怪事戯話
第十一怪・未練執念トラッカー③

 校庭を囲う高い木々に日が隠れ、薄闇に包まれて誰も彼も姿が曖昧になる時間帯。
 "それ"は、グラウンドを走る彼女の背後に足音として現れるや、暫く貼り付くように追走した後、スイと追い越して消えて行くと云う。
「追われている時は衣擦れの音や息遣いまで聞こえてきているのに、振り返っても誰も居ないし、追い抜いて行く人影も見えない」
 斉藤メイは震える声でそう語っていた。

 あれから更に一週間経過する頃には、北中の中ではちょっとした騒ぎになっていた。
 斉藤と同じく暗いグラウンドで"何者か"に追跡される者が次々と現れ始めたのだ。
 自分も追われた! と証言する者は既に十数人に上り、それぞれ学年性別所属する部活動もバラバラ。時間帯も斉藤が遭遇したという黄昏時に留まらず、昼も夜もお構いなしと言った様子。ある者は体育の時間に、ある者は部活動で、ある者は屋外トイレの掃除帰りに"それ"に出会ったと主張するが、一貫しているのは『校庭を走っていたら追いかけられた』ということ。
 いつの間にか『"それ"に追いかけられたら近いうちに不幸になる』だの、『いや、逆に追い抜かれなかった方が不幸になる』だの、沢山の尾鰭が付き、噂完成。
 今や特に用もない限り校庭に出て行きたがる生徒は殆ど居なくなり、昼休みも校内に留まる生徒が続出。体育で今日は外だなんて言いだした日には気の弱い生徒が泣きだし、教師が噂について「そんなものは気のせいだ」と言及せざるを得ない事態にまで発展する。
 全校を挙げて参加を予定している町内マラソン大会も迫っているというのに、殆どの生徒が校庭に出たがらない現状。冬の初めに訪れたこの噂は、思ったより深刻な影響をもたらしていたのだ。

 一方その頃、美術部では。

「はーー、くっだんね。結局実際に不幸になった奴はいまのところ一人もいないんでしょ?」
 ストーブのよく聞いた暖かい美術室の中。戮飢遊嬉は学校指定のジャージ姿でストレッチをしていた。とはいっても、普段の活動時から制服の上に長袖のジャージを着ていた彼女なので、見た目にはいつもと殆ど変らないのだが。しいて言うならスカートが無くなってその下に履いている半ズボンがはっきり見えるようになった程度である。
「そもそも追っかけられたって何さ。……そりゃ得体の知れないモノに追っかけられるのはいい気持ちしないけど、そんだけじゃん? 校庭から出て何かしてきたって話も聞かないし、べっっっつに、大丈夫なんでねーーのー」
「大丈夫……なワケないっ!! 遊嬉が大丈夫でも私はちぃっとも大丈夫じゃないからね!?」
 楽観視するような遊嬉に対し、半狂乱の声を上げたのは深世である。
「あのね?! 私はね? あんたらと違ってホラー耐性があるわけじゃないんですよ?? っていうか、万人が万人持ってるわけじゃないからね!?」
「おーおーまーた始まった。深世さんそれ今月入ってから何度目よー」
「うっせぇ! 何度だって言ったるわ! ……あんたらには猫が欠伸したくらいの事かも知んないけど、あたしらみたいなのにとっては大問題なんだから。あんたらがトンデモオカルトパワーの使い手だって言うんなら、校庭に出るヨーカイだかユーレイの類をさっさとやっつけてきちゃってよッ!」
 言うだけ言って深世は机上の時分のスケッチブックに視線を落とした。要するに、怖いのだ。窓を見るとその向こうの校庭に見てはいけないようなものを見てしまうような気がして、できるだけ視線をそちらに向けたくないのだ。
 遊嬉はやれやれと肩をすくめ、チラリと窓を見た。薄紫色の空の下には、疎らにだが校庭を走る人影がある。
「……マラソン大会も近いしねェ」
 そう呟き、遊嬉は荷物を持って立ち上がった。帰るにしても、まだ部活終わりの時間までは四十分以上あるにも関わらずだ。
「どこいくんー」
 先程の応報を無関心そうに見ていた杏虎が言う。遊嬉は振り返らないで片手を上げた。
「校庭ー。ちょっくら走りに行ってくるわ」
 遊嬉は先輩部員たちにも軽く声をかけ、美術室を後にした。
「……ばっかじゃないの」
 深世が頬を膨らませながら言う。
「心配せんでも遊嬉の事は大丈夫だぁって」
「だっ――!?」
 誰が心配なんてっ? そう否定するつもりで深世は立ち上がった。木の椅子がガタッと動き大きな音が立つ。向かい側の席で紙飛行機を折っていた杏虎は、音に驚いたのか顔を上げ、深世を見る。
「いや、心配してるっしょ? 実際」
「してないッ! してないからね!?」
「これっぽっちも?」
「これっぽっちも!!!」
 杏虎は「そう」と呟きまた飛行機を折るのを再開した。
 そんな杏虎の様子を見、深世は少しだけ冷静になった。
 ――何をムキになってるんだ私は……。
 自分の事ながら何故躍起になって遊嬉の心配をしていることを否定したのか分からず、深世は納得いかない表情で席に着いた。

 それとほぼ同時に、美術部の扉がガラッと開く。遊嬉が出て行ってからほんの一分足らずの事だった。
 もしかしたら遊嬉が忘れ物でもしたのかもしれない。そう思って深世が振り返る先に居たのは、しかし遊嬉ではなかった。

「しつれいしまー……す」
 抱えるほどの紙の束を抱え、やりにくそうに扉を閉めながら挨拶する二つの影。烏貝乙瓜と黒梅魔鬼が、そこには居た。
 二人はよろよろと一年の溜まる窓際まで来ると、抱えた紙の束を机の上に解放した。次の瞬間どっさりと詰みあがる紙の山に、深世は仰天した。
「な……、一体――」
「一体どうしたのさ、それ」
 深世が言うより早く杏虎が二人に問うと、二人は曖昧な顔を浮かべ、交互に言った。
「多分……」
「ラブレターみたいなもんかなぁ……はぁ」
 二人して溜息を吐く様を不思議に思いつつ、深世は紙の山へと近づいた。
 その時に彼女は気付いたのだが、紙の束は全て封筒で、茶封筒から女子が好んで使いそうなレターセットまで種類は様々だった。
「手紙?」
 悪いと思いつつ、深世は内一枚を手に取った。無作為に取った白封筒には、『美術部様へ』と書かれている。
「美術部『様』ってオマエ……」
 呆れつつ封筒を裏返すが、裏面には何も記されていない。
 試にもう二、三通の封筒を改めるも、どれも美術部宛てということが分かるだけで差出人は不明。尤も、中の手紙に書いてあるかどうかは分からないが。
(えー……なんだコレぇ……)
 深世はドン引きしつつもそれらを持ってきた二人を見て言った。
「ねー、これ開けてもいーい?」
 魔鬼と乙瓜はひどくくたびれた顔で頷いた。多分了承という事なのだろうと思い、深世は最初の白封筒を開封した。
 取り出して見ると、中には滅茶苦茶に折られたルーズリーフが一枚。開いてみると、そこには少し雑な字で一言だけ書かれていた。

『校庭のユウレイをたおしてほしい』

「はァ!?」
 それを見た瞬間深世は仰天し、思わず大声を上げた。
 まさかと思い数通の封筒を開けるも、そこにはまたしても同じような内容が綴られていた。
「……え、ちょ、まって? これ美術部の、美術部宛てっしょ? なにこれ何? ちょっといみわかんない」
 様々な筆跡様々な言葉で綴られる、美術部宛ての『校庭の"何か"の退治依頼』に深世は頭を抱えた。
「どーやら周囲はあたしたちにそーいうのを期待してるみたいだねー」
 杏虎も何通かの手紙を見てそう解釈したらしい。納得したように呟いた後、机の上に手を付いて魔鬼たちを見る。
「でで? この手紙どうしたんよ」
 そう言って二人の顔を覗き込む杏虎は興味津々といった様子だった。
 問われた魔鬼は乙瓜と顔を見合わせ、渋々と言った様子で語り始めた。
「いや……これ学校中の相談箱の中に入ってたんだよね」
「相談箱?」
「……そーそ。ここに来る途中カウンセラーの先生に捕まっちゃったから何事かと。……ねえ乙瓜?」
「全くだ。殆ど美術部宛てだから持ってってくださいとか、相談箱はそういうポストじゃねーし……」
「はぁ、嫌になるねぇ」
「全くだ」
 二人して何度目だか分からない溜息を吐くのを見て、杏虎は深く納得した。
「成程、それで部活に出るのが遅れたワケ」
「そゆこと」
 口を尖らせる乙瓜を見て、杏虎はうんうんと頷いた。だが、一人。彼女らの言い分に納得できない者がいた。隠す必要もない、深世である。

「そゆこと、じゃない!!!」

 バシィィッ! と力一杯机を叩く深世に、一同目を丸くする。積み上げられていた封筒の山が一瞬浮かび上がり、何通かが床に滑り落ちる。
「何すんのさ深世さん。びっくりすんじゃん」
「吃驚したのは私の方じゃ! どうして美術部宛てにトンデモオカルト解決依頼が来んの!? ……あんたら、よもや喧伝して回ってるんじゃあるまいね!?」
 目を皿のように丸くした杏虎に深世は言い返す。杏虎から乙瓜、魔鬼へと視線を移し、誰がこの事態の発生源であるか疑っているようだ。
「いや私じゃないって! ……ていうかもう一部では美術部が何とかするって噂化してるから今回の校庭の件を受けてこんな風になったんじゃ――」
「だぁらッしゃい! それってつまり魔鬼と乙瓜が噂立つように活動したからこーゆーことになったんじゃないかッ! わたしは平凡で健全で無難な部活をしていたつもりなのに、これじゃあ胡散臭い集団になっちゃうじゃない!! どうしてくれんの!!」
「うん、深世さん、もうなってる」
「るせーーーーーーーー!!! こんな怪しい集団と同格に見られてたまるか! 私は帰るぞ!!!」
 突如発狂し始める深世。しかしその他の面々(先輩含む)は、また深世のホラー・オカルトアレルギーが刺激されたんだなぁと思い、適当に流していた。
 だから深世が本当に教室を飛び出して行くなんて、誰も考えていなかったのである。
 しかし深世はそれを決行した。叫んだ直後に荷物すら持たず、弾丸のように教室を飛び出して行ったのだ。
 あっという間の事に、美術室内の一同は呆然となり、静まり返る。

「ありゃりゃ」
 数秒の後、魔鬼が呟く。
「まさか本当に出て行ってしまうとは……。とりあえず追っかけた方がいいのかこれは……?」
「そうした方がいいかもねぇ」
 考えあぐねる魔鬼にそう声をかけたのは、二年の仮名垣まほろだった。
 まほろは組んだ両手に顎を載せながら、のんびりとした口調で後輩たちに言う。
「深世ちゃん、予想してない事が起こってびっくりしちゃっただけだと思うなぁ。帰るったって自転車の鍵も持ってないし、追っかけてあげて?」
「うーーん、許してくれますかねぇ」
「だぁーいじょうぶだよー、深世ちゃん何だかんだ言ってずっと部活来るじゃない? 苦手な怖い話する魔鬼ちゃんたちのこと、まんざら嫌いでもないと思うなーぁ」
 言って、まほろは笑顔で人差し指を立てた。残された一年三人は互いに顔を見合わせ、うんうんと頷きあって席を立った。
「先輩。ちょっと深世さん連れ戻してきます」
 そうして美術室を出ていく三人を、二年生たちの「いってらっしゃい」の声が見送った。  

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