怪事廻話
第四環・古都の総会、白の喪失⑦

「ご無沙汰しております。……随分と苦戦・・なさったご様子ですが、私たちはあなた様方と最後まで闘う所存ですわ」
 言って、銀華はにこりと笑った。その背後から二つの影がにゅっと覗く。
「誰も居ねえでねえか。西と南の連中はとんだ恩知らずだなあ。でもおれらがついてっからな、がりっとがんばれ?」
「元気出しまいか。数は少ないけれどたけだけにがんばればなんとかなるやがいね」
 銘々に丙らを元気づける彼らは、男鹿おがのなまはげと能登のアマメハギだ。前者が特に有名だが、どちらも似通った伝統の中に存在する来訪神であり、基本的には怠け者を懲らしめ厄を払う善の存在である。
 伝統行事の中では人間がそれらに扮するのだが、伝えられるモノとしての彼らもまたひっそりと存在しているのだ。そして人界の行事に紛れ、それぞれの地域に溜まった悪しき気を相手に、年に一度戦っているのである。
 どちらも蓑を纏って鬼の面を持っているが、此度やってきたなまはげは背の高い青年の姿であり、アマメハギは小柄な少女の姿であった。どちらかといえば若い個体であるようで、それぞれ外した仮面の下には、まだ純朴そうな顔があった。
 彼らはそんな素面でニコリと笑み、「大丈夫」と声を揃えた。
 銀華に続いたのは彼らだけではない。
 山を滑空し血を吸う野衾のぶすまはじめ山怪の民、遠野の河童の民、雷獣の民、天狗の民等々も、それぞれを代表した者が顔を見せ、挨拶を交わした。
 また、その場には集えないものの「いざとなったら助けに行く」旨の書状を託した者もおり、その数は決して少なくはなかった。
 その様を見て、戻らずとどまっていた妖怪たちも声を上げる。「自分たちも協力するぞ」と雄叫びを上げる。彼らも腹を括ったようだ。

 事態は瞬く間に好転した。それに一番驚いているのは他ならぬ丙たちだった。
「こんなにいるのか……? いや、声をかけたのはたしかにあちきらだが、協力してくれる奴らがまだこんなにいてくれるのか……?」  すっかり沸き立った周囲の様子に、丙は目を白黒させた。ほぼ諦めきっていた嶽木だってそうだ。
 そんな二方の――どちらかというと丙の方を見て、「……まあよかったじゃない」と水祢は呟いた。とはいえ彼もまたここまで集まるとは思っていなかったらしく、内心の困惑や嬉しさを必死で隠すようにむずむずした表情を浮かべている。
 多分、三人とも少し泣きそうだった。
「そんな顔をしないでくださいな」
 銀華はそんな彼らに歩み寄りながら困ったように笑った。
「貴女方も私も違う存在なのですから、元より一枚岩ではありません。此度は偶々去る者が多かっただけで、……けれども私たちは来ましたわ。説得したとは言いましたが、ここまで嫌々と来た者は誰一人としておりません。皆、各地で貴女方【灯火】様に助けられた者ばかり。貴女方の今までの言葉と行いを信じてここに居ます。だから貴女方も信じてください。その言葉が届いた相手が居ることを」
「――ああ、……ああ。そうだな。すまない。……ありがとう」
 丙は言って、その身に纏わりついた重々しい気を振り払うように頭を振って、それから平時のようにニカッと笑って見せた。銀華も、彼女が連れて来た妖怪たちも、それに応えて笑ったり頷いたりした。
「んだんだ、今はんがお前が大将だから、しかっとしっかりさねまねしないとな
 ニカッと笑いながら握手を求めて来たなまはげの訛りの半分くらいは丙にはわからなかったが、悪い事を言っている風ではなかったので悪い気分ではなかった。

「はあ、それにしても随分集まったな……というか海坊主まだいた」
 すっかりすっきりした気持ちで感嘆しつつ辺りを見渡す丙の視界に、海坊主の黒い巨体が映る。何を語るでもなく何を考えているとも知れないのでとっくに帰ったものと思い込んでいたが、どうやら残留していたらしい。その巨体の傍らに、あの時桂月に憤っていた雀の彼たちの姿があった。兄の仇は取りたい気持ちはあったのだろうが、彼らも随分と悩んだのだろう。
 丙は彼の兄を救えない事に少しの申し訳なさを感じながら辺りを見た。他にも考え直した海の妖怪や島の妖怪が残っているようだった。……よくよく見ると何故かアシカの姿があったが、それは恐らく日本に迷い込んで来たアシカが海禿うみかぶろと呼ばれ妖怪視されていた頃に成ったモノであり、決して近所の水族館か動物園から逃げて来たわけではなかろう。多分。
(まあ味方になってくれるならなんでもいいか)
 丙がそう思った時、一匹の小柄な妖怪が彼女の前に立ち言った。 「諦めなさんなということさね」
 和風ロリータとでも言うべき服装に身を包んだ青いリボンの彼女は、ウェーブがかった長い髪をふわりと揺らして微笑んだ。
「――青行灯あおあんどんか。いいのかい、あんたは百物語が語られさえすれば人間なんてどうでもいいだろ?」
「そんな寂しい事をいいなさんな。あたしとあんたさんの可愛い子には、ほんのちょっぴり縁がある。憎らし恨めし可愛い子。あの子らの語る怪談話を、妾はもう一度聞いてみたいのさ」
 と、青行灯が両袖で口許を覆いクスクスったと同時、横から割り込んで来た更に小さいものが言う。
「あのね! あのね! おかあちゃんほど役に立つかはわかんないけどね、わらしもがんばるよ! 丙ばあちゃん・・・・・も元気だしてね!」
 ぴょんと飛び跳ねる勢いでその小さな妖怪――雪童子の天華は言う。
「……あいよ。大丈夫、お前さんが来てくれたんなら百人力だ、ばあちゃんもうんとがんばるよ」
 未だ幼い妖怪にやっと笑顔を向け、丙は思う。こんな小さな子にまで言われたら頑張るしかないな、と。
(銀華の奴も大したもんだよ。こうまでされてあちきが立ち止まっていられる筈がないとわかってる。強くなりおって)
 思い銀華に視線を向け、丙は天華を抱き上げた。その内心など知らない天華は無邪気に喜んで、それから視界に入った嶽木に向けて言った。

「"灯火"様も元気になったんだね」と。

 嶽木は目をぱちくりとさせ、それから少し申し訳なさそうな顔になった。
 元はその為・・・だった。恐らく今日集まった者たちの中にも特に気にせず気づかなかった者もいた。あの桂月という刺客や、何割かの超越的存在は気づいていたかもしれないが――。
 欺いた後ろめたさに小さく鋭い痛みを感じながら、嶽木は答えた。

「ありがとう、お嬢ちゃん」

 彼ならこう言うだろう、という言葉を借りて。



 ところで古霊北中学校の修学旅行はまだ進行中である。
 初日の夜が明けた二日目、その日は予定通り班別の自由行動が行われていた。
 自由とはいえども京都の街を巡る班別フィールドワークとしての体裁をとっており、訪れた史跡や名所、街の中で気になった場所やモノについての雑感をまとめてその晩に発表する手筈となっているので、一日中遊び呆けていられるわけではない。班ごとに事前に設定した場所を巡りながら適度に遊んだり食べたりお土産の品を回収するのが賢いやり方だ。
 乙瓜たちの班もバス等を駆使して各所を巡っており、多少の逆走やらはあったものの、スポット巡りは概ね順調だった。
 昼食を取った頃に余裕があるので当初予定になかった平安神宮から銀閣の辺りまで行ってみようとなり、その方角へ向かうバスを待っている時、乙瓜は反対側の通りに遊嬉の姿を見た。
 その姿を見て、乙瓜は別段思う事は無かった。「ああ遊嬉だ」くらいは思いもしたが、彼女らの班はこの辺りにいたんだな、となるくらいで、特に妙なものは感じない。それは横にいた魔鬼も同じというか、観光案内マップとにらめっこしている為恐らく気付いてすらいなかったろう。
 そんなわけで特に呼び止める事もせず、乙瓜たちは直後来たバスに乗り込んで行った。
 幸い余裕のあった座席に座れた後で、そういえば遊嬉は一人だけだったなと思ったが、その時には既にバスは発車していた為、遊嬉がその時何をしていたかを知るのは暫く後のことになる。

「ごめん。タイミングがなかなかなくてさ」
 班を離れ、一人路地裏へ入り込んだ遊嬉は、そこにいた待ち人にそう詫びた。
 待ち人――嶽木は「いいよいいよ」と首を振りつつ、紫の布袋に包まれた長い棒状のものを遊嬉へと差し出す。
無双崩魔・・・・を完全再現とまではいかないけれど、切れ味だけは確かだと思うから」
 と、嶽木が手渡すそれを慎重に受け取り、遊嬉はその布袋の口をおもむろに開いた。
「別に色まで寄せなくてもよかったのにね」
「そこは奴のこだわりなんだよ。似せろってオーダーを受けたからにはとことん似せるっていう」
「ふうん」
 そっけなく答え、遊嬉が袋を完全に取り払ったそれは、崩魔刀と同じ赤い柄糸で巻いた一振りの刀であり、武器の類を一切失った遊嬉の為に嶽木が新たに作らせていた写し・・である。
 武人でもなんでもないただの人間の小娘にも扱えるよう可能な限り現世質量を削減して作られており、常人が持って感じる重さだけならコスプレ写真用の玩具とそう変わらない。けれどもその切れ味は通常の日本刀と遜色なく、取り扱いには大いに気を付けなくてはならないものだ。
「ごめんね。人間側の製法とは少し違うから本当はもっと早く完成しててもおかしくなかったんだけど、刀匠がどうも拘るタイプだからさ。言われた通り修学旅行までに完成しなかったら全員で作業場に押しかけてやるーって脅したら結構すんなり完成させたよ。それでも号も掘っとくとか言い出して一日延びたけど」
「号? へえ名前があるんだ? なんての?」
 手に馴染ませるように鞘をしたままバトンのように上げたり下げたり軽く素振りしたりしながら遊嬉が問うと、嶽木は少々恥ずかしそうに、ボソリと言った。

紅蓮赫灼ぐれんかくしゃくだって」

 嶽木の小声はまだその刀自体には何の逸話もありはしないのに、御大層な名前を付けたものだというはにかみだった。
 紅蓮は赤い蓮転じて燃え盛る炎、赫灼は光り輝く様を意味する。要は草萼火遠の崩魔刀に劣らぬ炎の剣と言いたいのだ。
 けれどもその響きは遊嬉の中学三年生のハートに刺さったようで、彼女は無邪気に目を輝かせ、天に向かって剣を掲げる。
「へえ。いいじゃん」
 生憎天気は若干曇り気味である。だが白雲越しに路地に差し込む光の中で、赤を纏ったその刀は緩く炎の輝きを放ったように見えた。――まるで産声を上げるように。

(まあ、遊嬉ちゃんが納得してくれたならいいけどね)
 京都に来た二つ目の目的を達成して嶽木が苦笑いすると同時、彼女のポケットの中に刺さったケータイが無粋な電子音を立てた。
 余韻を断ち切られたことへの少しの不服を覚えながら二つ折りのそれを開くと、ディスプレイには『花子さん』の四文字がある。
 このタイミングで北中からの通信。
 胸騒ぎを覚え、嶽木は急ぎ通話を開始した。
「もしもし」
 言うや否や、回線の向こうから響いてきたのは花子さんではなく、北中に残る美術部員の――古虎渓明菜の叫び。

「嶽木さん大変なんです! 異怨さんが【月】の人たちに……!」

「なに…………?」
 ざわりと揺れる空気に載せられ、その日京都に架かった曇り空が僅かに雨の暗い気配を孕む。
「嶽木……? どうしたの……?」
 その不穏さにあてられて恐る恐る問う遊嬉に、ややあって顔を上げた嶽木がこう答える。

「姉さんが……。異怨が【月喰】に攫われた…………」

 一度は追い風に転じた風が再び逆風へと変わる。遠く黒雲の遥か先で、彼が嘲笑う声が聞こえるようだった。
 ――だから詰めが甘いんだよ、と。



(第四環・古都の総会、白の喪失・完)

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