怪事戯話
第十怪・無双崩魔と覚醒の刀③

 真っ暗な被服室に、同じく真っ暗な空から入り込んだ僅かな月明かりが差し込み、机や棚などの輪郭を申し訳程度に浮かび上がらせている。
 魔鬼がペンライトをゆっくりと移動させると、整然と並んだ作業机、ケースに仕舞われて窓際に並び置かれたミシン、アイロンが順々に照らし出される。そして入り口右手の大きな棚には、卒業生が作成した作品が綺麗に並べられており、その中には毛糸やフェルトで作った人形の姿も確認できた。
「件の人形ってこいつらの事なんかねぇ……」
 呟きながら、魔鬼は棚の人形たちを一つ一つ慎重に照らした。今のところどの人形にも特に変わった様子は見られない。一年生の家庭科は裁縫より調理実習の方がメインなので二人とも被服室にあまり来る機会がないが、その少ない機会の記憶を辿る限り知らない人形が増えていたり、配置が変わっていたりと言うような事も無さそうに見えた。
「うーん、特になんともない……ような? 動き出すまでまだまだ時間がかかるのかなぁ」
 魔鬼は小首を傾げながら棚に一番近い机の上に腰かけた。行儀は大変悪いが、今それを取り立てて注意する者もいないので堂々としたものだった。腰かけながらぼんやりと棚を照らす先で、乙瓜が人形を一つ一つ見て回っている。
「昭和59年……平成4年…………ふーん。随分昔から置いてあるんだな。おっ、平成14年……って割と最近か? 3年3組・白薙純子作、おお。これ杏虎の姉さんが作ったのか」
 どうやら人形のラベルを見ているらしく、一人でブツブツ呟いている乙瓜をぼんやりと見ていた魔鬼は、一旦自分の腕時計へと目を落とす。
 うっすらと蛍光色に光る針は間もなく七時を刻もうとしている。最終下校時刻を大きく過ぎ、いつも通りなら既に帰宅している時間だ。
(家に帰ったら何て言い訳するかなぁ……)
 何の計画も無く学校に留まってしまったけれど、家族に何と言ったものか。自転車が置きっぱなしなのはままあることなので教師は気にもしないだろうが、家族には誤魔化しが効かない。魔鬼はほんのちょっぴり憂鬱になった。
 ――だから、なのか。

 見張っていた筈のそれの異変に気付くのが遅れてしまったのは。



「……もしもし、烏貝さんのお宅ですか? あ、お婆さん? 私、乙瓜ちゃんのクラスメイトの白薙です。えっと、今日ちょっと勉強のことで乙瓜ちゃんに聞きたいことがあって、……あ、はい。そうです。家にいます。…………。いえ、迷惑だなんてそんな、すみません遅くまでかかるかもしれないので、はい。帰りは家で送って行きますので、大丈夫です、はい。では……」
 受話器を下し、杏虎は一息吐いた。大きく深呼吸した後再び受話器を上げ、今度は違う家の番号を押していく。
「よくもそこまでやるねぇ」
 ソファーの上で体育座りした深世が杏虎を振り返った。杏虎は先程とほぼ同じ内容の電話を、今度は黒梅魔鬼の自宅にかけている。
 勿論、電話の内容は嘘だ。乙瓜や魔鬼はまだ学校に張っているだろうし、杏虎の家に来てなんか居ない。もしこの電話を杏虎の家族が聞いたものなら、なんて嘘を言ってるんだと呆れるか、その友達は本当はどこにいるんだと問いただされるかするだろう。しかし、偶々。本当に偶々、今日に限って都合よくその心配はなかったのだ。
「お父さんは泊りがけの出張でお母さんはお仕事の懇親会だっけ?」
「そ。でもって姉は残業だし、今夜は実質誰も居ないと同然なわけー」
 電話を終えた杏虎は深世に答えながら猫のように背伸びをし、おもむろにキッチンに向かい冷蔵庫を開けた。
「つーか深世さんも暇だよね。誰も居ないっつったら泊り来るんだから。ウチはいいけどそっちは大丈夫なのさ?」
 冷蔵庫を漁りながら杏虎が言う。深世は飲みかけのパックの紅茶を啜りながら頬を膨らませた。
「暇じゃないし。杏虎が家で一人で暇じゃないかと思ってきてあげただけだし……」
「ふーん。別に構わないのにさ。あたしどうせ一人でゲームやって過ごすつもりだったし? どうせ深夜には姉帰ってくるし――」
 言ってスポーツドリンクの500mlボトルを取り出しながら、杏虎はちらりとリビングを振り返った。深世はソファーの背から半分だけ顔を覗かせて、ジト目で杏虎を睨んでいる。
「なに、なんか言いたいことありげじゃん?」
 キャップを開けながらキッチンの椅子に腰かける杏虎を睨みながら深世はブツブツと言った。
「……なにさ、心配して来てみたのに。この頃ちょっと物騒だし、物好き二人が居ないところでもおかしなことちょいちょい起こってるって聞くし、杏虎ん家お隣さんからすごい遠いし……」
「あ、深世さん心配してくれてた系?」
「だからっ! 最初からそう言ってるでしょが!」
 今気付いたと言わんばかりの顔をする杏虎に、深世は益々機嫌悪そうな顔になった。
 杏虎は、そんな深世の事なんてあまり気にしていない風にスポーツドリンクを飲んでいたが、途中で何か思い出したような顔をしてペットボトルを置いた。

「そういや、どこ行っちゃったんだろね」

「しらない。一人で帰っちゃったんじゃないの」
 杏虎の言葉に深世はぷいっとそっぽを向いた。背もたれから出した頭をひっこめ、ソファーの上に横になったんだろう。彼女の姿は完全に杏虎の視界から隠れた。
(……帰った? いや、それはないと思うなぁ)
 杏虎は思う。
 リビングの隅には、自分と深世のバッグの他にもう一つ。学校指定で同じ規格のバッグがちょこんと置かれていた。



 同刻、古霊北中。
 乙瓜と魔鬼の二人は走っていた。長い廊下を、足音立てて。残っている教師に見つかるとか見つからないとか、そんなことはお構いなしに疾走していた。
「なっ、にっ、なんなのあれぇぇ!!」
 振り返りながら魔鬼が叫ぶ。彼女らの背後には家庭科室の棚に並べてあった人形たちの群れ、大群が押し寄せている。
 数十分前。それらは確かに物言わぬ人形である筈だった。歴代の生徒が作り残した、何の曰くもない人形だった。
 だが、事は一瞬のうちに起こった。魔鬼が溜息を吐いている間に、間近で見ていた乙瓜がラベルからほんの少し目を離した間に。人形たちは忽ち命を持ったように動きだし、そして二人に襲いかかってきたのだ。
 猫や熊など獣型の人形は柔らかい材質にも関わらず鋼のような牙を持ち、人間型の人形はいつの間に持ち出したのか、裁縫針で武装している。
 万が一囲まれでもしたら大なり小なり怪我することは避けられない。ぞろぞろと棚から降りてくる凶悪な人形たちを前に、魔鬼と乙瓜は被服室から逃げ出したのだ。
 二人は走りながら花子さんの話を思い出す。人形は物を盗むだけで学校の妖怪を襲ったりするなんてことは無かった筈だ。
「話しが! 違うじゃねえかッ!!」
 乙瓜はやけくそ気味に護符を数枚放つ。枚数分の人形に着弾し、当たった人形は倒れるが、それも束の間。数十秒の後に何事も無かったかのように復活し、軍勢の中に舞い戻り、再び二人に牙をむくのだ。
 手持ちの札は既に半分を切った。乙瓜は舌打ちする。初めの人形が動き出してからどれくらい経っただろうか。人形は乙瓜の札でも魔鬼の攻撃魔法でも倒されず、まるで疲弊した様子もない。
 一方の二人は逃走と防戦の連続で既に疲労が見えてきている。盗まれた妖怪たちの私物を探すどころではない、立ち止まったらられる……!
 どんなに騒いでも教師がやってこない辺り、既にこの場はこの人形たちのフィールドなのだろう。逃げ場はない。
(十、二十、三十、四十……ギリ五十に届かねえ。でも……!)
 乙瓜は残りの護符枚数を再計算し直し、その全てを惜しみなく解き放った。
「十二枚単符四重列結界・闇雲!」
 解き放たれた札は廊下の一角に列をなして壁を作り、人形たちの進行を食い止める。だがそれも一時的なものだ、長く持ちはしまい。
「魔鬼、早く、こっちへ!」
 乙瓜はゼイゼイと荒い呼吸をしながらも、同じく肩で息をしている魔鬼の手を引いて手近な階段を上がった。
「ちょ、まて、上に行ったらどん詰まりじゃないか……!」
「どの道もう、奴らの領分なんだから……、上に行こうが下に行こうがどん詰まりなんだよ……っ!」
 魔鬼の手を引きながら乙瓜はチラリと後ろを振り返る。先程作った結界はもう破られそうだ。引き返している余裕なんてない。
 だけど、と乙瓜は思う。
(どうしよう、この先はもう屋上だ……鍵なんて開いてる筈ない、どの道この逃走劇おいかけっこはもう終わりじゃないか……!)
 気付いてしまった、けれども行けるところまで行くしかない。何故か倒せない相手、わからない攻略法。自分にはもう武装フダはなく、相方の体力も魔法で水増ししているとはいえ限界に近い。乙瓜は再び舌打ちをした。
 行く手に立ちふさがるのは堅い鉄の扉。屋上へつながる扉だ。しかし、屋上の鍵を持っていない彼女らにはその先へ進むことは許されない。……筈だった。

「えっ……?」
 乙瓜は目を疑った。
 開いている。絶望的に立ちふさがる最後の扉が、開いている。
 傍らの魔鬼も信じられないという風に目を見開いている。
「嘘――有り得ない、」
 魔鬼が言葉を漏らす。それと同時に、階下の結界が破られる気配がした。障害物を破壊し尽くした凶悪な人形たちが階段を上ってくる。

(何かの罠かもしれない……けど……)
(選択肢なんて……先に進むしかないじゃないか……!)
 二人は覚悟を決め、屋上へ続く扉を開いた。


 乙瓜と魔鬼の逃げ込んだ先の屋上で、くすくすと給水塔の上の影は笑う。

「そう、上がっていらっしゃいな。おいでやおいで、【灯火】の遣い達!」

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