怪事捜話
第二十談・机上空論エンドノート①

 ――それは、得体の知れない巨大な怪物が、北中校庭に現れる夢。見覚えのある美術部の面々がそれと対峙し、しかし何故か戦うことが出来ずに立ち尽くす夢。

 八尾異は語った。ずっと他者に対して有耶無耶にしてきた己の予知能力を、その力で未来に予見した不穏な影を。そして己が烏貝乙瓜に打ち明けた事の全てを。
「その夢を見たのは丁度半年――いいや、たしか体育祭の後だったから、五ヶ月くらい前になるのかな。数日にかけてその夢を見た。そして烏貝ちゃん――いっちゃん・・・・・が苦しむ事になると漠然と思った。恐らくは、彼女自身の出生と正体の事で」
「……『思った』って、えらく直感的だな」
「直感だけど、ぼくにとっては確証だよ」
 訝る魔鬼にそう返し、「今までもずっとそうだったからね」と異は続けた。
「ぼくの夢と直感は遠からず現実になる。今のところ百パーセント確実に。まあ、騒がれるのは好きじゃないから、ずっと偶然だって言ってきたのもぼくだけどね」
「…………」
 あっさりと『二小の噂』の真相を暴露され、魔鬼はしかし疑うでもなくただ黙るしかなかった。実際に異の夢が現実に追い付きつつある今、冗談っぽい彼女の物言いにも不思議と信憑性が感じられる。
(成程、信仰対象みたいになるわけだよ)
 心の中でそう漏らし、魔鬼は小さく息を吐いた。そんな中、ずっと難しい顔で腕組みをしていた杏虎がふっと口を開く。
「――つうかさ。乙瓜が自分の正体に苦しむことになるだろうって事がわかってて、どうして乙瓜に正体をバラすような真似をしたわけさ?」
 あくまで狐疑こぎ的で、どこか棘のある言い方で。しかし異はさも気にする様子もなく杏虎を振り返ると、睫毛の長い目をスッと細め、平然としてその問いに答えた。――「そうでないと勝てないからね」と。
「勝てない?」
「ああ。そのままの意味さ。いっちゃんが己と云う"影の魔"そのものに打ち勝つ為に・・・・・・。【てき】よりも先に彼女自身ですら自覚していなかったその事実を伝えなければならなかった」
「まって。もう少しあたしらにもわかるように言ってもらえる? 先に真実を伝えないとどうなる?」
「…………。多分、壊れる」
 言って異はふっと目を瞑り、一呼吸の後に再び開いた目で美術室という空間内に集う全ての人間と人間でないものをぐるりと見遣り、それから言葉を続けた。
「いっちゃんは、はじめはそこの七瓜さんの偽物から生まれたかも知れない。けれども今は烏貝乙瓜として、七瓜さんとは全く違う心を持ち、似てるけど全然違う物の考え方をする。もう全く別の存在なんだ。だからぼくは、彼女の中の心に賭けた。……危険な賭けではあったけどね。さっき火遠が言ったように、本当の事を伝えた時点で"影の魔"としての自我が勝り、いっちゃんとしての自我が消える可能性もあったから」
「そんなっ……あなたはっ――」
 誰かが――七瓜が悲鳴のような声を上げる。しかし「なんてことを」と続けようとした彼女の声は傍らの三咲がぽんと一つ肩を叩いた事によって打ち消された。
「大丈夫だよ。あの子のお話最後まで聴こ?」
「三咲……」
 普段どこか幼げな魔女の真面目な物言いに、七瓜はコクリと一つ頷いた。三咲は顔いっぱいに笑みを浮かべると、七瓜の両肩に手を置いて「続けて続けて」と異を促した。
 異はそんな彼女らの短い遣り取りをキョトンと見届け、それからはっきりと七瓜に視線を向けて、ちょっぴり考えるように顎に手を当てて、そして言葉を再開させた。
「心配を煽る物言いになってしまったのは謝るよ。だけどぼくは賭けに勝ったんだ」
 明確に七瓜に伝えるようにそう言って、異は今度は魔鬼を見た。そうして確かめるようにこう続ける。「魔鬼ちゃんも見ただろう?」と。
「真実を知ったいっちゃんは混乱こそしていたけれど依然としてぼくらの知る烏貝乙瓜のままだった。それが【月喰の影】との戦いに勝利する光明になると思う」
 どこか確信めいてそう言って、異はゆっくりと立ち上がった。
「異ちゃん、足は……」
「もう大丈夫。平気だよ」
 心配する傍らの従妹にそう答え、彼女は眞虚を見て「ありがとう」と頭を下げる。その流れから火遠を見、異は言った。
「火遠。いい加減核心に触れようよ。ぼくはここまで言った。だからこの先はあなたが伝えるべきだ。【月喰の影】の野望の全貌ぜんぼうを。奴らそのものの実態を。……こればっかりはぼくからでもそこの魔女さんたちからでもなく、戦い・・を始めたあなた自身の口から伝えるべきだと思う」
 はっきりと言い切られた言葉に、皆の注目は異から火遠へと移る。
「…………、言うようになったじゃあないか」
 教壇上の火遠はどこか観念したような表情でそう零し、ハァと小さく溜息を吐いた。
 そんな火遠を見遣り、七瓜と話して以来ずっと沈黙を守っていた遊嬉がよいせと立ち上がり、そして言う。
せんせ・・・。もうそろそろ全部打ち明けちゃおう? せんせは多分、それ・・伝えたらみんながもう後戻り出来なくなると思って、多分優しさから伝えないでいたんだとおもう。だけどさ。【月】と戦う覚悟を決めた時点で、みんな後戻りできないところに来ちゃってんだよ。今日の事もそう。一線なんてとっくに超えてる。……だから、もうその荷物・・下ろそ?」
「遊嬉?」
「遊嬉ちゃん?」
 深世らが怪訝に振り返った先で、遊嬉はどこか達観したような表情で火遠を見つめていた。火遠はそんな彼女と異を交互に見て、敵わないとでも言う風に肩を竦める。
「後戻りできない、か。……そうだね。とっくに当事者である君たちの方が、君たち自身の状況を一番よく分かっているとも言える。…………わかったよ」
 ゆっくりと頷いて教壇から降りると、火遠は黒板の前に立った。そしてつい数十分前に起こった教室の様相が変わる程の騒ぎの中、床にも落ちずに残っていた一本の白いチョークを手に持つと一旦くるりと振り返り、そこに居る全ての美術部員ら・・・・・に目を遣った上でこう続けた。

「これから話すのは、人によっては知らなかった方が良かったと思う話だ。もし、今残っている美術部――特に一年生の中にこれ以上トンデモに巻き込まれたくない子が居るなら、今のうちにここを出て行くことをお勧めしておく。今後の生活に支障を来すかもしれないから」

 どこか脅すように。そんな言葉を受けて、一年生六人はそっと顔を見合わせ合うが、数秒の沈黙の後、美術室を離れようとする部員は一人も居なかった。
 好奇心がそこにあった。岩塚柚葉などは己の趣味から来るものだったかも知れないが、皆ここまでの話を聞いてしまった以上、自分たちを襲ったものの正体を、真相を知らずに帰る事なんて出来なかったのだ。
 魔鬼や乙瓜ら先人の起こした不可解な噂を耳にして尚入部を決めた、彼女らもまた美術部だったのだ。
 数十秒待っても一人も退室の様子を見せない事を確認した火遠は、ふと深世に目を遣って「いいのかい」と呟いた。
「いいもなんもさっさと話せし。私は美術部部長だぞ」
「……そうかい」
 すっかり覚悟を決めた風の深世にそう答え、火遠はふうと息を吐き、続けてすうと吸い込み。そして話を始めた。
【月喰の影】の計画の全容を。【灯火】が、【青薔薇】が、学校妖怪が。そして美術部が、これから何と戦おうとしているのかを――。

「奴らの真の目的は、この世界全ての人類とまつろわぬ妖怪の存在を"影の魔"へと置換する事。その為に大霊道の力を必要としている」

 曰く。曲月嘉乃の掲げる世界征服・人類を駆逐し賛同する妖怪だけの理想郷を作るという目標は、はじめは荒唐無稽な夢物語、机上の空論、絵空事だった。だが、総裁・曲月嘉乃は何十年か昔の段階で"影の魔"と呼ばれるこの世の全ての闇と影を司る存在に接触し、その途方も無い力を己が軍勢の味方に着けた。
 本来善悪もなくどちらかと云えば自然現象や概念に近い存在であり、どこにでも在るがどこにも無いとも云える"影の魔"と如何にして接触したのか。それは定かではないが、ある時期を境に"影の魔"による存在の成り代わりと【月喰の影】の行動が一致するようになったのは間違いないと火遠は言う。何にしろ、曲月嘉乃らの意思に従っているのは間違いないと。
「だがいくら"影の魔"が超越的な存在だからといえど、いきなり世界中の全てに成り替わるだけの力は無かったんだろう。出来るんだったら、いくら嫌がらせが得意な嘉乃あいつとはいえ態々わざわざ人間という種を延命させるように手間をかけて作戦展開する理由がない。……だからあいつらは慈悲からでなく、時間をかけて確実に人類を滅ぼす方法を選んだんだ。人間社会に敢えて溶け込み、多角的にじわじわと蝕む方法を」
 そこまでの要点を黒板に書き殴り、火遠はふと教壇の横に目を向けた。そこには調理室の一件以来未だ目を覚ます様子のない水祢が、横板に背を預ける形でもたれ掛かっている。
 そんな弟の姿を確認する用にしてから皆に目を戻し、火遠は再び言葉を紡ぐ。
「オカルト的には、呪術の流布と呪物の流通。『おまじない』と称して世界各地のキナ臭い呪法を君たちくらいの多感な年頃の子供たちに吹き込み、曰く付きの品を加工したものを御守りの名で流通させた。夏の頃に剣道部の子が引っかかったのがこれだね。……他にも呪術の代行なんて業の深い事もしていたようだけれど、そういった事は活動の場を負われた野良の妖怪や、都会の物珍しさに惹かれてやって来た田舎者の妖怪なんかに積極的に声をかけてやらせていたらしい。まあ末端も末端の構成員だね。雲外鏡の魅玄や……そしてかつての水祢のように」
「水祢くんが……?」
 水祢。その名前に眞虚は反射的に身を乗り出し、だがすぐ考え込むように口を結んだ。

 ――裏切者の水月スイゲツね~。知ってるわよ。

 脳裏に浮かぶのは、先の襲撃で会った【月】の幹部・葵月蘰の言葉。ねっとりと絡みつくような嫌な声まで思い浮かべ、眞虚の表情には微かに不快の色が混じる。
「じゃあ、裏切者って……」
「もう、どこかで聞いてしまったみたいだね」
 眞虚の様子にふうと小さく息を吐く火遠は、すぐ横の壁に背を預けたままに己を見る杏虎の鋭い視線にも気づいていた。そして何より、魔鬼や深世らのいぶかし気な表情にも。
 遊嬉や異は特に驚いた風でもなく、しかしその表情は「言うなら早くしな」と訴えかけている。一年部員の大半はキョトンとしていて、しかしそれぞれに少なからず興味の色が伺えた。
 そんな彼女らの視線を受けて、火遠は再び言葉を続ける。
「ほんの一時期の事だよ。昔こいつと言い争いになって【灯火】から離れていた時期にバイトってていで引っ掛けられたらしい。琴月って女にね。もう十六年くらい昔になる。……だが今の水祢はもう奴らには協力していないよ。幾らか他人嫌いの気はあるけども、敵じゃあない」
 言って再び水祢に目を遣る火遠に、美術部たちは、特に眞虚はほっと胸を撫で下ろす。そんな中杏虎は何か引っかかったように眉を顰め、鋭い眼光を火遠に向けた。
「……まって。十六年? 異の話じゃ、琴月って女が異のお婆ちゃんの存在を食ったのはここ十年くらいの話の筈だけど?」
 そんな彼女の言葉を受けて、周囲も「確かに」と怪訝な表情を浮かべる。もっともな反応だった。
「流石に気付くか。……まあ、疑問に思うのも無理はないね」
 火遠はうんうんと頷き、既に"影の魔"の解説だけでいっぱいになりつつある黒板に背を預けながら話し出した。
「あの女だけは特別な存在だ。三十年前、俺たち【灯火】が始めて観測した【月喰の影】に従う影。"影の魔"による置換存在である事を自覚し、定期的に霊力のある女性に取り憑いてはその姿と能力を奪っている。完全な異質体イレギュラーなんだよ。あいつだけは」
「……異質体イレギュラー。どうして琴月だけが?」
「働きバチだよ」
 言葉を反芻しつつ問う魔鬼に、火遠は即でそう答える。益々意味が解らない魔鬼が顔をしかめる中、深世は分かったとばかりに手を叩き、叫ぶようにこう言った。
「そうか……! 蜂が女王に特別な栄養を与えて繁殖するように、その"影の魔"が人間に成り変わるのにも幾らかの特殊な力が必要……それでその養分を与える存在が必要だったんだ……!」
「そう言う事だよ。生前の異の祖母……サトとは面識があった。彼女も異程じゃあないれど、幾らかの霊的な力の持ち主だった。琴月はそれを狙ったんだろう。或いは幾らか時期がずれていれば、その対象は異だったかも知れないけれどね」
「…………」
 確かめるように火遠が視線を向けた先で、異は静かに頷いた。無言で目線と目線を交わし合った後、火遠はチョークの先でカツンと黒板を叩いた。
「まあ、奴らのオカルト的戦術や琴月という幹部について、そして水祢がほんの一瞬だけ【あちら】側に居たとかいう話は一旦ここまで。……本当に重要で後悔するかもしれないのはここからの話だ」
 はっきりとそう言いながら黒板消しを掴み、火遠はそこに書き連ねられた文字列の半分ほどを乱暴に消した。そして新たな言葉をカツカツと書き出しながら、皆を振り返る事なく語り始める。
「第二の戦術。物理的で資本主義的な戦術。あからさまな呪詛絡みに乗ってこないオカルト否定論者も、信心深き者も、カルト信奉者も。疑う事無く受け入れてしまうものが一つくらいはある。衣類。食料。住居。医薬品。各種サービス。全てではなくても、どれか一つくらいは。……その隙間に入り込む為に、奴らは起こしたんだ。様々な分野でモノ・・を提供する事業を。普段目にするもの口にするもの耳にするもの。それらに潜伏的な呪術を織り込んで世に蔓延させる企業を。……近年は特に医療福祉分野で海外進出を果たしているその名前を、君たちも一回くらいは意識した事があるんじゃあないかな?」
 カツン、と。最後の文字の最後の一画を力強く払い、火遠は美術部を振り返り……そして言った。

「『ツクヨミグループホールディングス』。それが現世当代における奴らの表向きの名前だよ」

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