怪事廻話
第二環・環状返済リスタート①

 ――どこかの場所、どこかの時間。【月喰の影】新拠点にて。
「そうかい。乙瓜は奴らのところに戻って来たんだね。……僕としては、あのまま離れてくれれば都合がよかったんだけれど」
 まあいいか。そう小さく呟きながら、未だ揺るがぬ余裕を口許くちもとに残して。部下の報告を聞き終えた彼――曲月まがつき嘉乃よみのは、その身の丈に余る黒革の回転椅子をくるりと回した。外から内へと。背を向けたままの部下に顔を向けるように。
「ご苦労だったね桂月けいげつの。もう下がっていいよ」
「はっ」
 きびきびと礼をし、桂月と呼ばれた小柄な部下は退室する。嘉乃はそれを見届けると再び椅子をくるりと回し、そちら側にいつの間にか現れている彼女・・へと向き直った。
「どうしましょうかお父様・・・。困りましたわね」
 彼女――琴月亜璃紗は言葉と裏腹に面白そうにクスクスと笑うと、その口許を着物の袖で覆い隠す。嘉乃はそんなを見上げながら足を組み直すと、肘掛けに乗せた手で頬杖を突きながら「大した事はないさ」と吐く。
「繋がりはこちらから断ってやったから、奴らは乙瓜を介して望むような情報を得ることは出来ない。どうせあと少しの人生だ・・・・・・・・・・・、引き続き仲間ごっこを続けるなり手駒に加えるなり好きに使えばいいさ」
「まあ。お優しいこと・・・・・・
 亜璃紗はニイと目を細め、嘉乃の椅子に寄り添った。細い手で小さな父の体を包むようにし、それから思い出したようにポツリと言う。
「ところで……お耳に入れておきたい情報が――」
 と、途中まで言いかけたその口を、嘉乃の手が静止する。
「わかっているさ」
 意表を突かれキョトンとする亜璃紗に目を遣り、嘉乃はもう一度同じ言葉を繰り返す。わかっているさ、と。
「わかった上で統括幹部たちにも伝えてある。の事はしばらく見逃してやれとね。……どうせ火遠の奴が行動不能な現状、あいつに出来る事は何もない」
「……あら。いいんですの? 確かに彼は・・何も出来ない、からこそ・・・・危険と成り得るのでしょうに」
「いいのさ。始末のタイミングは僕が決める」
 言って亜璃紗の顔に手を添わせた嘉乃の顔は、もう笑ってはいなかった。



 神域の奥深くから帰り着いた乙瓜を待っていたのは、あちこちからの喜びとお叱りの言葉。
「もう二度と自分がいらないだなんて言わないで! あなたはあなたしかいないんだから……!」
 あの夜、あの後。離さないようにきつくきつく抱きしめながら号泣する七瓜に感化され、乙瓜もまたえぐえぐと泣いた。あの殺風景な白い空間ですら泣かなかったというのに、色に溢れた空間と見覚えのある顔を前に、戻って来たという事を一挙に意識した為か。土砂降りのように乙瓜は泣いたのだった。
 そこまで見届けた魔鬼は素直に「よかった」と思った。いや、十分を過ぎた辺りで「いつまでやってんだ」と怒り出しはしたが、彼女もまた乙瓜の居ない空白の日々からかつての日常へと帰って来れた事を実感し、心の底からホッとしていたのだ。全てを陰ながら支え続けた八尾異も、きっと同じ気持ちだったに違いない。
 翌日になって改めて顔を合わせる事になった美術部各員や学校妖怪たちも呆れながらも帰還を歓迎し、間もなく正式に書類の上からも古霊北中から居なくなる先輩部員たちもまた一安心となったのである。
 ――と、そんな諸々の余韻に浸る間もなく。乙瓜が戻って来た翌日の午後、春休み日程の中で本来の・・・活動を続けている美術部の時間もそろそろ引き上げという頃。顧問の代わりに唐突に現れた丁丙は、乙瓜と魔鬼、そして間もなく最高学年へと繰り上げとなる美術部二年全員を屋上へと呼び出したのである。

「手短に要点だけまとめるとな。とりあえずお前さんたちは全員『合格』って事だな」

 丙は全員が屋上に揃ったのを確認するなり、前置きも何もなくそう告げた。
「なんのこっちゃ」
 どことなくドヤ顔の丙を前にして、コンマ秒の後に乙瓜が言う。魔鬼もそれに続く。「なにがどうして要点になった?」と。
 丙はさも意外そうに目をパチパチと開閉した後、「ええー」とでも言いたげなうんざりとした表情を浮かべながら明け透けにこう続けた。
「説明すんのめんどくさっ!」
「いやそこは説明しろよ? 唐突過ぎてわかんねえよ!」
 乙瓜が叫ぶ。そのまま若干いら立ち気味に丙に詰め寄るその肩を、「まあまあ」と抑えたのは杏虎だった。
「実は昨日乙瓜らが居ない内にちょっと色々あってさ。丙的には多分それで全部説明した気になってんだわ。でもまあ合格ってのは――」
「合格ってのはスキー合宿の時のあれのことー!」
 杏虎の言葉を途中から掻っ攫い、そう続けたのは遊嬉だった。
 まるで話が進まないのに耐えかねたように、爆発するようにそう言い放った彼女は、どこか満足気な顔のままで更にこう続ける。
「あの時不合格って言われた奴も、なんも言われてない奴も! 乙瓜ちゃんの復帰を以て、全員合格になりました! そゆことだよね丙師匠っ!?」
「ん。そゆことそゆこと」
 丙はニヒヒと笑い、コンクリートの地面をタン・タンと蹴ってバックステップを刻むと、やがて行き当たる転落防止の鉄柵に「よっ」と寄り掛かった。それは特に意味のない動作だったが、再び彼女に注目を促すという点においては十分すぎる程の効果を発揮した。
 そうして美術部六人の視線を再び一身に受けながら、丙は語りだすのだった。
「あの本部での面談・・で、あちきはだいたい全員に『不合格』を言い渡した」
「「!?」」
 だいたい全員に『不合格』を言い渡した。――その衝撃的な発言に、乙瓜と魔鬼は揃って目をいた。一方で他の四人は昨夜の時点で既に知っているのか、特に大きな反応を示す事無く「ひどいよねー」などと言っている。主に遊嬉が。
「門のとこで半分合格半分不合格とか言ってたのは!?」
 焦ったように乙瓜が叫ぶ。でないとずっと悩んでいたのが馬鹿みたいだと言わんばかりに。魔鬼も魔鬼で顔を真っ赤にしながら身を乗り出す。彼女も少なからず気にしていたのだ。
 そう。丙は未参加の歩深世を除く全員に覚悟を問い、そして例外なく「不合格だな」と告げていた。
「嫌がらせかよ! ていうか圧迫面接じゃんか!」
「別に嫌がらせでもないし圧迫もしてないぞ? ただまあ、そこで怪事全般から手を引くようならそれはそれで幸せかもなとは思いはしたけれど、直後の銀華・・との遣り取りで大丈夫かなと」
 叫ぶ魔鬼にさらりと返す丙。どうやら銀華――あの日現れた雪女と旅館での怪事も込みである種の試験だったようである。
 そんな事実を軽率に暴露した丙は魔鬼が「やっぱり圧迫じゃんか!」と追撃するを無視し、くるりと乙瓜を振り返った。
「あ、お前さんとの面談だけは違ったな。正直あの時点でどこまで【月喰】に繋がってるかわからなかったから、……けれども上手く行けば"影の魔"本体・・の意識と接触できるかと思ってだな。ちょいと試させて貰ったぞ」
「んあ? つまり俺使って実験したってことか!?」
「まあそんな感じだ」
 丙は悪びれもせずにそう答え、乙瓜から自然に目を逸らす形で魔鬼を見る。
「黒梅魔鬼。闇の魔女に魅入られた者」
 そして告げた言葉に魔鬼が反応する前に、丙は遊嬉、杏虎、眞虚、乙瓜へと視線を移し、同じように告げて行く。
「戮飢遊嬉。蛇腹に巻かれて因縁の赤を宿す者。白薙杏虎。見通しの虎の最期を看取った者。小鳥眞虚。白翼に宿られ宿り返した者。烏貝乙瓜。影より生まれ今まさに人となろうとする者。そして――」
 丙は最後に深世を見据え、金色の瞳をきらりと輝かせてから彼女に告げる。
「歩深世。何者にも魂を絡み取られぬ者。戦う力を持たぬ者。恐ろしきを恐ろしきと認識し避けるべきを避けるべきと判断し、――それでも戦う意思を持つ者」
「えっ……?」
 驚きの声を漏らし乙瓜が振り返った先で、深世は眉を寄せてコクリと頷いた。既に何かを決意したような面持ちのまま、彼女は言う。
「何驚いてんだ、それともこの先あんたらを見捨てて私だけ逃げろっていうのか?」
「逃げてたじゃん?」
 過去の言動を蒸し返す遊嬉に無言の肘鉄を一発、「ともかく」と深世は続ける。
「確かに私は現状なんもできないよ、できないけれど。それでもこの頭で考える事は出来る。放っておくと思い詰めがちなあんたらを、どうにかして軌道修正することくらはしてやる。……腐っても部長は私だからね」
 言い終えふぅと息を吐く深世に対し、眞虚が自然と「かあっこいい」と呟く。続くように杏虎がぱちぱちと若干やる気なく手を叩く。
「やーやー流石に部長様ですね! わかってきたね! ついに活動に理解を示された! 嬉しいなあ嬉しいなあこのぉ!」
「いや理解とかじゃねーしむしろ譲歩した上での慈悲だっつの」
 芝居がかった調子で肩を組もうとする遊嬉の手を払いのけ、深世はフンと鼻を鳴らして魔鬼らを見た。
「勘違いしないでよね。別にあんたちの為じゃないんだからね。……私が今後不安なく生きて行けるように、あんたらをまとめてやろうって言ってるだけだかんね」
「はいはい。ツンデレね」
「テンプレみたいな発言おつおつ」
 魔鬼と乙瓜はそれぞれに答えて微笑む中、花の季節を運ぶ風がさわりと屋上を吹き抜ける。
 その風に思い出したように、丙は先の言葉の続きを紡ぐ。
「――まあともあれそんなわけで、お前さんたちを全員『合格』とする。古霊北中並びに古霊大霊道守護の要として、【灯火】の一時的メンバーとして登録する」
「うん? あれ? とっくに協力者じゃなかったんだ?」
 ふと気づいたように杏虎が言う。他の五人も続いて不思議に思ったような顔で丙を見る。少なくとも彼女らの意識の中では、あの九月に火遠に同意した時から既に【灯火】に協力しているつもりだったのだ。
 丙は恐らく、そんな質問が出ることくらいは看破していたのだろう、「いやいや」と寄り掛かっていた鉄柵から背を離し、左手を腰に当てながらこう答えた。
「協力者という意味なら言う通りとっくの昔だ。それだけなら花子さんらもそうだしな。けれどメンバーとそれ以外だとちと待遇が違ってなー? 具体的に言うとメンバー扱いだと霊的呪術的魔術的オカルト的防御力が若干上がる。あと全国の『灯火スポット』にアクセスできるようになってついでに各種護符の類が無料」
「なんだその怪しい通販みたいな特典……。ていうかなんだ『灯火スポット』って!? いつの間にそんなの出来た!?」
「いや、まだお前さんらには関係ない専用異世界みたいなもんだから気にすんな。……あ! あと『灯火スポット』からだとケータイで霊界の電波拾えるし若干楽しい」
「ますます怪しい!」
「なにそれ超怖い!!」
 疑いの目を向ける乙瓜と叫ぶ深世。一方で「なにそれめっちゃたのしそーじゃん!」と盛り上がる遊嬉。なんと反応していいのかわからない魔鬼と眞虚。初めに質問した杏虎は「まあそういうもんか」といった表情を浮かべ、それを言葉に出す事なくふうと溜息を吐き、それから改めて問う。
「とりあえず怪しいとこは置いといて、メンバー扱いの方があたしらに若干得って事でおーけー?」
 と、言葉を投げかけられた丙はくるりと振り向き「ああオーケーだ」と、人差し指と親指で丸を作った。

「まあとにかくこれから【月喰】どもとの決着が付くまでよろしくってことだな!」

 ニヒヒと丙は笑い、「やっぱなし―!!!」と深世が叫び、呆れや和みに皆が笑う。……そんな中、烏貝乙瓜の心の片隅には未だ引っかかっているものがあった。
 彼女がそもそも姿を隠す原因となった、心に突き刺さったままのとげ。あの日乙瓜と七瓜の為に身を奉げた草萼火遠の目は未だ閉じられたまま、未だ目覚める気配すらない。
(俺はやっと戻ってこられた。……だけど火遠、お前は――)
 思い見上げる空は青く、かげりない。
 ゾッとするくらい澄み渡るその空の下に居ない彼の為、これから一つの決断を迫られることを――乙瓜は、未だ知らない。

HOME