怪事廻話
第一環・再廻再演プロローグ⑤

 生徒会室の中には丙の他に裏生徒会・・・・のいつもの面々、そして更に美術部の姿。
「早いとこ始めましょー。いくらなんでもだんだん眠くなって……ふあーぁ」
 と、何度目かの欠伸あくびをしながら眠そうにする遊嬉と、その横で立ったまま船をこぎ・・・・始めている深世。杏虎と眞虚だけが特に眠そうな様子も見せず、これから始まろうとしている事に注目を傾けている。
 半数は眠そうとはいえ、彼女らが今この場に居るのは他ならぬ当人たちが望んだ事である。……夜間に家を抜け出す事についてだけは、丙らの裏工作・・・があったが。
 丙はむにゃむにゃとしながらも己の行動を急かす遊嬉をチラリと見遣ってコクリと頷き、それから両の腕を勢いよく前面に突き出した。
 動作とほぼ同時に橙の光が丙の左右に展開し、複数枚の護符の形となって腕に沿うように整列する。
「術式再起動。術式再構成」
 事務的に唱える言葉に沿い、光の護符の配列が組み変わる。
「九年一一型を試製一四型へ更新。生成パターンを二式から三式へ切り替え」
 幾つかの護符光が消滅し、新たな光が護符を形作る。先の混乱下で作られた術式をより強固なものにする為に、細部に幾つかの修正が入る。ともすれば神秘オカルト的というよりは機械的にも見えるこの作業こそが【灯火】流の術式構成であり、れっきとした『術』であった。
 世界各地に伝わる神秘術や魔術・儀式・まじないのたぐいを蒐集して分類し、まず己にとって使いやすい型に変換したのが丁丙だ。その成果物はやがてコンピュータープログラムにも似た形式を取ることとなり、現在では【灯火】の構成員に広く共有されるまでになる。だがプログラムようの形式を取った事により、小さなミスが致命的なものとなりかねない弱点もはらむこととなった。
 防御術式の解除から再起動までに三週間以上の期間が空いてしまったのは、急ごしらえのを検証する作業にそれ程の時間がかかってしまったからだ。けれどもこの非常時下で楽天的すぎる程の時間を検証に費やす事ができたのには、もう一つの要因がある。
月喰の影】の雲隠れである。

 あの三月三日の一件の裏で、丙は脅迫状に残留した妖気を逆探知し、【月喰】の――曲月嘉乃の居場所を探し当てる事に成功した。……否、厳密には候補地は一箇所に絞り切れなかったのだが、縁結びの眷属である玉織と悪魔エーンリッヒの力を借りて、漸くその場所を見つける事ができたのだった。
 丙は完全に油断し切っているであろう嘉乃に奇襲をかけ、その場で制圧するつもりだった。事実、嘉乃も乗り込まれる瞬間までは丙らに気づかなかった。……しかし。
 制圧作戦は失敗に終わった。それは意外な事でも何でもなく、丙らも自分たちが迂闊うかつであった故になるべくしてそうなった失敗であったと後に反省している。
 曲月嘉乃の潜伏するその場所には、異様に人員が少なかったのだ。出会うのは全て下っ端の構成員ばかりで、幹部らしき姿はない。総裁大ボスも居る本拠地としてはいささか貧弱すぎる布陣。それを妙だと疑うべきだったのだ。
 いざ大将戦と乗り込んだ丙らを待ち受けていたのは曲月嘉乃の最後にして最強の護衛、仮面を被った二人組の男。火遠との最後の通話で伝えた『忍者みたいな奴』がそれである。
 彼らの働きにより、嘉乃は一つの傷を負う事もなくその場から離脱した。
 そう、してやられたのだ。嘉乃はあの一件で乙瓜を操り北中を攻撃すると同時に、偽の拠点に丙らをおびき出す囮を演じていた。恐らくは【灯火】側の戦力を二分するために。……見事やり遂げほくそ笑んでいるだろう嘉乃の所在は、また新たな拠点にあるのだろう。以来再び尻尾を隠したまま、今現在に至るまで覗かせる気配すらない。
 丙は【灯火】代表としてそれを悔しく思うと同時、しかし一方で好機と見た。
 何か算段があるのか、【月喰】はすぐさま大霊道奪取に取り掛かろうとしない。望み通り防御術式が崩れ、更には厄介者である火遠も倒れた今ともなれば絶好の機会であろうに、だ。
 そこで丙は考えたのだ。【月喰】がなかなか計画を実行に移さないのは、火遠が言うところの「嫌がらせ」の他にも理由があるのではないのだろうかと。過去の事変――十一年前・・・・と現在とで違っているものは何か、と。……そして気づく。
 奴らが窺っているのは、恐らく――。

「――術式再構成完了。術式実行」
 光の護符群の組み換えが終わり、防御術式は再起動する。裏生徒が見守る中、美術部四人が見守る中、橙に輝く護符たちは壁に天井に突き刺さり、飲み込まれるように消えてゆく。
 丙はふうと息を吐き、上げっぱなしの腕の指先を組み合わせて「んー」と伸びをした。
「終わったなぁー。あっちの方も終わってるといいなぁ」
 真剣に凝った場の空気を柔らかくするように言って、丙はあまり意味をなしていない遮光カーテンを指先で僅かにめくった。
 その眼が見つめる先の方角には、夜都尾稲荷神社がある。北中の敷地からははっきりとそれと分かる訳ではないその場所を見つめた丙に、眠い目を擦る深世が問う。
「あいつらなんとかなったかな?」
「さあてな。あちきだってそこまでは知らんよ。だが、まあ――」
 多分どうにかはなったんじゃないか? そう続けてカーテンを下ろし、丙は生徒会室を向き直った。
「あまり悪い気配はしないから、魔鬼と八尾巫女はきっと上手く行ったんだろう。勘だけどな」
「……その勘どこまで信じていい?」
「それはお前さんのあちきへの信用度に依存するなァ」
 疑わしそうな深世にケケケと笑って、丙は手近なパイプ椅子にどっかりと腰を下ろした。
「さあてと。こっちはこっちで北中の守りを再び固めたところで丁度人数もいい感じに揃ってるからプチ会議でもするかぁ」
「会議もするんでござるか?」
「ええー? まぁた会議かよー……」
 たろさんが身を乗り出す傍らで闇子さんが嫌そうな顔をする。
「今日は立ち合いだけにするんじゃなかったのかしら?」
 花子さんが問う中で丙は「そのつもりだったんだけどなー」と続け、チラリと美術部らに目を向けた。
「丁度いい機会だしな、一月の件・・・・についてちょっとだけ改めておくかなぁと。あの時居なかった子も居るし、合否の覆りそうな子も居るし……」
 と、そのタイミングで目の合った眞虚と深世を見て、丙はニヒヒと笑った。



「おやおや黒梅さん、よくぞ御無事で」
 星月夜の夜空を隠すように、狐耳の男がニヤリと笑う。
 夜都尾稲荷神社本殿前。弾け跳ぶ勢いで現世に戻り、更には勢い余って玉砂利の上に転がる魔鬼を出迎えたのは、神代理狐のそんな態度だった。
「た……ただいま……」
 もはや戻ってくるだけで全ての気力を使い果たしたとばかりに魔鬼が声を振り絞った頃には、狐男の興味はほこりを払いながらゆっくりと立ち上がる彼らの巫女へと移っており、雑にしか心配されない虚しさに「なんだかなあ」と魔鬼は思った。思ったところで、ふと横に視線を移す。
 戻りも離れなようにつなぎ続けた手と手の繋がる先。そこには己と同じく仰向けになって玉砂利の上に伸びている乙瓜の姿があった。戻りの時に点けて来た妙な翼は既に消え失せており、すっかり見覚えのある姿でぼんやりと夜空を見上げる彼女の周囲には、狐の耳と尻尾をもった小さな子供のようなものが「何だなんだ」とばかりに群がっている。悪いものではなさそうなので、多分神社の何かだろうと魔鬼は解釈した。
「乙瓜ー。いきてるー?」
「……なんとかー」
 すっかり覇気のない魔鬼の問いかけに、乙瓜もまた同じテンションで答える。続けて「なんか周りでモフモフされてる」とも。
 魔鬼はその間抜けな返答に「はは」と笑い、「はー」と風船がしぼむような息を吐いて再び空を見た。
 暦の上ではすっかり春だが、月を欠いた空の中には未だ冬の大三角形が大きく居座る。"三角"の一点を肩に掛ける冬の狩人も勿論健在で、雄牛の中の七姉妹を未だ追い続けている。その大きな輝きを瞳に映しながら、魔鬼は言う。
「多分、そろそろ七瓜が迎えに来る」
「…………うん」
 切れ悪く乙瓜は答える。既に彼女の周囲からは狐耳の子供は居なくなっている。乙瓜もまた星を見ている。
 魔鬼は返事の隙間にゆっくりと息を吸って、吐いて。それから再び言葉を紡いだ。
「……次にまた逃げたくなったらさ。別に理由とか置いていかなくていいから、どこに行くかも言わなくていいから。…………せめて私に何か言って」
「魔鬼、」
 乙瓜はハッと魔鬼を見た。魔鬼の視線はまだ星空に在り、白い息だけが乙瓜の方にふわりと流れた。
 その息が夜闇に溶けるのを見届けて、乙瓜は答えた。「うん」と。先程と同じ答えを。
 彼女らの静かな応答と、異らと狐たちの立てる声を除けば、夜都尾稲荷神社の境内は殆ど無音であった。その無音を切り裂いて、誰かのはやる足音が――恐らくは七瓜の足音が本殿に近付いてくる。

 そこに在るのは一つの節目と、新たな始まり。
 彼女らにとっても、そして闇の中に雲隠れしたままの彼らにとっても。

 この世界のいずこかで、金色の月の輝きをその瞳にを宿す少年はニヤリと笑う。
 さあ、自分たちを探し当ててみせろ。自分たちの最後の計画に気づいて見せろ。――それが出来るのならば。

 この世界のいずこかで、血と薔薇バラ色のよどみをその瞳に宿す黒い女はニヤリと笑う。
 信用できない隣人として、信頼できない人類の守護者として。【灯火】の動きと【月】の最後の出方を窺いながら。

 そしてこの世界のいずこかで。炎の輝きをその身から奪われた彼を目指し、一人の少年が行く。
 最終電車の時刻をとうに超えた真夜中に、人外の者たちの乗り合わせる電車に乗って。
「……いよいよ約束・・の時が来た。滅びるのは火遠の兄さんか、それとも――……。それを賭けた、いよいよ最後の局面が。そんな局面で、この僕も何かを成せるというのなら。……是非とも行かせて貰いましょう。兄さんたちの最後の戦いのお供に。全てを見届ける為に」
 そう呟いて分厚い本を綴じ、彼はすっかり無人の駅に降り立った。辺りは漆黒の闇、星明かりだけが頼り。
 そんな心許ない闇の中。その小さな身を守らせるように、日をす者を引き連れながら。

 廻り出す、廻り出す。
 彼方此方に何かを予兆させる夜の中、遠く夜空に一筋の光がキラリと流れ落ちた――。



(第一環・再廻再演プロローグ・完)

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