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ロクマルヨンゴー

黒蛇の呪、雪の垣根 甲

 あたしがもう一度嶽木に会ったのは、次の土曜日の夕方のことだった。
 ほんの一週間近く前まで秘密基地にしていた神社は、神主さんや氏子のおじさん達が出入りして、すっかり慌ただしくなってしまった。
 そりゃそうだ、御神体が壊れちゃったんだもの。急遽きゅうきょ用意した仮の御神体に移すとかいって、何か儀式みたいなことをしたらしいけれど、無駄だと思う。
 多分、多分だけど。もうそこに神様はいないと思うから。

 あたしは、というと。
 その日、土曜日。神棚に祀ってあった町の結構有名な神様の、……あの忌々しい蛇神の神社に分社があった神様の、大元の神社にお参りに行くことにした。
 お礼をするという約束で祈った手前、何かしなくては申し訳ないし、それこそ 罰バチ を当てられたりしたらたまったもんじゃない。

 あたしがその神社にお参りに行ってくるというと、両親は意外そうな顔で、しかし気をつけてと家を送り出してくれた。
 なけなしのお金(全部十円玉)持って、自転車に乗っていざ出かけようとしたときに、お爺ちゃんがあたしを呼び止めた。

「もってげ」
 差し出す何かを受け取ると、それは五百円玉だった。

「爺ちゃん、これ五百円だよ。お賽銭にしちゃ羽振り良すぎじゃない?」

「ちげえ。すすき屋サ行って雪団子買う金だ。あスこさ真面目にめぇンなら団子があった方がえェンだ。飲むもんサ使うなよ、きっかり五百円だ」
 お爺ちゃんはくれぐれもと釘を刺すと、畑仕事の帽子をかぶりながらあたしを見送った。

 自転車を走らせて行くと、道の少し開けたところに『すすき屋』がある。本当は讀坂ヨミサカ製菓って名前なんだけど、店の周りがすすきだらけなんでみんなすすき屋って呼んでる。そんな和菓子屋さんだ。
 そこで一箱きっかり五百円の雪団子は、メイジジダイ(?)の創業の時からある看板商品らしい。時々お爺ちゃんが買ってくるからあたしも知ってる。白くて丸い雪玉みたいなお団子だ。
 何年か前に酔っ払ったお爺ちゃんが、「おめぇの名前はすすき屋の雪団子から取ったんだ」なんて言ってたけど本当かな? 確かにあたしは「ゆき」だけど、「遊嬉」だから全然違うと思うんだけど。
 多分冗談なんだろうけど、そういうことがあったからちょっとだけ思い出深い。

 そんな雪団子を買ってすすき屋を後にした。


 自転車を漕ぎに漕ぐと、大鳥居おおどりいの十字路に突き当たる。ここからは隣の小学校の学区だ。信号を渡って北に少し行くと、ほんのり小高い里山の中に朱の鳥居が見える。

 目指す先はあそこだ。
 あたしは立ち漕ぎして自転車を加速させる。ペダルはもう空回り。緩やかな下り坂を、自転車はスーーッと爽快に降りていく。


 人生楽ありゃ苦もあるさって言うけれど、楽ちんな下り坂があれば、必ず苦しい上り坂がある。カラカラとチェーンの音。自転車を推しながら、きついきつい参道を進んでいく。
 長い坂を上りきる頃には、あたしはもう汗まみれ。
 額の汗を腕で拭うと、一気に力が抜けてしまい、なんとか自転車のスタンド立てるも、その場にへなへなと座り込んでしまった。心臓はこれでもかってくらいバクバク言ってる。
 体力ないなぁ、あたし。もっと体力つけとかないと……。

「もし、もしもし? 大丈夫…………ですか?」
 不意にかけられた声に顔を上げると、白と赤の服を着た女の子(巫女さんていうのかな、漫画でみたことある)が、心配そうにあたしを見下ろしていた。
 年はあたしと大して変わらないくらいかな、手には竹箒を持ち、いかにも掃除してましたよという感じだ。
「えっとえっと、お水持ってくる……きますね!」
 あたしがこの辺の子じゃないから年齢をイマイチ測りかねるのか、取り繕うような敬語で言うと、女の子はダッシュで本殿の方へと、いや、その裏にある民家(住んでるのかな?)の方へと走っていってしまった。
 あたしはへとへとの足をさすりながら、女の子の帰還を待った。ジィジィと騒がしい蝉の声だけが、山全体に広がる森を支配していた。
 無限に繰り返す同じような環境音に、次第に頭がくらくらガンガンとしてきた。

 ――ああ、これ熱中症だ。マズったなぁ。

 その時になって初めて、自分が熱中症かもということに気づく。
 家からスポーツドリンク持ってくればよかったな……というか、ジュース買えるくらいのお金持っておけばよかった。
 自分の夏の暑さに対する認識の甘さと、賽銭箱に全て投じるつもりでもってきたなけなしの小遣いの残りがを百円にすら満たないことを恨んだ。
 ややあって、浮遊感。
 さっきの女の子が誰か大人の人を呼んできてくれたのかな? 誰だか知らないけどありがたいや……。


 気がつくと、どこか民家の縁側に寝かせられていた。
 首の後ろや腋の下がひんやり冷たい。保冷剤が挟んであるんだろう、どうやら熱中症の処置までしてくれたみたいだ。
「気がついた……つきましたか?」
 ホッとしたようにあたしを覗き込むのは、さっきの巫女の女の子。
 手にはスポーツドリンクのペットボトルを持って、飲めますか? と勧めてくる。
 あたしはほんの少し体を起こすと、ペットボトルを受け取ってゴクゴクと飲む。冷たい飲料がじわぁーっと、体の隅々まで染み渡るよう。生き返るってこういうことを言うんだなあ。少し感動。
 一気に半分くらい飲み干して、ぷはぁーとおじさんみたいに口を離す。女の子はあたしの飲みっぷりにびっくりしたみたいに目をぱちくりさせていた。
「ありがとう、もう大丈夫!」
 うん、頭ももうガンガンしないしスッキリしている。元気出た。
 女の子にお礼をすると、彼女は縁側の少し離れた方を指差す。
「お礼なら、あっちの人」
 女の子が指差す先には、この暑い中に真っ黒い半袖パーカーを着て、帽子を被った人が座っている。

「あの人が、あなたも自転車も荷物も持ってきてくれたの」
 とか何とか言う女の子の言葉は、あんまり耳に入っていなかった。

 一度は夢だと思った、もう会えないと思った姿が、そこにはあったから。

「ガッ……キ……?」

 呼びかけると、ちらりと振り返る。
 前髪が長い、その横顔は確かにガッキだ。
「やあ、遊嬉ちゃん」
 ガッキは只でさえ前髪で隠れがちの顔を帽子の鍔で隠すと、やや気恥ずかしそうに言った。

「えっと、スポーツドリンク置いておくから、貰ってね」
 知り合い同士なら自分はお邪魔虫だと思ったのか、巫女の女の子はそそくさと退散する。
 あたしは立ち上がり、ガッキの方へ駆け寄った。

「どうして、どうしてどっか行っちゃったの!?」
 詰め寄るあたし。覗き込むガッキの顔は、ほんのちょっぴり困り顔だ。
「ごめんね」
「ごめんじゃないよぉっ! 夢かもって思った、もう会えないかもって思った、何で何も言わないで消えちゃうんだよぉ!」
 ばか、ばか、ばか! と、ガッキをぽすぽす軽く叩く一方で、あたしの目にはうっすら涙が浮かんでいた。
「今度は……今度は勝手にいなくなんないでよね」
 手を止める。ガッキの服をぎゅってする。そうしたら、ガッキの腕はあたしの体を抱き寄せた。近い。ほんのりお日様みたいな匂いがした。
 柔らかいほっぺ、確かに触れる。夢でも幻でもない。――ここにいるね。

「優しい子だね、遊嬉ちゃんは」

 ガッキはそう言うけど、あたしはこう返す。

「ガッキが優しいから、そう見えるだけだよ」

 だってあたし、悪ガキだし、わがままだし、自分勝手だもん。お化けでも何でもいいから、いつでもずっとガッキと友達でいたいなぁって思ってるもん。

 だから優しくないよ、優しくない。



 例の巫女さんがスイカを切って持ってきたのは、それから少し後のことだった。