嬉ちゃん杏虎ちゃん、と、眞虚は深世を押さえる二人を順に見つめた。二人はキョトンと顔を見合わせ、それからちょっとばつが悪そうに「……まあ」、とハモった。
「それくらいはするし……」
 遊嬉がぼそぼそとそう続けたところで、眞虚は再び深世に向き直り、ニコリと笑った。
「深世さんいつか私たちに言ったよ。こういう時の他人の好意は素直に受け取っておくこと、って。だから頼って欲しいな。……多分、魔鬼ちゃんも乙瓜ちゃんもそう言うよ」
 言い切る眞虚の笑顔の前で、深世はもう暴れるのをやめていた。ふと冷静になってみると、今さっきまでの自分の行動を恥ずかしいものと認識できるようになる。
(……前に言ったこと全部自分に返ってきてんじゃんか)
 怒りとは違うもの深世の顔を熱くし、ほのかに赤く染めた。
 眞虚の視線を直視できないまま、深世は、けれども、その場にいる人間にしか聞こえない程度のぼそぼそ声で「ありがと」と告げた。

 そんな白昼の青春めいた遣り取りを、窓外の、駐輪場を挟んだ向こう側の木の影からうかがっている者がいた。
 それは敵ではなく、先に【灯火】に合流した天狗・ほとりである。彼女は耳をそばだてて、美術部四人の会話を聞いていた。窓硝子ガラスも十メートル弱の水平距離すらもものともしない、驚きの地獄耳である。
「……やっぱ中学生なんかに任せておけないわ。あの調子じゃあのミヨとかいう子だけ取り残されて計画失敗するし」
 不満を呟き、ほとりはつんと唇を尖らせた。傍から見る者がいればそれは彼女の独り言のようだったが、すぐさま上がった別の声がそれを否定した。
「けれどあの子らは遊びでなく真面目に考えてくれてるみてえだし、そんな言い方はあんまりだろ」
 そう返したのは雀の姿の妖怪だった。枝にとまって二羽いたが、喋ったのはあの京都で桂月に反論した彼だった。
「ばかね夜雀よすずめ。真面目だろうが本気だろうが、結果が出なくちゃ意味がないわ。本気ならあんたたちの兄さんの仇がとれなくてもいいの?」
「そんなことはわかってんだ。だけども――」
 そこまで言って彼――夜雀は思うところありげに目を閉じた。
 古霊町へ来た彼は、この地に住まうモノたちから一見何の変哲もなさそうなあの少女たちのしたことを聞かされた。自分の兄のようになってしまったモノを幾つか救ったということも。
「確かに頼りなさげだけんど、おらはあと少しだけあの娘らを信じてみてえ。おらたちが終わらせてやることしか出来なかったものを救おうとしてくれた人間のことを」
次郎太じろうたの兄貴……」
 あと少しだけ信じてみたい。そう零した彼をかたわらのもう一羽の夜雀が見つめた。次郎太が先の夜雀の名で、それを呼ぶ彼はその更に弟だ。名は三郎平さぶろべいと云う。月のダーツ・・・により廃人、ならぬ廃妖怪にされた『兄貴』が長兄で、次郎太三郎平はその名の通り次男と三男にあたる。その下に更に数羽の弟妹が続くが、家族を代表してやってきたのがこの二羽になる。
 彼らのように、世界変革の瀬戸際に起ったというよりは己の恨みを晴らし仇を取るためという動機から集まった者も少なくない。昨晩深世が出会った雷獣だってそうだ。すっかり面影をなくした家族や愛するものを、止むを得ぬとはいえ手に掛けてしまった・・・・・・・・・傷は消えない。……彼ら夜雀の兄弟も生き残るために長兄を終わらせてやること・・・・・・・・・にした。悔やんでも悔やみきれない。けれど【月】はその傷さえもまるきり忘れさせて以前と同じ長兄を寄越すと言う。……それは甘い誘惑にも思えたが、彼らは彼ら兄弟の悲壮な決意と本物の長兄に対する許し難い侮辱と受け取った。故に彼らはここにいる。
「確かにあの娘ら手の届くところは小さく狭く、おらたちの兄貴までは届かなかった。けれどもその小さな手を伸ばそうとしてくれた人間たちだ、おらはもう少しだけ信じて待ちたい。……それに兄貴のことはおらたち兄弟で決めたことだ、今更とやかく言うつもりはねえ。だろう?」
 次郎太に同意を求められ、三郎平は神妙に頷いた。
「だからそういうのをばかって言ったのよ。または愚直。時代遅れな義理人情じゃどうにもならないことはたくさんあるのに」
「何を言うか天狗の、人間どもから見ればおらたち妖怪の方が時代遅れだ。さぶかるちゃあ・・・・・・・とやらではまだ人気だけんど、実際におらたちみてえな夜雀を恐れる人間なんざほぼいねえし、『天狗の仕業』だって面白半分冗談半分みてえにしか言われてねえぞ」
 呆れ混じりに溜息吐くほとりを振り返り、三郎平が不思議そうに言った。山奥の住処を発って一週間少々、雀に近いその姿を利用して時々人間の暮らしに接近してみた彼なりの意見である。妖怪はサブカル。
「……それとこれとは別よ別! 人間が時代遅れと思おうが思うまいが妖怪は妖怪なんだから! ……ったく、こういうところばかりは愚かな人間めーっ! て思うわね……」
 ほとりは忌々しげに小さく舌打ちし、それから再び北中校舎へ目を向けた。……けれども先程まで美術部四人が立っていた窓の向こうには箒やらを手にした別の生徒たちの姿があり、いつの間にか時間は流れて掃除の時間に変わっていたようだ。
「なあ天狗の」
 何か言いたげに黙るほとりを見上げ、次郎太がくちばしを開いた。
「あと二、三日だけは見守るだけにしてやってくれねえか。あんたさんが言いたいこともわからないでもないし、焦り・・もわかる。けどいつもなんでも完璧にとは行かねえ」
「そうだー」
 三郎平も続けてコクリと頷く。
「大丈夫だ。おらたちもあんたさんの考える万が一・・・には付き合うから」
「…………わかってるわよ」
 ほとりは呟き、それから疾風の速さで木の上から飛び立った。夜雀兄弟もそれに続いてパタパタとその場を後にする。その一番近くに居た駐輪場掃除の生徒たちは突然揺れ出した一本の木を不思議そうに見上げるが、大きな鳥でも飛び立ったのだろうと頭の中で納得すると、すぐにまた掃除の続きを再開した。

 それから三度の夜が巡り、京都から帰って以来二度目の週末が訪れた。
 過ぎ去る前の金曜日の夜、集合地である居鴉寺から夜都尾神社へ護衛として遣わされていた"神社姫"なる妖怪が突然叫んだ。

「すごく不吉な気配がする」と。

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