怪事戯話
第十一怪・未練執念トラッカー④

 一方、勢いに任せて飛び出してしまった深世は昇降口に体育座りしていた。
「……とかなんとか言って出てきちゃったけど、鍵持ってないし荷物も持ってないしこれじゃ帰れないよなぁーーー……やっぱり」
 とはいっても、なんというか戻り辛い。はぁ、と項垂れる彼女の背中に声がかけられる。
「あれ。深世さんどうしたの?」
 振り向くと、そこには眞虚がいた。丁度階段を降りてきたところのようでこれから美術室へ向かうところの様だ。
「――眞虚ちゃん。今日は生徒会だっけ?」
「そう。ちょっと論議が長引いちゃったけど、部活に顔見せくらいはしないとって」
 言いながらとことこと駆け寄ってくる眞虚。そう、彼女は後期から生徒会の役員に当選していた。因みに同じクラスの王宮おうみやは何故か副会長に当選している。何故か。
 眞虚は深世の隣に来ると、深世と同じようにちょこんと座った。
「深世さん部活どうしたの。まだ時間終わってないよね?」
「……なんかね、飛び出して来ちゃった」
「あらら。どして?」
 純真な目で覗き込んでくる眞虚から、深世は少しだけ視線を逸らした。
「…………。美術部はオカルトお悩み解決部じゃないもん」
「んー、よくわかんないけどまたみんなに怖い話振られたの? ……ごめんねぇ、なんか私たちいっつもあの調子でさー」
「そうじゃない、そうじゃないんだけど……。はぁ。自分もちょっと悪かったとは思ってる」
 溜息を吐く深世に眞虚はちょっぴり首を傾げた。
「何があったか分からないけど、とりあえず戻ろ? ずっとこんなとこ居たら風邪引いちゃうよ、深世さん、ほら――」

 そう言いながら、深世の腕を引っ張って立ち上がろうとした眞虚の動きがぴたり止まった。
 深世は急に手の力が抜けて無言になった眞虚を不審に思い、彼女を見上げた。
「眞虚ちゃん……?」
 恐る恐る声をかけるも眞虚は反応しない。彼女は放心した方な表情で固まっていたのだ。深世は不気味に思いながらも、今度は自分が眞虚の腕を掴み揺さぶった。
「眞虚ちゃん、ねえ、眞虚ちゃんってばっ!」
 呼びかける内、深世はあることに気付いた。眞虚は虚ろな瞳で屋外の一点を見つめているのだと。そして彼女の瞳が薄らと赤く輝いていることにも。

 ――一体どうなってるんだ。深世が焦り始めたとき、彼女を追いかけてきた魔鬼達三人が合流する。

「深世さんここに居たのかよかっ――」
「私の事よりもっ! 眞虚ちゃんを見たげてよッ!!」
「うぇ、あっ、何?」
 深世は三人に気付くなり話しかけてきた魔鬼を捕まえて眞虚の横に立たせた。魔鬼は訳が分からないと言った様子で眞虚を見、そしてすぐに彼女の異変に気付いた。
「……え、ちょっと? 眞虚ちゃん? もしもーし??」
 魔鬼は放心している眞虚の前に手をかざしてみたり肩を揺らしてみたりするも、やはり反応はなし。
「ちょっと深世さんどういうことなのこれ?」
 状況を説明してもらおうと魔鬼が深世に振り返ろうとした、その時。

「来たよ」

 幽かな声がした。
 それは眞虚の声だった。
 つい先ほどまで全く無反応だった眞虚は、真っ直ぐに校庭を指さして、そう言った。

「来たって、何が……」
 呟く乙瓜の横で杏虎が耳を抑えた。
「どうした杏虎」
「……いや、少し。耳鳴りが」
 杏虎が違和感ありそうに頭を振っている前で、眞虚がガクリと膝をついた。そのまま頭から倒れて行こうとするのを、咄嗟に魔鬼が受け止める
「眞虚ちゃんっ!?」
「あ……れ……?私、なにしてたんだろ…………?」
 魔鬼の腕に支えられながら眞虚はぽそりと呟く。ゆっくりと顔を上げてきょろきょろと周囲を見回す仕草はいつもの彼女で、目も虚ろな様子ではなかった。
「一体、何が、どうなってんのさ」
 腰が抜けたように床にへたり込み、震える声で言う深世の傍に乙瓜が立つ。
「どうやらあれが原因みたいだな」

 そう言う彼女の視線の先には、三人くらいの生徒の影。
 彼らは二人三脚……いや、どちらかと言えば三人四脚をするような体制でこちらに近づいて来ている。
 三人四脚。しかし、深世はそう思わなかった。勿論乙瓜だってそうは思っていない。あれはそういうものじゃない。
 具合の悪い一人を二人が支えて運んでいる姿だ。

 ――まさか。嫌な予感が深世の背筋を駆け抜けた。
 殆ど人の居ないグラウンドから来る影。グラウンドに行った筈の遊嬉。
(まさか、まさか。いや、そんなこと、あるわけ)
 薄暗い屋外の人影はどれが誰なのか判別つかない。だからこそ、深世は怖かった。もしかしたらその真ん中が、よく知る親しい人物なのではないかと。
 サァと血の気が引き、口の中がカラカラに渇いていくような気がした。頼むから違ってくれと深世は願った。心臓の鼓動が耳元で鳴っているのかと言うくらい喧しかった。しかし。

「あンれ? みんな揃ってなにやってんのさ?」
 深世の悪い予感に反して、向こう側から返ってきたのは明るい声だった。
 そう、戮飢遊嬉は確かにそこにいた。しかし、支えられる側ではなく支える側としてそこにいた。遊嬉ともう一人の支える真ん中には、また別の生徒が居る。
「悪いねー」と言いながら昇降口の美術部面々をどかした遊嬉は、自分の靴を適当に脱ぎ捨て、真ん中の生徒の靴を脱がせ始めた。
 脱がせられている途中、真ん中の生徒は顔を幾らか歪めた。そういえば、歩き方もどこかぎこちなかったように見えた。恐らく捻挫でもしたのだろう。
 遊嬉はもう一人と共に真ん中の生徒を支え直し、昇降口の角を曲がって保健室に向かって行く。
 美術部一同はただ黙って、その一部始終を見守った。

 遊嬉が見えなくなった後、深世はほっと胸を撫で下ろす。
 安堵の溜息。ひとまずは怪我人が遊嬉で無くて良かったということに深く安心する。
「よかった……」
「よくないんだな、これが」
「!?」
 突然の第三者の声に、深世は尻餅の体制のまま飛び上がる勢いで驚く。心臓がさっきとは違った意味で跳ね上がり、彼女は身を強張らせた。
「何もそんなに驚くことないじゃあないか」
 そんな彼女の真ん前に彼は居た。草萼火遠、深世が恐れるホラーとオカルトの権化と言うべき妖怪が。先程まで誰もいなかったスペースに、まるで最初から存在していたかのように平然と。
「やあ諸君。一部の者以外は久しぶり」
 親しげに周囲を見回した後、火遠は腰が抜けて立つことも出来ない様子の深世を見下ろした。
「君も久しぶりだねぇ、ホ・シンセイ」
「……あ……あゆみみよだし」
「まあそんなこたぁどうでもいいんだ。君はさっき『よかった』とかぬかしたけれど、それは全くの思い違いだ。いやはやどうにもこうにも随分と大変な事になってしまったねえ。魔鬼、乙瓜。特に乙瓜、照魔鏡を持ちながら今日の今日までノンビリと何をやっていたんだい?」
 火遠は小馬鹿にするような目で乙瓜を見た。乙瓜はポケットを漁ると、これのことか? と小さな鏡を掲げて見せた。
 その形はいつだかの騒動で大量発生した鏡にそっくりだなと深世は思った。
「これのことか……? とりあえず片っ端から照らしてみたりしたけれど、校庭には全く異常のイの字もなかったぞ? 普段はどこにもバケモンなんていやしないし、走ってるときにしか具現化しないような奴をどうやって攻略しろってンだよ!」
 抗議する乙瓜に火遠は肩を竦めた。やーれやれ、と言わんばかりに手を動かす。
「校庭に居ると思ったのかい? だったらそれはとんだ思い違いだ。そういう勘違いが最終的にとんでもない事態を招く」
「だったらそうなる前にヒントくらい教えて行けばいいじゃないか! この性悪妖怪!」
「そーだそーだ!」
 再び抗議する乙瓜と魔鬼を見て、火遠は苦笑いする。そして指を三つ立てて言った。
「そんなにヒントが欲しければ三つほどくれてやろうじゃないか」
「おう、早くしろ」
「じゃあ一つ目。怪事の原因は校庭にはいない。二つ目。怪事は人に憑くモノである。三つ目。怪事に追い抜かれても何も起こらない。以上」
「んん……?」
 二人は顔をしかめ、うんうん唸りながら考え始めた。
「校庭には関係なくて人に憑く……? 人に憑くんだったら何故何度も現れる……?」
「追い抜かれた奴らには関係ない……。つまり追い抜かれた奴に何か起こっても只驚いただけ……?」
「さっきの怪我してた奴は追い抜かれた側なのかそうじゃないのか……」
 謎かけのようなヒントに頭を悩ませている二人の元に、一つの意見が投げ込まれた。

「走ってる奴から走ってる奴に憑くんじゃねーの」
「「!」」
 出そうで出なかった意見に衝撃を受ける二人。彼女らが顔を上げ振り向いた先には杏虎。杏虎は三つ編みを弄りながら言った。
「"それ"に遭遇した奴らはみんな追い抜かれていっただけ。気配は先を行って消えたって言ってたってことは。"それ"は追い抜かれた奴の直前を走ってた奴に取り憑いたかもしれないってことじゃん? それが校庭でしか確認されてないなら、『校庭を走る』ことで別の奴に移るってこと。だけど校庭が関係ないのなら、『広い場所』で走ることがそれの転移条件と言えるんじゃない? ……なんでうちの学生にしか憑かないのかはしらないけどねー」
「おおー」
 乙瓜と魔鬼は杏虎の仮説を聞き終わるなり感嘆の声を上げた。
 確かにそう考えると幾らか辻褄が合っている。何故取り憑くのか、何故学生に憑くのか、確かに謎なところはまだ多々あるが、杏虎の説が一番それらしい。
「感動してる場合じゃないよお二人さん。あたしの説が合ってた場合、近々噂の通りにヤバい事が起こるよ」
「ヤバい事……?」
「近々って、そりゃあいつだ?」
 ぽかんとする二人に眞虚が言う。
「今週末の土曜日、マラソン大会があるよね。もし杏虎ちゃんの言うとおり『広い場所』が条件なら、その大会でオバケが転移して思わぬ事故が起こる可能性があるってことだよね……?」
「「あ」」

 二人は本気で忘れていたと言わんばかりの顔で呟き、少しの間を置き叫んだ。

「「あぁあぁあああああぁああぁああああああああああああああああああああぁぁあああぁああ!!!」」

 その頭上から火遠の甲高い笑い声が降ってくる。
「二人してマラソン大会なんて嫌いだとか言った末にその存在を忘れるとは何ともまあ間抜けな話だね。まあよかったじゃないか、賢い友人が居てくれて。ハハハ」
「騒ぎの所為でマラソンの話だれもしなくなったからちょっと忘れてただけだし! うるせぇバーカ!」
 例によって掴みかかろうとする乙瓜の手を火遠はするりと抜ける。そしてケラケラ笑いながら宙へ浮かぶ。
「まあ兎にも角にも時間がない。解決する気があるんだったら、さっき保健室に行った三人組を調べて見なよ。たぶん何かしらの発見があると思うぜ。多分」
 火遠はそう言い残し、火の粉のように消えた。
 乙瓜と魔鬼は火遠の言葉を受けて互いに目くばせし合った後保健室の方へと向かった。やや遅れて杏虎と眞虚が続く。
 腰が抜けていた深世はずっと遅れて立ち上がり、少しだけ考えた後に彼女らの後を追った。

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