怪事捜話
第二十談・机上空論エンドノート②

「それってすごいよく効く痛み止めとか作ってるとこの会社じゃん……!?」
 深世が叫ぶ。丁度彼女の家の薬箱の中に入っている痛み止めが『ツクヨミ』の印が入ったものだったからだ。
 驚愕にあんぐりと口を開いた部長に釣られるように、一年部員たちも騒めき出す。
「……『ツクヨミ』って靴とか鞄とかも作ってなかった?」
「ていうか家電も作ってない!? うちの去年買い換えた冷蔵庫とかそうだった気がしてきたんだけど……」
「家電って言うか、表にはあんまり名前出てこないけど電子機器の部品作ってるとこもグループらしいよ? アタシの兄ちゃんが言ってた」
「……まってまって。どっかのジュースのメーカーも子会社じゃなかったっけ? 食品メーカーもっ……!」
「どうしよう、うちの大きい箪笥とかもたぶんそれだし、風邪薬も置いてあるかも……」
 皆が自分の家にあるものや待ちで見かけたものを思い浮かべて不安を吐露する中、明菜もまた自宅の冷蔵庫に入っていたもののどこかにそのロゴマークを見たような気がしてぞわりとした。
 そしてその不安は当然魔鬼や眞虚らにもあった。彼女らもまた企業としての『ツクヨミ』の名を知っている。
 恐るべきことに。この古霊町ですら、各家庭の生活の何割かが【月】に浸食されていたのだ。それもとっくの昔から。
「噂やモノに込めた呪術で人々が今も無意識に持っている心霊的防御力を下げ、大霊道開放で"影の魔"に力を与える事でまとめて捕食する。それが奴らの最終目的だ」
「知っててそれを放置してたってこと?」
 杏虎が静かに問う。火遠はゆっくりと首を横に振り、「気付いた時には既に浸食されていた」と答える。
「奴らは初めの内こそ弱小の、それこそカルトめいた団体だった。活動も時折心霊絡みの事件のきっかけになったり、怨霊の封印を解くぐらいのものだったしね。だがそれらは全て裏で進めている事のカモフラージュに過ぎず、【灯火こちら】が気付いた時には既に手遅れだった。こうなってしまったら俺の【星】の力では絶てない。……いいや、絶てるだろうけれどまず間違いなく大勢の人間の運命が変わってしまう。君たちの誰かは生まれる事すら出来ないかもしれない。当然、乙瓜も。折れた小枝のことわりいじったり、天気を一時的に晴らすのとはわけが違うんだ。……せめてもと、手の届く範囲で呪詛の影響を弱めるようにはしているけどね」
「…………。でもわざわざ会社として表に出て来てくれたならそこを叩けばいいじゃん」
「簡単に言うね。……だけどそれも無理だ」
 やれやれと肩を竦め、火遠は教壇上に頬杖を突いた。
「『ツクヨミ』は奴らであって奴らでない・・・・・・・・・・・。まさにばけもの……化かす者・・・・としての本分を有効に活用した結果だと言うべきか。してやられたよ」
「どゆこと……?」
 杏虎はここで漸く壁から背を放し、組んだ腕を解いて腰へと手を当てた。火遠はそんな彼女を見ながら頬杖を倒すや、再び身体を起こして短い言葉を紡いだ。――「乗っ取りさ」と。
「確かに『ツクヨミ』としての事業を担っている会社は存在するし、俺たちも最初はそのいずれかに奴らの【月喰】としての本拠地がある思っていた。けれども実情、一部の経営陣や従業員に洗脳や"影の魔"から成ったモノが見られただけで、大半が何も知らない人間だった。……いずれ自分たちを滅ぼすものを、生きる為に何も知らずに作っている人間がいるだけだった。奴ら自身の本拠地は、"影の魔"の力と念入りな術式妨害によって隠されているのだろう。……正直俺たちにも未だに尻尾が掴めていない。だから――」
 悔しそうにこぶしを握り、申し訳なさそうに火遠は言った。
「攫われた乙瓜を今すぐに奪還する事は出来ない。……すまない」
「そんなッ!」
 眞虚が叫ぶ。「打つ手無しって事かよ」と深世が続いた中、魔鬼は無言で怒りとも悲しみとも付かない表情を浮かべ床を睨む。その頭の中には得体の知れないものが渦を巻くような不快な感覚が、後悔を率いてじわじわと広がっていた。
(どうしよう、それじゃあ、そんな……。私が助けられなかったから……ッ)
 彼女が囚われたのは今にも決壊しそうな理性と叫び出しそうな感情の境。少しでもバランスを崩せば一気にどうにかなってしまいそうなギリギリの心境。
 魔鬼がそれを無意識に押さえつけるようにわなわなと震える一方、同種の心境にあるだろう七瓜は幼子のように傍らの三咲にすがりついた。杏虎は杏虎でやるせない思いをぶつけるように床を蹴り、こう言った時にポジティブな意見をぶつけてくれそうな遊嬉も眉間を抑えて難しい顔をしている。……異は、何も言わない。
 そんな先輩や周囲の様子を見て、おずおずと明菜が問う。
「烏貝先輩はどうなるんですか……?」
 誰もが抱いていた疑問を。だがその問いに答えたのは火遠ではなく、七瓜の傍らでじっと沈黙を守っていた、火遠の面影を持つ長身の少女だった。
「傷つけられる事はまず無いでしょうね。けれど洗脳くらいはされるかも知れないわ。あの子がいくらそこの子――八尾さんだったかしら。彼女の言うような自我を確立していたとしても。【月】の本部とそこに在る"影の魔"の源流に触れられてしまえば逆らう事はできないわ」
 平然と告げるアルミレーナを、異がムッと睨む。だが紅い魔女は特に気にする様子も無く、更に追い討つように言葉を続けた。
「そうして敵の駒になったあの子はいずれ貴女たちに牙を剥く。……それこそ【やつら】が今まで貴女たちを勝たせ続け、あの子との間に絆を強く結ばせた理由。大霊道奪取における障害となり得る貴女たちをまとめて潰すための。合理的で……実にいやらしい作戦よ」
「冗談……ですよね……? そんな、流石に……ない、ですよね?」
 明菜の声は震えていた。彼女の脳裏に浮かぶのは、以前異から彼女だけに伝えられた言葉――烏貝七瓜が烏貝乙瓜を滅ぼすという予言・・。それが実現する状況が来るとするならば、それは……。
 拭い去りたい不穏な予感。それを打ち砕くように、アルミレーナは静かに首を左右に振った。
「残念だけれども。現時点で十分想定し得る事よ」
 嫌な沈黙が流れ出す。明菜は戸惑いながらそっと異に目を向けた。異は明菜の縋るような視線に気づくと、渋い表情のままで静かに首を横に振った。
(異先輩……、その否定は先輩的にも駄目だってことですか? それとも、それでもまだ希望はあるってことなんですか……?)
 誰も何も言い出さない。誰も何も言い出せない。
 美術室の中には打ちのめされた絶望の気配とピリピリとした不穏の空気だけがじわじわと広がっていく。――その時。

「おうおうおう。大勢揃ってしょぼくれた顔してるな? 通夜か? 葬式か?」

 ガラリと乱暴に開かれた扉と、沈黙を破ってズカズカと進んでくる足音。その場違いな気配に皆が顔を上げると同時、教壇の上の紅い気配は驚愕の声を上げた。
「丙師匠!? どうしてここに!」
 裏返る手前のような素っ頓狂な声を上げて火遠が見遣った、そしてその場に集まる一同が揃って目を向けた視線の先で。
「なんだ、よりにもよってお前がこの湿っぽい集会の主催者か。らしくないな? だがまあこの師匠が来てやったから安心しろよ」
 金色の眼をキョトンと見開き。小柄な女――【灯火】代表にして草萼火遠の師匠・丁丙はニカッと笑い、近くに転がっていた椅子にドンと土足のままの足を乗せた。
 そんな丙の登場に深世は叫ぶ。
「だ、誰!? 今度は何!? どちらさん!!?」
 無理もない反応だった。他の四人は兎も角、彼女だけはスキー合宿の集会の時に【灯火】本部に行っていないのだから。当然丙とも面識はない。
 動揺は同じく丙と面識の無い一年生たちにも見て取れた。花子さんら主要な学校妖怪たちは面識があるのか突然の来訪に驚きこそすれどそれ以上の反応はなく、【青薔薇】からの娘たちもそれは同じなようだった。
 つまりはこの場においては深世らの反応の方が少数派なのだが、丙は「ふん」と考えるように首を捻ると、小柄な自分を目立たせるように適当な机の上に飛び乗り、どんと胸を張り声を張った。
「あちきは丁丙。【灯火】の現・代表でそこな火遠カエンのぼんぼんの護符フダ術の師匠ってところさ。まあ宜しくな。知ってる奴とってる奴にも改めて」
 彼女は得意げに名乗りを上げて火遠に向き直り、そしてその傍らに立つ嶽木に目を向けた。
「再三に渡る連絡ありがとうよ。ご期待通りに只今参上だ」
「どういたしまして。……でもやけに早かったじゃないか」
 怪訝に眉を顰める嶽木を見て丙はケラケラと笑い、「大した事じゃあないさ」と入口に目を向けた。
「珍しく彼奴が手を貸してくれたからな」
 彼女がそう言った先、美術室の入り口の向こうで白い何かがふわりと揺れる。
 薄手のカーテンのように儚げな白と、鮮烈な緋色。目出度めでたい紅白とそれに寄り添う黒髪は流れる水のように宙を揺らめき、それ・・がやはり人で無きものであることを証明している。
 そうして現れた巫女姿の女に、今度は誰もが同様にざわめいた。殆ど誰も見たことの無い女。この場でその存在を知る数少ない存在の一人である火遠もまた、丙の登場以上に驚いた様子で目を丸くしている。
「玉織!? 神域を離れない筈じゃあ……」
「たわけめ。わざわざ来てやった旧友に対しその言い草はなんだ。それとも私の助力は要らぬか? 万能神気取りめ」
 ほぼ一息に。彼女は恐ろしく殺伐とした様子で火遠にそう言い捨てると、それから呆然に・怪訝に彼女を見るその場全ての者を見て言った。
「玉織だ。そこの阿呆あほうと丁丙とで【灯火】を立ち上げた最後の一人、西方の神の眷属」
 不愛想に名乗り、玉織はふと眞虚を見た。それからほんの微かに目を細め、「良かったな」と一言漏らす。
「え、ど、どういうこと……ですか?」
 訳が分からず眞虚が戸惑うと、玉織は「いや」、と首を振る。何が「いや」だと言うのか、眞虚が益々不可解に思う中、丙がパンパンと手を叩く。
「ほいほい。兎にも角にもあちきらが来たからには多分そんなに心配要らんよ。反省会ここまで。後は野となれ山と――いや、これはまだ早いな? でもまあやるしかないってこった」
 言ってよいせと机を降り、丙はうんと背伸びする。そんな彼女に歩み寄り、食って掛かるように深世が言う。
「いやいやいやいや!! どうすんのさ、敵の本拠地もなんもわかんない上に乙瓜洗脳されるとかなんとか言ってんのに、私らにこれ以上どうしろと!?」
「どうするもこうするも。心の準備と作戦会議くらいはできるだろ。学校も直さんといかんし。まあこっちと本拠地捜しはあちきらの方で継続するから心配すんな。最悪見つからなくても出待ちは出来る。絶対仕掛けて来るし」
「そんな呑気のんきな!」
「呑気で悪いかい。ここで折れたら【月】どもの思う壺だぞ? ……というよりお前さん、本部面談で見なかったけどどういうポジションの人だい?」
「美術部部長だよ!!!」
 半ギレ気味に言う深世に丙は目を丸くし、しかし直後納得したように「ああ」と頷く。それから傍から遣り取りを見てキョトンとしている火遠に目を向け一言。
「お前さんもアホだなーーー」
「はあ!?」
 いきなり――というより玉織との流れで重ね重ねアホと呼ばれた火遠は当然の如く不快を露わにするが、丙はそんな事など気にした様子も無く続ける。
「十年寝太郎でまだ寝ぼけてるのか。よくよく見たら中々立派な娘さんじゃあないか。――なあ、美術部部長?」
「……は、はい?」
 己に向き直り妙ににんまりとする丙に嫌な予感を感じ、深世は只々表情を引き攣らせた。なんかマズイ事したかもしれない、と。
 だが丙はそれ以上彼女に何を言うでもなく、するりとその横を通り過ぎると、未だに深刻な表情で俯く魔鬼の肩にポンと手を置いた。
「…………っ」
 触れられた体をビクりと跳ねさせ、魔鬼はゆっくりと丙を見上げた。不安な瞳で。これから先に待つものに怯える瞳で。
「乙瓜は……」
 泣きそうな声で言う彼女と目を合わせ、丙は言った。迷いなき声で言った。
「取り戻す。絶対に取り戻す。そのためにあちきが居る。ここに残った皆が居る。まだ希望を捨てる段階じゃあない」
 ニッと笑い、丙は顔を上げる。彼女の視界には美術部が――杏虎が、眞虚が、遊嬉が、明菜ら一年が。異と、そして【青薔薇】から来た七瓜、三咲、アルミレーナ……夢想の杖に体重を預けて静観する悪魔の姿がある。
「いけると思うワケか。お猿さん・・・・的には」
 夢想の悪魔が、エーンリッヒがこの場で初めて口を開く。どこか面白そうに。
「思わなければ消えてしまう。可能性は思い込みだ。在ると思えばそこに有り、無しと思えば――だ。羊さん・・・? それとも足掻くことなくあっさりやられるシナリオの方がお好みかい? お前さんとこのお嬢さんフロイラインは」
「まさか」
 挑発にも似た丙の言葉にエーンリッヒはクスクスと笑った。
「例え勝ち目がなかろうが、最後まで足掻いてくれた方があの子好みだと思うわよ?」
 大きく広がった袖で口許を覆いながら上目遣いで答える彼女を見て丙は何かを確信したように目を細め、そして小さく呟いた。

「希望、だな」

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