怪事廻話
第六環・愚か者だと笑えばいいさ④

「……いやならないからな魔法少女! うちは宗教とセールスと魔法少女の勧誘お断りなんだからね!?」
「いきなり何言ってんだよ嬢ちゃん!? 落ち着けよ、魔法少女って何の話だ!?」

 近くにあった空ハンガーを引っ掴んで謎に構える深世を見上げ、黒い生き物――雷獣は二足でひょろりと立ち上がった。その胴の長い立ち姿を見て深世はオコジョを連想して、なんなら少し可愛いとさえ思ったが、……けれども見てくれに騙されてはいけない。そもそも喋る獣というだけで怪しさしかないのだから。
「とぼけたって無駄なんだからね! こちとら受験やら勾玉やらで忙しいんだからこれ以上何かさせようってならたたっ斬るからね?」
 と、深世は手にしたハンガーをぶんぶんと降りまわして威嚇する。
 雷獣は驚いた様子で再び四足に身を縮めると、一先ずハンガーの射程外にある深世の鞄の裏まで退避してから、そこからおっかなびっくりと言った様子でひょこりと顔を覗かせた。
「な、なにすんだよあぶねえな! ……だから落ち着けって、な? おれっちは別に嬢ちゃんになにかになってもらったりなんかしてもらうとかそんなつもりで来たわけじゃないから!」
「…………ほんとぉ?」
「本当本当」
 何度もコクコクと頭を振る雷獣をじとりと見下ろし、深世はやっとハンガーを振り回すのを止めた。だがまだしっかりと手に持ったままである。警戒は解いていない。
「じゃあ何しに来たっていうのさ!? ……ていうかアレか。あんた妖怪か! 妖怪でしょ!?」
「お、おう。おれっち"雷獣"っていう妖怪。雷とか落とす奴。知らん?」
「知らんわ! 電機ネズミの進化形のオレンジのやつなら知ってるけど雷獣なんて知るか!」
「なんだよ傷付くじゃねえか……これだから現代っ子は。……じゃあせめて覚えておくれよ」
 雷獣は少しがっかりしたように肩(?)を落として溜息を吐いて、それからぴょこりと鞄の上に乗った。深世はその様を依然として警戒心マックスで見つめ、鞄の中身になにかされたら問答無用で潰そうとハンガーを持つ手に力を込めた。テンパっているのも多分にあるが、雷獣が足場にしているのは明日持って行く教科書ノートから生徒手帳まで入っている大事な鞄である、無理もない。
 そんな深世の気持ちなんてまるで知らず、雷獣は勝手に自己紹介を始めた。
「おれっちはさっき言った通り雷の妖怪。近くこの辺りで【月】の連中とのいくさがあるってんで、丙って猿神に協力しに来たんだけど、どうも土地勘のない場所は落ち着かなくてねえ。散歩してたら何やらここんの方に惹かれるものを感じたんで来てみたってところよ。そいで一番気になる場所が嬢ちゃんの部屋だったと。まあおれっちら雷獣のこと知らなかったってのは残念だが、逃げずに話してくれる人間でよかったよ」
「……ふうん」
 逃げなかったというかここは私のホームでお前がアウェイなんだが。……という思いを胸に雑に反応する深世は、まだじとりとした視線を解いてはいなかった。
 丙が【月喰の影】に対抗するため方々の妖怪・幽霊を集めたという話は深世も知っている。勾玉を託されたその時に聞かされた記憶に新しい話だ、忘れるはずもない。
 けれども深世にはその『集められてきた妖怪・幽霊たち』との面識はなかったし、雷獣がそれらの一匹だったとして『惹かれるものがあったから』などという来訪の理由に「はいそうですか」と納得できるはずもない。
「何にしろ挨拶だけで大した用がないなら帰ってよね。さっき言った通りわたしやることあるし、あとちょっとしたら寝るから」
 深世は冷たくそう放ち、雷獣が入って来た窓の隙間を指さした。ついでに、早いところ閉めないと虫やネズミが入って来てしまうななんて考えたりしながら。
 そんな氷点下対応を受け、雷獣はわざとらしく額を押さえ、大袈裟な声で言った。
「かぁー! 訪ねて来たばっかのお客を茶に出す素振そぶりもなく追い返すってか!? 京都人もびっくりだねぇ!」
「誰が茶なんて出すかよ時間考えろ招かれざる客だぞお前。あと夜だから静かにしてほしいんだけど」
 深世が面倒そうにぼやいたところで、「ちょっとうるさいんだけど。なにやってんの?」という壁越しの声と共にドンと大きな音が一つ。隣の部屋だ。
「やべ」
 呟き、直後に深世は「なんでもない」と大声で答えた。
 隣室は深世の姉の部屋である。姉は深世と入れ替わりに風呂に向かったはずだが、もう上がっていたらしい。普段長風呂のくせに今日に限って、と深世は思う。次いでこっちに来るなよとも。
 けれどもそんな心配をよそに、姉からの返事は「静かにしてよね」の一言だけだった。深世は大きめの溜息をハァと吐き出し、それから雷獣を再びギトリと睨み、「お前も静かにしろよ?」と。押し殺した声で圧を掛けた。
「お、おう」
 雷獣がやや気圧され気味に返事を返すや否や、深世は「いい加減虫が入るから」と呟きながら窓をピシャリと閉じた。カーテンもシャッシャと閉ざす。その動きに迷いはなかった。
「な、なんだおれっちのこと帰さなくていいのかい」
「もめるとうるさいから」
 深世は今度は机の上の勉強道具を片付けはじめ、それが終わると押入れを開き、黙々と布団を敷き始めた。雷獣は困惑するしかない。
「嬢ちゃん……? もう寝るのか?」
「ばかやろう」
 深世はそろそろ不要に感じる頃合いの掛け布団まできっちり用意すると、未だ鞄の上から動けないでいる雷獣の首根っこを掴み、何食わぬ顔で布団の中――即ち敷布団と掛け布団の間に放り込んだ。それから自分もまた布団の中に頭から潜り込み、

「騒音対策じゃい」

 なるほどそう言われれば一理あるかもしれない理由を口にした。歩深世は賢いのである。……放り込んだ後の今になって雷獣の足の裏拭いてないなとか考えたりもしたが、深世は賢いのである。
 斯くして即席防音室と化し、且つ退路を断った尋問室にもなってしまった布団の中で、深世は雷獣に幾つか質問をした。

 惹かれるものとはなにか。自分が『北中美術部』であることに関係あるのか。
 集まって来た妖怪たちはどれくらいいるのか。今どこにいるのか。
 丙や薄雪らの計画は把握しているのか。
 等々。

 雷獣がそれらに律儀に答えた。計画を把握していること、主に寺に居るが最近では神社の守りにもついているということ、集まったのは数十程度だが皆【月喰の影】を打倒する気概にあふれているということ、そしてこの家に惹かれた理由は自分にもわかっていないということ。
 深世が北中美術部であることも知っていたわけではなく偶々で、寧ろ「嬢ちゃんが?」という疑いの目を深世に向けた。
「何の能力もなさそうなのに? ……正直一緒に来た妖怪・幽霊やつらの中には人間に切り札的な力を与えることに懐疑的な連中も少なくねえし心配だなあ」
「……悪かったな無能そうで」
 と、一度反発した後で、深世は黙り込んだ。
 雷獣の言っていることは何も間違ってなんかいない。自分には特殊な力なんてなくて、精々部員を励ますくらいしかできなくて、勾玉も一向に応えてくれない。
 本当に自分で大丈夫なのか? 度々浮かんでは振り払ってきた思いがまた浮かんでくる。どんなに励まされてもどんなに強がっても、結果が出なければひたすらに不安である。
 突然静かになった深世をぱちくりと見つめ、けれども雷獣はそれ以上そのことについて言わなかった。彼は妖怪であり獣であったが、少なからず何かを察することくらいはできる。期待を背負わされる方の辛さも少なからず理解しているつもりだ。
「まあなんだ、急に押しかけてごめんよ」
 ぽつりと謝り、雷獣はもうこの家を後にするつもりでいた。けれどもそれはできなかった。ごそりと布団を抜け出た直後、尻尾にかかった力が彼の足を止めたからだ。
 振り向くと、深世が雷獣の尻尾を掴んでいる。雷獣は再び困惑する。
「今度はなんだい嬢ちゃん?」
「嬢ちゃんじゃねえし深世だし。……ていうか何勝手に察した感じで帰ろうとしてんだよ私がみじめじゃんか」
 ムッとした顔で、けれども若干涙声でそう言って、「いいから今夜ここにいろ」と深世は続けた。
「同情するなら帰るんじゃねえよ妖怪なら私になんか力貸すかせめてなんか私のやる気が上がって勾玉が覚醒しそうな話しろ。……こっちだって時間ないし仲間に示しつかねえんだよ手伝え! いいから!」
「ええ……」
 それは流石に横暴って奴だぜ、と言う雷獣を布団に引きずり込み、深世は電気コードに手を伸ばした。
 カチリと音を鳴らして部屋が暗闇に落ちた後、雷獣は深世が寝落ちするまで深世の言うところの「やる気が上がって勾玉が覚醒しそうな話」なる無茶な注文を精一杯悩みながら色々と話した。

 最終的には雷獣自信が【灯火】に協力する事に決めた話などもしたのだが、深世の反応は途中から寝息に変わっていたので恐らくまともに聞かれなかったし、明日の朝には覚えていないだろう。
 雷獣はそれでもいいと思った。……大体自分の経緯なんてものは今の暫定仲間たちの中ではありふれたことで珍しくもなく、自分ばかりが取り立てて不幸だとわめくつもりもないし、今更誰かに同情してもらえなくともいい。ましてや今さっき知り合ったような娘に自分の中に少なからずある無念や恨みを肩代わりしてもらうつもりなどない。
(それにしても、おれっちはこの嬢ちゃんの何に引き寄せられたんだろうか?)
 ふと、雷獣は思った。この晩、彼は本当に散歩をしていただけだった。
 慣れない土地、慣れない任務、目的は同じなれど未だ些細な部分ですれ違いの残る仲間。それにほんのちょっぴり嫌気がさして、ほんの少しだけぶらぶらして帰るつもりだった。それに自分は雷の妖怪、多少遠出しようと光の速さですぐに戻れる。そんな気持ちでいたせいかついつい持ち場の神社から離れすぎてしまい、そろそろ帰るかと思った頃に深世の家の前を通りかかったのだ。
 そこで彼は何かとても惹かれる気配を感じた。なんだろうとこっそり家の様子を窺ってみるとどうもそれは今いるこの部屋――深世の部屋からとりわけ強く感じるようだった。そして現在に至る訳だが――
(神さんから預かったっていう勾玉も見せられたけど何か違うんだよな。となるとやっぱり嬢ちゃん自身なんだろうけれど、直接会って話もして、こうして隣に居てもどこらへんをそう思うのかイマイチわからん。なんなんだ?)
 むむむと考え、それでもはっきりしない答えに諦め。雷獣は考え事の中身を明日持ち場に戻った時の言い訳に切り替え、そのまま深世の布団で一夜を過ごした。

 深世はというと、翌日人生初の寝坊をした。とはいえ精々目覚めるのが十分遅かったくらいだ。
 だが初めての事態に焦った彼女は、雷獣が布団の中からも部屋の中からもすっかり消えていることに気付いていなかった。そして慌ただしく学校に向かった彼女の鞄に付いた勾玉は、未だ黒いままだった。
 そんな彼女をどこか高い場所から見下ろして、ニヤリと笑う影があった。

「遅い子みつけ」

 言って立ち去る影の胸元には、確かに金の三日月が輝いていた。

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