怪事廻話
第一環・再廻再演プロローグ④

 自分が信じられなかった。
 あの日七瓜が、火遠が、美術部が、学校妖怪たちが信じた自分が信じられなかった。
 烏貝乙瓜という自分が信じられなかった。故に彼女は逃げ出した。

 神域の彼方のどことも知らぬ空間で、乙瓜は思う。いっそあのまま消えてしまえたらよかったのにと。せめてこのまま消えてしまえたらいいのにと。
 誰がゆるそうと、赦されようと。誰に操られていようと、操られていまいと。自分が七瓜の居場所を奪い、家族を奪い、存在そのものの座を奪い去った事実と、その過去から来る罪の意識は消えない。
 北中を襲撃し、火遠と戦い、七瓜と戦い――とどめを刺し。そんな自分などの為に、火遠は己を犠牲にした。
 例えそれが誰かに仕組まれた事だろうが、乙瓜は思う。全て自分の所為なのだ。

 そもそもとして、自分さえいなければ。

 火遠はあの晩左目を失うことはなかったのではないか。
 大霊道が復活し、【月喰の影】が北中への作戦行動を再開する事はなかったのではないか。
 美術部の皆も怪事が当たり前の世界とは無縁な、平和な日常の中に暮らして行けたのではないか。
 学校が傷つけられることも、殆ど無縁の生徒が脅かされることも。……なかったのではないか。

 後ろ向きの仮定イフとループする思考。一人で巡らすほどにマイナスへと落ち込んでいく感情。
 誰もを拒んだ異界の底で、乙瓜は絶望へと落ち込んでいた。
 ――そこへ。

「何うつむいてんだ! 帰るぞ!」

 誰かが叫ぶ。聞き覚えのある声が叫ぶ。けれどもその誰かの名前がすぐには思い出せず、乙瓜はゆっくりと顔を上げる。異界を染める一面の白が、闇ばかりを見つめていた彼女の眼球に眩しく突き刺さった。
 その激しい刺激に目を閉じかけ、それでも見つめた場所には、鮮烈な白の中で影のように映し出される少女の姿。
 くっきりとした黒の輪郭の中に薄っすらと見えるその顔を見て、乙瓜はぼんやりと言う。
「…………魔鬼」
 彼女の名を。友人の名を。もう会う事もないと思ったその名を口にしてから、ハッとしたように乙瓜は言う。
「お前っ……どうやってこんな場所まで!?」
「どうやって? 馬鹿言うな! 友達に会いに行くのにどうやるもこうやるもないだろ、来たいから来たんだよ!」
 魔鬼は怒ったようにそう言った。事実怒っていた。
「なんで! 折角また戻って来れたのに、どうしてまた居なくなっちゃうんだよ!」
 突如として再び姿を消した友人に。そんな魔鬼の理由は、当然乙瓜にも伝わっていた。……わかっていた。予想されていた。
 だから乙瓜も、半ばやけくそになりながら己の気持ちを言う。
「どうせ俺なんてはじめから居なかった! 捜しに来る必要なんてなかった! 居ないなら居ないで平和だった! 七瓜が居る、それでよかった!」
「よくねえよッ!!」
 間髪入れず魔鬼が叫び、パンと乾いた音が白の世界に響く。
 平手打ち。じゃれ合いではなく本気の平手打ちが、乙瓜の頬を打ったのだ。
 予想の穴を突かれてキョトンとする乙瓜の胸倉を掴み、魔鬼は怒涛の如く言葉をぶつける。
「『はじめから居なかった』!? 『七瓜が居る』!? だからいい!!? ふざけんなッ! ……それでいい筈があるかよ!? お前は誰だッ! 烏貝乙瓜だろ!? 七瓜はお前の代わりじゃない、お前も七瓜の代わりじゃない! 例え正体が化け物だろうがなんだろうが、私の友達だった【烏貝乙瓜】はお前だけなんだよふざけんな!」
 まるで不良か野良猫の喧嘩のように、互いの鼻先がぶつかるほどの距離まで顔を寄せ魔鬼は叫ぶ。怒りに吊り上げた目と、驚きしかめた目が覗き合う。
 そのせめぎあいの中に、乙瓜は魔鬼の瞳の奥に決して譲らない意思の塊のようなものを見たような気がした。現世とは異なる異界の果てで例え八つ裂きになろうとも、目的を達成するまでは何があっても退かないという鉄の決意を。
「……っ、それでもッ! 俺は見てのとおりの・・・・・・・化け物だぞ! それでもいいのか!? またお前らを傷つけるかも知れないんだぞ……!」
 乙瓜はもう己の言葉にがないことが分かっていた。分かっていたが、最後の抵抗のように空いた両腕でその身を示し、身を揺らす。
 上半身だけの原型を残し、異界の果てにて小山のように盛り上がった乙瓜の身体は、長さ大きさの定まらないいぼ触手のようなものを不規則に生やしながら、軽い地震のようにぐらぐらと震えた。
 けれども魔鬼はそんな乙瓜の姿になど興味を示さず、激情を越して冷めたような声で乙瓜に告げる。
「傷つけられるのが怖くて人付き合いなんて出来るかよ。悲劇ぶるなら一人でしてろ。……だけど私はお前を連れて帰るからな。引き摺ってでも」
 ふうと呆れたような息を吐いて乙瓜の胸倉から手を放し、魔鬼は制服の内ポケットの中を漁った。そして取り出すのは、幸福ヶ森幸呼に預けられた一枚の封筒。
「読め」
 ぶっきらぼうに胸に突き付けられた封筒を、乙瓜は恐る恐る手にする。シール一枚の簡単な封を解き、三枚重ねの白い便箋をゆっくりと取り出して広げ。
 そうして広げた手紙には、果たして次のような内容が書かれていた。

『乙瓜へ。

 最初にあやまっとく。ごめん。
 いろんなことがありすぎて、正直わたしにはなにがなんだかわからないことばかりだけれど、七瓜にききました。
 なんだか頭の中がいっぱいいっぱいで、他にも書きたいことはあるけど、うまく言葉にならないから、これだけは書かせて。
 たとえあなたが何者であっても わたしは乙瓜は七瓜の妹でいいと思う。

 だから今更いなくなるのは反則だとおもう。

 乙瓜が自分でどう思ってるかはしらないけど、七瓜にとっては乙瓜は妹で、美術部のみんなにとっても友達で仲間で、あのカノンって人にとっても、大事だから助けたんでしょ?
 だから逃げないでよ。帰って来てよ。いてもいいんだよ。』

『って、あんまりいいことばっかり書くと思ってもないこと書いてるんじゃないかって思うだろうから、ちょっとマイナスなことも書きます。
 はっきりいって、乙瓜がいなくなっても気付かない人はいくらでもいると思う。だって乙瓜クラスのみんなとあんまりしゃべらないんだもん。ほとんどずっとムスッとしてるのもよくないとおもいます。
 とっくに見放したようなわたしが言うのもどうかとおもうけど、もっと友達つくったほういいよ。あともうちょっと笑いな。

 …だけどそれでも乙瓜のことを大事にしてくれる人を、乙瓜はもっと大事にするべきだとおもいます。えらそうにごめんね。
 でもやまとくんとか会長とか、わりと心配してます。まきちゃんもみよさんもずっと待ってたし、クラスちがうけど杏虎ちゃんたちもきっとそう。
 七瓜もきっとずっと待ってる。はやく帰りなよ。乙瓜は、

 そろそろ自分でもなに書いてるかわからなくなってきたので、まきちゃんがこの手紙を無事に届けてくれることを信じてそろそろおわりにします。でも三枚目まで絶対に読んで。』

ばかやろう!!!!!  さち』

 ――ばかやろう。手紙の三枚目には、何度も重ねて書いたような字で大きくそう書かれていた。
 乙瓜がハッとするとほぼ同時、魔鬼が言う。
「まだ帰りたくないって言う? ずっとここで一人で居るって言う?」
 問いかけに顔を上げる乙瓜の視線の先には、己から一歩離れ、代わりに己に向けて手を伸ばす魔鬼のシルエットが映った。
「何が書いてあったかなんて私は知らない。でもその手紙を託された時にこう頼まれたから、私は言っとく。ばーか・・・。……ちょっと前の美術部私らにも言える事だけど、駄目な方に考えすぎだよ」
 言ってふうと溜息を吐く魔鬼を見上げ、一瞬ぽかんとしてから乙瓜は言う。
「俺、戻っていいのかな……?」
「それは私が考える事じゃない。乙瓜が考えな。……だが例え駄目だと思おうが、私はお前を連れてくぞ」
「…………。なんか音楽でそんな歌あったな。"魔王"か」
「そんなだったか? まあそんな事よりどうするよ。乙瓜から手を取るか、私からその手掴んで引き摺ってくか。二択だぞ選べ」
「どの道俺に逃げ道ねえじゃないか」
 そこで初めて、乙瓜はクスリと笑った。両手に持ったままの手紙を封筒に片付け、魔鬼に向かって右腕を伸ばす。
「戻った先はあの日の続きだ。火遠はいないし【月】はまたいつ攻めて来るかもわからんぞ。……それでもいいんだな?」
 最後の確認とばかりに魔鬼は問う。
「わからん。またどこかで逃げたくなるかもしれん。……けど今は戻るよ。謝らなきゃならない奴と、やらなきゃならない事がまだ残ってる。それを思い出したから」
 苦笑いと共に返した乙瓜に、魔鬼はフッと笑った。
 指先から触れ合い、互いに手を掴みあったのと同時、得体の知れない不気味な小山と化していた乙瓜の下半身がぼろぼろと崩れ、代わりに二本の足と制服のスカートが現れた。そこから歩き出す意思の再現のように。
 が崩れた事でバランスが崩れ、魔鬼と乙瓜の身体は異界の白い宙から薄灰の地面へと落下を始める。叩きつけるような速度でなく、まるで水面を進むように緩やかにだ。

 そんな二人に向けて誰かが叫ぶ。
「魔鬼ちゃん! 烏貝ちゃん・・・・・!」
 ずっとふもとに留まっていた異が。灰の地面に刺さる赤錆びた色の杭を掴みつつ呼びかけているのだ。
「急いで! イメージ形成の宿主が消えた事で、空間の地形が変動しはじめている! 元来た道から切り離される前に、早く!」
 そう急かす異の周辺では白と灰色の景色の一部がぐにゃりと曲がり、まるでコーヒーミルクのようにぐるぐると混ざり合い始めていた。
 魔鬼はコクリと頷くと、乙瓜に目配せした。
「時間ないっぽいから飛ぶぞ」
「飛べんのか!?」
「魔法使いがほうきで飛ぶって知らんか? まあ私らさっきから既に浮いてるようなもんだけど。そんなわけなのでお前も飛べ」
「なんか言ってる事無茶苦茶になってきたな?」
「いや無茶苦茶じゃねーし」
 怪訝そうにする乙瓜を小突き、魔鬼は続ける。
「変形という離れわざをしといて今更飛ぶのは無理ってか。異とお前二人引っ張ってく私の負担を考えろい。なんか出ないのか。翼とか」
「翼ぁ!? ……まあ、やってはみる」
 言って、乙瓜は小難しい顔をして目を瞑った。うんうんと考え込むことわずか数秒、閃いたようにパッと目を開いた乙瓜の背には、翼と言うよりはその骨格のような黒いものが二対生えていた。
「……飛べるやつか? それ」
「たぶん……」
 問う側も答える側も不安げな中、世界は容赦なく変動していく。異は二人を信じるように見上げたまま、もう迷っている時間はなさそうだった。
「とりあえず信じるからな! ちゃんと飛べよ!」
 叫び、魔鬼はスカートのポケットから定規を取り出す。いつも通り何の変哲のない十五センチの定規は魔鬼の魔力の輝きに包まれると、紫の光を固めたような箒の形へと姿を変えた。
 魔鬼はその箒に跨ると左手で乙瓜の右手を掴み直し、異に向かって急降下する。
「乙瓜は異を!」
「了解っ!」
 阿吽の呼吸で即断即決。乙瓜の左手が異の手を取ると同時、二人は再び急浮上する。現世の物理法則の中ではどちらかが脱臼しそうなものではあるが、この異界の中ではその限りではないようだった。
「赤い杭が目印だ! まだ神社につながっている!」
 壊れ行く地面を指さし異が言う。二人はそれを目印に飛ぶ。

 雷光荒ぶる闇の領域を超え、現実を不可解に歪めたような領域を超え、そして――。



 その頃、古霊北中生徒会室には、【灯火】代表・ひのとひのえの姿があった。
 月明りの無い晩、室内を薄っすらと照らす青白い鬼火の中で目を開き、彼女はそれを宣言する。

「それじゃあ、再起動を始めようか――」

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