怪事戯話
第十二怪・雪夜に行き世にこんこんと③

 一面の銀世界を、少女は踊る。
 深々しんしんと降り積もる雪の上を、沈むことなく軽やかに。
 一面の銀世界を、少女は踊る。
 氷結した池の上を、転ぶことなく鮮やかに。
 少女は歌う。可憐な声で。吹雪の中を、踊りながら歌う。

 やがてたどり着いた建物の扉を、こんこんと叩くまで。



「な……!? なんじゃこりゃあ!!」
 美術室を出た部員たちを待ち受けていたのは、まるで冷凍庫の中のように凍結した廊下だった。リノリウムの床は薄い氷に覆われ、壁には白く分厚い霜が張り、天井からは氷柱つららが下がっている始末。
「こ、ここはシベリアかってーの……」
 深世が呆れた顔をしながら廊下の壁に手を伸ばす。てのひらに触れる刺すような冷たさと独特の感触は、どうやら幻覚まぼろしではなさそうである。
「さっき灯油持ってきたときは何ともなかったのに、ちょっとこれは-20度とかそういうレベルの話じゃないんじゃないの? ……うぅ寒っ!」
 即座に手を引っ込め、もう片方の手でさすり始める深世と対照的に、辺りを興味深そうに見渡す杏虎は、壁を平気で触りながら言った。
「誰かバナナ持ってない? 今なら釘が打てるかもよ?」
「バナナで釘って……昔テレビでやってたけど、それって-40度くらい要るんだろ、確か」
 唐突に頓珍漢な事を言いだす杏虎にギョッとしつつ、深世は彼女を睨むように見つめる。だが杏虎は全く臆する様子なく、相変わらず壁を撫でたり叩いたりし続けながら、こくこくと頷いた。
「そうそう。アレ一度試してみたかったんだよねぇ、あたし」
「ばっ、馬鹿言ってんじゃないよ! 流石に氷点下も40越えたら道民もびっくりじゃんよ!」
「そうかな?」
「そうだよ!」
 必死になって言い返した後で、深世は気付く。自分以外の部員達は、この凍り付いた廊下を前にしながらもピンピンしているということに。
 眞虚は霜と氷でコーティングされてオブジェのようになった消火器をまじまじと見つめているし、遊嬉はカチコチに凍った窓を無心に揺さぶっている。乙瓜や魔鬼などはどんどん先へ進んで行ってしまっていて、とても先刻まで虚ろな目でストーブに当たっていた連中とは思えない。
 ――一体何が奴らを動かしているんだ……。
 何とも言えない気持ちになるも、だからと言って自分の感じている寒さが変わるわけでもなく。
「……こんな寒い所に居られるか、私は美術室に帰るからなッ!」
 深世は捨て台詞を吐きながらわざとらしく両腕をさすると、ストーブの温もり残る美術室へ引き返すべく、一歩踏み出した。
 そんな彼女の背中から、眞虚が一言。
「あ、深世さん。そこすごく凍ってるよ?」
 忠告の言葉。だがそれは一足遅かったようで、次の瞬間大きな音と間抜けな悲鳴に振り返った部員たちが見たのは、尻餅をついて廊下の壁にぶつかっている深世の姿だった。

「何をやってるんだ深世さんは……」
 部員たちの先陣を切って歩いていた乙瓜は、はたから見るとふざけているようにしか見えない体制でスッ転んでいる深世を見て溜息を吐いた。そんな乙瓜とは対照的に、かたわらの魔鬼は振り返りもせずに言った。
「深世さんがあの調子なのは本当に昔からだから、あまり気にしてはいけないんだぜ」
「そうか……」
 ――体張ってんだな……。乙瓜はそう思い、今度は起き上がれない助けてと、ひっくり返ったコガネムシのように藻掻いている深世を見て、なんだか複雑な気持ちになった。
「そんな事より乙瓜、どうやら廊下の氷結は昇降口前で止まってるみたいだ」
 美術室前で二段に屈折している廊下の角から用心深く顔を出し、その向こう側の様子を覗き見ていた魔鬼が言う。
 その報告を受けて、乙瓜も同じように様子を窺う。確かに、廊下が凍っているのは現在地点から昇降口前までで、その先の職員室や校長室前の廊下は平時と変わらないようだ。
「やっぱりこれって怪事の元凶が通った後……とかなんだろうか?」
「わからん。けど、仮にそうだったとしたなら、昇降口から侵入してきたソイツは美術室前で暫く私らの様子を窺ってたことになるね」
「……! 元凶は近くにいたのか!」
 驚愕する乙瓜に、「あくまで仮説だけどね」と念押しし、魔鬼は続ける。
「少なくとも深世さんが戻ってきた時は、廊下は普通だった。途中から入ってきた水祢も特に何も言わなかった。……隠してるだけかどうかは知らないけどね。まあそれは置いておくとして、二人が来たときに異常がなかったとするなら、その後。火遠が幻の雪や雪女の話をしている辺りで、その元凶は美術室前に居たんじゃないのか?」
「なるほど! それで、どうやら俺たちが怪事を解決するらしいと知ったから、元凶は逃げたわけだ!」
 乙瓜はポンと手を叩いた。魔鬼はコクリと頷く。
「多分そゆこと。だから、昇降口前から美術室前までが凍ってるんじゃないかと思う。……だけど、だからって、外に逃げたワケでも無いっぽいんだよね」
 言うと、魔鬼は廊下の角から一歩二歩踏み出し、「やっぱり」と呟いた。そして「見てみな」と、ある場所を指し示した。
 現在地からは死角になっているその場所を確認する為、乙瓜もまた魔鬼の隣へと移動する。そして魔鬼の指さすモノを認識し、思わず感嘆の声を上げた。
 それは、昇降口の丁度向かい側にある階段。普段は薄汚れた壁を剥き出しにしているそこも、今では凍結し、テーマパークの館ものアトラクションにでも出てきそうな姿へと変貌していた。
 そんな階段を指し示したまま、魔鬼はしたり顔で言い放った。

元凶ホシは上に逃げた!」

「上の階って……まだ残ってる奴らが居るじゃないか、大丈夫なのか?」
「う……それは……。大丈夫じゃない、かもしんないけど……」
 階上には、迎えも呼べずに凍えている生徒が沢山いる。その事を想像してか、どこか不安げに尋ねる乙瓜に、魔鬼は少しだけ口籠った。
 だがそれも一瞬。直後、なにか打開策でも思いついたような顔をすると、とんでもないことを言い放った。
「そっか、私が魔法で炎をだな――」
「いやまて、焼き討ちはやめようぜ! 放火は罪が重いからッ!」
 いかにもいいこと思いついたとばかりに、揚々と語りだす友人をすかさず止める乙瓜。だが、彼女の方も言っていることが微妙におかしいという事にツッコミを入れる人物は、残念ながら居なかった。

「……まあ、ともあれ学校中が凍らされちまう前に元凶をとっちめる必要があるな。……よし行くぞ魔鬼」
「おーけい」
 物騒な話題から本題に立ち戻り、二人は怪事を解決すべく意気込んで廊下を走りだそうとした――が。

「ちょっとォ、凍ってる廊下走ったら危ないよー?」

 背後から投げられたのは忠告、あるいは警告の言葉。だが悲しいかな、「車は急に止まれない」とはよく言われたものだが、人間だって急には止まれないのだ。

「んにゃっ!?」
「ふえぇ!!?」

「「えええええええぇぇェエええぇぇぇええぇぇェェ!!!」」
 案の定、遅すぎた警告を背に、二人は揃ってスリップし。廊下の凍結が途切れる先まで、綺麗にツルンと滑って行ってしまった。

「あーあ、だから危ないって言ったのに」
 見事なまでに滑って行った二人を見て、警告した人物――遊嬉はやれやれと肩を竦めた。
 その姿は美術室で震えていた時の重装備に加え、更に雨合羽あまがっぱを着こんでいる。その上、どこから持ち込んだのか、手には雪山登山に使うようなストックが握られていた。
「遊嬉ちゃん、ずっと見てたんならもっと早く教えてやればよかったのに」
 傍らの影――草萼嶽木が言う。遊嬉の契約妖怪である彼女は、滑走を終えて面白い体勢で倒れている二人を見、呆れたように溜息を吐いた。
「いやあ、だってあそこまで見事にズッこけてくれるたぁ思わなかったんだもん」
 そう言って、遊嬉は悪びれる様子もなくケラケラと笑った。
「笑ってる場合じゃあないよ、遊嬉ちゃん。このままじゃあ学校全体が凍らされてしまう。そうなる前に――」
「わかってるよー嶽木。だいじょーぶ。元凶は絶対に、ぜーったいに何とかしますから、さ」
 彼女はストックを刺して一歩前へ歩み出し。視線の先でノびている乙瓜と魔鬼を見て、そっと呟いた。

「早くしないと先に解決しちゃうよん。どうするかな、理の調停者まとめやく代理人たち」

←BACK / NEXT→
HOME